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黒川清「「第三の開国」の機会を逃しつつある日本。コロナ禍で過去の教訓を活かす」

最終更新日時 2021/05/10

黒川清「「第三の開国」の機会を逃しつつある日本。コロナ禍で過去の教訓を活かす」

「志が低く、責任感がない。自分たちの問題であるにもかかわらず、他人事のようなことばかり言う。これが日本の中枢にいる『リーダーたち』だ」。切っ先鋭い辛辣な言葉で、当時の日本政府と電力会社幹部を痛烈に批判していたのは、「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」(以下、国会事故調)の委員長だった黒川清氏。そしてこれは、国会事故調の舞台裏を書いた同氏の著書、『規制の虜-グループシンクが日本を滅ぼす』の冒頭に掲げられた一文である。原発事故を「人災」と言い切る黒川氏は、東大医学部の出身であり、UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)内科教授を務めるなど、14年間アメリカで暮らした国際派の医師でもある。そんな黒川氏の炯眼に、日本政府が現在進めている新型コロナ対策はどのように映っているのか、話を伺った。

文責/みんなの介護

国会事故調「7つの提言」が活かされることなく迎えているパンデミック

みんなの介護 2021年は東日本大震災から丸10年という節目の年に当たります。黒川さんは国会事故調の委員長として、福島第一原発事故の原因究明に取り組まれました。そして2012年7月に国会に提出された報告書では、原発事故は地震と津波による自然災害ではなく「人災」であると結論づけ、①規制当局に対する国会の監視、②政府の危機管理体制の見直し、③被災住民に対する政府の対応など、「7つの提言」を行っています。この提言ではどのようなことを期待していたのでしょうか。

黒川 9年前、国会事故調が報告書を国会に提出したとき、私は「このたびの原発事故が第三の開国につながることを期待する」と発言しました。第一の開国である明治維新、第二の開国である第二次大戦の終結と同様、福島原発事故は日本社会と国民の生活を一変させるだけの大きなインパクトを持っていると確信したからです。

「起きない」と考えられていた原子力発電所の「メルトダウン」という重大事故を受けて、わが国のリーダーをはじめとするすべての国民は、それまでの奢りと慢心を率直に反省し、目の前の現実に対して謙虚に向き合うよう努力しなければなりません。原発事故という悲劇は、私たちがそれまでの生き方や社会システムを改める絶好の機会だったはずです。

みんなの介護 あれから10年が経ち、日本を含む世界各国が新型コロナウイルスのパンデミックという新たな危機にさらされています。原発事故で得た教訓はわが国の新型コロナ対策に活かされているでしょうか。

黒川 残念ながら、原発事故の教訓が活かされているとは言えません。国会事故調がまとめた「7つの提言」もないがしろにされたまま、西日本のいくつかの原発では、なし崩し的に再稼働をスタートしています。新型コロナに対する施策についても、これまでの施策を常に反芻しながら、今取れる最善の策を検討していく必要があります。今回のコロナ対応は10年前の福島第一原発事故への対応と似ている、とワシントンポストが書いていますね(参照:"Opinion: Japan’s response to the coronavirus is a slow-motion train wreck"、2020年2月22日)。

東西冷戦構造が日本の経済成長を可能にした

黒川 先ほど、「原発事故が第三の開国の実現の契機となる」とお話ししましたが、先進国の中で、日本の過去30年間における経済成長はゆるやかです。

みんなの介護 どういった理由からでしょうか。

黒川 第二次大戦後、わが国は奇跡的な経済復興を成し遂げました。1960年頃から高度経済成長が始まり、日本のGNP(国民総生産)は1966年にフランスを、1967年にイギリスを、1968年には西ドイツも抜いて、アメリカに次ぐ世界第2位の経済大国になりました。

その後、GNPという経済指標はGDP(国内総生産)に置き換わりましたが、2010年に中国に追い抜かれるまでの42年間、日本は第2位の地位を守り続けることになります。こうした成功体験によって、私たちの社会は「ジャパン・アズ・ナンバーワン(世界一位の日本)」と言われ、ちょっとうぬぼれてしまいました。

しかし私に言わせれば、日本が経済成長したのは、それだけの実力があったからではありません。東西冷戦構造という世界の大きな枠組の中で、「ものづくり」の日本が経済成長できたのだと考えています。

みんなの介護 冷戦構造が日本の経済成長に寄与していたというのは興味深いです。

黒川 西側の資本主義諸国の中で極東に位置する日本は、アメリカから見れば、敵国のソ連・中国と直接相対する“守るべき防衛ライン”の一つでした。だからこそアメリカは、「日米安全保障条約」を結び、在日米軍を強化。加えて、日本を経済的に安定させるために、繊維・鉄鋼・家電などの工業製品を高く買い付けました。そうやって日本は、国の防衛をアメリカに依存しながら、工業製品をせっせとつくり続け、経済を発展させることができたわけです。1950年に勃発した朝鮮戦争、1965年に始まったベトナム戦争も、日本経済にとってはプラスに働きました。

