くらたま『優しいあなたが不幸になりやすいのは世界が悪いのではなく自業自得なのだよ』出版の背景にはどのような思いがあったんですか?
藤森この本に書いたことは、私にとっては当然のことばかりでした。ですので、「こんな当たり前のことでいいんですか?」と編集者の方に何回も確認したんです。
例えば、私は1953年生まれですので、高校時代からフェミニズムやウーマンリブの思想がありました。
ですので、どうして日本女性はいまだに自分が幸せになることにためらいがちなのか、不思議でしょうがないという感じです。
くらたま自分より他人を優先することを美徳だと思っている方が男女問わず多いですよね。
藤森日本の女性の状況があんまり変わってないということは、自分の人生を強烈に大事にして生きようという気持ちがまだまだ弱いんじゃないでしょうか?
くらたまそこにつきますね。
藤森だったら私、「奴隷やってろ」と言いたいです。だけど、つらい状況を嘆いて、愚痴ったりはするわけでしょ。
くらたまそうですね。
藤森だったらやっぱり自分に正直に生きなくっちゃだめですよね。
くらたままったく同じことを私も思っています。例えば、私ぐらいの年齢でも女同士で食事に行ったりすると、大皿に良い食べ物が1個しかなかったとき、みんな遠慮するんですよね。
藤森私だったら、「食べていい?」って言ってる。
くらたまあ、私も同じタイプ!
藤森「だれか欲しい人いたら言って。分けよう」って言います。それで良いじゃないですか。なんで遠慮しなきゃいけないんだろうと思います。
くらたまそうですよね。ところが、「私は最後でいい」って言う人が多いんですよね。でも、実際は心のどこかで「いつも損しているのは私」、「あの人はいつも得してる」って思っているんです。自分も手を挙げればいいのに、それができないからということですよね。
ひょっとしたら、これらの人災は、あなたが優しいから被ったものではなく、あなたが「優しさ」の発露だと勘違いしているところの観察力不足や生き方の不徹底さや思考不足が招いたものなのではないか?観察力不足や生き方の不徹底さや思考不足と優しさの区別がついていないあなたの生き方が、これらの災難を呼んだのではないか?
(『優しいあなたが不幸になりやすいのは世界が悪いのではなく自業自得なのだよ』P11-12より引用)
藤森「他人が損してるか得してるか気にするほど、あなたは暇なんですか?」という感じです。
68歳の私でもやりたいことばかりなのに、30代・40代の若い盛りの女性が、人のことなんかかまっている暇あるのかなという感じですね。
くらたま本当にそうですね。68歳で藤森さんは今何をしたいですか?
藤森やりたいことはいろいろあります。今は新型コロナで無理ですけど、海外にも行きたいですし、股関節を痛めているので、もう少し足が動かせるようになりたいと思っています。あと、知らないことばっかりだから勉強したいですね!
くらたま勉強ですか?
藤森ええ。死ぬまでに「これ以上はいいや!」というぐらいに勉強したいなと思っています。
くらたまわー、素晴らしい!それは大学に行って学ぶという感じですか?
藤森私は大学院まで行きましたが、大学の勉強は面白くなかったので、楽しみながら学びたいですね。
くらたま独学もいろいろな方法がありますからね。
藤森例えば、理科は詳しくないから、小学生向けの動画の教材で学ぶこともあります。
くらたまへー!!なるほど。そうやって、勉強が楽しめたら良いですね。
好奇心は体力を引っ張る!
