猪瀬直樹「官の規制に左右されないところに民間は採算の合う場所を追いかけなければいけない。それは介護も同じこと」
ジャーナリストとして数々の名著を手がけ、東京都の副知事、そして都知事として都政に関わってきた猪瀬直樹氏。2020年東京オリンピック誘致は、この人なしでは実現しえなかっただろう。もちろん功績はそれだけではなく、介護分野においてもさまざまな改革を行っている。施設不足を解消すべく、東京に見合った独自の施設基準として「東京モデル」を打ち出し、「ケア付き住まい」「都型ケアハウス」を推進。また、高齢者が地域で生活できる拠点を整える「シルバー交番」の設置など。実際に改革を行うことで、彼自身が実感したのは「規制の壁」だという。そして、その経験をふまえた上であえて言う「行政だけに期待するな」。その真意とは?
文責/みんなの介護
公的な介護サービスだけじゃ追いつかない。超高齢社会の今、官と民が補いあっていかなきゃダメだと思う
みんなの介護 猪瀬さんご自身、副知事、そして都知事としてさまざまな福祉行政で功績を残しています。実際に介護や福祉の現場を見た経験も多いと思うのですが、どのような印象でしたか?
猪瀬 港区の包括支援センターを視察した時、驚いたのは、たった2人で何十件もの家を担当していたこと。これでは回らないな、と思った。だから介護福祉業界が民間市場に頼らざるを得ないな、というのは実感するんだよ。この超高齢社会の現状を考えると、官だけでは追いつかない。公と民が補いあっていかないといけないと思うんだよ。
みんなの介護 現在だと、例えばどんな事業があるでしょう?
猪瀬 「伊藤忠商事(株)」は大手民間警備会社と組んで、海外駐在員向けの高齢者見守りサービス「駐在員ふるさとケアサービス」というのを2011年から始めている。伊藤忠は海外市場が大きい会社だし、駐在員が心置きなく働くためには、日本に残した一人暮らしの高齢者家族に関する心配、不安を取り除かなくてはならない。緊急通報システムに加えて、24時間365日対応の看護師による電話健康相談サービス、掃除や洗濯など短時間の家事代行を行っている、と。
「駐在員ふるさとケアサービス」にしても、隙間を埋めていくようなサービスかもしれないけど、全員が納得いくものじゃない。海外駐在をした場合自宅をどうする、一人で残された高齢者をどうする、という問題から生まれたサービスなわけだよね。一気に何かを変えるよりも、今起きている問題をどうやって埋めていくのか、それを民間の警備会社が始めている。何かとても良い解決法があって、全部が一度にひっくり返るなんてことはないんです。少しずつ、少しずつ変わっていく。そういうものだよ。
これからは企業が社員の介護問題もケアする時代になる
みんなの介護 そう考えると、そのサービスの需要と供給のバランスは取れるのだろうか…といったことも考えてしまいます。
猪瀬 市場というのはそれに見合う形で生まれてくるわけだから、当然、生まれたニーズを誰かが埋めることになる。例えば伊藤忠の場合、見守りサービスは福利厚生の一環として会社負担なんですよ。企業としても心おきなく働ける環境を整えたいわけです。今、企業の持っているお金は300兆円。今後はそういうところにお金をかけていく時代になると思いますよ。
みんなの介護 企業が社員の介護問題もケアする、と。
猪瀬 昔の企業は「家族」だったけど、今はそうじゃない。でも、昔は国家と個人の間に「家」というものがあったんだよね。例えばそれは今の核家族とは違い、子どもが多い家から少ない家に養子をやることもあるし、維持していく必要があるもの…いわば、国家と個人の間の「中間状態」なわけです。
