現在、政府は地域コミュニティを強化して、住民たちの「共助」を推進しています。
地域のつながりが強まると、社会的孤立の防止などにメリットがあると考えられているからです。
そこで今回は、屋久島で暮らした視点から都市部のコミュニティが抱える問題点と再生のカギを探ります。
東京に長く住んでいた私が屋久島に住み感じたこと
屋久島に住んでから、住民の方たちとのさまざまな交流がありました。
- おかずをもらったお礼に大根をあげる
- お酒をあげたら、お返しにお菓子をもらう
- 挨拶をしたら、果物をくれる
このように、お金を通さない数えきれないおすそ分けを数限りなく経験し、この地域には「贈与」の習慣が根付いているんだと自然に理解しました。
「贈与」は社会的なつながり、地域コミュニティのつながりを活性化させると言われます。お店でお金とモノを等価交換するときに、そのやりとりに温かさを感じることは少ないかと思います。
東京では近所の人に野菜や果物を配り合う習慣を持っている人は多くないでしょうし、私自身はそういった経験はありませんでした。
仮に配り始めようとしても、周りの人は困惑してしまうのではないでしょうか。
贈与の文化が根付いている地域には、社会的なつながりを維持しようという力が働いています。モノだけではなく、人と人の笑顔やあいさつ、雑談も循環していることがこの場所のパワーだと思いました。
地域コミュニティの現状
総務省の『地域コミュニティの現状と問題』では、都市部と過疎地の地域コミュニティの現状を次のように指摘しています。
都市部 | 過疎地 |
---|---|
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上記のように、全国各地でコミュニティに関しての課題は内容が異なります。
私の感覚でも東京で過ごしているときは地域の共同体を感じる機会はあまりありませんでしたが、屋久島の集落に住んでみることでコミュニティのつながりの濃さを感じることができました。
東京にいるときは、地元の多くの仕事は役所の仕事だと思ったり、地域の集まりなどに積極的に参加したことはなく「お客様意識」が強かったです。
しかし、屋久島にきてみると、集落の仕事の中には集落の住民が担って行っていることが多いのです。なんでもかんでもお客様意識や役所がやってくれるだろうみたいな考え方では生活しにくいことも感じました。
つながりを分断する都市部のコミュニティの問題点
都市部では次のような問題があると感じます。
- 人付き合いの忌避
- 行きすぎた防犯意識
- 過剰なプライバシー問題
都市部では、防犯上の理由でタワーマンションで子どもが挨拶することを止められていたり、地域の民生委員ですらなかなか家に入れてもらえないといった話を聞くことがありました。
程度の問題だと思いますが、つながりが薄くなってきている地域で「挨拶」をなくしたり、隣近所の住民に興味を持たないということは、自らつながりを切ってしまっていると思います。
「贈与」はコミュニティ再生のカギ
贈与を受け取ってもらえるということは、その相手がこちらとの関係性を「つながり」をもって受け入れてくれたことを意味します。
こうやって社会的なつながりが強固になっていくのです。そして、贈与は、必ずしも全員に受け入れられるとは限りません。小さい贈与には「挨拶」も含まれると思いますが、そのやりとりが煩わしく感じたり、面倒臭さを覚える人もいるからです。
地域でのつながりや、ある種の面倒臭さから離れて独立して生きていくにはお金が必須です。要するに人間関係のしがらみをなくしたければ、経済的に独立する必要があるということです。
その結果、都市部では人と人とのつながりが希薄化しているのではないでしょうか。
これから都市部のコミュニティを少しでも盛り上げたいと思うのならば、地域コミュニティのためには誰かがやってくれるだろうという「お客様意識」ではなくて、地域コミュニティのために自分は何ができるのかという当事者意識を持つことだと感じています。
もし過疎地のコミュニティから学ぶとすれば、それは「挨拶」のような本当に些細な「贈与」から始めることかもしれません。
都市部と過疎地のコミュニティのどちらが優れているとは判断できませんが、一人ひとりができることから始めてみることが、きっと大切なことなのだと思います。