藤森そうですね。私は、子どもの頃から運動神経が鈍かったし、55歳を過ぎたあたりから、いろいろ体の故障が出てきました。
体の故障が出てくると、気持ちは小さくなりますが、それでも学ぶ意欲はあります。
くらたま体が頑丈というのが一番ですよね。
藤森物を考えるのも体力ですからね。
くらたまおっしゃる通りです。
藤森関連して、私は若い頃から待ち合わせしてデートするのも面倒臭いと思っていました。
くらたまそうなの?かなりさっぱりしていますね。
藤森さっぱりじゃないのよ。体力がないからよ。体力がないというのは、やっぱり大きなことです。体力があったら恋愛して、仕事して、趣味もして…とか、いろいろできますからね。
くらたまなるほど!すべてのことに体力が必要だ。人間は、体力によってその人の生き方がかなり変わってしまうということですね。
藤森どれだけ男にだまされても平気というのもやっぱり体力よね(笑)。
恋愛でも友情でも、みんな他人なんだから、裏切るものだと思って腹をくくってかかわることが大切だと思います。その覚悟ができれば、他人は情報の束だから付き合った方が絶対面白いに決まっているんです。
くらたま良い言葉ですね、他人は情報の束。
藤森情報の束だからいろんな人を知っている方が勉強になるに決まっています。実際に会って話を聞くということは、ものすごい勉強になるんですよね。
くらたまいやあ、そうですよね。
藤森好奇心というのも要するに体力ですから。
くらたま好奇心も体力か!
藤森「面白い」といって、出かけて行くのは体力です。
くらたま確かに!体力ないと好奇心は途切れてしまいますよね。体力って途中でリカバーできないんですかね。
藤森気持ちさえあれば、歳をとっても生き直すことができると思います。
くらたま藤森さんも体力をつけるように頑張ってますか?
藤森あんまり頑張ってはいないですが、気持ちが動いたらすぐ行動しようとしていますね。
くらたま好奇心の方から体力を引っ張るという感じですか?
藤森そういう感じです。好奇心を持つには、ちゃんと世の中を見ていることが大切です。私が同窓会などで同世代の方と喋ってもつまらないと思うのは、昔話しかしないからです。
テレビを見ていても、ぼんやりと見るのではなく、タレントさんの推移などに注目していると、いろいろな発見があるわけです。町を歩いているだけでも、いろいろな変化がありますからね。人間なんて、生涯死ぬまで勉強するのが当たり前なんだから。それ以外にやることなんかないはずです。
例えば、介護で体が不自由でも、自分なりに何かしようと思って一生懸命何かやってる人もいれば、ただただ子どもに文句ばっかり言っている人もいるわけです。
真の友情というのは、成熟した独立した人間どうしの間にしか成立しない。未成熟な人間と未成熟な人間どうしの間には、支配と被支配関係、主人と奴隷関係、親分と子分のような非対称的な関係しか発生しない。
(『優しいあなたが不幸になりやすいのは世界が悪いのではなく自業自得なのだよ』P160より引用)
くらたまおっしゃる通りです。何もやらなくなったら退屈でしょうがないですもんね。
藤森本当は人間って140歳でも生きられるはずなんです。でも、赤ちゃんの頃から体の使い方を間違っていることによって、寿命を縮めていると唱えている人がたくさんいるんです。
くらたま面白いですね。
藤森だから、そういったことを唱えている人の書いたものを読みまくったり、会いに行ったりしているわけです。
くらたま良いと思います!やっぱり健康で長生きするのが一番の財産ですもんね。
自分の人生を歩むことに罪悪感を感じなくても良い
くらたま長生きには心の持ち方も関係がありそうですね。例えば、自分の幸せを優先することに罪悪感を感じてしまう人たちはどうしたら心おきなく楽しめるのでしょうか。
藤森罪悪感というものを徹底的に考えれば良いんじゃないですか。
たとえば、親が虐待する毒親でなければ、子どもは、一般的に親に対して罪悪感を持つものです。親の都合で生まれたと思って、どこか斜に構えていたような人も、親が死ねば後悔します。親を踏み台に生きてきた自分自身の罪深さを感じます。親の愛情に報いることができなかった自分を責めます。
「もし私が生まれていなかったら、親はもう少し自由だったんじゃないか」とか「もう少し楽な人生を歩めたんじゃないか」とか思うわけです。
しかし、よく考えれば、自分を生み育てた親の気持ちは、勝手に子どもが想像して決めつけちゃいけないことです。親には子どもにうかがい知れない人生があったということを認めるのが親への敬意です。
子どもができることは、自分は親に恥じない生き方をしようと努力することだけです。
つまり、徹底的に考えたら、罪悪感を持って自分の人生を無駄に暗くしたり、ましてや潰してはいけないということがわかるはずです。産んで育ててくれた親のためにも、私たちは自分を幸せにしなきゃいけないのです。
幸せになるのは義務であって、罪悪感を感じるようなものじゃないです。
くらたま罪悪感を深堀りするってことですね。
藤森そうです。日本人は頭悪くないのにしっかり考えないんです。もっと徹底的に考えたら、すべて思い込みでしかないということがわかるんですけど…。
くらたま確かに…。
藤森「こうしなきゃいけない」「ああしなきゃいけない」という思い込みで、世間に通用するやり方に合わせようとするからですね。
くらたまそうですね。
藤森そんな人には、もし世間一般に求められるように行動したとしても、「その結果を世間一般が引き受けてくれるんですか?」と言いたいです。
くらたまくれないんですよ、これが(笑)。
例えば、すごく意地悪されたお姑さんに介護が必要になっても「私が見るしかないのかな」と考えて自分で背負おうとする人もいるわけです。藤森さんは、そのような人のことはどう思いますか?