現代にもそういうものがあったほうがいい、という考え方がある。でも日本は戦後に「家」制度が崩壊してしまったから、「中間状態」の屋根を建てなおす必要がある、それはたとえば現代の形だと、グループホームだったり、シェアハウスだったりするのかな…とも思うんですよね。
超高齢社会への対策をしたとしても、結局みんなが満足する方法なんかない
みんなの介護 例えば、コミュニティが密な田舎のほうが、地域で連携ができる分高齢者は暮らしやすい…という状況があったりしますもんね。
猪瀬 そうなんだよね。だから一筋縄ではいかない話で。結局、高齢社会への対策は「これだ!」という答えはないんだよね。解決策は例えばシェアハウスかもしれないし、高齢者住宅と保育所を一緒にしたまちづくりかもしれない。コンパクトシティ構想とか色々言われてるけどね。千差万別でいろんな試みが行われていくけど、みんなが満足する方法というのはないよね、やっぱり。
みんなの介護 行政と民間の連携は、うまくいくものなんでしょうか。
猪瀬 実は今、大手警備会社は民営の刑務所を担当しているんですよ。実際に視察に行ったこともあるんだけど、通常の刑務所みたいな高い壁とかはなくて、センサーで警備をしている。中ではパソコンなどを教え、社会復帰の手助けもする。昔は木工作業が中心だったけど、今は木工の技術よりもパソコンの知識を得た方が就職に有利でしょう?もちろん犯した犯罪が軽く、出所が前提の場合だけどね。
みんなの介護 刑務所内で介護資格の勉強をさせる場所もあるらしいですね。
猪瀬 そう、何が再就職に必要か、ということなんです。刑務所というのは明治時代からのシステムがそのままで、取り残された世界。でもそんな刑務所が民間と連携している時代になっている。この事例を見ると、変化は可能だと思うんだよ。
だって、ATMだって昔は銀行にしかなかったんだから。今はコンビニに必ずあるでしょう? サービスというのは変わってくるんだよ、ということを頭に入れた上で、介護サービスも考えていかなくてはいけないと思うんだよね。
みんなの介護 ただ、介護業界に関しては介護保険という縛りがあります。やはり変化のことを言うと、そこが厳しいという現状を言う従事者も多いようです。
猪瀬 そこは僕にはわからないけど(苦笑)。でも、変わってきているのは現実で。だから介護保険という幅はあるけれど、介護の業界、サービスも変化していく可能性がある。そう思っておいていいんじゃないかな。
私がサ高住の先駆けを作ったのは、官による規制が届かない形が必要だったから
みんなの介護 猪瀬さんは、副知事をされていた時に「ケア付き賃貸住宅」などの政策を手がけました。当時、どのような経緯でプロジェクトがスタートしたのでしょう。
猪瀬 今は国が「サービス付き高齢者向け住宅」、いわゆるサ高住に補助を出すようになったけど、それを僕が先駆けて作ったわけなんだよね。
きっかけは、2009年に群馬県で起きた見届け老人ホーム「たまゆら」での火災事故だった。10人のお年寄りが亡くなったんだけど、うち6人が生活保護受給者。火災後の調査の中でわかったんだけど、他の県の未届け有料老人ホームに入居している東京都の生活保護受給者は当時で500人もいたんだよね。すぐに解決策を見つけるため、「少子高齢時代にふさわしい新たな『すまい』実現プロジェクトチーム」を立ち上げた。
また、東京都に住む75歳以上の高齢者は2000年時点で75万人だったんだけど、これが2025年には200万人になる。そうなると高齢者だけの世帯が増え、介護が必要な高齢者の急増も見込まれるよね。東京のような大都市だと核家族化が進み、地域とのつながりが希薄なので、家族や地域からの支えがない高齢者がより多くなってしまう…でも有料老人ホームは非常に高額で、入居できない人も多い。低所得者の人、例えば生活保護の受給者でも安心して暮らせるにはどうしたらいいか、それがプロジェクトの課題だった。
