2021年10月31日、我が国の政権を決める衆議院選挙は自由民主党・公明党の連立与党側の勝利で終わりました。
対する野党側も、立憲民主党や日本共産党、社会民主党、れいわ新選組による野党共闘路線を敷き、一定の効果は見られたものの改選前勢力を維持することはできませんでした。
今回の選挙で与野党ともにテーマに掲げたのは「分配」だったわけですが、進んでいく高齢化を見据えた社会保障改革や財源を巡る論戦はお世辞にも白熱したとは言えません。むしろ議論の中では脇に置かれた格好でした。
そこで今回は、重要な社会保障であるジェネリック医薬品の問題と社会保険料について考えていきたいと思います。
「薬が届かない」問題はすでに始まっている!
消費税減税も増税も、基本的には団塊の世代が後期高齢者に入り、それに伴って社会保障費負担が今後も増えていく中で財源をどうするのかという議論とセットになっていたはずです。
ところが、実際にはどの政党も消費税については現状維持か引き下げ、撤廃という主張でした。概ね消費税率1%につき年間歳入が約2兆円という換算で言えば、年度歳入が60兆円あまりの我が国の財政において、消費税10%が仮に全廃されると20兆円の歳入減少になります。
あくまで政治的なレトリックではありますが、これらの消費税分はこの社会保障費に充当する前提です。20兆円の財源の穴をどう埋めるのかも含めて、日本社会や経済、財政がどう持続的であるべきかをもっと各党に論じてほしかったなあと思いながら、選挙報道を見ておりました。
この議論と並行して、我が国の社会保障の重大な問題として起きているのは「いよいよジェネリック医薬品が末端まで届かなくなってきた」という現象です。本当は今回の選挙戦でも社会保障改革の流れの中でこの問題は極めて重要な争点であるはずでしたが、指摘した政党や候補者はほぼ皆無でした。読者の皆さんや高齢者福祉・介護に携わっておられる方、さらには薬局や薬剤師の方にも問題が直撃して困っておられる方も多いのではないでしょうか。
コロナの前から、手術の際に感染予防するために重要な抗菌薬「セファゾリン」が海外の工場トラブルで日本での製造ができなくなり、深刻な供給不足を起こすなど、世界的に高度なサプライチェーンを構築して安価な薬品供給体制にシフトしたことが返って「薬が届かない」トラブルとして頻出するようになりました。
私の老父も持病の関係で、もろにこの「薬が届かない」問題に直面しておりますが、この問題は、我が国の「社会保障費の抑制」を目的の一つとした薬価の引き下げが、原因の大きなひとつです。
単純に言えば、社会保障費の中でも健康保険で賄われるお薬をどうするかという薬価と保険収載については国が統制しています。国民から集める税金や社会保険料を財源として国民皆保険制度が成立し、その恩恵をすべての国民が預かっているのは間違いありません。その仕組みである限り、薬価については需給に見合った自由競争に委ねず、国が価格をコントロールするのは当然ではあります。
ところが、先述した通り、社会保障費は抑制しないと大変なことになりますので、年金や医療、介護と並んでこの薬価もなるだけ価格の上昇を防がなければなりません。もちろん、保険に適用されている保険収載のお薬も、「効果のある新しい薬に切り替えたり、また特許が切れて安くできるジェネリック医薬品にしたりしましょう」という方針のもと、全体的にお薬の値段を抑える方向にシフトしています。
また、これらのコストダウンの一環として、各製薬会社は自社で研究・開発した医薬品を外部のCMOと呼ばれる事業者に製造委託することが、2005年の改正薬事法(現・薬機法)改正で可能になりました。世界中の製薬会社が、数千という品目の薬品を供給するにあたり、これらのCMOに製造委託をしながらコストダウンを図りました。その結果、今回のようにコロナウイルスが世界的に猛威を振るうようになったとき、各国が「コロナ対策のためにCMOはコロナ患者向け薬剤の製造を優先しろ」となり、多くのCMOのラインが安価だが必要な薬剤よりもコロナ対策用にシフトしてしまい、供給が困難に陥るのです。
薬価の引き下げによって製薬会社の事故が続発!?
