本連載で「社会保障費の財源問題」については繰り返し触れているところではあるのですが、ここに来て9月中に衆議院の解散総選挙、10月22日に投開票という展開を安倍晋三首相は考えているようで、にわかに争点として「消費税増税と社会保障費」がクローズアップされてきました。

なんかこう、思い出したように「大変だ」と言われると「前から言ってただろ!」という気分になるのですが、それでも国民の間で社会保障費の問題が詳(つまび)らかにされていくのはとても大事なことだと思いますので、今回は争点として「消費税増税議論にいたった背景」について解説していきたいと思います。

消費税増税は景気を冷やして消費を抑制。
駆け込み需要後は長い景気停滞で
さらなる景気刺激策が必要⁉

もちろん、社会保障費の伸びは今回の消費税を目的税化、簡単に言えば

「増税した分は、社会保障費に使いますね」
「そうですか」
という話になるわけですが、一般の国庫歳入に繰り入れられるわけですから、実のところ一般歳入を増やして財政を健全化させつつ、今後も増えていくであろう社会保障費の捻出にかじを切った、ということになります。

社会保障費が喫緊の課題であるということは、そもそも民主党野田佳彦政権時代から「社会保障と税の一体改革」という政策パッケージの中でずっと議論されてきたことで、その目玉が社会保障費の国税への繰入や、財源としての消費税アップでした。あまりにも堂々と打ち出しすぎたので野田政権が総選挙に敗れて自民党・安倍政権が成立したり、その後「消費税増税に悪影響がある」という理由で増税が延期になるなどの問題も起こしたわけです。

社会保障と税の一体改革:内閣官房

「政策パッケージ」と一口に言っても、主たる官庁である厚生労働省、年金保険機構だけでなく、官邸・内閣府や財務省、国税庁といった様々な部分にまたがる大きいネタなのですが、ここには「本当にその政策で目指す結果が得られるのか」という問題は詰め切られていません。何よりも、消費税増税は本当に国家の税収増に直結しうるのかは今なお、かなりの議論がある世界です。

増税するのだから税収が増えるだろう、1%につき国家歳入が2兆円増えるそうだと霞が関ではコンセンサスになっているのですが、私が生きている金融マーケットの世界では、消費税増税は何よりも景気を冷やし消費を抑制する効果があるために、増税が決定する前の駆け込み需要が終わればその後は長い景気低迷に陥って、さらなる景気刺激策を打たなければならないのではないか、という別の副作用をもたらすことが心配されます。

また、消費税は見ようによっては逆進性といって「高額所得者ほど消費税導入によって利益がある」、また「低所得者や年金生活者ほど生活に増税が直撃する」という場合があるとされます。

収入別にみる、収入に占める消費税の割合を示した折れ線グラフ
出典:総務省 更新

一方で、日本の場合は諸外国に比べて低所得者の担税率が低いという問題もないわけではないので、変に低所得者に所得税を払わせるよりも消費税を払ってもらったほうが良いという議論も百出して、まあ、まとまらないわけです。

実際、まとまらないので現在まで安倍政権もすでに決まっていたはずの消費税増税をグダグダと先延ばしし、国民的には実に人気のない消費税増税には後ろ向きの姿勢を示してきたところはあります。

それどころか、消費税を下げたほうがいいんじゃないかぐらいの議論まで官邸から飛び出すなど、見ようによっては「マーケットや民情をよく分かっている」、別の見方をすれば「痛みを促す政策に常に後ろ向きだ」という賛否両論のただ中にいるということでもあります。

70歳への年金支給年齢引き上げなど
地雷みたいな施策が満載

で、社会保障費の拡充を目指す消費税増税の際の制度設計については、社会保障費の増大によって悪化する財政状況を立て直す財政健全化よりも、教育無償化などに振り分けるという方向で動いていて、要するに「消費税で集めたカネを必要なところにばら撒く」という政策パッケージにする方向で動いていることが分かります。

そもそも「社会保障と税の一体改革」は中長期の日本の財政をどうにかしよう、その余力で増えるお年寄りや失業者や傷病者、何よりこれから生まれてくる、教育を受けるべき子供たちにより良いお金の使い方をしようという話だったんですが、前提である財政再建がぶち壊しになったのは気になるところでもあります。選挙対策と言われればそれまでですが。

衆院選で首相、消費増税の使途変更問う 教育無償化に:日本経済新聞

かたや、その財政再建という金科玉条についても、一般会計だけではなく、特別会計もセットで議論するべき、そうであれば日本のGDPに比べて公債費はそれほどでもないので日本の財政は実は健全だ、みたいな議論が官邸や経済産業省から投げかけられています。