みんなの介護 実際に実現されるまでは大変だったのではないでしょうか。
猪瀬 当時そのことをやろうとしてわかったのは、介護に関する施設を作るには規制がたくさんあり、複雑になっているという現状だったね。もちろん、完全介護の施設を作るのは大変だから、まずはグループホームくらいの規制がゆるいものをつくらなくては、と。それは要介護者ではなく、“施設に入る前の段階”の人への対応になってしまうわけだけど、それでも足りていないのは現実だったわけだから。
例えば特養が足りないと言われても、「特養だけを増やそう」となったらいつまでたっても増えないよと。規制が厳しいから。だからそうでない形を考えた。役所の規制というのは過去に作られたもんだから、どうしても縛られてしまうんです。だったら、そうでない形を考えたほうがいい。役所の規制があると、そういう施設は決して増えないんですよ。保育所の問題がそうで、「園庭が必ずないといけない」とかそういう厳しい条件でやっていると、いつまでたっても待機児童は解消しない。
みんなの介護 規制が厳しいのであれば規制が変わったり緩和されるのを待つのではなく、まずは別の形を考える、と。
猪瀬 ニーズがあればビジネスが生まれるんです。採算が合わないものは成り立たない、じゃあ税金でやるのは何かというと「採算が合わないもの」になる。
でも、そうするとそこには規制が必ずある。だから官が何かをやろうとすると、常にニーズに遅れてしまうわけです。だから民間が採算が合う場所をまずは追いかけて行って、その後から官がついていくという形になるのは仕方ないだろうね。
政策を提案する側も、それですべてが解決するなんて考えてない
みんなの介護 「官」にばかり頼ったり、期待するな、と。
猪瀬 アベノミクスの「新3本の矢」だって、介護離職ゼロにするって言ってるんだよね? そのために介護休暇の取得を推奨すると。それは一つの解決策にすぎないけれど、でもやったほうがいいよね。
実は政策を出す方も、全ての解決策だとは思ってないんだよ。決定的なものなんてあるわけはない。「とりあえずこれはできますよね」というものを積み重ねていくしかないんだから。そりゃ消費税が20%になればいろいろ問題は解決するだろうけどさ、そういうわけにもいかないしね(笑)。
みんなの介護 そう考えると、ちょっと行政への見方が変わってくるような気がします。ただやはり、「みんなの介護」に寄せられる介護従事者からの声は、行政への不満がやはり多いのも事実です。
猪瀬 日本の行政は縦割りだからね。これは変わらないよ。それはもう絶望的な話でさ、僕はよく「昭和16年夏の敗戦」って書いてるんだけど、戦争を始める前に各役所が自分たちの利益優先でまとまらなかった、という歴史がある。アメリカと戦争をやったら負けるのに、各役所が縄張り争いをしてる間に時間切れになった。最終的に陸軍と海軍が自分たちの持っている石油の備蓄量を言わないまま戦う、という状況になって…どう考えてもおかしいでしょう?
それは縦割りの持っている宿命みたいなもので、あの敗戦の原因なわけです。その後役所が整って、完全な縦割り行政になってしまったから、統合機能がますますなくなってしまった。戦前が軍国主義で戦後が民主主義というのは間違いで、戦前も戦後も官僚主権なんですよ。
2020年東京オリンピックの誘致を決めた理由のひとつに、介護予防につながるということもあった
みんなの介護 じゃあ、行政に変化を望むのは無理だと。
猪瀬 でも、改革というのは頑張ればできるんです。僕だって道路公団民営化に成功したわけだから。
みんなの介護 確かに、今から考えてもすごい偉業だと思います。なぜ猪瀬さんは可能だったんでしょう?