国によって薬局などから患者さんに売られるお薬の値段(薬価)が抑えられてしまうわけですから、これらの値下がり分は製薬会社からすると直接「薬の売上が減り、利益が出なくなる」ことを意味します。
昨年来、この薬価引き下げによる経営「合理化」は、製薬会社による事故を引き起こしているとも考えられます。ジャーナリストの小笠原理恵さんも記事にされていましたが、血栓症や人工透析にも使用される抗凝固薬「ナファモスタット」や副腎皮質ホルモン製剤の「デキサメタゾン」など、慢性疾患では特に常用される定番のお薬も供給が止まってしまい、どうにもならなくなりました。2021年10月31日現在、約3,200品目の薬剤の流通が止まってしまうか、極めて手に入りにくい状態となっています。
それも、供給が止まってから半年以上経過したお薬については、地域の門前薬局のどこにも薬がない状態になってしまっているものもあります。これら手に入らないお薬についてはジェネリックではなく、高価なオリジナルに切り替えるか、医師にお願いして処方そのものを別のものにするか対応を迫られることになります。
これらの問題の原因は、製薬会社で起きた製造ライン上での事故から始まります。ジェネリック医薬品大手の小林化工で水虫治療薬に睡眠導入剤の成分が混ざってしまい、お薬を飲んだ80代男性が亡くなるなどの事故が発生しました。さらに、この睡眠導入剤のおかげで運転中に睡魔に襲われるなどして影響が発生した人は200名以上に及ぶとされ、小林化工は業務停止命令の処分に追い込まれます。
また、同じくジェネリック医薬品大手の日医工が不正な医薬品検査を実施していたことで、約1ヵ月間の業務停止命令を受けてしまいます。ほかにも、2月に発生した福島県沖地震でニプロファーマ社の工場の設備が損傷を受け、3ヵ月にわたって創業が止まるなどの被害が発生します。これ以外にも大小20件近くの不祥事や事故が頻発するようになりました。
我が国が社会保障費の削減を目指して薬価の引き下げを行い、安くて安全なジェネリックへの切り替えを進めようとしたにもかかわらず、これが裏目に出てしまい「お薬が薬局に届かない」という事態に発展したわけです。非常に困ったことになりました。
高齢者の増加で薬価の設定が困難になった!
さらに困るのは、これらの問題については放っておけば解決するものと、そうでないものとが存在するということです。放っておいても解決するのは「いまの薬価でビジネスとしてきちんと利益が出て、製薬会社から供給される見込みのお薬」で、現在の取りまとめでは供給の止まっているお薬の約7割、2,500品目ぐらいが供給再開に向けて準備が進んでいるとの話があります。
他方、時間で解決しないタイプの問題はその逆。「いまの薬価では儲けが出ないお薬」の方です。こればかりはどうしようもありません。製薬会社によっては、取材に対して明確に「患者さんにお待ちいただいているのは申し訳ないが、後回しにせざるを得ない」と回答されるケースさえもあります。
厚生労働省も、患者さんや薬局・薬剤師さんたちからの相談も相次ぐ中で「地域で融通してほしい」という趣旨の回答を専門誌のインタビューにしたことで、無能無策であるという批判に晒されています。ただ、この問題の真の原因は、厚生労働省が無策なわけでも薬局や薬剤師さんが何もしなかったわけでもありません。
高齢者が増えていく中で、お薬の流通や製薬会社の儲けを一定程度確保できる薬価の設定が難しくなっているという点に尽きます。つまり、社会保障において重要なお薬の流通を支えられるだけのカネがないのです。
薬が手に入らない時代がすぐそこまで迫っている!?
もっと予算をつけて薬を潤沢に流通させろ、と言うのは簡単です。ただし、それには予算がかかります。皆保険制度である我が国において、これらの体制は社会保障費を支える私たちの税金と、主に給料から天引きされる形で収めている社会保険料とによって支えられています。
とりわけ社会保険料については引き上げが続き、働き手の手取りが減り、可処分所得が目減りする状況になっています。昔に比べて社会保険料負担が大きくなった分、同じ給料をもらっていたはずなのに生活が苦しいというのも当然のことです。
お薬を流通させるための原資は社会保険料によってまかなわれていますが、これ以上社会保険料の負担を国民に増やせない、一方で団塊の世代がまとめて後期高齢者入りをして社会保障費をたくさん使うようになると、減っていく我が国の勤労人口では支えられなくなっていくのです。
こればかりは、高齢者が増えていく2040年前半までの傾向としてどうにもならないことであり、国債をどんどん発行して日本銀行に引き受けさせると言っても限度があります。もはやこの問題は政治に委ねられることになります。国民一人ひとりが努力すればどうにかなる、という類の話ではもうないのです。
ただ、これらの論戦は、今回の衆議院選挙では話題にもなりませんでした。国民の健康に関する重要な問題であるにも関わらず、社会保障の政策方針さえもまともに議論されないまま、私たちは国民の代表を決めてしまった、というのところに問題の根深さを感じました。
本連載で何度も述べてきた通り、この問題を放置できないので消費税・所得税や社会保険料を引き上げてでも薬価を維持し、お薬の流通を守るという「高負担・高福祉」の方向で行くか、国民皆保険制度は維持するけど薬品の流通は現行制度下で可能な限りの供給で我慢する方針の「低負担・低福祉」で行くか、そろそろ真面目に議論するべき時期が来ているはずなのです。
そして、これらは経済が徐々に衰退している日本が、いわゆる「生活水準の切り下げ」という抽象的に考えてきたものが、より具体的に生活の質が悪くなる現象として見えてきたことにほかなりません。人口が減り、富が喪失したので、薬を買えなくなってきているのだと理解しても差し支えないでしょう。
「時間が解決するものではない」と申し上げたことからもご理解いただけようかと思いますが、この話はこれからが本番です。いよいよ財源が足りなくなってくる、もっと国民負担が増える可能性がある今後の日本で、みな平等に貧しくなって薬が手に入らない時代になる恐れが、目の前にやってきているのかもしれません。