こんにちは。介護老人保健施設「総和苑」で介護課長をしている高橋秀明です。
「介護の教科書」では、引き続き「認知症」だけに焦点をあてるのではなく、「人の想いを考えていくことの重要性」についても触れていきます。
「施設に入ると認知症が悪化した…」
介護の仕事をしている方なら、一度は耳にしたことがある言葉ではないでしょうか?介護に関係する書籍や、ネット上でもそのような文言を目にすることがあります。そういった情報やイメージから、「介護施設への入所」を躊躇される方がいることも事実だと思います。
そこで今回は、「認知症の状態にある方への環境変化がもたらす影響」について、みなさんと考えていきたいと思います。
介護施設に入ると認知症は本当に悪化するのか?

私たちは、「今日は6時に起きて、8時に会社へ行き、14時に施設の会議室で〇〇さんと会って、18時に退社して自宅に帰る」というように、「時間」「場所」「人」の中に自分を位置づけ、記憶しながら生活を送っています(第41回参照)。
「時間」「場所」「人」に対して、自分の位置づけがより深い「住み慣れた家(場所)や地域、馴染みの人との関係性」などがあることによって、人は「安心」できるのです。
反対に、見知らぬ環境に身をおいたとき、人はどんな気持ちになるでしょうか?
例えば、以下のような状況のときはどうでしょうか。
- 引っ越しによって住まいが変わった
- 職場に初めて出勤した(部署異動など)
- 出張や研修会などで知らない場所に行った
私自身も、知っている人がいない寂しさや、聞き慣れた方言が消えた戸惑い、実家とは違う住環境に対する違和感、見知らぬ街並みなどから、そのときは不安な気持ちでいっぱいになり、「実家(自分が安心できるところ)に帰りたい」と強く思ったものでした。
また、今の職場に入職したときも、馴染みない場所(職場)や職員さんたちに囲まれて、不安な気持ちが強かったことを思い出します。人は誰でも、知らない環境に身を置いたときに芽生えるのは、「不安な気持ち」です。
最初は不安な気持ちでいっぱいでも、認知症の状態ではない私たちは、「時間や場所の把握」「人の認識力」「記憶」「理解」「判断力」などの低下がないために、時間の経過とともに新しい環境に適応する(人間関係を構築する、場所の認識ができる、今何をすれば良いのかわかるなど)力があります。
しかし、認知症の状態となるとそう簡単にはいきません。記憶障害・失認・失行・失語・実行機能障害などに加えて「時間」「場所」「人」の認識が弱まる見当識障害などの中核症状(第20回参照)によって新しい環境に適応しづらくなっている状態です。
「自分がどこにいるのか、なぜここにいるのか、周りにいる人が誰なのか」が理解できず、不安や混乱が続きます。
住み慣れた自宅から、施設に入所し生活の場が変わり、環境に適応できずに不安や混乱が続くことが「認知症の(急激な)悪化」の理由だと考えられます。
不安な気持ちに共感してあげる

そして、なにより大切なのは認知症の方の不安な気持ちを理解してあげることです。それでは、認知症状態の方の不安な気持ちに寄り添ってあげたことで状況が改善された例をご紹介します。
ショートステイを繰り返し利用されているハルジさん。数分前に話したことを忘れ、同じ話を何度も繰り返すなど、記憶障害がみられる状態です。ショートステイ初日は「なんでこんなところに来たんだ」「俺は家に帰る」と怒り、混乱がみられます。
職員は、怒っている本人の話をじっくり聴き、不安な気持ちに共感していきます。
そして、本人が好きな演歌歌手の話をしたり、CDを流したり、飼っている犬の写真をみせたり、ときに場面転換(話題を変えたり、熱中できることに取り組んでもらうなど。心の中では申し訳ないと思いながらも)を図るなど、あの手この手を駆使して本人に向き合います。
そんなハルジさんでしたが数日後には、初日の混乱がウソのように柔和な表情になります。トイレの位置を認識し一連の排せつ行為が自分でできたり、自ら居室に戻って休まれたり、「見た顔だなあ。あんたのことは知っているよ」と職員や入居者さんたちと談笑して過ごしていました。
このような経験をしたことがある専門職の方は、多いのではないでしょうか。
こんなとき専門職のみなさんは、その認知症状態の方を「家に帰ると言って怒り、興奮する困った人」扱いするようなことをしてはいけません。専門職だからこそ「認知症の状態により『時間と場所と人』の認識がつきにくく、環境に適応しづらくなっているために混乱している、と冷静に受け止めること」、そして「信頼関係を構築するように尽力すること」がポイントです。
逆を言えば、「ここには自分の居場所がない、自分のことを分かってくれる人がいない」という心理が続くことで、不安や混乱が増長される可能性があります。困ったときに頼れる心のよりどころは、やはり人なのです。
知らない場所で生活する不自由さ