藤森「軋轢や葛藤、喧嘩は嫌なことだ」と思っているのかもしれないですね。しかし、親戚たちが集まる前で、「私には自分の人生があるから、みなさんが協力してくれないなら私はお義母さんを殺しちゃうかもしれませんよ」ってはっきり言っちゃっていいと思うんですよ。
くらたまなるほどね!
藤森こういうことは、若い頃からはっきり言う訓練をしないと急には言えないんです。
くらたまそう!やっぱり藤森さんは、若いときからバリバリ言ってきましたか?
藤森だって言わないと誰も言ってくれないもんね。
くらたまかっこ良いなー。
藤森かっこ良くはないです(笑)。なぜ言えたのかを考えると、自分の人生の責任を持ってくれるのは自分しかいないからです。子どもの頃からの孤独感が深かったんでしょうね。「自分の人生は自分で背負ってプロデュースしないと仕方がないんだ」と思っていました。
私が生まれたのは田舎だったから、窮屈な価値観がありました。親の言う通りにしていたら、見合い結婚させられて、ろくな人生ではなかったに決まっています。
10代の半ばぐらいから「嫌われないと自分の人生はつくれないんだな」と思っていましたね。
くらたまいやあ、そういうこともっと早く聞きたかったな。最高に素晴らしいわ。
藤森好かれると、心地良くても不自由ですね。嫌われると期待されないからラクなんです。
くらたま楽しくないこと、嫌なことを引き受けても、結局誰かに褒められたからってなんてことはないですからね。
藤森介護もできるところは手抜きしても良いんですよ。人の力を借りられるなら借りた方が良いし、親と一家心中なんかする必要ないです。罪の意識も持つ必要ないです。
自分の人生を大事にして、可能性を縮めたりしないことです。人から評価されることで自分を判断するのではなく、「私、昨日よりは賢くなった」とか、「できることが少し増えた」と、自分で自分のことに納得できれば良いと思います。
自己犠牲を自分に強いる存在への怒りと恨みは必ず発生する。それらはなんらかの形で爆発し、自己犠牲を強いる人々への攻撃に帰結する。優しさから始まった自己犠牲的行為が、自分を傷つけるだけではなく、奉仕対象をも傷つけることになる。
(『優しいあなたが不幸になりやすいのは世界が悪いのではなく自業自得なのだよ』P72より引用)
くらたま他人の目や評価が気になりすぎる日本人は、どうしたらその呪いが解けますかね?
藤森しっかり考えれば、それはどうでも良いことであるとわかるのではないでしょうか。
大切なのは自分が機嫌良く頑張れること
藤森最近の雑誌は節約の話やお金の話ばっかりです。でも、世の中どうなるかはわからないし、いつ死ぬかわからないから、「お金とストレスを選ぶなら、お金の方捨てちゃえ」という感じで私はやってきました。それでもなんとかなってきましたよ。
くらたまそれも素晴らしい提言ですね。寿命が伸びるのはお金を捨てた方の人だと思います。
藤森自分が機嫌良く頑張れるのが一番良いと思います。なぜ私が自分ファーストかというと自分さえ機嫌良ければ、頑張る力が湧いてきて、何とでもなるんですよ。
自由になるものなんて自分しかありません。そしたらやっぱり自分のことをもっと大事にする人生を考えなきゃダメです。例えば日本語で自分勝手という言葉がありますが、日本人は自分勝手が足りないと思います。
くらたまもっと自分勝手で良いと?
