小室淑恵「人口オーナス期の日本では男女で差がない頭脳労働の比率を高め、高い付加価値を生み出す必要がある」
2006年に株式会社ワーク・ライフバランスを設立した小室淑恵氏は、これまで900社以上に対して「働き方改革コンサルティング」を実施。残業を大幅に削減しながら業績を拡大するという、神がかり的な成果を積み上げてきた。そうした手腕が買われ、2014年には安倍政権下における産業競争力会議の民間議員に就任。そんな小室氏に、今国会で最も注目を集めている「働き方改革の概要」について解説していただいた。
文責/みんなの介護
働き方改革は少子化対策と国際競争を勝ち抜くためにこそ必要
みんなの介護 安倍政権が今国会(第196回)の最重要法案と位置づける「働き方改革」関連法案ですが、今国会中に成立する公算が高まっています(5月23日現在)。小室さんはワーク・ライフバランスの重要性を早くから提唱されていましたが、2016年5月には総理大臣官邸まで出向いて、働き方改革の必要性を安倍首相へ直々にレクチャーなさっていました。今、働き方改革がなぜ必要なのか、改めて解説していただけますか?
小室 安倍総理にお時間をいただいてご説明したときは、「少子化対策のためには働き方改革を急ぐ必要があり、タイムリミットまでわずか数年しかない」と訴えました。
厚生労働省のデータによれば、第1子を生んだ女性が第2子を出生するかどうかは、「夫が休日にどれだけ家事を担当するか」にかかっています。夫が家事・育児にまったく参加しない場合、第2子の出生率は11.9%しかないのに、夫が休日に6時間以上家事・育児を担当する場合には80%にまで上昇する。つまり、夫が休日にもっと家事や育児を担当してくれれば、日本の出生率は高まり、子どもが増えるはずです。
みんなの介護 男性が家事に参画することがカギとなるわけですね。
小室 しかし現状では、多くの男性は日々の労働で身も心も疲弊しきっていて、とても家事や育児を行うだけの身体的・精神的余裕がありません。このように、「働くこと」と「子育てすること」のどちらかしか選択できない長時間労働の環境を放置していては、少子化はますます加速してしまうのです。
一方、日本の人口ピラミッドにおいて、団塊の世代の次に大きなボリュームを占めるのは団塊のジュニア世代です。安倍総理にレクチャーした2016年当時、団塊ジュニア世代は37歳から46歳でした。女性の年齢別出生率は45歳を過ぎると0.001%台にまで減少するため、団塊のジュニア世代の女性が出産期を終えるまでに何らかの対策を打たなければ、その後母体数は激減し、日本の少子化は一気に加速してしまうでしょう。だからこそ、少子化対策のためにも、働き方改革は待ったなしで実行されなければなりません。
みんなの介護 少子化対策のためには、早急な働き方改革が必要なんですね。
小室 実は、少子化対策のためだけではなく、日本企業がこれから国際競争を勝ち抜いていくためにも、働き方改革は絶対に必要です。
働き方改革関連法案が成立すれば、時間外労働の上限が月100時間に、2~6ヵ月の平均が80時間に制限されるなど、これまで日本企業で常態化していた長時間労働が大きく是正されます。これはもちろん、労働者の健康を守るためには必要ですが、実は企業側にも大きなメリットがあります。なぜなら、働き方改革を機に、日本企業にも現在の「人口オーナス期」にふさわしい勤務体系を確立するチャンスが生まれるからです。
みんなの介護 「人口オーナス期」はあまり耳慣れない言葉ですが、具体的にはどんな時代を指すのでしょうか?
小室 「人口オーナス期」は「人口ボーナス期」と共に、ハーバード大学のデービッド・ブルーム教授が1990年代から広めています。人口ボーナス期とは、「ある国において出生率が高まり、15?64歳の生産年齢人口が継続して増え続ける時期」を指します。国内では安い労働力が継続的に増え続けると同時に、消費者である総人口も増え続けるので、内需だけで経済が大きく発展します。
また、総人口に占める高齢者の比率がまだまだ低いので、社会保障にお金がかからず、その分のお金をインフラや設備投資に回すことで経済はさらに発展します。第二次大戦後の日本が高度成長期を経て経済的に大きく発展したのも、ちょうどその時期が人口ボーナス期だったからです。
対する人口オーナス期とは、「ある国において、14歳以下と65歳以上の従属人口が増え続ける時期」のこと。年金など社会保障の面において、増え続ける従属人口を減り続ける生産年齢人口で支え続けなければならなくなりますから、経済発展の大きな阻害要因になります。ちなみにオーナス(onus)は「重荷・負担」を表す英語で、日本は1990年代中盤以降、すでに人口オーナス期に突入しています。
過去の成功体験が”多様で効率の良い”働き方を阻害する
みんなの介護 人口ボーナス期と人口オーナス期とでは、適した働き方に違いがあるということでしょうか?