アルツハイマー型認知症状態にあるスミコさんの主介護者である娘さんは、自身の仕事が繁忙期に入り、スミコさんの介護が不十分になるので、スミコさんに1ヵ月間、介護施設へ入所してもらうことにしました。
予定通り、スミコさんは1ヵ月で住み慣れた自宅に戻られたのですが、自宅に帰られた翌日、僕宛に長女さんから電話がありました。
高橋さん、お母さんね、昨日家に帰ってきた後、ちょっとおかしかったのよ。家の中をウロウロしてて…。「どうしたの?」って聞いたの。そうしたら、「みんないなくなっちゃった」と言って誰かを探したり、トイレの場所に迷ったり…。でも、今日はそういうこと(誰かを探すこと、トイレの場所に迷うこと)なく、いつものお母さんに戻ったの。
1ヵ月前、スミコさんにとって施設は見知らぬ場所でした。しかし、記憶障害や見当識障害がありながらも、職員やほかの入居者さんと交流したり、自分なりの目印などを見つけて居場所を認識し、「この老人会(本人は老人会だと思っている)にはたくさん仲間がいて楽しい」と会話することで、ほかの入居者さんや職員と関係性を構築していました。
1ヵ月前に見知らぬ場所であった施設が、本人には安心できる馴染みの場所になったのです。
住み慣れた自宅に戻ると言っても、本人からすれば生活環境が変わるということ。自分なりに理解・把握した場所や人間関係が変化するために、自宅であっても環境適応に時間がかかり、一時的に混乱が生じてしまうと考えられます。
しかし、「施設から自宅に戻る」という環境の変化による混乱は、僕の経験上、長くは続かないと実感しています。
お年寄りには、何十年も繰り返してきた生活習慣が身体に染みついており、少しのブランクによって一時的に分からなかったりできなかったとしても、スミコさんのように落ち着きを取り戻せる可能性があると思います。住み慣れた環境である自宅であれば、より一層その可能性が高まるはすです。
みなさんも、小さい頃にやっていた趣味やスポーツを今やろうとすると、最初は当時の感覚を忘れてしまっていますが、1時間もすればあの頃を思い出して体が動く、という経験があるのではないでしょうか。
ショートステイなどで施設利用した後に、一時的に起こる生活の不自由さとは、そのような感覚なのかもしれません。
本人の生活習慣を継続できるように創意工夫が大切
今までお話をしてきたように、環境の変化というものは人に大きな影響を及ぼすものです。だからといって「環境を変えてはいけない」という固定観念に固執することも、おすすめできません。
認知症の状態にある方は、環境の変化に適応しづらくなっている→わからないことやできないことが一時的に増える→何でもやってもらう(受け身での)生活になる→主体的に行動することが少なくなる→できていたことができなくなる、という負の連鎖に陥ってしまうのだと思います。
それを踏まえて、可能な限り本人の生活習慣を継続できるように、創意工夫をしていくこと、そして困っている本人の心のよりどころになれるように尽力することが私たち専門職にとって大事なことではないでしょうか。