4回目となる「終活講師対談シリーズ」は、(一社)終活カウンセラー協会理事・村井麻矢さんにご登場いただきます。
約400年の歴史を持つ青森県弘前市の浄土宗専求院45代目住職・村井龍大さんの妻でもある村井さん。
団塊世代が75歳以上の後期高齢者となり、超高齢化社会が進む2025年問題を目前にした地域社会で果たすお寺の役割や、そこで発揮される「終活のチカラ」について、じっくり伺いました。
父の死をキッカケに終活カウンセラーの道へ
―――まず村井さんが終活に関わるようになったキッカケから伺いたいのですが。
村井:私が高校2年生のときに、父が亡くなったんです。生前には私にも手紙をくれたりする筆まめな父だったのですが、亡くなるときには遺された家族たちにメッセージを何も遺していかなかったんです。
―――その頃にはまだ終活という言葉もなかったでしょうし、当然エンディングノートも登場する前の話ですね?
村井:そうです。ただ、父は父なりの終活をしたと思うんです。父は九州の生まれだったのですが、余命半年のときに、当時住んでいた埼玉の白岡市から母の故郷である青森に引っ越してきました。シングルマザーになる母が、私たちのおじいちゃんおばあちゃんのそばにいたほうが良いという父の判断だったのだと思います。
―――ただ、そのお父様がお亡くなりになったときに、メッセージがなかったことが、村井さんにとっては残念だった。
村井:そうですね。生前には手紙をくれていたと言っても、高校時代にもらったのは、当時付き合っていた彼氏と「別れろ」という内容だったりしますが(笑)。そういう父でしたから、あとで2歳下の妹とも「父が今生きていたら、私たち好きなようには結婚できなかったろうな」と話しました(笑)。
でも油圧系機械の設計士で、東京都渋谷区にあるBunkamuraのセリ舞台だとか、横浜スタジアムのピッチャーマウンドの昇降設備などの仕事に携わっていた、とても素敵な父親ではありました。
―――私も娘がいますので、直接言いづらいから手紙にしたという父親の気持ちはすごくよくわかる気がします。しかしお母様も、お亡くなりになる前に、何かメッセージを遺してほしかったでしょうね。
村井:私自身も22歳で出産してからは、万が一自分が急死した場合のことがとても心配になりました。それで子どもの好きな食べ物だとか、子どもたちに向けてのメッセージなどを、書くようになったんです。
―――その後、終活カウンセラー協会とはどんな形でかかわられるのですか?
村井:お寺に嫁いで、檀家さんのためにエンディングノートを書けたりしたらいいのかな、と考えていたときに、終活カウンセラーだった出入りの業者さんが、協会の存在を教えてくれたんです。それで初級(現在の2級)検定を受けました。そのあと武藤頼胡さん(現代表理事)の講義を聞く機会があって、終活がとても魅力的に思えたんです。
また、講義のときの、武藤さんの声の良さにも魅かれて(笑)。翌年に上級を受けたんです。このときに、隣の席だった一橋香織さん(全国相続診断士会会長)の話もとても面白かったんです。終活というと、もっと暗いイメージでやっているのかと思ったら、魅力的な人がたくさんいて、皆さん明るく楽しくやっている。
最初は檀家さんと一緒にエンディングノートを書ければ、くらいの気持ちだったんですが、私の中での「終活へのイメージ」がガラッと変わりました。終活って楽しいな、面白いな、と思うようになって、それをみんなに知ってもらいたくなった。上級に受かると、地元の新聞が取材をしてくれて…。その記事を見た文化センターの方が最初にコンタクトしてくれて、講演という形になりました。そこから広がっていったんです。
―――それから、青森県内のあちこちで登壇する機会が増えていったんですね?
