理子さんご自身も、義理のご両親の介護をされていますよね。いまはどんな状況ですか?
今回のゲストは、翻訳家でエッセイストの村井理子さん。村井さんは、滋賀県の琵琶湖のほとりで双子の子育てをしながら執筆活動を続けてきました。独自の視点で家族の問題を提起する作品は、人間関係の希薄さに悩む現代人を中心に話題を呼んでいます。2021年4月にはレビー小体型認知症を患う義理の母から見える世界を綴った『全員悪人』を出版。主人公となった義理の母への思いや認知症の不思議を漫画家くらたまが聞きました。
- 構成:みんなの介護
認知症者から見た世界を、ユーモアを交えてリアルに描く。夢中で読み進めてしまう物語の細部に、認知症者についての深い理解に根ざした表現が光っています。嫉妬や怒りを強く出しながら、どこか憎めない主人公の描き方に筆者の人間愛を感じます。認知症者の心を理解したい方はもちろんのこと、介護業界で働く方も必読です。
浮気妄想で女性介護者の出入りがNGに


義理の母はレビー小体型認知症なんですが、浮気妄想が強くて、女の人が家に入ることが完全にNGなんです。以前、浮気妄想からか…夜中にリモコンでお義父さんが頭を叩かれたこともあったんです。

え!まじですか!

そうなんですよ。だから介護スタッフもベテラン軍団で揃えてもらっています。看護師の方もデイケアのお迎えの方も可能な限り男性でお願いしています。

リモコンで殴ったお話、『全員悪人』にもありましたね。あれは、実際にあったことなんですね。
私は両目を開き、ゆっくりと起き上がった。ベッドの横の小さなテーブルに置いてあったテレビのリモコンを右手に取ると、立ち上がり、パパゴンが眠るベッドの真横に立った。そして、右手に持ったリモコンを高く持ち上げ、パパゴンの額めがけて一気に振り下ろした。
(『全員悪人』P49より引用)
振り下ろした瞬間、パパゴンは本物のお父さんに変わっていた。

そうなんですよ。お薬を飲んで、ずいぶん「滑らか」にはなってきてるんですが、幻聴や幻視がかなり進んだ時期がありました。

そうだったんですね…お義母さまは理子さんにも強く当たるんですか?

それが、私のことは友達とか娘だと思っているんですよ。私が着ていたのと同じ服が欲しいと言うから、買ってあげたのに「こんな変な服が私のタンスにあったんだけど理子ちゃんあげるわ」っていうようなやりとりをしたりして。

(笑)。短時間で好みが変わっちゃったんだ。でも、理子さんは良くても…。

そうですね。女性のケアマネの方のことは、少し嫌っていますね。こっちも申し訳ないなという思いになっていて。
あなたに一度聞いてみたことがある。なんなの、毎日代わる代わる家にやってくる例の女たちは? そしたらあなたは、「お母さん、あの人たちは、お父さんとお母さんの生活を支援してくださっている女性たちなんです。介護のプロなんですよ」って言ったのだけど、こちらは家事のプロですから。
(『全員悪人』P21より引用)

認知症を理解すると人間への興味が深まる

表現が難しいんですが、認知症の症状って「不思議」だなって思います。

分かります。間近で見ていると、「こういう生き物だったんだ」と人間に対する興味が深まっていきます。

何がそぎ落とされてそうなるのか。それでも残るものって何なのか。とても興味深いです。

本当に「細かく薄いもの」が残っているんです。例えば、お義母さんは、お皿は洗えないのに洗濯物を干せるんです。
認知症になると動作があやふやになります。スポンジを握ってお皿を洗うということがわからなくなって、できなくなっていく。それなのに、なぜか洗濯物はバサバサと綺麗に干せる。洗濯物を干す動作が得意なのかもしれないですね。

そういう微妙な違いがありますが、個人差もありますよね。

個人差は大きいみたいですね。ケアマネの方が言うには、認知症になると、でこぼこがあんまりわかんなくなってくるんですって。高い・低い、出っ張っているのかへこんでいるのか、というのが見えにくくなるらしいんです。同じ景色なんだけど、対象の認知ができなくなっていくと聞きました。
なぜそうなるのかは私も想像がつきません。とにかく物の見え方が変わって来るので、どうしてもやってほしいことや見てほしいものは、「浮かせて」目立たせるように工夫するんですって。
だから、薬も飲み忘れないようにタッパーの蓋の上に訪問看護師の方が貼り付けてくれています。そのタッパーをテーブルの上に置いておくと、ちょっと高さがあって浮いて見える。それで薬を飲むのを忘れないと言われました。このあたりのことは、症状の出方によっても変わるかもしれませんが。

