山本一郎です。35年ぶりに自分の写真が発掘され、5歳から8歳当時の無垢で純粋な私自身が穏やかな表情で写真に収まっている姿を見て、月日の怖ろしさ、残酷さを改めて思い知った次第でございます。

ところで、先日G20が中国で行われ、我らが日本の安倍晋三首相が「世界経済の下方リスクに対応するため、あらゆる政策を出動させるべき」という発言をし、物議を醸しております。もちろん、前回も似たようなことを言っていますし、そう重大すぎる捉え方をする必要はないのですが、世界的なリセッション(景気後退、不況)も視野に入れた踏み込んだ発言をするのは勇気がいることです。

その中で、改めてクローズアップされるのが「持続可能な経済成長」というワードです。単なる産業の効率化にとどまらず、教育を含む社会システム全体に対する政策手段を総合的に動員して景気を上げてまいりましょうというネタであります。

念頭に置いているのは、恐らく今後重要な問題になるであろう中国経済の停滞なのですが、国内に目を転じますと、日本特有の「労働生産性の低さ」が槍玉に挙がるわけでございます。これについては、別に安倍首相がわざわざ外で言わずとも、OECDなどでもさんざん議論はされており、日本は実は労働生産性が低いとなると、やれサービス残業は日本型経営の悪弊だ、ブラック企業だ、企業戦士を礼賛してきた団塊親父は早く土に帰れなどといった罵声が飛び交います。大変なことです。

しかし、日本の労働生産性の低さの根源をよく見てみると、実は内需が大きく、サービス業主体の経済構造が労働生産性を計算するうえでは著しく不利であるという労働生産性という概念を計測するうえでの「ルール上の不利」を感じるわけであります。今日は、福祉と経済成長、労働生産性の微妙な関係についてお話したいと思います。

日本のサービス業の生産性は激低!?
「安くて高品質なサービスは当たり前」
という謎の現象が原因か

誤解を恐れずに言うと、一般論として福祉事業は、社会的に富を生み出すことの少ない産業です。経済効率、経済価値という「カネ」一面の物差しでいうと、これから死んでいく、生産性の低い、富を生み出すことのできない老人を介護するのは、若く健康な労働者です。貴重な労働力を、生産しない老人の生活の充足にブチ込むわけですから、これから富を生み出すための工作機械の製造に従事する人からすれば累乗効果もなく、労働生産性が下がったように見えてしまうのは仕方がないことです。

なにしろ、日本の労働生産性を単純な国際比較でみるとOECD34か国の中では21位、G7ではもちろんビリです。

中小企業庁が発表している世界各国の労働時間当たりGDPを比較した棒グラフ,日本の労働生産性はOECD加盟34カ国中21位と低迷していることがわかる

一面では、日本人がこれだけ働いているのに労働生産性が低いのは経営がダメなせいだ、という悲観的な自虐論が跋扈しやすいのも日本の特徴です。もちろん、装備充足率が日本企業は他国に比べて低い面がありますが、ソフトウェアや電気通信、化学などの分野で、日本は他国より生産性の面では圧倒しています。つまり、国際競争力が最強に強まった状態です。

また、トムソン・ロイターの例年の産業調査である『Top100グローバル・イノベーター』では、日本企業は躍進を遂げ、今年(2015年度受賞)は企業数でついにアメリカを抜き、日本は1位に躍り出ています。その数、なんと100社中40社が日本企業。労働生産性が低いといって悩んでいるのが馬鹿馬鹿しいぐらい、しっかりとしたイノベーションを実現して製品やサービスに生かし、日本経済を牽引して立派に国際市場で戦っている日本企業の姿がわかります。

トムソン・ロイターの産業調査『Top100グローバル・イノベーター』が発表している世界の革新企業トップ100に日本の企業が40社もランクインしていることを示す棒グラフ

特筆するべきは圧倒的な海外売上比率の高さと、いわゆる「外-外」と言われる海外子会社と海外子会社の間での取引の多さ、すなわち日本企業が海外で生産し、日本の拠点では研究開発やマネージメントに特化した本社機能を持つタイプの企業が毎年少しずつ増えていると理解できます。