小室 当然、ふさわしい働き方のパターンには違いがあります。人口ボーナス期、すなわち日本の高度成長期のように生産年齢人口が年々増え続けていく局面では、拡大し続ける国内需要へ応えるために安い労働力を使って、安価な製品を素早く大量に生産し続けることが求められます。産業構造で言えば、鉱業・建設業・製造業といった第二次産業が中心になりますね。
こうした局面で必要になる労働力の特徴をキーワードで示せば、「男性・長時間・同質性」となります。重工業など第二次産業中心の職場では、女性より筋力のある男性に数多く働いてもらったほうが効率が良い。また、製品を大量生産し続ける現場では、労働者にできるだけ長時間働いてもらったほうが業績向上につながります。
みんなの介護 パワープレイというわけですね。
小室 その際、労働者にはマスゲームのように、他の労働者とできるだけ同じように動いてもらう必要がある。つまり、高度成長期のような大量生産・大量消費の時代には、主に男性が長時間、同質性をもって働くほうが理にかなっていたわけです。
しかし、このような人口ボーナス期は永久には続きません。経済成長が長く続いた国には、富裕層が多く生まれます。富裕層は子どもの教育に投資するため、国民の多くが高学歴化します。国民が高学歴化すると、男女ともに晩婚化し、出産年齢も後ろ倒しになるため、少子化が進みます。また、高学歴化によって人件費が高騰するため、製造業など仕事の多くは安い労働力の国に奪われます。その一方で、医療や社会保障システムは充実していくため、高齢化が進みます。こうして人口ボーナス期を終えた国は、人口オーナス期へと否応なく移行していきます。
みんなの介護 現在の日本が、まさにその状態ですね。人口オーナス期には、どのような働き方が求められるのでしょうか?
小室 人口オーナス期に求められる働き方をキーワードで示せば、「男女・効率・多様性」となるでしょう。まず、人口オーナス期は生産年齢人口が減り続けるため、恒常的な人手不足になります。すると当然、男性だけでなく、女性にも働いてもらわなければなりません。人口オーナス期には情報通信・販売・金融などのサービス業全般が盛んになりますから、頭脳労働の比率が高まり、男女で差が出ない仕事が増えます。
つまり人口オーナス期には、男女分け隔てなく、それぞれの能力を活かして働いてもらわなければなりません。一方、人件費が高騰しているため、企業が業績を上げるには、労働者に短時間で効率よく仕事の成果を上げてもらう必要があります。
みんなの介護 ”ボーナス期”とは真逆の印象です。
小室 さらに、人口オーナス期の市場は成熟しており、消費者の嗜好やライフスタイルが多様化しています。こうした市場に受け入れられる商品やサービスを提供するには、提供する企業の側で、付加価値の高いイノベーションを起こしていかなければなりません。安いものを大量に売るのではなく、高価なものを少しだけ売るビジネスへと転換が求められるわけですね。
ところが、こうしたイノベーションは、同質の人々が集まる組織や集団からは生まれにくい。これまで市場になかった商品やサービスについてのアイディアは、性別・キャリア・価値観の異なる人々がフラットに議論することではじめて創出されるもの。つまり人口オーナス期には、働き手にも多様性が求められるのです。
みんなの介護 そこで「男女・効率良く・多様性」というキーワードが出てくるわけですね。人口オーナス期にある現在の日本で、そうした働き方は実現しているのでしょうか?
小室 残念ながら、まだ道半ばですね。なぜなら、人口ボーナス期の経済成長を「成功体験」と捉えている人が少なくないからです。高度成長期には確かに、「男性・長時間・同質性」という働き方が成果を上げていました。そのため、多くの人が「これこそが成功モデルだ」と誤解してしまい、未だにその働き方から抜け出せずにいます。
しかし、少子高齢化が急速に進展している人口オーナス期の日本に、従来の働き方はふさわしくありません。労働者の健康をいたずらに阻害するだけでなく、企業が利益を上げにくい働き方になってしまっている。次々とイノベーションを起こし、日本企業の国際競争力を高めるためにも、「男女・効率良く・多様性」への転換がぜひとも必要なのです。
働き方改革関連法案が成立すれば、労働者に長時間労働を強いる企業には罰則が科せられますから、企業としても、これまでの働かせ方を見直さざるを得ない。それが人口オーナス期にふさわしい働き方へ転換するきっかけになればと、期待しています。
裁量労働の”プロフェッショナル”に甘えすぎると、他社や海外へ人材を流出させることになる
みんなの介護 働き方改革関連法案は、時間外労働(残業時間)の上限規制や勤務間インターバル制度、高度プロフェッショナル制度の創設など、いくつかの柱で構成されています。小室さんの著書、『働き方改革 生産性とモチベーションが上がる事例20社』を拝読すると、高度プロフェッショナル制度の創設については、必ずしも賛成されていないと感じました。それはなぜでしょうか?