テーブルの上に置くだけじゃ見えないんだ。

たぶん、見逃してしまうんですよ。それだけじゃなく、壁にお薬カレンダーを貼っちゃうと、壁と一体化して見えないみたいなんです。
転びやすくなるのもそういったところに関連していると聞いたことがあります。部屋と部屋の間のちょっとした段差がありますよね。ああいった、ほんの1ミリ2ミリの段差に対して、人間は自然に足を上げているらしいんです。でも、高齢になってくるとその1ミリ2ミリが上がらなくなる。だからバーンと倒れるんです。
見え方や聞こえ方とともに理解の仕方も違ってくる。幻聴もリアルに聞こえてるみたいですね。私と話していても「ちょっと待って。さっきから女の子がずっと話をしてる」と言って、カーテンのところに行って外を見るんです。「夜中に庭の玉砂利のうえを誰かが歩いている音がする」と言うこともあって。

それは聞こえるんだ。

聞こえるし見える。「あそこ、あそこ」と言いながら目で追っているから本当に見えているのがわかるんですよ。

いやぁ、すごいな。お義母さまに残っている感情に嫉妬心があるじゃないですか。ということは、お義父さまへの恋愛感情も残ってるってことですかね。

お義父さんに対しては、「自分だけのもの」と思っているんじゃないでしょうか。恋愛感情からの嫉妬というよりも、自分の所有物を取られたくないというような…。いまは、周りの物事に対する執着が強い時期なんです。
部屋のリビングの周りに荷物が積み上がっていて、要塞みたいになっていますよ。それを全部「自分の物」だと思っているから、触ったら怒るんです。
トイレットペーパーの芯だけがずらっと入っているダンボール箱もある。片付けると怒るから片付けないで置いてあるんです。

トイレットペーパーの芯に執着してるってことですか!

そうみたいです。ありとあらゆるものに執着が出てきました。お茶碗もそうです。

不思議だなあ。一種の興味深さも感じます。

そうですね。突然何かの機能がパチッと切れるわけじゃなくて、じわじわとバランスを失っていっているようです。ときどき変なことをしたり、また戻ったりしながらギュッと「縮んできている」感じがするんです。

なるほどなぁ。認知症になると、お金や食べ物に対する執着が出てくるという話も聞きます。それはどうですか?

もうまさその通りですね! お金に対する執着は自分を守る術のようで、お金をしまい込んだりしています。
食べ物に対する執着は、好みが変わりました。甘いものが急に好きになったり、嫌いだったものが好きになったり。お饅頭とかを買って持って行くと、ものすごく喜びます。

そうなんだ。こうやって第三者として聞いている分には興味が尽きないけど、実際の介護となると大変でしょうね。

そうですね。ただ自分の周りのことはきちんとするんですよ。トイレに行き、歯を磨きお風呂に入る。その一線だけは絶対に守っていますね。それにメイクもします。

メイクは忘れてないんだ!

忘れてないです。ちょっと濃いですけど(笑)。

もともとおしゃれにこだわる方だったんですか?

もともとクラブのママをしていたので美意識はすごく高いんです。認知症になる前はいつもちゃんと前掛けをしてキレイにしていました。でも、いまお義母さんのところに行くと、私の夫が高校時代に着ていたジャージを履いていることがあります。前掛けも古びたものになりました。

メイクは忘れてないけど、服装は崩れ気味になってきているんですね。本人が執着していた順に残っていくのか、そうじゃないのかわからないけど、残り方が面白いですね。

バチバチの嫁姑争いが終結

お義母さまが認知症になる前の理子さんとの関係ってどうだったんですか?

それはもう仲が悪かったですねえ。私のことが大嫌いだったと思います。
お義母さんは習い事の先生だったので、生徒さんが多くいたんです。「結婚したらあなたも入りなさいよ」と言われていました。でも私、そういう世界に入るのが嫌だったので「私は結構です」みたいな感じで逃げていたんです。そしたら、やっぱり衝突しましたね。

例えばどんな?

着物を着せるときに左前にされたり、家族へのお土産が私だけコロッケだけだったり。

それは、なかなかな意地悪姑ですね!でもそういうときって子供とか孫には良いもの食べさせるんでしょ?

そう。木箱に入ったさくらんぼ持ってきていました。でも、私も一方的にやられていたわけではなくて、やり返していました。バチバチの対決だったんです。
とにかく私たちには長い歴史がありまして…。当時は生徒さんたちに会うたびに、「先生は怖いけどがんばってね」って言われていました。
でもお義母さんが認知症になった瞬間にかわいそうだなという思いが発動して、恨みが一切消えたんです。道端で困っている人がいたら、ほとんどの人が無条件に「助けなきゃ!」って思いますよね。あの感じに近いかな。

そんな意地悪の限りを尽くされたのに…。何かめちゃくちゃいい話ですね。

そのわりにはお義母さんのことを本に書いちゃいましたけどね。でも大好きになりました。
お義母さんの方も「理子ちゃん、私にはもうあなたしかいない」と言うんです。「えっ?息子の立場は?」って思うんですけど。

ご主人のことは忘れてるんですか?