村井:そうですね。青森県の公民館などはほとんど回っています。高齢者向けの「大学」に呼ばれる機会も増えました。終活やエンディングノートなどのテーマで毎月1回、高齢者が講義を受ける「大学」が、県内の各所で行われていて、そこに呼ばれることも多いんです。
終活で果たすお寺の役割
―――専求院では今後のことを考えたい方、終活やエンディングノートに興味があるという方向けに終活カウンセリングを実施されていますね。
村井:先日もうれしいことがありました。お亡くなりになったお母さまが生前に私の講義を受けてくれて、その後にエンディングノートを書き遺してくれたそうです。「自分に対するメッセージもあって、それが今、とても支えになっている」と仰ってくださって、嬉しかったですね。そういうことが、どんどんつながっていけばいいなと思います。
―――お寺にはエンディングノート書き方セミナーなどの勉強会にうってつけの広いスペースもありますし、駐車場もあるので交通の便にも困りませんね。
村井:はい。ですが、「お寺は敷居が高い」と考えていらっしゃる方もまだ結構います。そのため落語や講演などの楽しいイベントを開くようにしています。お寺には音響的に音楽のイベントに適した本堂がありますし、講演も暖房の効いた部屋で聞いていただける。いろんなイベントに合った、さまざまなスペースが豊富にあります。そうしたイベントを楽しんでいただければと思って開催していたら、檀家さんが増えました(笑)。
―――ご主人が住職で、息子さんが副住職だそうですが、最近はお寺の経営が大変だというお話もよく聞きます。その一方でお寺は江戸時代、教育機関としての寺子屋だったり、過去帳などを保管して行政機関的な役割も担っていましたよね。厚労省が2025年までに構築を目指す地域包括ケアシステムケアシステムの一角として、お寺が果たす役割は相当あるのではないかと思いますが。
村井:そうですね。昔のようにお寺に管理されたいとは皆さん思っていないと思います。でも、うちの永代供養墓に生前契約をする方々の中には跡継ぎがいないとか、お一人様になって不安だとか、そういう人も当然多いわけです。誰かとつながっていくことが非常に大事になっていくなかで、お寺が担える役割はたくさんあると思います。
合同葬とともに増える「墓友」
―――遺される家族を慮って、お墓の生前契約をする人が増えているともよく聞きます。
村井:永代供養墓に関しますと、年に1回、合同供養祭というのを行なっています。お墓に入った方の御家族はもちろん来るんですけど、生前契約をされている方もお見えになるんです。一緒にお墓に入る人の顔を見たいそうで、そこでお友達になった方と「今は一緒にお茶を飲みに行ったりしているのよ」というお話も伺いました。
いわば「墓友」ですよね。個別のタイプや合同タイプなど、いろんなタイプが選べるようにしてあるのですが、合同タイプの方は、一緒に入る人がどんな方か、とても気になるみたいですね。
―――「墓友」ですか。素晴らしい。
村井:最近も素晴らしい終活がありました。余命1週間と宣告された方がお見えになって、葬儀やお墓、すべてご自分で決められお金も払って契約されました。その方はその翌々日には亡くなってしまったのですが、連絡を受けて来られた息子さんはすべて準備してくれていたことに、とても感謝されていました。
―――いろいろな立場の方がいらっしゃるんですね。
村井:そうですね。中にはうつ病になってしまって、その後自殺された方を供養することもあります。ご遺族のお姿を見ると、本当につらいです。
―――私は自殺予防学会に所属しているのですが、日本の自殺対策はうまくいっているとは言い難い状況が続いています。
ネット上での中傷誹謗を原因とした若い世代の自殺は増えていますし、依然として中高年の自殺も後を絶たない。
村井:お寺に来て誰かとつながって、小さい悩みの段階でその悩みがある程度軽くなって、自殺というところまでは行かないとか。あるいは接することでそういう(自死念慮の)兆候が見えたりとか。お寺ができることは、あると思います。
―――お父様が遺してくれなかったメッセージのお話に始まり、一周回って遺族の皆様に遺すべきメッセージのお話に終わった村井さんのインタビューは、とても参考になりました。結論としましては、やっぱり遺言の付言事項のような、遺された人々が生きていくためのエネルギーとなるようなメッセージを手渡していくこと。そのために今をよりよく生きながら準備もすることが大事、ということですかね?
村井:そうですね。親に先立たれた小さいお子さんが泣いていても、何も知らずに笑っていても、やはりこれからのことを思うと胸が締め付けられます。将来、さまざまな試練に直面することもあるでしょう。そのときのために何らかのメッセージを遺してあげることで、きっといつか子どもたちの手助けになると思います。