浅田次郎「資質のない自分がどのように作品をつくっていけばいいのか。それが生涯のテーマ」
『蒼穹の昴』『鉄道屋(ぽっぽや)』『壬生義士伝』などのベストセラー作品で知られる、小説家・浅田次郎氏。日本の社会全体がコロナ禍で萎縮するなか、今年3月に刊行された『流人道中記』(上下巻・中央公論新社)は20万部超えのベストセラーとなり、世の読書家を大いに元気づけている。稀代のストーリーテラーである浅田氏に、ご自身の人生観と私たちが今直面している新型コロナの諸問題に対して語っていただいた。
文責/みんなの介護
人生を歪めないためには努力が必要
みんなの介護 『流人道中記』上下巻を楽しく拝読しました。小説を読むのは久しぶりだったのですが、「小説ってやっぱりおもしろい!」と改めて思いました。
浅田 ありがとうございます。
みんなの介護 物語の最終盤、ある罪を犯して江戸から蝦夷(北海道)に流される流人である青山玄蕃が放った「存外のことに、苦労は人を磨かぬぞえ。むしろ人を小さくする」という一言に意表を衝かれました。「若いときの苦労は買ってでもしろ」など、一般的に人は苦労を経験して成長するという考えが根強くあると思います。玄蕃の発言には、浅田さんの人生観が投影されているのでしょうか。
浅田 そうですね、苦労はできるだけしないほうがいいと思う。もちろん、「人並みの苦労」や「大人になるための苦労」は誰しもが経験すべきでしょう。しかし、「“人並み以上”の苦労」は、できれば経験しないほうがいいんじゃないかな。
みんなの介護 浅田さんの来歴を読ませていただくと、幼い頃からいろいろとご苦労されていますね。その浅田さんが「苦労はしないほうがいい」というのは、少し意外な気がしました。
浅田 自分がどれだけ苦労してきたかなんて、正直自分ではよくわかりません。とはいえ、少なくとも幸せな時代を生きてこられたことだけは確かです。今回のコロナ禍で、皆さんも思い知ったのではないでしょうか。我々が今まで、どんなに幸せな日常を過ごしてきたか。
大病を患ったり、何らかの障がいを負ったりすれば、かなり苦労することもあります。そして、そういった苦労は、しばしば避けようがない。
一方で、一般的に私たちが経験する苦労の大半は、病気かお金にまつわるものでしょう。お金がなくて食うや食わずの生活に追い込まれると、自分の人生を歪めてしまう。これはよくありません。お金で苦労しないためには、生活設計をきちんと立てたり、節約したり、貯金をしたり、さまざまな努力が必要になります。その努力を「苦労」と呼ぶのであれば、そういう苦労こそすべきだと思う。
美しいものに囲まれていなければ作品はつくれない
みんなの介護 「苦労はできるだけしないほうがいい」というのは、「人として」というお話だと思いますが、芸術家も苦労はしないほうがいいでしょうか。
浅田 芸術家であれば、苦労することはさらに有害だと思う。
僕は何十年も小説を書いてきましたが、人生の苦労や経験というものは、小説を書くうえで存外役に立ちません。たとえ人に言えないほどの苦労を山ほど経験しているとしても、それで小説が書けるわけではない。むしろ小説家は、苦労なんかしないほうがいい。
芸術家の仕事は、美しいものをつくっていくこと。美しいものを見失ったら、もう作品はつくれません。苦労は美しいものを見失わせます。世の中には、苦労を一切経験することなく、純粋培養された芸術家がたくさんいます。例えば、ドイツ・ロマン派の作曲家メンデルスゾーン。彼は家柄の良い裕福な家に生まれ、幼い頃から音楽の英才教育を受けて「神童」と呼ばれ、美しい音楽をつくり続けました。38歳という若さで亡くなるものの、その生涯は常に美しいものだけに囲まれた幸せな人生だったはず。苦労らしい苦労なんて、一切経験していないんじゃないでしょうか。だから、あれだけの傑作が書けたのです。
日本の小説家でいえば、僕が愛読した三島由紀夫さんも、メンデルスゾーンのような芸術家の1人ですね。あんまり汚れてしまうと、三島さんのように純粋に美しいものはもう書けない。
みんなの介護 浅田さんの初期の短編『角筈にて』を読んで、とても感動した記憶があります。あの作品は、「私のいまわしい幼時体験を書いた」とあとがきに書かれているように、ご自身の苦労した経験がベースになっていますね。
浅田 そう言っていただけるのはありがたいけど、自分の体験を売りものにしているのかと思うと、我ながら情けなくもあるわけでね。やはり、歴史に残る偉大な作品を鑑賞すると、小説にしろ絵画にしろ音楽にしろ、もうまったく敵わないと思う。