では、この手の日本経済の生産性の低さはどこから来るのでしょう。これは、労働生産性を計算するうえでのルールにまず依存することがわかります。

労働生産性=付加価値額/労働投入量

※付加価値額:営業利益+人件費+減価償却費
※労働投入量:労働に投入された人数×時間

労働生産性とは、上記のような計算式で求められます。すなわち、付加価値を導き出す方法は、産業別でそもそも大きく違う点を理解しておかなければなりません。逆に言えば、「低賃金でビシバシ働かせたところで、アウトプットである付加価値が低ければ労働生産性は上がらないぞ」という当たり前の結論になります。

日本生産性本部が出した発表資料がわかりやすいので引用すると、少なくとも6年前からずっと、この傾向が続いていることがわかります。とりわけサービス業の生産性が低いことは、他国比較でも明確にわかることです。

財団法人日本生産性本部が発表している製造業の名目労働生産性水準の世界比較を示した棒グラフ,製造業においてはOECD加盟34カ国中10位と健闘していることがわかる

製造業は国際比較でかなり健闘しているのに、サービス業で全体の足を引っ張る結果に。サービス業の生産性が低いことには理由があります。日本のサービス品質の比較では、飲食から福祉までサービス品質の高さが際立つのですが、逆に、サービスに対する価格の満足度では日本は極めて低く、つまり日本の消費者や福祉の現場では「安くて高品質なサービスを求めるのは当たり前」という謎現象が横行しているのです。

製造業の現場で定着している「安くて、品質の良いものを」は、福祉を含む労働集約的なサービスの現場では「少ない人数で多くのケアサービスを」を実現しようという動きになります。そのケアサービス自体の付加価値という意味では、サービスの対象者である老人が生産活動に従事せず社会的富を生まない以上は、どんなに頑張っても労働生産性は低くならざるを得ません。また、その仕事が低賃金であれば、労働生産性はサービス残業や徹夜での業務をいくら頑張ったところで上がりようがないのです。

逆に、労働生産性、付加価値の点で言えば、福祉の現場で行われるサービスの実施に投入される労働者の賃金が高くなることがすなわち生産性の高さに繋がります。日本の福祉事業の現場は、不当に安い賃金で働かされ過ぎ、その金額に見合わない重労働をした結果、労働生産性が低いと判断されているに他なりません。

「サービス業」に規定して生産性を比較しても
日本はアメリカやフランスより劣っている?

すでに述べたように、労働生産性は社会が得られる付加価値の総額を労働投入量で除して求めるわけですから、付加価値を引き上げるか、労働投入を減らすことで生産性を引き上げることはできます。しかし、サービス業など単純労働の世界において労働投入を減らすとアウトプットも減ってしまいます。

また、製造業では作った品物の最終売価で付加価値を求めるのに対して、サービス業の付加価値は単純に労働者に支払われた賃金によって規定されます。そもそも製造業とサービス業という価値を生み出すメカニズムが違うものを「価値生産性」という謎尺度で包含して生産性判断をし、国際比較をするわけですから、本来は経済全体で見比べることにそれほどの意味はありません。

しかしながら、サービス業はサービス業で見比べて労働生産性を見比べれば、これは物差しが一緒になりますから比較検討が可能になります。良かったね。で、日本は先進国上位のフランスやアメリカに比べて「そんなに労働生産性が劣っているのか?」という話になるわけです。

問題は介護報酬太りをした社会福祉法人!?
介護職の待遇改善にお金を使わなければ
ワープア状態を解消するのは難しい

生産性を高くしたいと考えれば、賃金を上げる必要があるのですが、賃金の総額を上げる仕組みとしては、賃金の高くなる仕事に従事しやすい環境を作ればOKということになります。

財務省総合政策研究所では、労働生産性の業界別推移について、製造業に比べて非製造業の慢性的な賃金伸び悩みを示しています。また、証券アナリストの本田康博さんの計算によれば、医療・福祉業界の労働生産性は379万円で、全産業平均の690万円の約6割弱、製造業平均の半分以下しか確保できていないことが分かります。

