青木さんの本、感動しました。読む手が止まらない本を久しぶりに読んだという感じです。また、本人のことを知ってるから、青木さんと登場人物の会話のやりとりもその場にいるように再現されるの。「あ、青木さんだ!」という感じだった。
今回のゲストは女優・タレントの青木さやかさん。2000年初頭、「どこ見てんのよ!」のセリフで人気に火が付き、テレビ番組で引っ張りだこだった青木さん。その青木さんが、 デビュー前の苦労や癌の闘病、長年に渡る母との確執と最期の時間の和解、子育てのことなど、プライベートを赤裸々に綴った著書『母』を2021年5月に出版し、話題になっています。卓越した文章力で新たな一面を見せる青木さんに、久々の対面を果たす漫画家くらたまがお話をお聞きしました。
- 構成:みんなの介護
さまざまな経験から培われた洞察力で、ユーモアをまじえ、真実を綴った本書。これまで知らなかった青木さんを知ることができるとともに、文中の言葉選びにもセンスを感じます。林真理子さんに「なんと素晴らしい文章力だろう」と言わしめ、「作家青木さやか」の存在感を感じる作品になっています。
ずっと自分のことが嫌いだった


え、嬉しい!

書いていろいろ解消された部分があるんじゃないですか?

そうですね。特に母と仲直りということで、解消した部分がとても多いと思います。それに、書いてみて自分自身をよく知ることができました。

そうだと思う。世間で知られてる青木さんはもちろんだけど、少しだけの付き合いではわからない青木さんの心のありようが出ていて、腑に落ちました。
芸人として成功した経験というのは、青木さんにとって良かったの?

実はその時代のことが一番思い出したくないんですよね…。考えてみたら、成功しなければ会えなかった人はたくさんいるんです。
成功することでいろいろなものが埋まると思っていました。例えば、お金のこともそうですし、孤独感や渇き、人間関係の悩みもそうです。
でも、お金はいただけても、孤独感や渇きはまったく埋まりませんでした。「関係ないんだな」と思いましたね。
結局、有名になることで孤独は埋まらないのだということを知った。これは大きな誤算で、じゃあこの孤独はどうすれば?と孤独の行き先は、ますます露頭に迷った。
(『母』p165より引用)

まったく?

私のことを知っていただける人は増えました。でも、知らない人が私に何らかの感情を持って接近してくるというのが、非常に怖くもあったんです。

そのあたりのことは、本にも書いてあったね。

たぶん、自分のことが嫌いなので、私のことを「好き」と言ってくる人は信用できないんですよね。

「自分のことが嫌い」という思いは、まだ解消されないの?

だいぶ減りました。

本当?良かった。何で変われたんですか?

親子の問題を解決したことで、自分が楽になったというのはあります。ずっと母のことが嫌いだった。だから娘と接しているときに「私、母に似てきたな」と感じる瞬間があると、自分のことも嫌になっていました。
でも今は母が嫌いじゃなくなったので、すごく楽になりました。むしろ懐かしいなという感じもありますね。

嫌いという感情がなくなるってすごいことだと思う。

すごく楽になりました。例えば、私のことを「嫌い」と言ってくる人がいたとしても、 「好きでも嫌いでもどっちでもいいや」と、フラットにいられるようになりました。

じゃあ、今やってる仕事はすごく向いてるんじゃない?

そうかもしれないです。舞台のお稽古とかも好きなんですよね。本番以上に一つの作品をみんなで作り上げていく過程が楽しいんです。

人との触れ合いが楽しいということ?

そうかもしれないです。以前はずっとピンで、全部一人で決めて、一人で打ち合わせをして、一人で仕事の場に立って。だから今のように、グループで行動するということが新鮮だったのかもしれません。

私の知っている青木さんもそうだし、本を読んでもそうだけど、人とのかかわりが好きなのか、好きじゃないのかよくわからない部分がありますよね。
人とのかかわりに対する忌避感は感じるんだけど、人とかかわろうとしている部分もあってさ。

孤独は嫌なので、パチンコ屋さんとか「誰かはいるけどみんなこっちを見ていない」という空間が私に合っていましたね。

なるほどね。舞台の稽古も結局「青木さやか」として接してないもんね。

そうかもしれません。舞台の稽古もみんな同じことをやっていても、別にこっちを見ているわけではないので。

それくらいがちょうど良いということなのか。
「お母さん、こんにちは」からの仲直り

本を読む限りだと、青木さんは小さい頃はお母様のことが好きじゃない?離婚の頃から関係が悪化していくわけ?

両親が離婚する前から喧嘩が増えていきました。それも聞きたくなかったし、漏れ聞こえてくる話から、なんとなく「母に原因があるんじゃないか」と私は思っていました。いちいち真面目にすべてを受け取り過ぎたのかもしれない。
わたしは、あなたがいましているような無償の愛のような眼差しを向けられたことがない。いつも窮屈で、評価され、いい子でいなくてはならなかった、あなたのために。
(『母』p190より引用)

本ではさらっと書いてあったけど、最期はお母様が亡くなるまで、いろいろやり取りがあったんでしょう?