小室 高度プロフェッショナル制度そのものが悪い制度だとは考えていません。高度プロフェッショナル制度とは、かつて「日本版ホワイトカラーエグゼンプション」と呼ばれ、経済界が導入を強く主張してきた制度です。その内容は、高度な専門知識を持つ年収1,075万円以上の労働者については労働時間管理の対象から外し、仕事ぶりを時間ではなく成果を評価して報酬を支払うというもの。
高度プロフェッショナル社員になれば、勤務時間に関係なく自由に働けるようになりますが、残業代・深夜手当・休日手当は一切支払われません。そのため「残業代ゼロ法案」と呼ばれ、これまで何度も廃案に追い込まれてきました。国会審議で、野党がこの制度を問題視している理由もそこにあります。
優秀な労働者が時間に縛られることなく、あくまで成果で評価されるという仕組みそのものについては、私も肯定的に捉えています。ただし、現在の日本で導入してもきちんと機能するとは思えないし、かえっていろいろな問題が発生するのではないでしょうか。
みんなの介護 高度プロフェッショナル制度を導入した場合、どんな問題が生じるのですか?
小室 私が懸念しているのは、高度プロフェッショナル社員を管理する立場の人が、はたして人材管理能力を持っているのか、ということです。
私はこれまで数多くの企業で働き方コンサルティングを実践してきましたが、そのとき出会った管理職の人たちの多くは、上司から指示された仕事に対して優先順位を付けて取捨選択したり、時間的に難しいと感じた案件について上司に期日交渉するなど、マネジャーに必要なスキルが圧倒的に不足していました。日本企業の場合、優秀なプレイヤーをそのまま管理職に昇格させてしまいがちで、マネジャーとしての教育を特に行わなかったことが、こうした弊害を招いたのでしょう。
みんなの介護 そうすると、現場レベルではどのような事態が起きるのでしょうか。
小室 そこでしばしば発生するのが、上から指示された仕事を管理職がそのまま部下に丸投げすること。もし、そうした職場において、1人の優秀な社員だけ労働時間管理の枠組みから外れていたらどうなるでしょうか。マネジャーはこれ幸いと、残業代を気にすることなく、その人に次から次へと仕事を任せてしまうはず。その結果どうなるかと言えば、職場で最も優秀かつ使い勝手の良かった社員が会社を辞めてしまうか、メンタル疾患になるか、過労死してしまう事態が起きてしまいます。
実際に、裁量労働制が適用されている優秀な人材に甘えて仕事を任せた職場で、優秀な人材が他社や海外に流出してしまう事例を何度も目にしています。この国では、能力が高いと損するだけなので、優秀な人ほど、自分の能力を適正な報酬で評価してくれる海外企業へと転職していきますね。
みんなの介護 そうだとすると、高度プロフェッショナル制度の創設は、働き方改革にとってマイナスに働いてしまう危険はありませんか?
小室 企業が実際に高度プロフェッショナル制度を導入しようとすると、超えなければならないいくつものハードルが法案に追加されています。
例えば、「年間104日以上、かつ4週4日の休日」が必須項目になり、「インターバル規制を入れ、かつ深夜22時?朝5時までの勤務は回数を制限する」「在社時間の上限を設ける」「1年につき、2週連続休暇取得」「臨時の健康診断の実施」のうちどれか1つ以上を実施、かつ「在籍時間が一定時間を超過した労働者に対して医師面談を実施し、面接指導に基づいて職務内容の変更や特別な休暇の付与等の事後措置を講じる」ことが義務づけられました。
また本人の同意が必要なのと、本人の希望で対象を外れることもできるように法案が修正され、労使委員会で5分の4以上の賛成を得なければ制度として導入できません。加えて、この制度を導入した企業は一定期間、少なくとも3年以上は労働基準監督署の監視を受けることになるでしょう。
働き方改革に対して、企業はすでに”前のめり”です
みんなの介護 いよいよ、働き方改革関連法案が成立しそうです。成立した場合、わが国における働き方は本当に変わっていくのでしょうか?
