このところ、いよいよ社会保障費と財政の問題が抜き差しならない状況となってきて、今まで消費税増税議論には消極的な態度を崩さなかった安倍政権も国会の混乱と支持率の低迷の中、「財政再建の道筋」として社会保障費の安定確保を目的としたアベノミクス政策の転換を発信し始めました。

社会保障支出を抑制しながら
政府歳入を増やすという曲芸

出典:内閣府 更新

報道で指摘されている通り、2014年の消費税増税の際に打ち出した5.5兆円もの経済対策はほとんど効果を示さず、結果として消費増税を機に個人消費が冷え込み、景気後退してしまったという反省もあるわけです。まあ、簡単に言えば、「財源確保のために増税だ、と言っても、景気が冷え込んでしまうと法人や個人の所得が減り、利益が少なくなれば税金が取れなくなる」わけですね。増税する率よりも税金をかけられる所得が減ってしまうと、何のための増税なんだかわからなくなってしまいます。

ただ、一方で日本の一般会計における国債の償還その他、負担が大きくなってどんどん首が回らなくなっていっているのもまた事実です。なもので、日本は「国際公約」として消費税増税を宣言しておるわけですね。これは旧民主党の野田政権時代の話ではありますが、政権が代わっても公約は公約ですので、消費税を増税して日本の財政再建を積極的に行い、世界的に安定した金融秩序を守る一員となるのだ、とまあそういうわけであります。

もっとも、同じく国際公約であった、旧民主党鳩山由紀夫政権が掲げた「2020年の温室効果ガス排出量を1990年比25%削減する」は、その後2012年に当時経産相だった茂木敏充さんが勝手に撤回してしまったので、国際公約と言っても政治状況や現実的な解釈で出たり引っ込んだりするものなのかなとも思います。

そんなわけで、国民からも人気の低い消費税増税論議ですが、とはいえ国庫が大変なことになっているというのもまた事実で、社会保障支出を抑制しながら政府歳入を増やすという曲芸を求められているわけです。そのとき、より有効な経済政策によって日本の景気が拡大するならば税収が増えるのだから、消費税増税よりもむしろ積極的に国内需要を喚起するような政策を打つべきだ、どんどん弾を打てという主張も出てきます。京都大学大学院教授の藤井聡さんの議論などは、今までの財政再建論と真っ向から対立する考え方ですが、これまた内閣官房参与と政府内の御仁(ごじん)ですので、やはり政府内での意見は割れたままなのではないかと見られます。

38歳~44歳ぐらいの人は雇用が不安定で
老後は社会的扶助に頼らざるを得ない

増え続ける社会保障費をどうにかしようと、消費税で財政規律安定だ公共投資で積極拡大だと真っ向から対立する政策論争がくり広げられる一方、粛々(しゅくしゅく)とやり玉に挙がっているのが社会保障費の中でも今後負担が極端に増大すると見込まれる生活保護費です。

出典:財務省 更新

先日、某週刊誌が特集で「就職氷河期の日本人が独身・低所得のため将来にわたって30兆円もの生活保護費負担が発生する」という記事を発表していました。いくら何でも2017年の一般会計が97兆円あまりのところで、将来147万人の生活保護受給者が年間30兆円の生活扶助で国庫にぶら下がるとか煽りすぎだろと言いたい気持ちになりますが、問題提起としてはわかります。

国庫が厳しい一方、国力が低迷して経済成長がなければ確かに生活は苦しくなり、そういう人たちを支える国富が乏しくなって社会は衰退していきます。今はまさにその途上にあり、バブル経済から失われた10年、ひいては2000年代前半ぐらいまでに社会に出た38歳から44歳ぐらいの日本人男女は不安定な雇用に晒(さら)されて生涯所得が低いために老後資金の蓄えが少なく、独身世帯も多いために社会的な扶助に頼らざるを得ないのは事実なのです。

また、すでに起きている高齢者の貧困問題は、安定して運用される年金の支給基準ではもはや生活を支えられず、年金で足りない部分は生活保護に流れていかざるを得ないという現実があります。

確かにこの「年金」「医療」「介護」のうち宇佐美典也さんが論ずる内容は正確ですので、興味のある方は是非ご一読ください。単年度予算に財政依存する医療や介護に比べて年金が一番堅牢なのはもちろん指摘通り、基金があるからです。ある財産を運用することで年金支給しているのですから、日本年金機構がダメ会社にデータ入力を発注して中国企業に再委託し、少なめに年金を支払う世帯が出ない限りは日本国の財政が破綻しても数カ月のうちに支給停止になってしまう、みたいな問題は起きません。

一方で、年金は基金ですから、働く人が減り、年金負担をまかなえる若い勤労世帯が減少すると、必然的に年金支給額が減らされる「自動的な給付抑制策」としてのマクロ経済スライドが勃発します。労働人口が減って基金に入る資金が細ったり、受給する老人の数が増えれば、一定の緩和条件つきで年金支給額が減ります。つまり、日本はすでに年金をもらっている世代への年金、すなわち既裁定年金の抑制策を政策として実現しており、少なくとも基金の性質において世代間格差を吸収する仕組みができている、というのが現実です。

年金生活が困難=貯蓄が尽きて「貧困世帯」
週2回の牛肉が鶏肉とかのレベルじゃない

しかしながら、慢性的な人口減少局面に入る日本にとっては、労働人口が増加に転じるような物凄いベビーブームとか、凄まじい移民流入でみんなわっせわっせ国民年金納めよう運動でも起きない限り歳入がドーンと増えることなどありえません。

一方で、2042年頃をピークに高齢者の数が減るとはいえ、年金を受け取る人たちは多くおられます。そうなれば、冒頭に述べたような社会保障費において年金の担う役割は大きくなる一方です。

しかし、年金支給額を増やせる保証はない以上、年金で生活費がまかなえない世帯は貯蓄が尽きたタイミングですべてが「貧困世帯」に転落することになります。週2回食べている牛肉を鶏肉にするとかいうレベルではありません。そうなれば、年金で足りない部分は生活保護でどうにかしなければならない、という世帯が急増する未来予想図があるとき、我が国は衰退の最終局面として「貧困老人大量時代」を迎えることになるのです。

そういう事情もあってか、すでに決定している生活保護費のうち、食費などの生活費に充てる「生活扶助」を18年10月から最大5%段階的な削減する方針について世情が喧(やかま)しくなってきました。生活保護費の増加はまさに、単身高齢者を中心に「年金だけでは暮らせない貧困への転落」を意味し、文字通り「暮らせなくなっている」人たちが83万世帯いることも事実です。

出典:厚生労働省 更新

ここで思い返していただきたいのは、先の「消費税は本当に財政再建に役立つのか」や「公共投資で景気を引き上げる議論が出ている」点です。単純に、生活保護費というのはほとんどが消費に回るお金であり、公共費用の中でももっとも生活に密着した使途です。どうしても高齢者などへの生活保護の支給は「働かない人たちをなぜ社会が支援しなければならないのか」という批判がセットで出て、非常に人気のない政策になっているわけですが、一方で、地域経済を回すエンジンとしては支出したお金がすべて消費に回ることも踏まえてもう少し配慮するべきなのではないかと思う部分もあります。

制度についてや財政のようなテクニカルな話もさることながら、意志決定や事態の流れがイデオロギーに満ちた政治の世界でどうしても覆い隠されて、国民に対してイマイチ良くわからない状況になってしまうことは実によろしくありません。私たちの人生やお金に直結する問題である分、もう少し理解が進むと良い分野なのですが。