そうですね。最期だということで、仲直りをする決心をしました。そして、車の中で一生懸命母に声をかける稽古をして病院へ向かいました。

そうなんだ。

これまで、母のことは、「あの人」と呼んでいて、「お母さん」という言葉を口にしたことなんて何十年もなかったんです。
声のトーンを上げて「お母さん、こんにちは」と言う稽古をしながら車で病院に向かっていました。「舞台の稽古をしておいて良かった」と思いましたね。
最初は子供と一緒に行っていたんです。でも、「これではいけない」と思って一人で行き、病室に10分ぐらいいるのが精一杯のところから始めました。
そして、「今日は手を握ろう」とか、「今日はマッサージしよう」とか、「今日は娘の答案用紙を持って行こう」と小さな目標を決めて少しずつ距離を縮めていったんです。
最終的に、「機嫌が良い空気感の中でたわいもない話をする」というのが、一番難しいことでしたね。

青木さんの真剣な思いを感じるね。

そして、ある日機嫌良く病室に入って行って、「お母さん、今まで私が良い子じゃなくてごめんなさい」と言いました。そしたら母は、「そんなことないよ。さやかは誰よりも一番優しいでしょう」と言ったんです。
本当はそんなわけないと思うんです。でも、自分で言うのも何ですが、私、実はすごく優しい(笑)。
「そこを見ていてくれたのかな」という思いも今になってはあります。それに、母も「最期にもめて終わりにするのはやめよう」と思ったんじゃないでしょうか。
わたしより弟を愛していると思っていた、
(『母』p258より引用)
わたしよりわたしの娘を大切に思っていると思っていた。
実際のところはわからないけれど、
母との最後の2人の時間に、
この人はわたしを愛しているのだ、
と感じた。
そして、孤独が少し、埋まっていった気がする。
これまで、娘と会わせるとか、旅行をプレゼントするとか、お金を渡すというような親孝行はしてきたんです。だけど、すべて不機嫌な空気の中でのことで、機嫌の良い環境の中で母に親孝行したことは一度もありませんでした。

そうだったのね。そう言えば、娘ちゃんはおばあちゃん好きだったよね?

好きでしたね。でも私と同じで、テストで90点取ってきても「なんであと10点取らなかったの?」と言って評価するところは嫌がっていました。ただ、「おばあちゃんといると勉強できるようになるんだよね」とも言うんです。「その感覚が私にもあれば」と思いましたね。

女芸人としてもそうだし、お母様のこともよく乗り超えてきたね。

そうですね。だから「この人には負けない」という気持ちや、「親を見返してやる」という思いが強くあって、これだけテレビに出られるようになったと思うんです。

すごいよね。本の前半の頃の生活から、バンと売れるまで飛躍できたのがすごいと思う。何でそこまで売れたんだろうか。

自分でもよくわかりませんが、「売れたいな」ではなく、「売れる」と決めていました。売れるために芸能プロダクションに入って、1年後・5年後・10年後にこうなるというビジョンを社長に提出したんです。
例えば、「1年後に『笑っていいとも』のレギュラーになっている」と、無名の頃から言っていましたね。ほとんどの事務所の人から白い目で見られたんですが、実際にその通りになりました。
なぜ売れたのかというと、時代に合っていたと思うんです。どこかの層がすごく味方についてくれました。「言えないことを言ってくれた」という空気感でしたね。

それは本についても言える。メッセージ自体が刺さっている人は多いと思う。「著者:青木さやか」じゃなくても、本としても面白いし、素晴らしいと思う。書きたいと思うことを書いて売れるのが一番だからね。書くこと、向いてるよね?

文章を書くことは、すごく好きです。人に読んでもらえるから好きなのかもしれないですけど。
「これで良い」と思ったことはなかった

自分自身について書く本って、その人がどうしようもなく出ちゃうんだよね。でも上から目線じゃないから安心して読める。それって、青木さんの自己評価が低いこととつながってると思う。

今はだいぶ認められるようになったんですけど、私はすごく自己評価が低くて、以前はどの番組に出ても合格点出したことがないんですよね。

あー、そうなんだ。何かわかる気がする。

例えば一緒にバラエティに出ていた人で、「この人大丈夫かな」と思う人がいました。その人はすごく自己評価が高く、「最高でしたよね」と本気で言っているのを見て、「大丈夫かな?でもそんな風に言えて羨ましい」と思っていましたね。で、後から考えると「これで良い」と言っていた人よりも、苦しみながらやっている人が結果的に残っていったような気がします。

そういうものかもしれないよね。どっちが本人にとって幸せかはわかんないけど。
エッセイとかも同じだと思うんだよね。バブルの頃は、すごく自己評価の高い人が書いたものがそのまま読まれていたけど、やっぱそういうのって読むのがしんどかったりするからね。
青木さんが書いているものは、どんなに青木さんが売れようが、お金持とうが、生きる中での葛藤みたいなものも伝わるし…。
売れたことが生きやすさにつながった?