小室 変わっていくでしょう。事実、変化はすでに起き始めています。企業経営に大きな影響を与える法律が国会で審議されているのですが、企業が気にするのはその法律が実際に成立したときではなく、その法案が本当に成立しそうかどうか。
働き方改革関連法案については、昨年から安倍総理の本気度がその言動から顕著になった時点で多くの企業が、「どうやら安倍さんは本気で法案を通そうとしているらしい」と考え、法案が成立することを前提に、すでに動き始めていますね。弊社の働き方改革コンサルティングについても、昨年からご依頼が集中しています。人材不足感も差し迫ったことで、働き方改革については、法案が成立するかどうかにあまり関係なく、企業が前のめりになっているのを実感しています。
みんなの介護 ワーク・ライフバランス社のコンサルティングを受けた企業が、いかに社員の働き方を改善し、かつ、いかに業績を伸ばしているかについては、小室さんの著書で読ませていただきました。
小室 働き方改革に着手する前、多くの企業経営者はおおむね次のような発言をしますね。「ウチの業界で時短なんて無理だよ。今でさえ国際競争に負けているのに社員の残業時間を削ったら、さらに業績が悪化するに決まっている!」と。でも、実際に働き方改革を実施してみると、残業時間を短縮しながら、業績までアップするんです。そうした成功事例がそれぞれの業界に1~2社ずつ出てくれば、他社の経営者の意識も確実に変わっていくはずです。
働き方改革を推進する上で、運輸・建設・医療が最難関の業界と言われていますが、おそらくここ数年で状況は大きく変わっていくのではないでしょうか。
”お前の代わりなどいくらでもいる”から”あなたの代わりはどこにもいない”への変化
みんなの介護 小室さんが重視するワーク・ライフバランスにおいて、「親の介護」は働く人の「ライフ」を構成する重要な要素です。長年、ワーク・ライフバランスのコンサルティングを行ってきた小室さんから見て、介護を理由に離職する人は年々増えているのでしょうか?
小室 現在、介護や看護を理由に離職する人の数は、年間10万人を超えています。日本では年々高齢化が進行し、要介護と認定される人の絶対数も増加していますから、今後、介護離職する人の数も確実に増えていくだろうと予想できます。
厚生労働省のデータによれば、65~74歳で要介護と認定される人の割合は3%。それが75歳以上では23.5%へと一気に急増します。要介護になるかどうかは、75歳が一つの境目になるわけですね。そうだとすれば、団塊の世代が75歳以上に突入する2022年以降、要介護認定者は爆発的に増えるはず。今は嵐の前の静けさ、と言ったところでしょうか。
とはいえ、自分の親が要介護状態になったとしても、数年前のようにただちに離職する人は少なくなりました。なぜなら、企業も労働者側も、介護に対する認識が変化してきているから。もはや以前のように、介護は特別なことではなくなってきました。結婚・出産・育児と同じく、誰のキャリアにも起こり得る、ごく当たり前のこと。それだけに、介護と仕事の両立について、前向きに考える人が増えてきたのです。
みんなの介護 数年前までは、親が要介護になると即、離職する人が多かったのですか?
小室 それまで仕事一筋に打ち込んできた中高年男性ほど、親が要介護になった途端に離職するケースが多かったですね。そういう人は、自分の時間のすべてを仕事に注ぎ込むのが当たり前だと考えるタイプで、一昔前の、いわゆる“企業戦士”ですね。彼らはそうした考え方を部下にも強要していたため、いざ自分が仕事に100%集中できなくなってしまうと、部下の手前、潔く辞めるしかなかったのでしょう。
みんなの介護 介護が多くの人にとって特別なことではなくなったのには、何かきっかけがあったのでしょうか?
