日本の公務員は、世界的に見れば
少ない人数で頑張っている方!?
2018年も早2ヵ月が経過しました。
昨今の社会保障費抑制に関する具体的なプランは結構世知辛く、終末医療のガイドラインが改訂されたり、介護報酬の見直し、介護等級の更なる厳格化(より介護度は低く)ということで、対応に追われる社会福祉法人も多く見受けられます。
中でも、日本は国民の税負担の割合は実は国際比較でも低い位置にありながら、多くの社会保障負担を強いられるという、低負担高福祉ぐらいの状況に陥ったままです。
中でも、日本は国民の税負担の割合は実は国際比較でも低い位置にありながら、多くの社会保障負担を強いられるという、低負担高福祉ぐらいの状況に陥ったままです。
もちろん、公共部門のサービスを回すのに公務員だけでは足りないので、地域や市区町村で嘱託社員を雇ったり、民間企業に委託することでしのいでいるというのが実態です。まあ、その分、働く人の雇用が不安定で給料も安く抑えられる傾向にあるので、結果として就職できても結婚を控えたり子供をたくさんもうけられなくなる悪弊はあるのですが、それでも日本の公務員は少ない人数で頑張っているというのが実態ではないかと思います。
社会保障費削減のために年金に手をつければ
貧困で暮らせない高齢者が大量発生する!?
一方、国民の租税負担率が低いはずなのに国民の重税感が強いのは、ひとえに社会保障負担率がどんどん高くなってきて超重荷になっているからです。その比率の増えっぷりがヤバイのは、OECD平均から見てもおわかりの通りどんどん増えていきます。
これは、社会保障の対象となる高齢者が激増しているだけでなく、支える若い人が少子化の影響でごっそり減少しているので、労働者一人当たりの社会保障負担額も引き上げられざるを得ないという状況であることは皆さんご承知の通りです。ヤバイです。
あまりにもヤバいので、少なくともこの社会保障費の伸びを抑制しようと頑張っているため、社会保障のサービスの「総量」を落として、社会保障費の「総額」を抑えようとしているわけです。それが、冒頭に述べた各種政策であって、薬価や保険の見直しから地域医療、介護政策にいたるまで、多くの分野でどんどん無駄を削っていこうという話ではあります。
しかしながら、払う側の都合で社会保障費の伸びを抑制し総量を抑えようとしても、高齢者はこれからも2027年ごろまではどんどん増え続け、社会保障のニーズは高まる一方です。医療、介護の制度的な見直しもさることながら、何よりも予算として重い年金については支給金額の削り込みや、支給開始年齢の先延ばしなど、年金を担ってきた日本人からすると「おい、話が違うだろ」というようなことまでやらないと社会保障負担は勤労世帯にどっかりとのしかかることになるわけであります。
こうなると、政策議論として「国民負担率(租税負担率と社会保障負担率の合計)を引き上げよう」という話になります。これから高齢者はもっと増えるし、労働人口も減るのだから、社会保障を抑制しつつ社会全体を維持しようと思ったら、増税するか社会保障費をもっと負担してもらうかしか方法がないのです。もともと租税負担率は低かったわけですから、社会保障負担率をどーんと引き上げてもまだOECD平均には余裕はあります。
そういう負担が嫌であれば、社会保障費を大きくカットしようという話が出るわけですが、社会保障費の約7割を占める高齢者の年金に手を付けようということになると、文字通り貧困で暮らせない、やっていけない高齢者が大量に発生してしまうわけです。
皆さん、今の給料からさらに10%が
社会保障費に回されても良いですか?
高齢者のおおよその平均等価可処分所得金額は、世帯当たりおよそ年間211万円ですが、年金に収入の100%を依存し、かつ貯蓄がまったくない高齢者世帯が8%ぐらいいると見られます。
正直、統計の数字だけ見ているとこういう高齢者の方々がどうやって暮らしているのか、よく見えないぐらい貧乏をされてるんだろうと思うのですが、高齢者の孤独死は経済問題と切っても切れない関係にあります。いまでは高齢者の餓死や変死も普通のことになりすぎてニュースにもならなくなってきていますが、地域で支える高齢社会と一口に言ってもそこに横たわる問題は多様で深刻です。
そこへ、年金支給額も減らす社会保障費のカットを考えようという話になると、どのみち日本の政治の舞台で高齢者斬り捨て論を日本は取るのかという大議論が勃発するのは間違いありません。
さらには、「命の選別」の問題がきます。今後、医療費の削減が行われれば、一定の年齢以上の高齢者に対する保険治療の内容が大幅に縮小されることもあり得ます。入院費用が払えないので治療を受けられずに亡くなる高齢者が増えるばかりか、それを介護する家族や見守る地域社会に大きな負担がきます。
カネがないので死んでいく日本人が増えるのを良しとするのかは非常に非常に大きなテーマですが、では、皆さんが今の給料からもう10%社会保障費に控除され、フランス並みとは言わずともせめてドイツぐらいまでは負担して良いとなるのかどうか。消費税の値上げに反対するのに、これ以上福祉にカネを回せという話はなかなか通らないというのはご理解いただけるのではないかと思います。
結局は、社会保障費も国家財政の問題と密接に絡むもので、そもそも財政収支の黒字化は国際公約だとまで言い切って財政改革・社会保障改革を進める不退転の決意で臨んだはずでした。もちろん、安易に消費税の引き上げをやって景気を冷やして大丈夫なのかとか、衰退が進む地方へ砂漠に水を撒くような地方創生予算をつけて競争力を担う東京・大阪・福岡・名古屋は大丈夫なのかとか、さまざまな論点は出ます。
今の日本が挑んでいるのは「撤退戦」。
その戦をどのような手順で進めていくか
これはもう“決め”の問題
ただ、少子高齢化が確実に進み、産業の国際競争力でも技術開発競争でも衰えが見られる日本で、どう撤退戦をやるのかはかなり深刻に考えていかなければなりません。高齢者の支援は手厚くしたいけど、出生率向上のための予算や学校・大学、研究への予算はもっと増やしたいと言っても歳入が足りません。経済が低成長でインフレ率も低ければ国家財政も立て直せないし、歳入を増やすための増税はもってのほかだとなれば、打つ手が本当にないのが現状です。
結果として、ここ数年はずっと問題を先送りにし、死期を先延ばしにするようにちょっとずつ出血を抑制しながらどうにか現場の努力で何とかしている、というのが日本社会全体の実情ではないでしょうか。社会保障も、単に医療や年金、あるいは高齢者や地域の暮らしを眺めるだけでなく、日本全体がどういう社会になっていくべきか、撤退戦をどういう手順で進めるのかを「決め」ていかなければならない時期に差し掛かっていると思うのですが。