認知症の新薬に期待したい

大手製薬会社のエーザイが認知症予防薬の「レカネマブ」の製造販売の承認を厚労省へ申請したと発表した。

アルツハイマー病の原因とされるタンパク質の一種「アミロイドβ」が脳内に蓄積されることを防ぐ効果があるという。

「新薬が実用化されれば、認知症になるのを遅らせる、または進行を緩やかにするなど 『予防』につながる。またアルツハイマーの方と共に一緒に生きること(共生)ができるようになることが期待できる」と加藤厚労相は会見の場で語った。

アルツハイマー型認知症とは、まず脳内のある部分の萎縮から始まる。それは、脳内タンパク質「アミロイドβ」が増えることが主な原因らしい。

それの増加を防ぐ、または症状の進行を遅らせる薬を開発していたのだ。まもなく認可される見通しだ。

最初にみられる症状はもの忘れ。初期は昔の記憶はあるが、最近のことを覚えることができなくなる。物をしまった場所を思い出せない、曜日や日付が分からない、約束を忘れる、道に迷うなどの症状が起こる。

このようなもの忘れに加え、誰かがお金を取ったとか、物を盗まれたとかの妄想、意欲の低下、無気力、口数の減少などが伴うことも。

さらに進行すると昔のことも忘れ、自分の居場所が分からなくなったり、親しい人の顔も分からなくなったり。また、食事や着替え、トイレ、お風呂などの日常生活動作を1人で正しく行うことができない、徘徊する、攻撃的になる、などの症状もみられるようになるそう。

最終的には記憶が完全に失われ、言語機能や身体機能も低下し、寝たきりになる病気だ。

そう思えば、今のボクだって似たような症状があったりする。病名はアルツハイマーではないが、やはり脳の一部が壊れてしまって起こる症状だ。短期記憶が苦手だったりする。ああ、認知症ってこんな感じかと思うこともある。

老化を感じることも増えてきた

最近、義母にかなり怪しい症状があり大学病院に検査に行っていた。

夜中にインターホンが鳴ったから帰宅の遅い我が娘が帰ってきたんじゃないかと思って玄関に出たんだという。「もう2時だよ、とっくに帰ってきてる。誰も来ていないから寝ていいよ」そう妻が義母に言い聞かせる。

寝ぼけているのか、夢でもみていたのか、心配なのは孫が帰ってきていなかったことだと言う。心配なことが残るらしい。

タクシーが止まったからといって玄関の外に行ってしまったこともあった。

「あら?誰もいないわね」

「いないよ、今日は娘は帰ってこない」

妻は夜中の出来事にたびたび起こされて「玄関の鍵、開かないようにしようかなあ」なんて心配している。

曜日もよく間違える。

「今日はゴミの日?」「いや今日じゃないよ、今日は日曜だよ」

「郵便局のカードがない」

そんな会話はしょっちゅうだ。

けれど、日常はまだまだなんともない。なんの具合でそうなるかわからないけれど、たまにそうなる。

自分でも指摘され「あ。違っちゃった」とか「私がしまって忘れてた」と後からは思うらしいが、指摘されるとちょっと不機嫌になったり、言い張ったりして妻とぶつかっていた。

けれど最近はお互いが慣れたせいか、「そういうもんだ」とお互いが理解できたせいか、ぶつかることも無くなった。最初は義母の「間違っていない!」意識が高かったように思う。

「違う」と言われるのも嫌だったのかもしれない。今なら言い方も少し学習しているが、妻だって認知症に向き合う初心者だ。

自分の母が認知症だとも思っていなかった。「違うってば」そんな否定的な言葉が義母は嫌だったのだろう。

そして、大学病院の認知症外来に行っての結果の話だが、長谷川式認知症検査は、満点で通過して異常なし。「横でみていた私の方が忘れちゃって記憶できなかったものあるのに全部答えてた!あのテストの経過を見ていると別に認知症になっている感じはしなかった」と妻。

しかし、先生は「お話を聞くと、やはり認知症の傾向があるともいえる。脳のCTの結果を見ると多少の萎縮ありますが、年齢相当か、ちょっとそれより進んでいるかといった具合です。顕著な萎縮の結果が出たわけではないですが…」とのこと。

