政治体制が崩壊して、医療や福祉などの活動への公的扶助が全面的にストップ、そこへ年金の支払いも滞り、食料品など基本的な物資にも事欠いて商店の前には長蛇の列ができる。非常に残念な事態ですが、実はこれ、わずか30年前のロシアで起きていたことです。

いまの若い人にとっては歴史の一ページになってしまったかもしれませんが、かつてロシアは共産主義を引っ提げてアメリカと世界の覇権を争う冷戦時代はソビエト連邦(ソ連)という強大な国でした。

このソ連が崩壊した1991年以降、男女ともに急速に寿命が低下してしまい、1994年のロシア人男性の平均寿命は、年金受給年齢の60歳にも満たない57.8歳になりました。「もしも医療や福祉がなかったら」という問いに、歴史が正面から答えてくれる実例だといえるでしょう。一方で、我が国でもコロナ禍以降、医療崩壊が強く叫ばれるようになってきました。

儲からない製薬会社では、事故が多発するなど問題山積

昨今、診療報酬の改定について大筋の方針が示されました。それによると、医療費の「本体」部分は0.43%引き上げる代わりに、患者さんに出すお薬の代金などを含む「薬価」部分は1.37%引き下げる、という方向で調整が進んでいるそうです。

前回、日本ではジェネリック薬品を中心に3,000品目以上の供給が滞った背景について説明しました。断続的な薬価の引き下げもあり、製薬会社のコストダウンが無理に進んだ結果、ジェネリック製薬会社大手で事故が多発。厚生労働省から業務停止命令が出るなどして供給がストップしてしまったことが主な原因です。

また、製薬会社には製造を第三者に委託して自社のブランドで提供するためのCMO(医薬品製造受託機関;Contract Manufacturing Organization)という会社があります。コロナの影響で「対コロナウイルス特効薬を作れ」という国際的な要請が高まり、ジェネリックよりもコロナ方面にCMOがリソースを取られたことで、ますますジェネリックが市中に出回らなくなりました。門前薬局のどこにもお薬がありませんので、地域内で在庫を融通するように厚生労働省から要請があっても「そもそもモノがないよ」ということで、みんな干上がっていたわけです。

さらに困ったことに、これらのジェネリック薬品はそこまで儲かりませんので、一度供給が止まってしまった薬品の中には、医療機関などから要請があっても製造が再開しない品目も少なくありません。国内の工場はもとより、海外の関係先のCMOでも製造をしていないよという話になりますと、かなり割高な金額で海外のゆかりのない製薬メーカーから買い求める必要が出てきました。安いから普及していたはずのジェネリックが、最終的に「特許の切れた新発品とほぼ同じ価格で取引されてしまう」という笑えない話になっているのが現状です。

厚生労働省も慌てて「どうにかしろ」と指令を出し直しましたが、そこから一ヵ月半以上が経過しても供給不良になっている現状はかなりヤバイと感じています。特に、緊急搬送でやってきた重篤な状態の患者さんへの処置の際に使う抗生剤が品薄になるなどして、これは助からなくなるのではという危機感さえも露わになってきています。

未来の子どもは税金と社会保険料でますます困窮する!

こうした薬品流通が問題であるにもかかわらず、今回の診療報酬改定では「さらに薬価引き下げ」という話になりましたので、事態はさらに深刻です。もちろん、岸田文雄政権の中枢にいる人たちにも「ヤバイですよ」と伝えると、「ヤバイですよね」という返答が来るぐらいには問題を認識されているのでしょう。しかし、結果として「国家財政において、これ以上は社会保障費を上げることができない」という、医療全体の国民負担をどうにか減らす方針が勝った結果といえます。

平たく言えば、ただでさえ第二の税金と言われる天引きの社会保険料については、所得の額や世帯控除などによっては所得税と地方税の合計よりも社会保険料を多く負担することになってしまう働き手・世帯がたくさんいます。要は、見ず知らずの誰かの病気や、介護のためのお金が足りなくなってきたので、今働いている人の給料からごっそり社会保険料を差し引かれるわけで、もっと負担しろと言ってもなかなか酷な話です。

他方、人口のボリュームゾーンである団塊世代の皆さまは、これから徐々に後期高齢者へと入っていき、社会保障費をそのまま放置しておくと2040年まで膨れ上がることが予想されています。そこへ、少子化による人口減少が進んでいくと、これらの社会保障を支える働き手が減少し、未来の世代が生きていくことが困難になるぐらい税金と社会保険料を取られて苦しむことになるのです。