猪瀬 それは、僕がプランを出して、理論的に可能だという根拠を見つけてやったからです。それを小泉さんという変人(笑)が了解した、だから抵抗勢力と戦えた。
役所との戦いがなぜできたかというと、審議のプロセスを全部公開したから。ちゃんと計算すればこうなるよね、というのを出したんだよ。民営化して、サービスエリアの風景も全然変わったでしょう?サービスエリアがアウトレットモールになった。僕は最初から「ここにはアウトレットモールができますよ」というのは言ってたんだから。民営化したら実際にそうなった。
みんなの介護 行政にも猪瀬さんのように声を挙げる人が出てくれば、改革は可能だ、と。
猪瀬 重要なのはビジョンを示すこと。政治家は忙しくてなかなかそれができないんだよ。政治家のパーティーとかにたまたま行ってびっくりしたんだけど、地元の盆踊りに行った数を競っているんだよね。自分は100人だ、いや自分は200人だって。それをやらないと小選挙区で受からないからなんです。それが現状だし、そんなことやってたらビジョンなんか考えてる時間はないよね。
都知事としていろんな改革はしたけど、やっぱり改革をするにはビジョンが必要。あとは新しいニーズに柔軟性を持って対応することが大事で。2020年の東京オリンピックだってそうで、僕がオリンピック誘致を進めた理由の一つに、「オリンピックの影響で高齢者のスポーツ人口が増える、そうすると身体が丈夫になって施設に入る時期を遅らせることができるかもしれない」というものもあるんだから。答えは、一つじゃないんですよ。
前回の東京オリンピックを機に増えた警備会社が、介護事業にシフトしていく
みんなの介護 猪瀬さんが手がけていた雑誌記事の連載で、日本の民間警備会社に関して取り上げていました。そちらの中で介護サービスについて触れていましたね。
猪瀬 最初は「日本の民間警備会社について調べよう」という連載だったんだよね。2012年のロンドンオリンピックの際、会場警備を民間警備会社がやったことで話題になったけど、警察や軍隊がアウトソーシングされる時代になってきた。また、この間もフランスで大きなテロがあったけど、日本官邸の上にドローンが落ちてきたり、テロは決して他人事とは言えない。じゃあ日本はどうなんだろう?というのがスタートだった。
みんなの介護 確かに、日本の治安維持についても話題に上りましたね。
猪瀬 もともと日本の民間警備会社の始まりは、1964年の東京オリンピック選手村の警備なんですよ。選手村というのは国際社会で、自治的な側面が強い。となると、日本の警察官が中に立ち入って警備をすることが難しかった。そこでオリンピックの少し前、1962年に「日本警備保障株式会社(現セコム株式会社)」が設立されて、選手村の警備を行ったんだよね。そしてその成功をうけて、オリンピック後に「綜合警備保障(ALSOK)」が設立された。
現在、日本国内の警察官の数は24万人。一方で、民間の警備会社はオリンピックの後からもいろんな会社が出てきて、従事者はトータルで約50万人、市場規模は3兆円と言われている。そのくらい大きな市場に成長したんです。
みんなの介護 あの…介護の話題はどこへ(笑)?