法人企業統計年報が発表している日本の労働生産性の推移を示した折れ線グラフ,順調に右肩上がりを続ける製造業に比べて非製造業が1990年から慢性的な伸び悩みをしていることがわかる

また、みずほ産業調査vol.54では、我が国の労働生産性低迷の原因は、地方のサービス業の労働生産性が問題であり、地域経済の活性化の中で新陳代謝の促進や大規模化が必要であると結論づけています。

いくつかの都道府県の勤労状態に関する資料を見ると、地方でのサービス業では、社会福祉法人の低賃金・長時間労働ぶりが大きく足を引っ張る計算になっており、これへの改善は急務でしょう。ただし、これらの改革は介護職の賃金大幅引き上げや拠点の集約化が必須であり、結局は日本の財源問題、社会福祉法人に対する助成金の問題に直結していきます。

介護報酬の引き上げは、介護職のワープア状態を解消するために急務ではありますが、現状ではむしろ介護報酬が引き下げられる傾向にあります。ここで、相反する2つの議論を見てみましょう。

「介護報酬の引き下げで、本当に困るのは誰か~「職員の処遇悪化」を声高に叫ぶ人たちの論理~」
(東洋経済オンライン)

「介護事業者施設 閉鎖相次ぐ報酬引き下げが影響」
(毎日新聞)

もちろん、根幹は膨れ上がり続ける社会保障費の削減にあり、これは、3時限目高齢者のための費用は国債でまかなわれている!?財政的に維持できない日本の「右肩下がりの経済」のカラクリとは?」や7時限目国民年金5.4万円、生活保護14万円。どちらも貧困な独居老人なら、この不公平さは「制度上認められた悲劇」でしかない」など、何度も本稿で解説してきた通りです。

一方で、慶應義塾大学の土居丈朗教授が説明するように、介護報酬太りをした”社会福祉法人の内部留保問題”があり、国家が老人を助けるために介護に資金を拠出しても、肝心の社会福祉法人が介護職の待遇改善にお金を使わず内部留保や別枠投資に資金を投じてしまうと意味がないわけです。

しかしながら毎日新聞の記事では、この介護報酬の削減は中小の介護施設の経営を直撃し、折からの人材不足に直面して事業所そのものが閉鎖に追い込まれる事例が、とりわけ地方の非都市部で数多く発生しているのは気になるところです。おそらく今後もこの傾向は続くことでしょう。さらには、向こう3年間で計画されていた特別養護老人ホームの建設計画が全国で20件以上取りやめになるという報道もあり、介護界隈自体がにっちもさっちもいかなくなる傾向が強くなるだろうと思われます。

高齢者の介護を公共が引き受けるという
これまでの概念が破綻寸前にあるのでは…
と、不安が募る今日このごろ

労働生産性という点では、もっと介護報酬改定で職員の賃金水準を引き上げ、多くの老人を受け入れられる体制を整えなければなりません。一方で、財政面ではこれ以上は社会保障費に資金を回すことは困難で、むしろ削減して子供の出生対策、教育無償化、待機児童の解消などを行わなければならない現状があります。ましてや、安倍首相自身がある種の国際公約気味に「介護離職ゼロ」を打ち立てています。

ひょっとして、労働生産性の改善を図ろうにも財源がない、老人の介護に貴重な労働力を投入することは賃金の低迷を引き起こし、社会の活性化にマイナスの影響しか与えない、ということであれば、むしろ老人の介護を公共が引き受けるという考え方そのものが破綻しかねないのでは?と思うんですが、大丈夫なのでしょうか。

恐らくは、国家の衰退というのは「生活水準の引き下げ」というぼんやりした概念上の問題ではなく、具体的に生活できなくなる人たちの発生という弱者へのしわ寄せを前提にせざるを得ないのではないかと思えます。一口に「先のない老人に金を使うより、子供に投資したほうが良い」といっても、それは貧しくなる日本の最先端に老人を追いやることになりはしないかと、心配は尽きません。