こんにちは。REASON代表で、理学療法士の中川恵子です。「介護の教科書」の連載では、介護を経験した方へのインタビューをご紹介させていただきます。
介護が一段落しても、いつまでも気持ちがすっきりしない、やる気が起きないこともあるのではないでしょうか。
前回に引き続き、ロックドインシンドローム(閉じ込め症候群)の母の在宅介護に4年半取り組み、軽度の精神疾患を生きる父に半世紀寄り添い、現在は在宅介護を経験された「古民家ギャラリーねこ福」オーナーの井上恵美子さんのインタビューをお送りいたします。お母さまを亡くされたあと、うつになってしまったことや、お父さまの介護のことについてお伺いしました。
介護していた母との死別。そしてうつ症状に襲われた
母との別れと最後の告白
私(井上さん)は、母に「自分より祖母と父を大切にしなさい」と言われ続けました。父には精神疾患がありました。また、親族からは「母を悲しませてはいけないよ、父をお願いね」と言われる度に責められているような気がしました。まだまだもっと自分を犠牲にして、親に尽くさなきゃいけないのかと辛くなりました。
母が自宅で過ごした最後の夜のこと、気付くと母の人相が変っていました。「私のやってきたことは、間違いだったのか…」と問うので、この後に及んでごまかすこともできず、申し訳なかったけれど、私は「うん…」とうなずきました。その後、母は呼吸が止まり、病院に搬送されました。本人の希望でもあった人工呼吸器による延命治療を行って、6日後に亡くなりました。
ロックドインシンドロームの母と時間をかけて、一緒に過ごす時間を持てたことは、貴重な時間だったと思っています。母と穏やかに暮らしながら、私は心のどこかで、母に自分の人生を振り返って何かに気づいてもらいたいと思っていましたので。
母が亡くなってから、うつの症状に苦しむ
母の介護をしているときに、車椅子が自由に出入りできるよう、築130年で傾いて床が抜けたところまである自宅を全面バリアフリーにするリフォームを検討し始めて、2008年12月に着手しました。2009年1月には解体を始めましたが、3月に母は亡くなりました。そして8月にリフォームが完成する頃には、私は立って人と話をすることができなくなっていました。
当時は寝っぱなしの生活で、「疲れているのかなぁ」「寝てるうちに治るかなぁ」と思っていましたが、もし病院に行っていたら軽いうつだと言われていたと思います。体が思うように動かないので、出かける段取りを2週間前からしておかないと間に合わないような状態でした。
うつになった原因は、「死別の悲しみ」「後悔」「母が気の毒だと自分を責める気持ち」があったと考えています。さらに、自分を偽って、母の考えに合うように行動したり、考えたりしていたこともそのひとつだと思います。
母を満足させたいあまり、ずっと理想の娘を演じていたので、本当の自分がどんな人物だったかわからなくなっていたのです。
世の中で一番憎い父を残して逝ってしまった。そんな、母へのいろんな思いがないまぜになって、人生なんてどうでもいいと希望を持てなくなっていました。
介護の先にも人生は続く。古民家ギャラリーねこ福をオープン
カウンセリングと職場復帰で自分を取り戻した
その後、友達の紹介でカウンセリングに通い、父と向き合う中で、心の持ち方に関する勉強をゆっくりと始めるようになって、徐々に回復してきました。
朝早く起きるのはプレッシャーが大きいので、週3日夕方からの薬局のバイトを始め、その後には時短で昔勤めていた会社にも復職しました。6~7年のブランクがあった中で、元同僚たちは辞める前と同じように接してくれました。そうしていくうちに元の自分を思い出し、取り戻すことができました。ここでの経験は社会復帰に何よりも効果がありました。
復職してからもカウンセリングを受け続け、「えみちゃんは家で人が集まることをやったらいいんだよ」と、背中を押していただきました。
その後、その会社に5年勤めて、2016年3月に退社。10月末に自宅を体と心に心地よいイベントスペース「古民家ギャラリーねこ福」としてオープンしました。それは誰かに導かれているようにも思いました。
心洗われるような景色で心静かになれた
自分の心が病んで、呆然と毎日が過ぎていくとき、リビングから庭を見ながらぼーっと考える時間は、心を穏やかにして、大切なことにも気づかせてくれました。
母の介護をしているとき、家に来てくださった医療・介護従事者の方が、「ここに来ると落ち着きます」と言っていたのは、こういうことかもしれないなと思いました。
そのような経験から、ギャラリーにお越しいただいたお客様に、映画鑑賞やヨガなどの親しみやすいイベントを通して、大切なことに気づいてもらえるよう、テーマを選んでいます。
未来に希望はある!介護のつらい経験が生きる糧に
父は古民家ギャラリーねこ福の名物おじいちゃん
母の介護を機に、父は角が溶けて別人のように穏やかになっていました。それでも私は、精神疾患だからといって、家族に健康被害が出るほどの心的ストレスを与え続けた父を、どうしても許せませんでした。またいつ発作が起きるのかと恐ろしくもあり、地雷原で暮らすような思いでした。
けれど、見捨ててはいけないという思いが根底にあったので、「許す」「受け入れる」ことの修行だと思うことにして、理性的に対処できるよう最善を尽くしたかったのです。
何もしない自分というのが嫌で、姉夫婦の協力も得て、92歳になる父と伊勢参りに出かけたこともありました。伊勢神宮の杜の一角に位置する宿に泊まり、本殿や御神楽を参拝して、巨木を叩いて手応えを確かめながら歩けたことが、父は相当うれしかったようです。
実は、父は猫さんたちよりも密かな人気を集める「ギャラリーねこ福」の長老で、人を惹きつける何かを持っていました。でも、もし自宅のリフォームに着手する前に母が亡くなっていたら、私は家も父も放り出して、出て行っていたかもしれません。
ねこ福を始めたのは、人に来てもらって、緊迫した空気を薄めたいというのも大きかったように思います。
父は93歳になっても身の回りのことをほとんど自分でできていましたが、腎ろうの手術後は介助を必要とすることも増えました。当時は父の洗濯物を畳むたったそれだけのことが、屈辱だと感じることもありました。しかし、2018年の春に腎う炎で倒れ、本人の希望で腎ろうを造設しました。そして、自宅で4ヵ月療養した後に旅立ちました。
介護を終えた「今後」に希望を持って!
どんなに苦しい経験も、循環してひとつの形になったとき、すべてが浮かばれると思っています。「私、つらかったんです」と言って、そこに留まっていたら永遠につらいだけ。でも、つらかった経験は何かに生かして変換することができます。
私の場合、苦しい経験として親の介護や親ファーストの教育、父の精神疾患などがありました。しかし、人の相談に乗って、お役に立てて、なおかつ職業となったとき、すべてがこれでよかったと思えるようになりました。
母を見送って12年、父を見送って2年。ちょっと時間がかかったかなと思いますが、やっと生きる力を自分のためにチャージできたと思えるようになりました。
父にしても母にしても、介護は「させられている」「してやっている」というものではなくて、自分の学びのために必要なことだったのだなと思えるのです。現在、介護に悪戦苦闘している人は、それどころではないと思いますが、今しかできない経験をしていることは確かです。
いつか振り返ったとき、経験から学んだことを活かすことができたら、それはすばらしい心の財産や人生の肥やしにもなります。そして、深く慰められる思い出になるとも思います。
介護を終えた将来に希望を持って大丈夫!さらに豊かな未来が、あなたを待っていると思います!