猪瀬 ちゃんと着地させるから安心して(笑)。そんなわけで連載を始めたんだけど…最終回の見出しは『110番から119番へ』となったんだ。
警備会社が持つ通報のネットワークは必ず、高齢者の見守りサービスで活用できる
猪瀬 テロ対策も重要だし、2011年にはソマリア沖で日本のタンカーが海賊に襲撃されるという事件も起こった。それで2013年には日本船舶警備特別措置法が整備され、日本船籍の船に小銃で武装した民間警備会社の人間が乗り込めるようになった。ただ、まだ実際には乗られていないようなんだけどね。
そんな状況ではあるけれど、結局、日本においては“需要がない”のでは、と。安倍首相もテロ対策についてこの間発言したけれど、それでも民間警備会社の需要が劇的に伸びるわけではない。凶悪犯罪も年々減っている。
みんなの介護 「需要」という言葉が、なんとなく介護の話題への前フリのような気が…。
猪瀬 そう!そうした時代の流れの中で、最近、大手の民間警備会社社長が『110番から119番へ』ということを言い出して。彼らがどういうサービスを始めたかというと、介護会社を買収し、警備だけでなく“介護サービス”を併設するようになったんです。
例えば、高齢者の個人情報を持っている介護会社を買収し、「警備」ではあるけれど「介護」も付随する「高齢者見守りサービス」を提供し、市場拡大を狙う会社。また、これまで訪問介護で難しかった夜間サービスに対応するため、緊急通報用端末を配布して、24時間体制の高齢者見守りサービスを提供している会社もある。通報ボタンが押されたら、警備員が駆けつけて安否確認をするんですよ。状況によっては救急車も呼ぶし、もし心肺停止状態になっていればAEDも使用する。
もともと、民間警備会社は通報のネットワークを持っているわけで、そこを利用するという。しかも防犯用セキュリティより安価にすることで、市場拡大を狙っているんだろうね。
テロ対策の“110番”より、介護の“119番”にニーズがシフトしてきている
みんなの介護 警備保障の分野と介護の分野に思わぬビジネスチャンスがあったと。
猪瀬 そうなんだよ。また、「伊藤忠商事(株)」では大手民間警備会社と組んで、海外駐在員向けの高齢者見守りサービス「駐在員ふるさとケアサービス」というのを2011年から始めている。伊藤忠は海外市場が大きい会社だし、駐在員が心置きなく働くためには、日本に残した一人暮らしの高齢者家族に関する心配、不安を取り除かなくてはならない。緊急通報システムに加えて、24時間365日対応の看護師に寄る電話健康相談サービス、掃除や洗濯など短時間の家事代行を行っている、と。
他にも、高齢者が老人ホームに入居するともともとの持ち家が空き家になるわけです。空き家に外部から侵入された形跡はないか、郵便物は溜まっていないかといったことをチェックして定期的に家の換気を行う「留守宅サービス」というサービスを提供している会社もある。結局、最初は「警備」とうたっていたんだけど、警備の配線に介護がくっついてきた。なのでテロ対策の“110番”より、介護の“119番”にニーズがシフトしてきている、というのが現状なんだよね。
みんなの介護 介護寄りの各種サービスが続々とスタートしているのが現状なんですね。
猪瀬 今話したのは大手の民間警備会社が多いんだけど、もちろん中小の警備会社もそれを始めています。例えばとある警備会社の場合。高齢者宅に設置されている、12時間トイレの水が流されていないと通報する「生活リズムセンサー」があるでしょう?通報を受けて現場に行ってみたら、高齢者の方が倒れている状況があると。状況に応じて蘇生法だったり、救急車などの対応が必要なわけです。だからヘルパー資格を持った警備員を増やしている。
一方で、すぐに緊急ボタンを押してしまう人もいる。その理由は「寂しいから」だったりするんですよね、だからヘルパーの資格を持っている警備員が行って話を聞いてあげたり。結局、現状として警備会社のニーズが介護の方に傾いているんですよ。もともと、介護の業界では通報システム等の整備が遅れていたわけですし。
歴史という大きな流れの中で、警備と介護が重なるという動きは興味深いよね
みんなの介護 警備と介護という2つの業界において、この流れはまだまだ続きそうですね。
猪瀬 東京オリンピックをきっかけにスタートした民間警備会社だけど、次の東京オリンピックを目前にした今、むしろ高齢社会の中の介護ビジネス的な部分にフィットした…それが今の日本の現状。というわけで、テロで始まり介護で終わる連載になっちゃった(笑)。
みんなの介護 猪瀬さんご自身としては、この流れ自体をどう思いますか?
