気づかないうちにボクも変わった

この連載も今回で100回目を迎えた。こんなに長く続けられているのも読者の皆様や関係者各位のおかげと感謝している。

先日も、V Rの展覧会に行った時「みんなの介護のコラムいつも読んでいます」という読者の方がいらしてくださった。福祉関係の施設の方だった。読者に直接お会いすることも稀なのでお話は大変興味深かった。

その方がこんな深いお話をされた。「神足さんの『ボクはいい人間になったわけでもなんでもない』っていう言葉がとても印象的で、コラムの中で周りの方に感謝を伝えるような話を見つけると、もしかしたらそうさせてしまうこちら側(介護する側)の何かがあるんじゃないかと裏の裏を考えたりもしてしまいます。」とおしゃった。申し訳ない。

良い人間になったわけではないけれど、一人で何もできなくなった今の自分、誰かに世話になることが100倍増えた。「ありがとう」の言葉や感謝する気持ちが自然と出てくる。新しい自分。

いや、昔だって感謝の気持ちは持っていた。悪のボクだけではない。でもこんなに素直に「ありがとう」とは口に出せていただろうか?普通に生活していけることが普通でないことだって気がついていただろうか?と考えるとそうではなかったと思う。

その方は、ボクが要介護5になってからの読者とのこと。昔のテレビやラジオに出ていた姿は見ていたけれど、コラムはそんなに読んだこともなかったそうだ。

発病前と今のコラムの違いを考えてみると何が違うかと言えば取材の対象だろうか。以前は世界中の事件や流行のこと、車に関すること、パソコンやIT関係のこと、「今」をお伝えしてきた。

書くことは結果であってそれまでの過程、取材や調べ物が90%を占める。家にいる時間もなかった。原稿に書いて発表したり、ラジオやテレビのワイドショーでお伝えしてきた。歩いてみてくる、人と会って話してくる、文献を読む、違う方面からアプローチを変えてまた人に会うそんな繰り返しだった。

今では10分の1歩けるか?取材できるか?ほぼベッドの上にいて。

どこへ行くにも誰かの助けがいる。同じ車椅子乗りでも喋れるわけでも、車椅子に乗れば自分で移動できるわけでもない。ベッドから自分で降りることも、ましては寝返りだってできないのだ。

「みんなの介護」からの使者と出会った話

発病から1年経った頃から、TBSラジオや朝日新聞で連載のコラムを書けるという有難い環境をもらっていた。「今の神足さんが思ったり感じたことを書いていただければ」そう言ってくれた。

「要介護者の本当の気持ちを聞ける機会はあまりありません。思ったことを書いてください。」そう言われた。しかし初期のボクはそれでもなんとか福祉用具機器展や現状の老人ホームについて調査したり、外に出て取材をたくさんして原稿を書きたいという思いが消えていなかった。

そう、昔やっていたように自分で外に出てみたり聞いたりして書きたいと思っていたのだ。せっかく取材に行ったのに次の日になったらすっかり忘れていたり、今の自分の実力を目の当たりにしてがっかりもした。

人の前に行くと変な脳の指令が入って体がいつも以上に動かなくなる。手も止まる。文字すら書けない。せっかく取材に行っても聞きたいことがうまく出てこなくって後で質問状を送ることもしばしばあった。

現場の写真をものすごい勢いで撮っておいてもらって自分の記憶の一部として後から思い出す材料に使うこともあった。

そんな時朝日新聞の講演会会場に「みんなの介護」から使者がやってきた。初代担当の方だ。喋れないボクにトークイベントの講演会を提案してくれた朝日新聞にも驚いたがそこにやってきた担当さんにも驚いた。

「もう企画は社内では通ってます。あとは、書き手の神足さんとイラストは西原理恵子さんにお願いしようと思ってましてOKいただければ。」「月に2回、いえ、ご無理なようでしたら、2ヶ月に3回ぐらいのペースでも」