借金がすごかったので、生き延びることはできました。でも、売れる前は「売れてる人よりも自分の方が面白い」と思っていましたし、「売れたら人生は変わるんだ」と本気で信じていたので、そのときの方がある意味楽しかったですね。
売れ始めると、売れ続けたりやり続けたりする大変さがあります。個性を際立たせられるだけではなく、人間関係もうまくやっていく必要があるし、心身も健康でいることが大切です。本当にいろいろなことが上がっている人じゃないと続けるのは難しいと思います。

たしかに。

私はそこまで至ってなくて、出たとこ勝負でやっていました。瞬発力はあったけど、持続力は本当になかった。若い頃だからできたやり方でしたね。出続けている人は、違う能力があるのでしょうね。

そうだと思う。売れる能力とは別の能力だよね。オートマチックにいろいろなことができる能力。
でも青木さんは、今好きなことがやれているから良いよね。年齢を重ねて好きなことができるのってすごく幸せなことじゃない?

そうですね。私は、本当は仕事で成功したいと思ったことがあまりなくて、主婦になって男性を支えたいという気持ちをずっと持っていました。好きな人とうまく一緒にいたいという気持ちですね。
今までは親との関係性が良くなかったので、心のどこかで「どのパートナーといても絶対にうまくいかない」と思っていたんです。
でも、親との関係を解消できてから、「もしかしたら好きな男性と一緒に住めるかもしれない」と思うようになりました。それは一つの大きな目標ですね。
あと、日々の楽しみとしては、旅行に行く前に旅行先のことを考えているときや、娘と二人で仲良く食事をすることですね。

「子どもは人生においての最重要人物」って本にも書いてあったけど、本当そうだよね。

そうですね。そこがうまくいっていないと、何もかもうまくいかないだろうなと思います。あの頃よりも人間関係が良くなりましたね。
病気になって怒ることをやめた

具体的に人間関係はどんなふうに変わった?

今は誰のことも、「はいわかりました」と言って聞くようになったんです。前は、例えば誰かが「こういうことやりましょう」と言ったときに、「いやこっちの方が良いんじゃない」ということを強く言っていました。それをやめましたね。

本には「怒らなくなった」って書いてあったけど、そんなこと意識的にできるんだ。

むしろ、意識的にしかできなかったですね。当時、怒っていたのは、「もっと理解して欲しい」とか、「味方になって欲しい」という気持ちからでした。素直に甘えられないから、怒るという方法しかなかったんです。でも、怒るのをやめました。

よくやめられたな。すごい。それって結局人に対して過剰に期待することをやめたということですね。どうしてやめられたの?

病気になっていろいろなことを見直したのが大きかったんですかね。

病気の経験は大きかったかもしれないね。

そうですね。怒るとエネルギーをすごく使うし、解決に結びつくかと言うとなかなか結びつかない。

意外と良い結果を生まないよね。

そうなんですよ。こっちが発散して気分が良いかというと、全然違います。瞬間的にはすっきりするかもしれないけど、結局、あとで「怒らなきゃ良かった」と思います。
理解もしてもらえないし、距離もとられるので、良いことあんまりないなと思いました。

今そんなふうに変わって、これから先こうしたいという夢はあるの?

本はこれからも書いていきたいなと思います。あとはこれが出るときにどうなっているかわからないですけど、「キングオブコント」というコントのショーレースがあってそこに片桐仁さんと一緒に挑戦します。
今年お笑い頑張ってみようかなと思って、ライブを見に行ったり、話題の芸人さんたちの動画を見たりして模索してるんです。
でも、面白いけど、見たところで「自分も真似してみよう」という気持ちにならないので、やっぱり自分は自分で頑張るしかないなと思っています。たとえ今回は難しかったとしても、新たな挑戦は続けたいです。

今の言葉いただきました。私も頑張ろう。青木さん、すごく充実してそうで良かったです。良い話が聞けた!前に会ったときよりも、その前に会ったときよりも、今が楽しそう。
- 撮影:丸山 剛史

青木さやか
1973年愛知県産まれ。両親が共に小学校教諭の家庭に育つ。中京ローカルのフリーアナウンサーなどで活躍していたが、1996年にお笑いに転身。2003年1月よりワタナベエンターテインメントに所属して、本格的に東京での活動を始める。フジテレビの『ネプリーグ』や『笑う犬の太陽』、『森田一義アワー 笑っていいとも!』テレビ朝日の『OUT OF ORDER』などの番組にレギュラー出演。また、日本テレビの『エンタの神様』などのネタ番組に出演し、「どこ見てんのよ!」の決め台詞で大ブレイク。女優としてもドラマやCM、映画などで活躍。2007年に結婚し、2009年に女の子を出産したことを機に、しばらくは子育てに専念していた。2012年に離婚。現在は、シングルマザーとして子育てをしながら舞台などにも出演している。10月20日~11月7日シアタークリエの「Home,I’m Darling~愛しのマイホーム」に出演する。