皆さん、こんにちは。終活カウンセラー協会で講師を務めている小川朗です。
コロナ禍により、最期の瞬間に立ち会えなかったご遺族の悲しみに触れる機会が増えています。今回紹介するAさんの母親は、6月29日に亡くなりました。
新型コロナの感染予防対策により、母との面会ができなくなったのが2月27日。ベッドの脇で過ごすことが叶ったのは、4ヵ月後の6月24日です。すでに意識不明が何日も続いており、ご臨終の瞬間すら気づけなかったほどの、安らかな死でした。
今回はコロナ禍の中での介護生活であった出来事について、お話していきます。
母親が認知症になり、父親も肺の病気に…
Aさんの母親が脳腫瘍を患い、2回転院したのちに内視鏡手術を受けたのが13年前、78歳のときでした。
Aさん「腫瘍は難しい場所にあって、生命の危険を伴う手術となりました。当時は新しい方法も出てきたため、転院することにしたのですが、系列の違う病院に移る場合、多くの障害があることを知りました」
Aさんの母親は大手術を行ったもののすべての腫瘍を切除することはできず、その後に認知症を発症。当時、4歳上の父親が健在だったため、在宅での「老老介護」となりました。Aさんも土日には実家に帰り、介護の手伝いをするようになります。
そんな生活が9年目に入ったころ、介護生活は難しい局面に入っていきます。Aさんの父親も加齢によって思うように体が動かせなくなり、食事の世話もおろそかになってしまったのです。
Aさん「実家に行ってみたらシンクに魚の缶詰が無造作に置いてあったんです。食事はご飯もなく、これだけだったんだなって思ったとき、なんだか切なくなりました」
この後、状況は厳しさを増します。今度は父親が肺がんの疑いで入院してしまったのです。当時は認知度の低い肺MAC(マイコバクテリウムコンプレックス=非結核性抗酸菌)症と判明し、入院しました。
弟は一切手伝ってくれず介護期間は終了
認知症が進行していくお母さんの介護は、さらにAさんに重くのしかかります。というのも、2歳下の弟は介護を拒否。Aさんの弟には子どもが2人いて、「施設に入れてもらって、その費用は、今ある親のお金でまかなうべき」と主張したからです。
また、Aさんの父親は2017年の3月6日に肺マックで入院し、それから2ヵ月にも満たない5月4日に93歳で亡くなってしまいました。Aさんは弟のサポートをまったく受けられないまま、Aさんの母親の介護生活に入ります。Aさんは一念発起してホームヘルパー2級と移動介護従事者(当時はガイドヘルパー)の資格も取得。介護の腕にも磨きをかけます。
当時、Aさんは母親の不動産関係の仕事も引き継いでおり、フルタイムの介護は不可能な状態。2018年の8月に特養ホームの入居が可能となり、負担がようやく軽くなります。その後、新型コロナウイルスの感染拡大により2月下旬には面会ができなくなるとの情報を聞きつけ、Aさんは2月20日、母親の好物であるお刺身を持って行って食べさせます。
Aさん「母はずっと、娘の私のことを自分の妹だと思っていて、周囲の人には『私の大事な妹なの。妹がしっかりしてくれているおかげで助かるわ』と話していました。『私の恋人』といってハグしてくれたのが、最後のやり取りになりました」
その後、施設は2月27日より面会の禁止を決定。Aさんはそれでも、埼玉県内の特養ホームに夕方4時から5時の間に、差し入れを届けに行きます。
Aさん「ジュースを飲んだと聞けばジュースを補充したりとか、好物のお刺身は種類を多くして選べるようにするとか、その日の様子を聞きながら、差し入れるものを決めていました。ビワを差し入れたときには、父が取って食べさせてくれたことを思い出して、そのことを話していたそうです」
「ところが、4月に入ると施設から『旅立ちに向かっています』との連絡がありました。亡くなる5日前から面会許可が出ましたが、その間母が目を覚ますことはなかったですね」
結局、Aさんの介護期間は父親が在宅で介護していた期間も含めて、13年間におよぶこととなりました。
終活カウンセラー初級検定の介護の講義で、最も重要な項目の1つに挙げられるのが、この介護期間。厚生労働省の2019年簡易生命表によれば、女性の平均寿命は87.32歳ですが、健康寿命は74.79歳にとどまります。平均寿命から健康寿命を差し引いた介護期間は、12.53年で、女性が介護や支援を必要とする年数の平均値としてとらえることができます。
介護から逃げた者勝ちなのが今の介護保険制度
この連載では、北関東3県にまたがる3兄弟が2週間ずつ介護を分担した例や、人気テレビリポーターの菊田あや子さんが1ヵ月休職し、自宅でお母様を看取ったケースを取り上げてきました。
しかしそうした例とは逆に、さまざまな理由から介護を分担できない場合もあります。Aさんはなぜ弟と協力体制を敷けなかったのでしょう。
Aさん「うーん…。やはり育ち、なんでしょうか。小さいときに、弟は伯父の家に預けられました。そんな境遇もあって、父のときは四十九日までで、一周忌も三回忌も来ませんでした。今回は四十九日にも来ないと言っています。すでに弟は弁護士をたてていて、財産分与を一任しています」
この3年間で、Aさんが立て替えてきた介護費用は600万円あまりです。
Aさん「お客様のいる仕事をやめるわけにはいかないんですよ。店舗の家賃もありましたし、病院の費用も月に20~30万円かかっていました。なんで毎月、こんなに苦しいんだと思っていましたが、母が亡くなってようやくわかりました」
Aさんはため息をつきます。葬儀の費用も、香典を差し引いた分で160万円もかかったそうです。民法882条で「相続は、死亡によって開始する」とされている通り、すでにAさんの相続も開始されています。自筆証書遺言もあるそうなので、検認手続きも必要になります。
血を分けた弟から、何のサポートも受けられなかったAさんに、今の率直な気持ちを聞いてみました。
Aさん「介護から逃げた者勝ちになっているのが、今の介護保険制度に思えます。寄与分はいくらぐらい認められるのでしょうか。やはり私も、弁護士をたてるしかなさそうですね」
2012年までの24年間で、倍に増えた遺産分割事件(6,176→1万5,286件)。Aさんもまた「争族」の日々に踏み込まざるを得ないようです。しかしその一方で、介護を1人で抱え込むのはあまりに危険。孤立を防ぐために、地域包括支援システムなどの整備を急ぐ必要があります。国や地方自治体のさらなるサポートを、切に望まずにはいられません。