「みんなの介護」でも宇佐美典也さんが、財政破綻したときに真っ先に削られるのは社会保障費であると指摘していますが、その財政が破綻しない前提であるならば社会保障費への拠出は問題なく増えていっていいということになります。経済破綻したギリシャや旧ソ連のように、一気に社会保障費削るとみんな死んじゃいますからね。

Q.118 社会保障を国で賄えなくなった場合(もしくは賄えなくなりそうと判断した場合)、国としてはどのような手段を解決策に選ぶと思いますか? :みんなの介護

ところが、実際は社会保障費の総額は厚生労働省によって上限が決められており、その枠内で医療、介護その他、年金、生活保護などなどが割り当てられているために、予算はそう増えないのにカバーしなければならない高齢者はどんどん増えていけば、当然それをお守りする介護業界や医療業界は疲弊していくことになります。マジ大変です。大変なのに金が回らない、金が回らないから給料が払えない、給料が払えないので人が雇えない、人が雇えないから少ない人数で多くの高齢者の面倒を見なければならない、という悪循環を強いられることとなります。

2016年度の社会保障の給付と負担を表した積み上げ棒グラフ
出典:内閣府 更新

これはもう、どうにもならない構造的な問題であって、消費税を2%いじってみて、本当に4兆円の歳入増が国家にあるのかないのかというレベルの話を超えてどうにもならない現実を押し付けられていると言っても過言ではありません。先が見えないのは社会保障の中でもとりわけ介護セクターですが、今回話題になっている出生率向上のための各種施策や子育て支援、教育費無償化や奨学金充実なども全部このパッケージの中に放り込まれています。大丈夫なんでしょうか。

とはいえ、ない財源を捻り出して必要なところに割り当てるだけでも限界があるのに、高齢者が増えても国家歳入や保険収支が悪化したので年金支給年齢のさらなる引き上げ検討(なんと70歳)など、地雷のような施策が満載になっています。

社会保障のための消費税増税、
「せめてこのぐらいは…」と考えるか
一歩前に出る政党を支持するか

高齢化対策の中でも、特に重要な問題となってきたのが猛烈に進行している都市部の高齢化です。地方経済においては高齢化問題がピークアウトしつつある県もありますが、都市部、とりわけ首都圏の高齢化対策は待ったなしである分、身動きが取れなくなっていく可能性があります。

はっきりいって、東京オリンピックですったもんだしている余裕はないのですが、この問題を放置すると本格的にどうにもならなくなる時期がやってくることでしょう。そこに残るのは、高齢者しか住まず手入れもされない老朽化したマンションや団地群であり、空き家だらけのゴーストタウンです。これらも全部、少子高齢化の遺産としていまの労働人口やこれから成人する日本人、またこれから生まれてくる日本人にのしかかってきます。困ったものです。

したがって、いまの安倍政権が社会保障に取り組むために消費税増税をする、ということそのものが「ときすでに遅し」と言いつつ「せめてこのぐらいのことはやるべき」と考えて支持するか、もっと踏み込んで高齢化社会への準備として一歩前に出る政党を支持するか、といった選択肢になってくるのではないかと思います。

意外に日本を見渡してみると「高齢者を支援しても先がないので、社会保障費は率先して削るべき」と主張する政党はどこにも見当たりません。この辺は、高齢者が政治を大きく左右する「シルバーデモクラシー」が大きく政党の政策主張に影響しているのかもしれません。何しろ、60代70代の男女が日本の一番の人口ボリュームゾーンで、また、彼らが一番投票所に足を運ぶ有権者なので、無視できない現実がそこにはあるからです。

60歳から79歳が全人口に占める割合を示したパイチャート
出典:統計局 更新

おそらく、本当に社会保障と税の一体改革をやっていこうとするならば、世代「間」のお金のやり取り、すなわちいまの勤労世帯が働いて納める税金や保険料をいまの高齢者に回すのではなく、世代「内」の助け合い、つまり高齢者は高齢者の持つ資産や貯蓄を同世代の人たちの困窮に充当するべきという議論がそのうち出てくるのではないかと思います。

あわせて、マイナンバーを医療情報に直結させて医療と介護をシームレスに連結させる取り組みや、医療法人の一部自由化、医師不足解消のために医療行為を行える資格として「上級看護師や歯科医師を活用する」といった案は、本来はどんどん考えていくべきなのです。

これらの問題があると分かっていたのになかなか対応できなかった理由も数多あるとは思いますが、解決するために待ったなしの展開であるはずの社会保障制度改革よりも憲法改正のほうが政治産業的には重要だ、と思われているあたりに「ああ、日本はこのまま対策も打てずに縮んでいくのだな」という寂寥(せきりょう)感のある毎日を送っております、はい。