労働経済学者 近藤絢子氏「控除や年金制度の“ひずみ”が働く意欲を削いでいる」
景気が悪いのは、仕事がないのはなぜ?が原点
―― 先生が現在の研究をするようになった原点を教えてください。
近藤 私が中学生だった1990年代初頭、バブル崩壊が起こりました。塾で勉強を教えてくれていた大学生が、就活のつらさを嘆いていました。高校生になった90年代半ばには日本経済がひどく落ち込み、大学に入ってすぐ山一證券の破綻などの金融危機がおこりました。
「何でこんなに景気が悪いんだろう」「何でこんなに仕事がないんだろう」という素朴な想いが出発点ですね。
―― 経済学を専攻した頃から研究者になると決めていたのですか?
近藤 もともと、研究者になるつもりはありませんでした。大学3年生の頃まで「国家公務員になって、社会の役に立つ経済政策を考えたい」「日銀に就職して、日本の景気を良くするために貢献したい」などと考えていましたから。
3年生のとき、その思いをゼミの先生に話したのです。すると「君、そういうことをやるんだったら修士号ぐらいないと相手にしてもらえないよ」と言われて。もちろん、それは嘘なんです(笑)。
当時であれば、修士号をとらないで就職した方が、国家公務員総合職の道は開けたと思います。しかし、先生は私を大学院に行かせようと思ったみたいで…。
私もその気になって進学しました。そして実際に行ってみたら、大学院の勉強がとても面白かった!博士課程に進みたくなりました。その後、コロンビア大学に留学して学び、今に至るという感じです。
経済学で味わったパズルのピースが合う快感
―― どのような点に面白さを感じたのでしょうか?
近藤 初歩のミクロ経済学で、「価格調整」というメカニズムを学びました。物の需要側の限界代替率のところで価格比が決まる。それに合わせて生産者の生産量が限界費用と一致する。全部一致したところで価格がピンと一個に決まるという市場均衡がある。
それを見て面白いなと思いました。かなりマニアックな話なので、誰にもわかってもらえないと思いますが(笑)。パズルのピースが全部合っていく感じが面白くて、もう少し勉強しようと思ったのが初期段階ですね。
「完全競争市場」は、失業者も物の売れ残りもなく、すべてのものが効率的に配分される美しい理論です。それが実現したらどれほどいいか。でも実際の市場は完全競争ではない。机上の空論ではないかと疑問を持つようになったのが次の段階です。
卒業論文に取り組む頃、実証分析(理論や仮説を統計データを使って検証すること)を目にするようになります。机上の空論では終わらず、実際に理想を実現していく道があるのでは?と感じるようになっていきました。今は研究者という立場から、理想との距離を縮めていきたいと思っています。
非正規格差を世に知らしめた研究
―― 先生がこれまで行ってこられた研究についてもお聞きしたいです。
近藤 大学院生の頃に80~90年代に学校を卒業した人たちのデータを使って「一度非正規雇用になると、そこから抜け出すのは難しい」ということを示す論文を出しました。
また「学校を卒業した時の景気が悪いと、その世代は長期にわたって所得が低いままだったり雇用が不安定だったりする」という論文を共著で出しました。
就職氷河期ごろまでは新卒採用一本勝負でした。希望の就職が叶わなかった人は、ミスマッチから離職する可能性が高くなります。
また、新卒で正社員として就職できずにフリーターやニートになった場合、それだけで仕事ができなさそうだという偏見をもたれてしまう。
社会的な状況が原因でフリーターになったとしても、就職面接のときに、同じく職歴がない新卒にくらべて不利になってしまうんです。そのため、いちど非正規の職に就くとなかなか正社員になれないのです。
論文を発表後、さまざまな場所で引用していただけました。だからではないとおもいますが、2000年代に非正規・正規の格差が社会的に大きな話題になりました。
そして、その問題に関心を持つ人が増えたことで、少しずつ格差が埋まっていきました。大学卒業後に非正規で働くことになったとしても、第二新卒という形で採用を考えてくれる企業が出てきた。就活で躓くとやり直しがきかない感じから、この20年ほどでかなり変わってきています。
介護職の賃金は補助金では上がらない?
―― 研究によって実態が明らかになったことで、社会を動かす力になったのですね。介護に関する研究もされています。
近藤 はい、地域手当が上がった地域と下がった地域で、介護職の賃金の差を比べてみたことがありました。
しかし、地域手当が上がったとしても、介護職の賃金が高くなったわけではなかった。国が補助金を増やしても賃金に反映されていないという結果が出ました。やはり、何で賃金が上がらないんだろう?という疑問が残りました。
―― 近藤先生からしても、介護職の賃金が上がらないことには謎が残るということですよね。
近藤 コロナ前の2019年、飲食店のアルバイトの時給は100円ほど上がりました。人手不足だったからです。介護も人手が足りないのであれば、時給の相場が上がってしかるべきなのですが。
撮影:花井智子
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