「あのおじさん誰?」って言います。

えぇ!そうなの?ご主人はお義母さまのことをどう思っているんですか?

私から見ると、ちょっと当たりが強いんですよ。どちらもかわいそうなので、私が代わりにお義母さんのところに行っています。その代わり「お義母さんのこと書いていい?」って交換条件を出すんです(笑)。

なるほど。理子さんは、実の親じゃないから微笑ましい感じでいられるということもあるんですかね。

そう思います。「実の親は一番つらい」ってケアマネの方も言っていました。肉親が同じような状況になった場合は、全面的に外部の力を頼った方がいいって。

絶対そうだと思います。
手づくりのお菓子を持った妖怪たち

理子さんは、今のお義母さまにとって本当に心強い支えなんですね。

関係が変わりましたよね。それに、お義母さんがターゲットになっているのを、ほっておけないんです。お義母さんが認知症になってからいろいろな訪問販売が来るようになりました。
例えば、水道工事が終わったと言ってお金を請求されたり、床の下に扇風機が回っていたりもしました。そういうのを一つひとつ確認すると、悪意を持ってお義母さんに近づく人を退治していかないと…という使命感を感じています。

なるほど。そうやって食い物にしようという人たちがいっぱいいるんだ。

手作りのパンやプリンを持った「妖怪」がいっぱい来るんです。だから「家に手作りキットのようなものに入ったお菓子があったら注意」って言ってるんです。

それはどういうことなんですか。

何らかの「意図」を持ったご近所さんが、手づくりお菓子を持って近づこうとしてるんです。今までお義母さんと仲良かった人たちは、誰も来なくなったにもかかわらず。そうやって、青汁、健康飲料、スープが届きました。あといつの間にか電気やテレビが変わっていた。お義母さんの「善意」につけこむようにして。
名前を書く欄を指さした鈴木さんの顔をちらりと見ると、笑顔で頷いていた。 私は鈴木さんに言われるがまま、お父さんの名前を書き、そして印鑑を押した。見積書に押し、そして契約書兼請求書にも押した。
(『全員悪人』P109より引用)

結構やられてますね。

82歳なのに、高級な化粧品がずらっと並んでいて「お義母さん、これはどうしたんですか?」って言ったら「近所の人がね、すごくいいのが出たって言ってたからちょっと買ったのよ」って。

大変だな。そういうのは近くで見張っている人がいないと、本当、「食い物」にされてしまいますよね。わけがわからなくなっている高齢者を鵜の目鷹の目で狙っている人は少なからずいますからね。
うちも何件もやられていますよ。6畳しかない部屋に30万のクーラーがついていたこともあります。瓦もいつの間にか変わっていたなぁ…。意味もなく。

近所が一番怖いですよ。本当に。

近いからすぐ来るし。

信用されてるしね…。

苦労する前のお義母さんに戻っている

実の息子のことは忘れて、大嫌いだった嫁が大好きになる。不思議だなあ。

そうそう。素に戻ってお義母さんの中に本来あったものが出てきている気がします。

そっか。意地悪が素じゃないんですね。

意地悪のもっと奥にあったもののような気がします。お義母さんは、もともとクラブのママをしていたんです。そしてホテルを転々としながら料理長をしていたお義理父さんと知り合って結婚しました。
苦しい思いもたくさんしたので、自分の周りにいっぱい「鎧」をつけていたんでしょうね。だから浮気妄想は昔「イラっとした」ことの仕返しなのかなと思うときがあるんです。

もともとない感情だと出てきそうにはないですもんね。

そうですね。今は多分、中高生時代に戻っています。部屋のフローリングのところで「やー」とか言いながら中学・高校時代にやっていた器械体操をしてるんです。

そんなに身体が動くんだ。

これが、身体が丈夫で!この間、庭で走っているのを見たときには目が点になりましたね。

それは驚くなあ。でも、認知症がちょっと進行して、身体が丈夫だと大変だという話も聞いたことがあります。突拍子もないことをする可能性があるから。

徘徊が怖いですね。ケアマネの方も、ここからが長いって言っています。お義母さんは認知症だけど、身体が丈夫で元気。だからこそ身の回りのことができています。この状態が続けば、おそらくすごく元気に生きられます。

なるほど。しかも幸せですよね。

…と思いますよ。嫌なことは全部忘れて。

いや不思議だ。嫁姑問題にそんな解決の仕方があるとは知りませんでしたよ。まさか「わはは」と笑いが出るようなお話になると思いませんでした。

村井 理子
1970年静岡県生まれ。滋賀県の琵琶湖のほとりで、夫、双子の息子、愛犬ハリーとともに暮らしながら、雑誌、ウェブ、新聞などに寄稿。料理や犬に関する書籍のほか、事実をもとに家族の問題について描いた書籍も好評。近著に『兄の終い』(CCCメディアハウス) 『全員悪人』(CCCメディアハウス)『家族』(亜紀書房)など。