自分にはそもそも、後世に残るような作品を生み出す資質が与えられていない。この大前提を踏まえたうえで、「では、自分の作品をどのようにつくっていけばいいのか」。これが生涯にわたっての僕のテーマだと考えています。
我々が戦時中の悲惨な体験を知る機会はほとんどない
みんなの介護 今、新型コロナ感染症の影響で、多くの人がさまざまな苦労を経験しています。現状についてどのように思われていますか。
浅田 そうですね。今多くの皆さんが本当にご苦労されていると思う。しかし、あまり深刻に受け止めてほしくありません。何事も悲観的に捉えると、それこそ人生を歪めてしまいます。できるだけ美しいものを見て、前向きに考えるようにしてほしい。
ものは考えようかもしれませんね。コロナ禍について言えば、国や自治体に申請すれば、ある程度の援助を受けることも可能です。手続きはいろいろ面倒くさそうだけど…。でも、これがもし戦争中であれば、国や自治体が国民一人ひとりを支援するなんて考えられない話。それどころか、いきなり命を取られることさえあるわけです。今、ご苦労を経験されている人も、「命を取られるわけではないんだ」と、冷静に対処してほしいと思います。
みんなの介護 確かに、戦争中に比べれば、新型コロナの苦労のほうが数段ましだと思います。戦争を経験していないので、正確なところはよくわかりませんが。
浅田 実は、「正確なところはよくわからない」というのが最大のポイントでね。戦後75年経った今、先の大戦を経験した国民は、もうほとんど残っていない。僕自身戦後の生まれだし、国民の多くは戦中戦後に日本国民がどんなに悲惨な体験をしたか、あまりに知らなすぎる。
僕に言わせれば、我々日本人は歴史の欠落した民族です。近世までの、ちょんまげを結っていた時代の歴史と現代の私たちとの関係性が薄いように思います。関係があるのは近代以降、明治以降の歴史だけど、この時代については学校の歴史の授業で詳しく習っていない。たいていは3学期の終わり頃に、明治から大正、そして昭和の時代を駆け足でおさらいするだけ。戦時中の悲惨な体験を知る機会はほとんどないのではないでしょうか。つまり、国民が教育の中で得た知識の中で、「戦前」と「戦後」の歴史が地続きにつながっていない。歴史の一部がきれいに欠落してしまっているのです。
お金は万能ではない
みんなの介護 国民一人ひとりが戦争中の悲惨な体験を共有できていれば、新型コロナへの対処の仕方も、もう少し違ってきたのかもしれませんね。
浅田 そうですね。それでも、日本国民はきわめて冷静に対処できていると思いますよ。
僕が問題視しているのは、むしろ政府ですね。まるで天からお金が降ってくるような政策が多い。それは良くないと思いますね。
何でもお金で解決しようとすると、大きな間違いを起こしやすいんです。例えば、「Go To トラベル キャンペーン」も、「旅行に行けばお金がもらえる」という形にしてしまったから、途中で見直すことができなくなった。国民に変に期待させてしまった以上、今さら「やっぱりお金は出しません」とは言えなくなった。
最初から、金銭の絡まない形で観光業支援策を打ち出していれば、「感染拡大の第2波がきそうだから、もう少し様子を見ましょう」とアナウンスするなど、もっと柔軟に対応できたはず。そうすれば、みんながもっと気持ち良く旅行ができたのではないでしょうか。
みんなの介護 お金が絡むと、人間は急に世知がらくなりますからね。
浅田 確かにお金は大切ですが、決して万能ではありません。お金のために社会を歪めるようなことをしてはいけない。お金に頼らずに、いかにコロナ禍を乗り越えていくのか。私たちはもっと知恵をしぼるべきです。
浅田氏の著書『流人道中記(上)』
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読売新聞連載で感動の声、続出。累計100万部突破「笑い」の『一路』に続く、「涙」の道中物語。万延元年(1860年)。姦通の罪を犯したという旗本・青山玄蕃に、奉行所は青山家の所領安堵と引き替えに切腹を言い渡す。だがこの男の答えは一つ。「痛えからいやだ」。玄蕃には蝦夷松前藩への流罪判決が下り、押送人に選ばれた一九歳の見習与力・石川乙次郎とともに、奥州街道を北へと歩む。口も態度も悪いろくでなしの玄蕃だが、道中で行き会う抜き差しならぬ事情を抱えた人々は、その優しさに満ちた機転に救われてゆく。この男、一体何者なのか。そして男が犯した本当の罪とは?
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