みなさん、こんにちは。甲斐・広瀬法律事務所の弁護士で、「介護事故の法律相談室」を運営している甲斐みなみと申します。
これまで、私の担当する介護事故の分野では…
- 第7回で介護事故にあった場合の初期対応について
- 第8回で介護事故における法的な問題点と弁護士に依頼した場合のおおまかな流れについて
- 第11回で事実関係の調査と見通しを立てる段階(証拠保全含む)について
- 第14回で損害賠償請求の具体的手続(示談交渉・調停・訴訟)について
それぞれ、一般論を解説しました。
今回は、具体的な事例に沿って、損害賠償請求が認められるのかどうかを検討・解説していきたいと思います。
圧倒的に多い介護事故は転倒・転落
介護事故には、「転倒・転落」「誤嚥」「入浴中の溺死」「異食」「薬の誤配」など、さまざまな類型が考えられますが、圧倒的に多いのが転倒・転落です。介護事故の類型ごとの統計は見当たりませんが、私自身が相談を受けてきた類型の中でも、極めて多い介護事故です。
転倒・転落と一口にいっても、「介助の仕方が不適切で転倒・転落するケース」「立ち上がりの際の転倒」「移乗の際の転倒・転落」「車椅子介助中の転落」「施設職員や他の利用者との衝突による転倒」「トイレや風呂での転倒」とさまざまです。
また、転倒による被害としてもっとも多いのが、大腿骨骨折です。事案によっては、くも膜下出血や脳挫傷などで死亡することもあります。また、大腿骨骨折で入院中に誤嚥性肺炎で間もなく死亡するケースもあります(このように因果関係が問題になるケースは、別項で取り上げたいと思います)。
今回は、ある判例(福岡地方裁判所2016年9月12日判決)を参考にした事例をもとに、ショートステイの送迎の際に転倒、死亡したケースで損害賠償請求が認められるかを検討していきたいと思います。なお、今後は、「転倒・転落以外のケース」「転倒・転落でも今回とは異なるケース」を取り上げる予定です。
事例
100歳の利用者Aさんは、1年前に骨折で入院してから歩行が不安定になった。四点杖を使用しながら歩行していたが杖を使用しても転倒リスクがあり、歩行や立ち上がりには介助を要した。介護保険の要介護状態区分は要介護4であった。
利用者Aさんは、事業者Yが開設する特別養護老人ホームのショートステイを利用していた。ある雨の日のこと。事業者Yのもとで働いている介護士Zさんは、利用者Aさんを車に乗せて自宅まで送った。介護士Zさんは、雨が降っていたので、利用者Aさんに傘を差してあげて欲しいと、自宅で待機している利用者Aさんの娘Xさんに連絡し、それを受けた娘Xさんは玄関を出た。娘Xさん宅の玄関から道路に出るまでには階段があったので、介護士Zさんは送迎を担当するときには、いつもAさんの脇を支えて階段の昇降を介助していた。
介護士Zさんは、娘Xさんが階段の下に到着する前に、左手で傘を利用者Aさんに差し掛け、右手で右脇を後ろから支えて、左手で手すりを握らせ、右手で四点杖を持たせて、利用者Aさんが階段を上るのを介助し始めた。Xさんは、玄関から階段の下に降りていったところ、利用者Aさんは階段の二段目に上がっていた。この時点で、介護士Zさんは杖はやめて手すりだけで上がるよう声かけをし、利用者Aさんは四点杖から手を離した。Xさんは利用者Aさんに傘を差し掛けて、介護士ZさんとAさんの様子を見守っていた。
介護士Zさんは、四点杖が邪魔にならないように、いったん利用者Aさんの右脇の下から手を離し、利用者Aさんから目を離して四点杖を動かしたが、その間にバランスを崩して後ろに転倒し、頭を道路に打ち付け、脳挫傷で死亡してしまった。
事故前の身体状態が過失判断のポイント
第11回でご説明したように、過失の判断をするためには、事故にあった方が、事故前にどのような心身の状態であり、どのような介護を要する状態であったかを把握する必要があります。この事例に沿って確認していきましょう。
- 利用者Aさんは100歳と高齢
- 過去の骨折により歩行が不安定であった
- 四点杖を使用していても不安定で転倒の恐れがあった
- 歩行や立ち上がりには介助が必要だった
- 階段の昇降をするときはいつも脇を支えてもらっていた
安全配慮義務のポイントは…予見できるか否か
第8回でご説明したように、過失(あるいは安全配慮義務違反)が認められるためには、結果が生じることを予見することができたにもかかわらず、結果を回避する措置を怠ったことが必要です。
この事例では、上記の利用者Aさんの身体状態を前提に、転倒事故は予見できたと言えるでしょうか?既に述べたように、利用者Aさんの歩行は不安定で、杖を使用していても転倒のリスクはありました。これに加え、当時の現場の状況として、
- 階段は足場が良いとはいえない
- 雨で手すりは濡れていて滑りやすい
この状況から考えれば、Aさんがバランスを崩したときに、体を適切に支えられなければ、転倒・転落して重傷を負う危険性は予見することができたと言えそうです。
こうなるはずじゃ…。事故回避の手段はあったはず!
いかに結果を予見できたとしても、結果を回避できる手段が存在してこれを行う義務がなければ、過失は認められません。こうしていれば事故は避けられたという具体的な対応策の検討ということになります。では、Zさんはどうすれば事故を避けられたでしょうか?
