株式会社Qship(キューシップ)代表・介護福祉士の梅本聡です。
第81回に続いて、介護施設における身体拘束をテーマに書いていきます。
身体拘束をしてはいけない理由は"当たり前の感覚"のなかにある
「他人の言動が自分の意に沿わないときは、その人を縛って良い、閉じ込めて良いと教わったことがある方はいますか?」
僕は講師を務める講演会などで、時折こんな問いかけを参加者のみなさんにするのですが、今のところ「教わったことがある」という方に出会ったことはありません。
続けて、「自分の思い通りにならない他人は縛っておけば良い、閉じ込めておけば良いという思想を持っていますか?」と問いかけると、ほとんどの方が「持っていない」と答えてくれます。
日本国憲法には以下のようになっています。
日本国憲法 | 第三章国民の権利及び義務 |
---|---|
第十一条 | 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。-略- |
第十三条 | すべて国民は、個人として尊重される。-略- |
第十八条 | 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。-略- |
第三十一条 | 何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。 |
僕は法律家ではないのでこの法文一字一句を覚えているわけではありませんし、日本においては「基本的人権が守られ、個人として尊重され、いかなる奴隷的拘束を受けることも自由を奪われることもない」ことを知識として持っているわけではなく、"当たり前の感覚"として身につけています。
そんな"当たり前の感覚"からすると、どんな背景があったとしても、「そもそも人を縛ったり、閉じ込めたりすることはおかしなこと」だと思うのです。
身体拘束を「基本的人権や人間の尊厳を妨げる行為」として認識しているのではなく、それ以前に「人を縛る・閉じ込めるっておかしいよね?」と思うことが僕の"当たり前の感覚"なのです。
この"当たり前の感覚"を、前述した講演会の参加者も持っていたから「自分の思い通りにならない人は縛っておけば良い、閉じ込めておけば良い」と思わなかったのではないでしょうか。
"当たり前の感覚"を失わない体制が必要
介護保険法の目的には、2006年の介護保険法改正時から「尊厳の保持」が規定されています。
この「尊厳の保持」は憲法にも明記されており、そして多くの人たちがこれ"当たり前の感覚"として持ち合わせているからこそ、介護現場でもこの規定を受け止め、専門職が結集してとことん知恵を絞り、支援策を見出す努力を重ねています。
例えば第81回でも解説したように、つなぎ服を介護現場からなくしていったのと同様、被介護者を抑制しないように、施錠して閉じ込めないようにしているのです。
ただそんな介護現場では、要介護状態にある方たちを人員配置基準として「3人で1人を介護する」ように定めています。
夜間の場合はもっと配置数が減るようになっており、僕からすれば不十分な支えと思える仕組みのなかで必死に職員たちが奮闘しているのです。
介護現場が「人手が足りないから守るべきことを守らなくて良い」とはもちろん思いませんし、「仕組みが不十分だから安易な身体拘束を行っても良い・行うのは仕方がない」とは社会的に通用しません。
ですが一方で、不十分な支えの仕組みのなかで奮闘している介護現場の職員は、経営者や管理職などから「尊厳を守れ」と喚起され、行政など外部の関係者からも「尊厳の保持(=コンプライアンス)」を求められるわけです。
これは見方を変えれば、仕組み(人員配置基準)は不十分なままにしているのに、現場にだけ尊厳の保持、コンプライアンスを求めていると僕は思います。
だからこそ、ただ介護現場に尊厳という言葉を連呼するのではなく、「あなたが持っている"当たり前の感覚"を失わないように」と伝え続けることが大切だと僕は思っています。
さらに、この"当たり前の感覚"は誰もが持っている世間一般的なものであるのに、介護施設ではそれが通用せず"当たり前の感覚"を失っていく…、そんなことがない組織風土をつくる必要があると思います。
"当たり前の感覚"が歪んできていないかを常に検証しながら、「あなたが持っている世間一般的な"当たり前の感覚"が正しい」と支持・応援できるような体制、判断軸を施設全体として構築していく必要があります。
身体拘束に代わる取り組みが必要
身体拘束をはじめさまざまな支援を考えるうえで、私たちは"当たり前の感覚"によって「おかしなことはおかしい」と考える土台をつくらなければなりません。
その土台がないと、安易な身体拘束や施錠が始まり、その安易な考えが常態化していくことで誰であっても、どんな状態であっても一律的に拘束、施錠を選択してしまう介護施設に変貌していくと僕は考えています。
一方で、「おかしなことはおかしい」という土台があれば、身体拘束の代替(支援)策を熟考する際にそもそも「縛る・閉じ込める」という選択肢がない、またもう他に手立てがないと言い切れるときの最後の手立てとなるため、安易な身体拘束が生まれないのです。
介護のプロが行うべき仕事は、「専門職でしか考えつかないような支援策を見出すことができる、もう無理。他に支援策はない」と言い切れるまで思考と試行を重ねることであり、そのために支援専門職として必要な知識・技術の獲得に努めていくことが支援専門職個人に必要なのです。
それに加えて、"当たり前の感覚"を失わせない、当たり前の感覚を支持・応援、判断軸とする組織づくりが必要だということです。
一方で「入居(利用)者さんの行動は制限しない」となれば当然ですが事故のリスクは高まるので、「事故が起きても最小限のダメージで済むようにする」取り組みが必要です。
現状の人員配置基準や介護職員による「かかわり」だけでは、動きを封じずに事故を起こさないは非常に難しいからです。
取り組みの具体例
- 扉に鍵をかけない代わりにセンサーを設置し、入居(利用)者さんが外に出たことを職員に知らせる
- ベッドに四点柵をしない代わりに、転落衝撃吸収マットや低床ベッドを用意し、ベッドからの転落による衝撃を軽減する
- 歩くことを制限しない代わりに、転倒時の衝撃を吸収するパッド入りパンツやサポーターを用意し、入院・手術となって本人の心身機能の低下につながる大腿骨骨折だけは防ぐといった、器具や福祉用具で人手やかかわりの補完力を高めること。
- 車椅子やベッドからの転落を防ぐ・痛みよる立ち上がりを防ぐことにつながる、座位・臥床時に筋緊張や苦痛を与えないポジショニングの知識・技術の習得
- 誤嚥は経管栄養(チューブやカテーテルで栄養を供給すること)に移行する原因になりやすいので、「経管栄養の管を抜いてしまうから拘束する」という事例を生まないために、そもそも誤嚥を防ぐ正しい姿勢や摂食・嚥下(えんげ)に関する知識・技術を習得。
こういった最小限のダメージで抑えるための補完力と学びの習得機会を高める取り組みも、組織としてできることではないでしょうか。
安易な身体拘束は、実際に拘束を実行する介護現場に焦点が当てられがちです。
しかし、支援専門職(介護現場)と経営者・管理者(経営・運営側)双方が、「そもそも支えの仕組みが不十分であること」を共通認識する必要があります。
そのうえで、安易な身体拘束を行わないために力を尽くすという合意と、それぞれができる実践を積み重ねることが大切です。
お互い、"当たり前の感覚"という土台を持つことが必要なのです。