アメリカやフランス、ドイツのGDPは約2倍に成長。日本のGDPは30年間大きく変化していません

1989年と1995年、日本は二度の転機を逃した

みんなの介護 世界第2位の経済大国だった日本のGDPは、現在中国に次いで第3位となっています。順位が落ちた背景にはどのようなことがあったと考えていますか。

黒川 最初の転機は1989年。東西冷戦の象徴だったベルリンの壁が破壊され、第二次大戦後から始まった冷戦は事実上終結しました。その後、ソビエト連邦も解体され、仮想敵国がいなくなったアメリカの一人天下になります。同盟国を社会主義から守る必要もなくなったことで、それまでアメリカから経済的・軍事的援助を受けてきた多くの国々が、国家としての在り方を見直さざるを得なくなります。日本も当然、この時点で国の行く末について再検討すべきでした。奇しくもこの年の1月、元号が昭和から平成に変わり、新たなスタートを切る絶好のチャンスでした。

ところが、タイミングの悪いことに、日本経済はバブル景気の真っ只中。そのため、「新卒採用・終身雇用・年功序列」という旧態依然とした社会システムが漫然と維持され続けました。それがこの国の成功モデルだと、誰もが信じて疑わなかったからです。

私が考える二つ目の転機は、その6年後の1995年。バブルの好景気は泡と消え、ちょうどインターネットに対する社会の認知度も高まりつつある頃です。この年、MicrosoftのWindows95がリリースされ、一般家庭にもパソコンとインターネットが爆発的に普及していきました。通信手段の一つだったファックスは電子メールへと徐々に置き換わっていき、情報の保存の仕方も、「アナログ」と「デジタルデータ」のどちらで残すか、選択できるようになりました。

ところが、日本の多くの職場は「アナログ」である紙にこだわり続けたように思います。Windows95が登場した頃からのデジタル化へスムーズに移行できていれば、2000年代後半から到来するスマホ時代にも、多くの企業がいち早く対応できていたはずです。

みんなの介護 昨年の新型コロナ関連のニュースで、病院と保健所の情報のやり取りをファックスで行っているところがあったことには驚きました。

黒川 そうでしょう。つまり、わが国の医療の一部は、社会のデジタルトランスフォーメーションの流れから四半世紀も取り残されていたことになりますね。

デジタル化の遅れが新型コロナの対応に悪作用を及ぼす

みんなの介護 私たちの日本社会は、東西冷戦が終わった1989年と、インターネットが急速に普及した1995年の二度、転換期を逃したということですね。

黒川 残念ながら、そういうことになりますね。社会の価値観や常識が大きく転換することを「パラダイムシフト」といいますが、日本は二度のパラダイムシフトを経験しながら、国際社会の変化に対応して自らも変わろうとはしませんでした。

その結果、この20年の間、わが国のGDPはOECD各国の中でもほとんど増えていません。例えば、アメリカやフランス、ドイツのGDPは約2倍に増えているのに対し、日本のGDPは大きく変化していません。

そんなときに新型コロナが襲ってきて、日本社会はさらに足もとをすくわれることになりました。日本全体で事務作業のデジタル化がほとんど進んでいなかったために、対応に追われる関係省庁や保健所は新規感染者・入院患者に関する情報をなかなか収集できませんでした。総務省による特別定額給費金、経済産業省による持続化給付金、厚生労働省による雇用調整助成金の給付が遅々として進まなかったのも、デジタル化の遅れが原因です。日本企業の多くはまだテレワークに対応できていないし、学校ではいまだにオンライン授業を実施できないところもあるようです。

こうした周回遅れの状況下で、日本が新型コロナによる死者数を何とか少なく抑えているのは、国民一人ひとりの自助努力と、医療従事者や介護従事者などエッセンシャルワーカーの皆さんの献身的な働きなどのおかげです。感謝の言葉しかありません。アジア諸国を中心に、新型コロナによる死者数が顕著に少なく、日本より低い数字に抑え込んでいる国がいくつか存在するのも事実です。日本は「これまでの対策が成功した」と安堵し思考停止をしてしまうのではなく、効果のあった対策の共通項の洗い出しや科学的な検証を推し進めていく必要があります。

撮影:丸山剛史

黒川清氏の主な著書に 『規制の虜 グループシンクが日本を滅ぼす』(講談社)がある。

続々進む再稼働。日本人はフクシマから何を学んだのか? 国会事故調元委員長が、規制する側が規制される側の論理に取り込まれて無能化する「規制の虜」が起きたと断じ、
エリートの人災を暴いた委員会の舞台裏と、この「規制の虜」と同じ構造がいま、日本のあちこちに存在する実情を描く!

黒川氏の関心事やメッセージなどを綴ったホームページもぜひご覧ください。

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森田豊
医師・医療ジャーナリスト
2022/11/07
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