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第330回

終末期に何もしないという選択肢も。父を介護しながら在宅で夫を看取った女性の体験談

最終更新日時 2022/08/30
#親の介護 #看取り・終活
目 次

新型コロナの影響で、入院すると家族に面会できなくなるケースが相次いでいます。看取りの時期に直面している方は、できる限り在宅で見守りたいと考えるのではないでしょうか。

今回は、シルバーアクセサリー制作・木村ひとみさんに、認知症の父の介護をしながら、夫を在宅で看取った緩和ケアの体験談をお伺いしました。

発覚した夫の腎臓がん

10年ほど前、私(木村さん)の父方の叔父が亡くなった頃から、何でもないことですが、普段の父とは何かが違うと感じるようになり、認知症ではないかと思うようになりました。

2017年11月に母が帰らぬ人となると、父の徘徊が始まりました。

2019年4月には、孫娘も光の国へ旅立ちました。ひ孫が亡くなったことを父には伝えることはできず、夫は毎日泣き暮らしていました。

その夏、夫は2回血尿がでましたが、医者嫌いで痛みもなかったこともあり、医者に行こうとしませんでした。

その後、9月になって泌尿器科を受診し、腎臓がんがかなり大きくなっていると診断されました。大学病院での検査は朝から夕方までかかってしまうので、受診日前後は父にショートステイを利用してもらいました。

それでも、私はどこか楽天的で治ると信じていました。私も乳がんを経験していたのですが、かなり大きくなっていたものの治ったからです。

肝臓に転移し、手術は中止

夫の手術日が決まったのですが、手術前日の夕方、手術のマークまで書いた後に、肝臓への転移が見つかって中止になりました。リスクの高い腎臓の手術をしても、肝臓に転移していては手術の意味がないそうです。

そのとき、私は少し安堵しました。大手術なので、術後に苦しい思いをするのではないか、後遺症も残るのではないか、もしかしたらそのまま逝ってしまうかもしれない、ずっと寝たきりになってもっと苦しむかもしれないなど、不安な気持ちのほうが強かったのです。

その後、最先端の抗がん剤治療を受け始めました。がんの進行スピードは抑えられたものの、それでも徐々に進行していきました。夫は我慢強い人でしたが、抗がん剤の副作用は辛いものだったと思います。

私はそれでも治ると信じていました。

2020年、コロナ禍での闘病生活

夫は少しずつ弱っていき、自転車にも乗れなくなりました。軽い運動をしようと二人で出かけたときには、バランスを崩して田んぼに落ちたこともあります。

幸い怪我はなかったものの、本人はかなりのショックを受けていた様子でした。

世の中はコロナ禍でなかなか外出ができなかったので、夫の付き添いで行く病院が唯一の外出でした。

一方、父のショートステイ利用頻度は、1ヵ月に2泊~4泊、そして1週間へと増やしていきました。夫の看病と自分の精神的バランスを保つため、仕事する時間などもほしかったのです。

そんな中、幼い子を亡くした長女は3人目の妊娠がわかり、11月に女の子を出産しました。私は奇跡が起こったと思いましたが、夫は心の奥底から喜べなかったようです。『この子があの子のようにしゃべるようになるまでには5年かかるやん…』と言ってました。

長女のお産でますます忙しくなった私は、ケアマネさんにお願いして、父を半年間老人保健施設に預かってもらうことにしました。

私はずいぶん助かりましたが、コロナウイルスの感染拡大もあって2020年11月から半年間、会うことができなくなりました。

毎週1回着替えを届けるときに父の様子は聞けましたが、父には申し訳ないという気持ちも大きかったです。

父の介護をヘルパーさんに頼り、夫の介護に集中

夫の介護申請

2021年6月、父を在宅介護に切り替えるため迎えに行くと、あまりに痩せていたのでびっくりしました。

コロナ禍で散髪もできずにもさもさの頭、うつろな表情でみすぼらしくなっていました。すぐさま訪問サービスをしている散髪屋さんに来てもらって、すっきりとカットをしてもらい髭も剃ってもらいました。

それから朝昼晩の3回ヘルパーさんに来てもらい、朝と夕方は食事介助とパット交換、昼はパット交換のみをお願いしました。

一方、夫はだんだん横になっている時間が多くなり、一緒に歩いていた犬の散歩もできなくなってきました。がんは肺や膝にまで転移していました。歩くだけでなく立ち上がるのもつらくなってきたようです。

そして2021年秋、大学病院から近くの総合病院に移りましたが、これは、最先端治療から緩和ケアになることを意味していました。

夫の介護申請も出して、訪問診療の主治医、訪問看護師も決まり、介護ベッド、手すり、上り口の階段を借りて準備しました。父はヘルパーさんに任せ、私は夫の看護に集中できる体制を整えていきました。

余命1ヵ月と宣告。家で看取ることを決める

その後、夫はどんどんと悪化していき、11月半ばに総合病院の緩和ケア担当医から余命1ヵ月と言われました。

夫を緩和ケア病棟に入院させるかどうか迷ったのですが、コロナ禍で面会にも時間制限があるし、乳幼児も入室禁止とのことだったので在宅看護に決めました。

夫が孫たちに会えないのは可哀そうで、在宅ならずっとみんなと一緒にいられるからです。その当時は、長女は育休中、同居している次女は在宅勤務となり、近くにいてくれたので心強く感じました。

12月半ば、父の在宅介護は限界になり、もう一度父を老人保健施設に預けて、夫の看護に集中しました。

枯れていくように亡くなっていくのが本来は美しい

母の最期は、病院に緊急入院し、痰がすごかったので点滴をしていました。点滴することで、吸引するとますます痰が絡んでいくんですね。

病院にお任せ状態だったんですが、吸引をしてる姿を見ていると周りも辛いし、本人も辛いものです。

その経験があったので、夫のときは点滴はしない選択をして、呼吸がかなり苦しくなってきたので酸素吸入だけにしました。

酸素吸入の機器を借りるためにはレントゲン検査が必要でした。12月28日夕方、総合病院で検査を受けて、終わったのは夜中11時。年末でタクシーも捕まらず、次女が車で迎えに来てくれました。

酸素吸入の手配もできて、2022年を家族で無事にお正月を迎えることができました。そして、1月4日、夫は家族と愛犬に見守られて旅立ちました。

家族と迎えた夫の最期

「何もしない」という選択肢

今回のインタビューを通して、人生の最期に「何もしない終末期」という選択肢を知りました。水分補給は少量にとどめることで、最後はだんだんと枯れて眠るように、死に顔も美しいものになるそうです。

点滴を続けると、低タンパク血症となり、点滴で入った栄養や水分が血管外に漏れ出して、浮腫や胸水、腹水などを起こす原因になります。

木村さんも、「パンパンに浮腫んできて、皮膚から水が滲み出てくる」経験をしたそうです。

旅立っていかれた方も、残された家族も、心穏やかに過ごせる選択のひとつの体験談としてお役に立てればと思います。

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