猪瀬 僕自身も民間警備会社のサービスに加入しているけれど、民間警備会社は窃盗などの犯罪に対応するために大きくなってきた。この民間警備会社の作り上げたネットワークってすごいんだよね。例えばうちが加入している警備システムだと、アラームが鳴った場合25分以内に駆けつけてくる。つまり、都内の何ヶ所にも待機拠点を持っているわけです。
警備における「アラーム」というのが普及した理由を知ってる? これは1968年から69年にかけて起きた、永山則夫事件(※1968年10月から11月にかけて、東京都区部・京都市・函館市・名古屋市において発生した、拳銃による連続殺人事件。セコムが侵入先に設置していた機械警備システム「SPアラーム」の警報を受けて駆けつけた警備員が永山と渡り合った)がきっかけなんだよね。
それまでそういった回線は電電公社が独占していて、外部の会社に使わせなかった。でも広域捜査となった永山事件をきっかけにそれを使用できるようになり、結果的にそれをベースとして今、高齢者の見守りサービスへとつながっている。大きな歴史のスパンで考えると、こういう点はとても興味深いよね。
オリンピック招致活動に奔走していた時、すでに妻は脳腫瘍で余命数ヵ月だった
みんなの介護 猪瀬さんご自身のお話をお伺いできればと思うのですが、2013年、オリンピック招致の活動まっただ中で奥様を亡くされました。腫瘍が見つかってからわずか2ヵ月での死だった、と。
猪瀬 本当に予兆が無かったんだよね。MRIは毎年夏に受けているんだけど、さらに進行が早かったわけで。あれには本当に驚いた。著書にも書いたけど、かみさんの病気がわかる数日前、飼っていた犬が動かなくなったんだよ。今から思うと、あれは自分の運命を嗅覚で察知したのかな、と思う。なぜならうちの犬は、かみさんと朝夕必ず一緒に散歩してたから。
犬の様子がおかしくなったのが日曜日、犬を獣医に連れて行ったのが月曜日。それでもうだめだ、となったんだけど……その時は、かみさんの「言葉の言い間違い」が目立ったんだよね。で、水曜日にテニスに行ったんだけど、すぐ帰ってきた。聞くと「球が当たらないのよ」と。
みんなの介護 テニスに行けるくらいの元気はあったんですね。
猪瀬 そして土曜日、この先オリンピック招致だったりで海外に行くとき、パーティーに参加しなくちゃいけないこともあるから、そのための服を用意したと。で、とりあえず着てみて、ミニファッションショーみたいなことをやったんだよね。でも、その時の様子がちょっと気になって、夜の12時位に精神科医の斎藤環先生に電話をしたんだよね。斎藤先生とは対談はしたことあるけれど、そんなに親しいわけではなく…でも携帯番号は知ってて、ツイッターを見るとまだ起きていた。それで思い切って電話をしてみたんだ。
自分は、かみさんが何かしらの原因で精神的に不安定になっていて、それで言葉を間違えるのかと思ってたんだよね。でもそれは違う、すぐに病院に行けと斎藤先生に言われた。次の日、かみさんを総合病院に連れて行って、僕自身は所用もあって両国国技館で大相撲の千秋楽を見ていたんだけど、1時間くらいして終わった時に病院の先生から連絡が来て、悪性の脳腫瘍でグレード4、余命は数ヵ月だと。
みんなの介護 最初は軽い脳梗塞か何かだと思っていた、と著書に書かれていましたね。
猪瀬 そうなんだよ。で、次の日から僕はオリンピック招致のためにサンクトペテルブルクに行かなくちゃいけなかった。とりあえず手術の日程を帰国後に取って…でもかみさんはニコニコしてるんだよね。帰国した時も「テレビ、見たわよ」なんて言ってさ。
みんなの介護 本当に予兆のようなものがわかりづらかったんですね。
猪瀬 帰国して手術を待って、入院中も記者に気づかれないように裏口から入ったり…でも結局、手術してから2~3日後に具合が悪くなってICUに入った。でも僕は、オリンピック招致の最終プレゼンテーションのために、今度はローザンヌに行かなくちゃいけない。いつメールが入ってくるかわからない状態でプレゼンを終えて、帰国して…でも結局、帰ってきて10日ほどで死んでしまったんだ。
日本でも安楽死を認めるべきだと、僕は思う
みんなの介護 帰国された時はもう、昏睡状態だったんですね。
猪瀬 もう、介護とかできる状態じゃないよね。脳死の状態。生きているように見えるんだな、とその時になって初めて知ったよ。そうなると僕ができるのは、病院のベッドに座っていることくらいで。
でもね、あの時に一つ思ったのは「もし自分がこういう状態になったらどうするか」と。自分の意志が表現できなくなった時にどうするか、が問題だと思うんだよ。
みんなの介護 脳死、植物状態になった時のために自分は何ができるか、ということですよね。
猪瀬 僕は、日本は安楽死を認めていないけど、安楽死を認めるべきだと思う。この間、たまたま読んだ本に、延命医療を断る旨を自分で遺しておく、遺書のフォーマットが掲載されていて……参考になるかなとコピーして取っておいたりするんだけど。なんだかそんなことを考えるんだよね。でも、ヨーロッパでは安楽死を認めてるけど、日本人はなかなかできないよね、きっと。
みんなの介護 それは宗教観、死生観の差なのでしょうか?