「グレーではあるけど、今回は認知症という結果ではないです。ご心配なら遅らせる予防薬みたいなものがありますから飲んでみますか?」それこそ、なんともグレーな回答だった。

大学病院の先生は「主治医の内科の先生に結果を伝えるからそこで薬を出してもらって」とのこと。まあ、これから認知症になる予備軍みたいなものだけど、まだなりかけているぐらいなものだからと、いうことだろう。

妻は受診の結果には納得していたけれど、「あの症状でもまだまだ入り口で、認知症とは言えないっていうんだから、夜中に外に行っちゃったり、昼夜逆転したり、料理もちゃんとできていたはずなのに、え?肉じゃがにこれ?って今までとは違うものが入っていたり…。」と困惑していた。

それは、老化。年齢を重ねると、数年前だったら考えもつかないことが起きてくる。同世代の友人と話していたら目がよく見えない話になった。

そうそう50代後半の時、いっくらメガネを変えても、眼科で検診しても、よく見えないなあってことがあった。老眼だってことに気がついてからも何回か老眼鏡を買ったり、今までの近視の眼鏡を遠近両用にしたりもした。

でも、ここ数年落ち着いてきた。前より見えるんじゃないかって思っていたぐらいだった。眼鏡をつけたり外したり忙しいことはあるけれど、遠近の使い方も上手くなった。

ところがここ最近、またよく見えない。予想としては、白内障か、緑内障か?

病院に行くことになった。そんな話をしていたら横の友人も同じような状態で、手術して2年が経ったのだそう。手術した時はこんなに世の中がよく見えてなかったんだと見えることに感動したそうだが、なんかやっぱりよく見えない。

飛蚊症もあるし…なんか見えないんだよ、と。そのとき、10数歳若い友人が「とにかく病院に行ってよく見てもらったら解決するでしょ」そんなことを悪気もなく話したら、手術をした友人がこう切り替えした。

「いや、若いからわからないんだよ。病院に行ってもなんとなく治ったぐらいにしかならないんだよね。病院には行ってるよ。それが体の老化だって最近わかった、そういうどうしょうもない話をしてるんだ」

まあ、病院に行って解決することももちろんたくさんあるんだろうけれど。

そうそう、高齢者の仲間入りをしたばかりのボクたちだけど、思い当たる。今まで悪いところを病院に行って相談したらなんとなく解決していた。または、解決したと思い込んでいた。

だけど、痛みは治らないし、足も曲がらない。耳だって聞こえない人も出てきたし、目の話はよく聞く。「整形外科が社交場だ」だなんて陰口を叩いていたが、藁にもすがる思いで整形外科に通う気持ちもわかる。だって治らないんだから、なかなか。

そして痛くって仕方ないんだから。人間の体も長年使っていればメンテナンスも必要だし、老化現象も現れてくる。

自分を見失わずに生きれる時代が来るのだろうか

話は逸れてしまったが、老化が進むと認知症にもなる可能性がある。

もちろんボクのように違う病気で認知機能が失われる場合もあるし、若年性アルツハイマーというものもあるんだけど、歳とともにその可能性は上がる。

認知症の予防薬と言われるものもすでにあった。もう20年ぐらい前の話、取材先の90歳近くのおじいさんが「もうこの歳になると確実に死が近くなっているんだなあと自分でも思う。それが10年後なのか、1年後なのかはわからないけれど、死を考えたりその前の闘病生活を考えると怖くなる。

こんなおじいさんでも怖くなる。それがあんまりわからなくなるために怖くないようにボケる(まだ認知症とあまり言わない頃だった)んじゃないかなあ。ボクは徳を積んでいなかったからボケもせずこうして生きてしまっている」とおっしゃった言葉が忘れられない。

認知が進んで本人は楽になることもあるのかもしれないし、そう思ったりもする。新しい薬がどんどんできて、自分というものを全く見失うことなく生きれる時代が来たとしても、体が痛いとか、耳が聞こえないとか目が見えなくなってきたとかは避けられない。

そんな老化だけが進んだらそれはそれで辛いかもしれないなあと思ってみたり。そういう老化も薬でなんとかなる時代が来たとしてスーパーおじいさんになったボクはその頃、何をしているんだろうか?仕事をしていられるんだろうか?