普段Zさんは、利用者Aさんが階段の昇降をする際には、脇を支えており、途中で脇から手を離すようなことはありませんでした。雨だからいつもと違うことをするのではなく(もちろん、手すりが滑りやすいことへの配慮は必要でしょうが)、脇から手を離すことをしなければ、利用者Aさんがバランスを崩しても、身体を支えることができ、事故を防止することができたはずです。
事業者さんや介護士Zさんにしてみれば、ほんの一瞬だけ、四点杖を邪魔にならないように動かすために、目と手を離しただけだと言いたくなるかもしれません。実際、裁判でもそのような主張がされていました。
しかし、娘Xさんが到着する前に階段を上り始めたため、介護士Zさんは左手で傘を支えなければならず、左手が塞がってしまったわけですが、もともと娘Xさんに傘を差してあげて欲しいと依頼していたのですから、娘Xさんが階段下に降りてくるのを待てば、片方の手で利用者Aさんを支えながら四点杖を動かすこともできたはずです。また、その場には娘Xさんがいたのですから、四点杖が邪魔になるなら、娘Xさんに動かしてもらうこともできたはずです。ですから、どうしても利用者Aさんの身体から手を離さざるを得なかったとは言えません。
以上から過失はないし安全配慮義務違反は認められそうです(なお、福岡地裁判決は、契約に基づく安全配慮義務違反による賠償責任は認めつつ、契約に基づかない不法行為責任は認めないという構成をとっています)。
被害者側にも落ち度があれば“過失相殺”のケースも
介護士Zさんには、介護サービスの契約に基づく債務不履行としての過失、あるいは安全配慮義務違反が認められることから、介護サービスの契約をしていた事業者Yには、一定の賠償義務が認められそうです。
では、利用者Aさんの被った損害のすべてを事業者Yが賠償すべきということになるでしょうか? ここで、損害の公平な分担という見地から、被害者側に一定の落ち度などがある場合に、過失相殺が認められることがあります。
この事例では、自宅前の階段が二つあり、上の階段には昇降機がつけられていたけれども、下の階段には昇降機がつけられておらず、下の階段で事故が発生したという事情がありました。下の階段に昇降機がついていれば、事故が発生することもなかったであろうということで、裁判所はこの点をとらえて、利用者Aさん側の落ち度として過失相殺3割を認めました。
そして、利用者Aさんの損害としては、入院・死亡による慰謝料として1,500万円、その他治療費、葬儀費用等の損害を認めました。なお、死亡による慰謝料が1,500万円というのは、健康な若い人が死亡した場合の慰謝料と比較すると低めですが、利用者Aさんの年齢や事故の様子、その他を考慮して1,500万円と認定されました。裁判所は、最終的に全損害から過失相殺3割を引いた上で、事業者Yに利用者Aさんの相続人に対し合計約1,050万円の損害賠償を命じる判決を出しました。
事故原因の分析からわかる事故対策
では、今回のケースをもとに「どうして事故が起こったのか」「どうすれば事故を防ぐことができたのか」を考えてみたいと思います。事故の原因としては、アセスメントが不十分で、どのような介護を提供するかを決める段階で判断を誤っていたような場合もあれば、決めていた介護の方法と異なる方法をとってしまったというような場合もあります。
今回のケースは、普段、介護士Zさんは、Aさんが階段の昇降をする際には、脇を支えて介助しており、身体を離したことはなかったと言うのですから、どのような介助をするかについてはきちんと判断されていたように思われます。しかし、事故当日は不幸にも雨で、いつもなら脇を抱えたまま離すことはなかったのに、とっさに脇から手を離すという、いつもと違うことをしてしまったということが原因のように思われます。これが、裁判所の判断する過失ないし安全配慮義務違反の本体部分です。もっとも、事故に直結する過失の前段階で、事故の原因はつくられ始めていたのではないかとも考えられます。
まず介護士Zさんは、傘を差しながら利用者Aさんを介助して階段を上るのは大変そう、と思ったはずです。だからこそ、娘Xさんを呼んだのです。ところが、雨の中で利用者Aさんを待たせては可哀想と思ったのか、あるいは自分が雨に濡れたくないと思ったのかはわかりませんが、介護士Zさんが来る前に階段の昇降を始めてしまっています。
また、雨の中、どうやって階段を上るかということについて、考えがまとまらないまま、階段を上り始めていることもわかります。その証拠に、階段の二段目までは、手すりを持たせ、杖をつかせて階段を上らせているのですが、二段目で、杖をやめて手すりだけで上るという方法に変更しており、行き当たりばったりな感じが見受けられます。
ちなみに、判決文からは、何故四点杖をやめようとしたのかはわかりません。雨の中、四点杖をつくと滑りそうだったのかもしれないので、四点杖の使用をやめたのかもしれません。しかし、手すりも雨に濡れて滑りやすかったわけで、手すりを持つことも危険だったかもしれないですし、実際、手すりが滑ってバランスを崩した可能性もあります。
そして、急遽、四点杖の使用をやめることになったので、四点杖が邪魔になり、動かすために一瞬脇の支えを外す、という本体の過失に結びついたと考えられます。ほんの一瞬の判断ミスですが、利用者Aさんの転倒・転落防止のためには、もっとも外してはならないことは何かということを中心に、利用者Aさんの介助を行うべきでした。
介護事故は同じ転倒・転落でも異なるケースが存在する
今回は、階段で転倒し死亡した判例の事案を題材に、損害賠償請求ができるかどうか、事故が起こった原因などを検討しました。次回以降は、同じ転倒・転落でも異なるケースや、転倒・転落以外の介護事故の類型についても、具体的なケースをもとに検討していきたいと思います。