 
出典:『令和2年版厚生労働白書』(厚生労働省)を基に作成 時点

とはいえ、コロナ禍で最前線に立って日本人の命を守ってきた医療関係者の負担は大変なものです。また、報道では医師などの給料を「本体」みたいな言われ方をしていますが、そこには激務だけど給料のなかなか上がらない看護師や検査技師の皆さんの人件費から、病院の運営に必要な光熱費や検査機器ローンなど、病院経営の根幹にかかわる収入のすべてが乗っかっています。

医療ニーズが減少する2030年以降、医師でもワーキングプアになる!?

地域の医療を支える人材の育成においても、これ以上医師を増やすべきなのか、住民の少ない地域に医師がいない偏在問題に対応するべきかどうかも含めて広い議論が必要です。

朝日新聞によると、このほど「卒業後に一定期間(通常は9年間)、特定の地域で働くことを前提にした医学部の入試枠」である「医学部地域枠」の学生に違約金を課す事例も生じています。

この「違約金」は、何も昨日今日に始まったことではなく、地方国立大学医学部などでは例年それなりの件数発生しています。医師として伸び盛りの30代前半まで育てた人材を、症例数の少ない地方での診療を義務づけることは、技量的にその医師の将来を失わせることにもなりかねません。

そして、いま医師の養成は相応の金額が税金によって賄われ、年間9,000人近くが医師として国家資格を取ります。一方で、2021年に生まれる子どもの数はついに80万5,000人あまりで、来年にも80万人を切ってしまうでしょう。そこへ、年間9,000人の医師を養成するにあたり、理系の中でも優秀な子どもを100人に一人以上医師にすべきかという議論はどうしても出ます。将来の日本人の人口構成を考えると、必ずしも日本国内の生産性に寄与するわけではない医療分野に集中して優秀な理系人材を張りつけるより、もっと多くの科学分野に幅広く進学させるべきだという議論も発生します。おそらく、養成に多額の税金がかかる高コストな医師を年間9,000人作るというのは困難な時代に差しかかるでしょう。

極めつけは、我が国の超高齢社会は2030年になると、どっと医療へのニーズが減少すると見込まれています。本格的な人口減少の局面に入る頃には、医学部に入った子どもたちは医師として脂の乗る40代に差しかかったところで一気に老人の数が減り、医療へのニーズが失われていく時代を迎えることになるのです。

医師になれば高収入と言えるのも、おそらく医療需給と製薬業界の状況を踏まえた社会保障制度全体の問題で捉えていく必要があります。しかも、医師になろうと志す子どもは理系の中でも優秀な人たちで、家族も医師になれば「人生安泰、高収入」だと思い込んでいるのではないでしょうか。

しかし、国家資格である医療関係者は、その収入を国家の社会保障制度に多くを依存しています。美容整形など自費治療でチェーン店化する医療法人への風当たりも今後強くなっていくであろう中、当面は増え続ける高齢者の皆さんへの医療対応をするために需要は増えていきます。しかしながら、医学を志す子どもや支える家庭が苦労して医師の資格を取って一人前になる頃には、社会保障費は抑制・削減の対象となり、2040年を超えればワーキングプアのような職業になる恐れもあります。

医療を巡る社会観は、今後さらに厳しくなるのは間違いありません。冒頭のソ連崩壊後のロシアでは、年金も医療も途絶えた中で、真っ先に亡くなるのは高齢者…と思いきや、亡くなる方の率がもっとも高かったのは40代から50代にかけての、働き盛りの男性でした。

国家が崩壊し、未来に絶望した男性が自殺してしまったり、働き口が無くなり激変する社会に強いストレスを受けて酒浸りとなり、循環器系や脳出血の急性疾患を起こしたのです。しかも、救急搬送しようにも医療機関がやってないので、脳梗塞や心臓発作を起こした壮年のロシア人男性は適切な救護・救急医療を受けることなく、そのまま息を引き取るケースが続発したとみられます。

社会保障こそ、私たちの社会の最終防衛ラインであり、年金だけでなく医療、製薬、看護、介護、保健衛生にもっと光が当たり、より良いグランドデザインが描けると良いのですが…。