ボクは現象の悩みでもある、取材が思うようにできない話をした。これ以上そんな状態で連載を持てるのか心配だった。

そうするとその方は「神足さん、取材は特に必要ありません。本当にベッドで寝ていて思ったことを書いていただければ」そうおっしゃる。

「ベッドに寝ていてお尻が当たって痛かった話でも、テレビを見ていてこう思ったとかでいいんです」お尻が痛い話で3,000字書けるかどうかは別の話として、その方はものすごいエネルギーで「連載をお願いしたい」と話された。

「神足さんにしかかけない日常のお話を伺いたいのです」そうおしゃってくれた。あれこれ取材に出て書くことが頭を離れなかったボクだけど、なんとなく「目から鱗」。 自分が要求されていることは「今」のボクが感じたり思っていること。ありのままのボクの日常だってことだ。

そこにいらした朝日の担当の方もボクの相棒のご意見番だった羽柴くんも「取材をして神足さんが外の出る機会が増えることは願ってもないことだけど、それを含めて神足さんの今の気持ちを知りたい」そう、その時の会場の控え室で話された。ボクの中でボクの新しい原稿スタイルが決まった日だ。「そうでもいいんだ」

余談ですが、その時の隣の控え室には衣笠祥雄さんと山本浩二さんがトークイベントの出番を待っていた。広島出身のボクにとって衣笠さんは格別の人だった。その「みんなの介護」の打ち合わせ中も隣から衣笠さんの笑い声や談笑の声が聞こえてきた。そして、衣笠さんは隣にボクがいることを知ってわざわざお顔を出してくださった。

控室の様子

こちらからご挨拶しなければならなかったが逆に畏れ多すぎて控えていたのだ。衣笠さんとお話ししたのはそれが最後の機会となってしまった。

今も初心に帰ろうと思いを馳せるとこの光景が蘇る。

都内のホテルの2フロアーでさまざまなイベントやトークショー、展示会を開いていた賑やかな舞台裏の控え室で「みんなの介護」の連載依頼を聞いて開眼したボクである。そして連載は2017年6月に始まった。

イベントの様子

これからもベッドの上からの景色を伝えていきたい

それからというもの、がんの治療や何回も大きな病気をして入院もした。

相変わらず、取材をしたいというのは何十年も染み付いた本能みたいなものか。取材をしたからといって、それについて書くことよりはそれを今の自分がどう思ってみたか、感じたかを中心に書いた。

短期記憶が苦手なのは相変わらずで、写真を何十枚も撮って「ああ、確かにこの人に会った」「この人の隣には、こんなおばさんがいた」「ってことはこんな話をした」なんていうように写真を見ては連想ゲームのように思い出していたが360度カメラというものに出会ってからは数枚で済むようになった。

360度カメラで撮っておけば文字通り360度の光景を一発で記録できるので飛躍的に便利になった。それが360度カメラを使い始めたきっかけだった。

元気なシニアの方が360度のカメラで景色を撮って、施設にいらっしゃる出歩けないシニアの方にお見せしているシステム作りをしている方がいることも知った。元気な頃からデジタル系の連載を持っていたボクはビルゲイツがiPhoneを発表した時以来の興奮を覚えたのだ。

「VRは近い将来くるぞ!しかもこれは高齢者と相性がいい。」そう思って夢中になった。それから6年経ち、ようやく仮想現実の世界も現実の世界に浸透してきた。これからどうなっていくか楽しみだ。

ベッドの上でもちょっとずつそんな風に新しい技術が活躍してくれている。介護用品も進化してくる。

前回の福祉用具展で看護師さんをやられている方と話す機会があった。「神足さんのコラムで近くにいたご老人を認知だと思って誤魔化すヘルパーさんの話、あることだとは思っていましたがズバッと書かれていて看護学校の教材として使わせていただきました」そうおっしゃってくださった。ボクの知らないところで、色々な感じ方をしてくれていると思うと大変嬉しい。

ボクの体は相変わらずで、一進一退。ちょっと拘縮が進んでしまったかなあなんて危機を感じたりはしているがまだもうちょっとは頑張れる。

昨年、前期高齢者の仲間入りをして正式に高齢者にもなったが、車椅子、ベッドの上からの景色をお伝えできたらと思っている。これからもどうぞよろしくお願いいたします。