猪瀬 それもあるし、日本人はそもそも意思決定ができない。日本の社会は「決断をしない」社会だから。もちろん病院側としても、遺族から訴訟を起こされるリスクはあるしね。
ふと思ったんだけど、この間、三島由紀夫が死んでから45周年だったんだよ。三島由紀夫って小さいころ、自分のお母さんから引き離され、お祖母さんに幽閉されて育った人なんだよ。だからもしかしたら「老いていく」ことが怖かったのかな、と。
高齢者がベンチャー企業を手伝ったり、なんて取り組みがあっても面白い
みんなの介護 今、ご自身の「老後」というのはどう考えていらっしゃるんでしょう。
猪瀬 今、僕は一人暮らしになってしまった。一応、民間警備会社には加入してるから、枕元に防犯ブザーがあるんだけど…以前うっかり触ってしまって夜中に警備会社が来て、真っ暗な中で懐中電灯で照らされてさ(笑)。まるで映画のシーンみたいだったよ(笑)。でも今や、自分「見守られる側」になるんだよね。例えば脳梗塞や心筋梗塞でこのブザーを押せない状況だったらどうか…とか、そういうことも考える。
みんなの介護 先ほど遺書という言葉が出ましたが、いわゆる「終活」を考えられるようになったのは奥様の死というのが大きいんでしょうか。
猪瀬 かみさんが死ぬまでは、そういうことは考えなかったね。そもそも、かみさんは死なないと思ってたからさ。女性のほうが平均寿命も長いし、俺より少なくとも1日は長く生きると思ってた。これまでは僕のことはかみさんが判断してくれてたけど、もう自分で考えないといけないんだな、と。
でもこの間、原節子さんが95歳で亡くなったっていう報道があったけど、90歳以上まで生きるのは当たり前の社会になるかもしれないね。だから自分の老後というのを、みんなが具体的に考えないといけない時代になんだろうな。
みんなの介護 高齢者のライフスタイルとして、猪瀬さんが今思うことはありますか?
猪瀬 昔、とある有名なデザイナーの死後、取材で奥様に話を聞きに行ったんだよ。そしたらその奥様が怒ってたんだよね。デザイナーとして第一線で活躍していた人が、施設に入ると「お絵かき」をやらされると。介護施設とかでたまにこういう話って聞くんだけど、どうにかならないかなと思う。こういうサービスに関しても、今後は色々考えられるべきだよね。
あとは、多くの人が言ってるけど、やっぱり定年後も仕事をやった方が良い。例えば高齢者がベンチャー企業を手伝ったり、企業とリタイア後の高齢者をマッチングさせていくサービスと安倍政権は、もっとこういう点にも力を注ぐべきじゃないかな、と思うね。
撮影:伊原正浩
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