こんばんは、介護作家・若者・就職氷河期支援、メディア評論家の奥村シンゴと申します。
私は、30歳過ぎから6年間、認知症の祖母をほぼ1人で在宅介護をしました。
近著『おばあちゃんは、ぼくが介護します。』(株式会社法研)では、祖母とのホッコリする話をはじめ、若くしての介護経験から得たノウハウ、新型コロナウイルスの介護者対策などを書かせていただき、新聞・雑誌・WEBと多数のメディアに紹介されました。今、若者の介護者「ヤングケアラー」が注目を浴びていますので、この機会にぜひご覧になっていただければ幸いです。
今回は、近著の内容に加筆し、「要介護者本人と介護をする家族が幸せな介護生活とは何か」というテーマで私の経験を基にお話しします。答えは十人十色で正解はありませんが、在宅介護などで悩んでいる方の参考になれば幸いです。
本人が生きたい、家族が生きてほしいと思う瞬間
私は母子家庭で育ち、母親はガンやうつ病など病気がちで体重が30kg台と決して体が強くありませんでした。
ですから、祖母が20歳から大手電話会社で40年、その後嘱託職員で10年と計50年勤め、女性1人で私たちを養い、育てあげてくれたといっても過言ではありません。そんな祖母は負けず嫌いな性格で、それは介護の場面でプラスにもマイナスにも現れました。
マイナス面では、高齢者施設を職場と勘違いしているときがあり、利用者に「あんた、何ボケっとしてるの?仕事しなさい」と怒るときがありました。プラス面では、認知症の進行や加齢で歩行困難になっても、祖母は「車椅子は使いません。自分で歩きますからね。一緒に歩くわよ」と笑いながら私をよく喫茶店へ誘ってきたものです。
私は、「ばあちゃん、車椅子で行ったほうが怪我せえへんし安心やで」と伝えても、祖母は片杖で「ヨイショ、ヨイショ」と歩き続け、まったくお構いなし。
「祖母が懸命に自分の足で歩き、生きようとしている」姿勢に、私は「ヨシッ、ばあちゃん、ガンバレ」と応援したい気持ちになりました。きっと、ほかの介護者の方におかれても、要介護者の前向きな姿を見て、「もう少し在宅介護を続けよう」と思うことがあると思います。介護生活とは、きっとその積み重ねではないでしょうか。
本人の価値観を尊重しつつ適度な距離を保つ
私は、できる範囲で祖母の価値観や思いを尊重した介護を心がけていました。祖母は、自立心が強い人ですので、「自分のことは自分でやりたい、ほっといてほしい」とサインを発するときがあります。
例えば、祖母と一緒に食事を終え、食器の洗い物をしようとします。すると、祖母は「私が洗うわね。あんたは部屋に戻って仕事をしていなさい」と優しく声をかけてくれるのです。祖母は戦時中を生き抜いた人ですから、私への思いやりと同時に、「家事は女がすべてやる」という意識が強いんです。
また、祖母が「自分の部屋でテレビを見るわね」というときがあります。私は、「うんうん、ゆっくりなあ」と否定せず受け入れます。本人に気づかれないように様子を見に行くと、なにやら歌声が。祖母だって1人カラオケをしたいときだってある、だって人間だもの。
そうかと思えば、祖母は自分の部屋から座布団を持ってきて、私の横にピタッと座るときもあります。「ああ、今日は話が長そうだなあ」と思うと、祖母がとつとつと話をスタート。デイサービス・ショートステイの悲喜こもごも話、テレビを見ながらアイドルの話、体のどこどこが痛い話などなど。私は、話半分で「せやなあ、うんうん」と聞きながら、仕事をしたり音楽を聴いたり。私がすべてを聞いていたら、メンタルがやられてしまいます。適度に相づちを打ち、傾聴の姿勢を示すだけで祖母は十分満足だったりします。答えは求めていないんです。
こうして本人の価値観を尊重し、家族が適度な距離感を保っておけば、お互いがハッピーで無理のない介護が可能ですし、ADL(日常生活動作)維持にもつながるわけです。
お互いが必要とし、必要とされる存在であることを確認
介護者が介護の中で、「自分を必要としてくれている」と感じられれば、とても嬉しい気持ちになるのではないでしょうか。
在宅介護をしていると、些細なことで起こる本人と家族との言い合いは日常茶飯時です。高齢者施設へ行く時間を除いて、シングルや多重介護者を中心に同じ話を繰り返したり、便や尿をもらしたり、突然徘徊して付き添ったりと、一日中ほぼ一緒に生活するのですから、それも当然です。
ある日の夜中、祖母がトイレットペーパーをお尻に入れたまま、「シンゴくん、これどうやってしたらええんかいな?」と怒り口調でした。普段ならだいたいのことで私は怒らないのですが、その日はどういうわけかイライラし、「ばあちゃん、勝手にせえや。知らんわ」と激怒しました。すると、祖母はトイレで「シンゴくんまで私を見離すんかいな。私はどこへ行ったらいいのよ」と泣き出しました。
どうせこうなるのに、なんで祖母に暴言を吐いてしまったのだろうと後悔してももう遅い。一度口にした言葉は消えません…。
私がトイレへ向かい、号泣する祖母を「さっきは言いすぎた、ごめんな。俺はばあちゃんがいるから生きてこれたんやで」と慰めます。しばらくすると祖母は泣き止み、「私もね、シンゴくんしかおらんねんからな。よろしく頼むわよ」と手を握りしめあったり、ハグしたり頭をポンポンと撫でたりしました。
介護をしている人、されている人が認め合って、お互いの存在を確かめる瞬間は、意外にもけんかしたときに多かったように思います。
30歳過ぎで祖母を長年介護をして、同世代に比べ収入が低く、出世や結婚もできず「可哀そうな人」と思う人もいるかもしれませんが、私にとってはそれらは大きな問題ではありません。
強がりでもなんでもなく、私の心は満たされています、本当に不思議な感覚ですが、祖母のおかげで生かしてもらっていると感じています。こういう人生を歩む人がいることを受け入れていただきたいです。忘れてはいけないのは「幸せのかたちは人それぞれ」ということ。他人のものさしで考えるのではなく、介護をするうえでの心のつながりを大切にしてほしいと思います。