皆さん、こんにちは!デイサービスで看護師として勤務している、認知症LOVEレンジャーの友井川 愛です。今回のテーマは「海外ケアは本当に必要ですか?」についてです。
今回、私がこのテーマについてお話しをしようと思ったきっかけは、現場で認知症介護をさせていただくなかで、あることについて疑問に思ったからです。何について疑問に思ったかというと、一時期流行った「ユマニチュード」や「バリデーション」と言われる、海外からやってきた認知症ケアについてです。
私は基本、このコラムの内容は認知症介護をされているご家族に向けて書かせていただいているのですが、今回は、介護の現場で懸命に頑張っている介護職の皆さんに向けて述べさせていただきます。
私自身、介護の現場で働く者として感じることは、介護職って本当に大変だということです。世間で言われているように、労働に対しての賃金の安さや人手不足、時間外労働を暗黙の了解のようにやらなければなりません。それでも、皆さんの志や考え方は違うにしろ、「介護が好き」「認知症介護が好き」と頑張っている介護職の皆さんに、プライドを持ってお仕事をしていただきたいと常々思っています。
私が今回強くお伝えしたいのは、皆さんが日ごろ、自然にされている認知症ケアは決して間違っていないし、むしろ正しいと胸を張っていただきたいということ。なぜ私がそう思うのかについて、これからお話させていただきます。まず最初に、世界で認識されている代表的な3つのケアを紹介します。
海外のケアは必要か…?

個人中心のケアである「パーソン・センタード・ケア」
介護職なら、一度はこの単語を聞いたことがあるはず。なぜなら、このパーソン・センタード・ケアは、現在の認知症ケアの基本的な考え方とされているからです。認知症の方がたどってきた人生や、その人らしさに焦点を当てて介護します。人として尊厳や、その人の視点で理解するといった、個別ケアが重要です。
「認知症ケアマッピング法」
そのパーソン・センタードケアを行うために介護現場で使われているのが、認知症ケアマッピング法です。そのやり方は以下の通りとなります。
- 行動を注意深く観察する:認知症本人の行動を6時間観察して、5分おきに記録
- 行動を評価する:記録した内容が良い・悪いで評価する
- 介護者とのかかわりを評価:介護者のかかわる態度について評価する
人とのかかわりを考えるケアである「ユマニチュード」
「人間らしさ」という意味をもつこのユマニチュード。「魔法のケア」と言われるフランス発祥の「ケアユマニチュード」という言葉を、聞いたことがある人も多いはずです。一時期、マスメディアや書籍などで注目を集めていたこともありました。
包括的コミュニケーションケア
このユマニチュードは、包括的コミュニケーションケアに基づいて考案されました。知覚・感情・言語に基づいた技術であり特別な資格、技術などを必要としないと言われています。大切なのは、以下の4つです。
- 見る:同じ目線で正面から相手の視線をつかむ
- 話す:反応がなくても頻繁に優しく話しかける
- 触れる:ゆっくり包むように触れる
- 立つ:最低1日20分立つようにする
言葉とかかわり方に矛盾がないように、接し方を身につけることが大事です。
3.コミュニケーション術であるバリデーション療法
アメリカ発祥で、介護者が認知症本人の経験や感情を理解し、共感して接することを目指す療法です。1日に5分~10分繰り返し実施することで、認知症の方の問題行動が軽減する効果があると言われています。大切なのは、以下の4つです。
- 真心をこめアイコンタクトする
- 本人のつかった言葉を繰り返す
- 体に触れる
- 思い出話をする
認知症方の言動について共感を示し、本人を受け入れることが重要とされています。
ユマニチュードは当たり前のケアである

皆さん、いかがでしょうか?このような海外のケア内容をどう思いますか?私は、パーソン・センタード・ケアの「その人らしさを重要視する」考え方を尊重していて、実践している認知症ケアもこの考えに基づいています。
しかし、ユマニチュードはどうでしょう?「人間の4つの基本動作」と言われている「見る・話す・触れる・立つ」ですが、これって、人間関係において重要な行動要素であり、普段から行っている当たり前のことですよね?つまり、私が何を言いたいかというと、この当たり前のことをできていない人たちが、「ユマニチュードは魔法のケアである」と言っているということです。
そして、この大切な行動要素を反対に考え、認知症の方に対して人として思っていない目つきや顔つき、言葉で接している介護職・医療従事者。もし、そのような人たちから悪質なコミュニケーションを受けたら、その方は人としての心を保てるでしょうか?
ユマニチュードという概念がどのような思いで考えられたかはわかりません。しかし、医療・介護現場における、認知症ケアの酷さに胸を痛め、人にとって大切な行動要素をまとめ、普及しなければならないと考えたからだと推察します。
ユマニチュードは介護士から見れば普通のケア
医療従事者の方には申し訳ないのですが、私は介護職で病院勤務をしていたこともあるので、医療現場で認知症の方へのケアがどれだひどいかも知っています。しかも、介護の現場から医療の現場へ移ったので、介護の現場で大事にされていたケアが、医療の現場ではできていないことに、なおさら気づいてしまったのです。
ユマニチュードは良いケアだと思いますし、否定するつもりはありません。ただ、介護現場ではユマニチュードやバリデーションを実践しなくても、優秀な介護職は自然と認知症ケアが実践できているということです。
つまり、「ユマニチュードは魔法のケアである」とか、「当病院はユマニチュードを推奨実践しています」なんて宣伝している現場は、「私たちは当たり前のケアができていません」と言っているようなものです。
「ユマニチュードケアを実践したら症状がよくなった」というのは、医療現場で人としてのコミュニケーションをされなかった患者さんが、ユマニチュードという介護士にとっては当たり前のコミュニケーションをされた結果にすぎません。自分を取り戻して、表情や言動が明るくなっただけのことです。
だいたい、座りっぱなしや寝かせっきりな状態にされたら、誰だって自立できるわけありません。人が生きるために欠かせないことを取り上げられたら、人としての尊厳はなくなりますし、その人らしさも失います。
認知症の方を人と思わない言動をする医療従事者や介護者にとっては、ユマニチュードは「魔法のケア」と感じるでしょう。しかし、行動要素(立つ・触る・見る・話す)をもってかかわることの重要性を理解している介護職や私からすると、彼らがユマニチュードを「魔法のケア」と感じていることに「疑問」を感じるわけです。
当たり前のケアができるなら海外のケアは必要ない

私が皆さんに理解していただきたいのは、「認知症の方はこんな風につきあいましょう」と一つのパターンに当てはめてはいけないということ。認知症になったら、個性も名前もないものにされるなんてことがあってはならないですし、人との付き合い方、かかわり方というのは、技術がどうこうという話ではないのです。
かかわる技術がないと、認知症の方にかかわれないなんてあり得ないですし、それができないならば、きちんと学んでほしいと思います。なぜなら、その方が確実に素敵な笑顔で優しく、ときにはユーモアを交えて、その方とともに楽しんでケアができるからです。私たちが当たり前のケアを当たり前にできているなら、海外のケアは必要ありません。胸を張ってこれからも認知症ケアを楽しみましょう。