藤森徹底的に自分勝手になったら良いと思います。だって自分の人生を大切にしようと考えると、周りの人も幸せじゃないと困るんですよ。そうしないと、人の足を引っ張るから。
くらたまおっしゃる通り。
藤森嫉妬深い人や嘘をつく人はだいたい不幸ですからね。私は私のためにみんなに幸せになってもらいたいです。
くらたま自分の幸せをないがしろにして、「他の人が幸せなら私はいいの」という考え方はあり得ないですよね。
誤った利他主義は不幸のもと
藤森私から見たら、偏差値の高い大学を出ていたとしても利他主義の人ってあんまり幸せそうに見えないことが多いんです。どこでこの人たちは誤った利他主義を刷り込まれたのかと思ってしまいます。「親のために勉強していたのかな」と思うこともありますね。
くらたまなるほど。ありうる~。
藤森私は、親のためにとか考えたことないです。勉強して良い大学に入っても、教員はピンキリです。大学も病院も中に入ってみないとわからないです(笑)。
偏差値が高いところが良いわけでもなく、教師が前向きで自分の人生をしっかり生きている人たちが多いところじゃないと、学生にも良い感化を与えられないですしね。場というのはある種の空気があって、淀んだところは生命力を落とします。
くらたまなるほど。構成する人間が決める雰囲気ですよね。
藤森そうですね。だからこればっかりはちょっと外からはわからない部分がありますね。もちろん、偏差値の高い大学から良い人材が出ることもありますが、結局、良い人たちというのは、大学関係なく努力した人たちだと思います。
ただ、努力できるキャラに仕上がったというのは、やはり若いときの4年間でいろいろな人を見たからだろうと思うこともあります。
できるなら頭の良い人がたくさんいる大学に行って、そういう人をたくさん見た方が良いでしょう。
くらたまそれは勉強になりますね。どんな人に会うかは大きいし、人生を変えます。
藤森そうですね。それに今の若い世代は、何が起きるかわからない時代を生きていますからね。
くらたま何が起こるかわからないというのは、この新型コロナ騒動で実感しました。今まで当たり前と思っていたことが、こんなに簡単に瓦解するとは思わなかったです。
藤森前から壊れそうなものはありましたが、壊すことを後押ししましたからね。
世間一般で信じられていたことの裂け目がよく見えました。歳をとったせいか、怖いとか、寂しいとか思わなくなりました。それは、世の中がハチャメチャになっていくように見えても、真実が明らかにされていく過程が面白いなと思うからでしょうね。
くらたまなるほどね。私はともすればどんよりしてしまうので、コロナ禍でも生き生きと語られる方がいて、ちょっと救われますよ。

藤森かよこ
1953年、愛知県名古屋市出身。英米文学の研究者から、リバータリアン(個人主義的自由主義)であるアメリカの国民的作家アイン・ランド研究に転向し第一人者となる。南山大学大学院文学研究科英米文学専攻博士課程満期退学。その後、岐阜市立女子短大や金城学院大学短大部、桃山学院大学で教育に携わり、福山市立大学では2017年3月まで教授として勤め上げた。2019年11月に出版した初の単著、「馬鹿ブス貧乏で生きるしかないあなたに愛をこめて書いたので読んでください」(KKベストセラーズ)が中年女性を中心に大ヒットし、4刷。2020年には続編となる「馬鹿ブス貧乏な私たちを待つろくでもない近未来を迎え撃つために書いたので読んでください。」を出版。2021年4月の『優しいあなたが不幸になりやすいのは世界が悪いのではなく自業自得なのだよ』(大和出版)は3作目の書籍となる。