小室 企業側の意識は変わりました。意識を変える要因となったのが、近年多くの日本企業が直面している人手不足の問題です。育児する女性もキャリアを継続できるように環境を整備するようになりましたし、「親の介護でも辞められては困る」と、企業は考えるようになったのです。
4年ほど前、日本企業の深刻な人手不足を象徴する出来事(某企業の従業員ストライキと臨時休業)が起こりました。あの一連の騒動以来、潮目が変わって、企業と労働者の関係は逆転しました。企業と労働者のパワーバランスで言えば、従来は企業のほうが圧倒的に強かった。
そのため、従業員がストライキを起こしても、企業側は「お前の代わりなどいくらでもいる」という姿勢で、他店から人員を補充し、臨時休業を回避できました。ところが、生産年齢人口が減り続けている現在の日本では、「あなたの代わりはどこにもいない」ことに企業が気づき始めたのです。
みんなの介護 この変化の現状はどうでしょうか。
小室 こうしたパラダイムシフトは、人気のない業界から徐々に全体へ広がっていきます。こうしたことから、ファミレスやコンビニでは、24時間営業を取りやめる店舗が増えてきました。今の時代、より働きやすい労働環境を整えなければ、労働力は確保できません。このあたりは、前段で述べた働き方改革にもつながる話です。
ともあれ、親を介護しなければならなくなった労働者に対しても、「働き方を工夫して、仕事を続けてほしい」と企業は考えるようになり、介護と仕事が両立できるような働き方を提案するようになってきた。その結果、介護を理由に離職する人の割合が少なくなってきたのだと考えられます。
介護休業はあくまで”介護と仕事を両立する体制づくりの期間”と捉えるべき
みんなの介護 介護に対する認識は、まず企業の側から変わってきたのですね。それにつれて、親を介護する労働者の意識も変わってきたということでしょうか?
小室 変わってきていますね。かつて介護といえば、一部の人が経験する「特殊な事情」ででした。そのため、親が要介護になった人は、人事担当者にこっそり相談するというのがお決まりのパターンだったと思います。
しかしいまや、親を介護している人の話はごく当たり前に耳にするし、みんなが通る道だという認識も徐々に広がってきた。そうした変化の中で、親が要介護になった人も企業と早めに情報を共有し、職場でも介護の話題をオープンに話せるようになりました。独りで思い詰める必要はなくなったのです。ここ3~5年ほどの間に、介護に対する社会の認識はずいぶん変わってきているなあ、と実感しています。
みんなの介護 介護に関する認識の変化は、やはり企業努力によるところが大きいのでしょうか?
小室 外部から講師を招いて介護セミナーを開講するなど、企業の従業員向け啓発活動も年々活発化しています。また、テレワークを積極的に導入して在宅勤務を可能にしたり、勤務シフトを柔軟に組めるようにするなど、親を介護しながらでも働ける労働環境の整備も進められています。
例えば、親の人工透析に平日の2時間だけ付き添わなければならない場合、従来の働き方であれば、それから1~2時間かけて出社する必要があり、その日はほとんど仕事になりませんでした。ところが、直行・直退と在宅勤務が認められれば、親の人工透析当日でも、まとまった仕事ができる。このように、働く環境が整備され、労働時間がある程度確保できるのであれば、「介護」は決して、会社を辞める理由にはならないのです。
みんなの介護 小室さんの著書、『あなたの親を支えるための介護準備ブック』にも書かれていましたが、介護は育児と違ってある日突然始まり、しかもいつまで続くか先が見えません。そういったことを、世の中の人がどれだけ理解しているのか、ときどき疑問に思うことがあります。
小室 確かに、親が要介護状態になったとき、「一旦仕事を辞めて介護に専念して、介護が終わったら職場復帰しよう」と考える人もいますね。しかし介護が「終わる」のはいつになるのか、見通すのは非常に難しいのです。介護休業は93日間だからといって介護が93日で完結するわけではなく、“親の介護と仕事を両立させるための体制づくりに必要な期間”として介護休業は93日に設計されています。
病院やリハビリ施設・デイサービス探しやホームヘルパーさんの契約、自宅のバリアフリー改築などを、その93日で行うと良いでしょう。現実問題として、介護は平均10年以上続くため、1人で抱え込むとパンクしてしまいます。できれば、“専門家2人と夫婦2人の4人体制”で介護に臨むのが理想的。そうやって精神的・肉体的負荷を分散することで、長びく介護も倒れてしまわずに続けられるのですから。
介護セミナーのテーマは介護の”仕方”から”予防”へと力点が移っている
みんなの介護 親の介護を抱える人たちにとって、介護と両立しながら働ける環境が徐々に整備されつつあることは理解できました。しかしその一方で、団塊の世代が75歳以上に突入したとき、要介護者が爆発的に増えると予想されます。こうした危機的状況に向けて、何か有効な施策はあるのでしょうか?
小室 前段でも述べましたが、人口オーナス期に突入しているわが国では今後、労働力人口が確実に小さくなっていきます。その上、介護のために貴重な労働力が失われるような事態になれば、私たちの社会がまさに危機的状況を迎えることは間違いありません。
こうした事態に備えて、今、企業にできることは、テレワーク体制を強化するなど、今まで以上に柔軟な労働環境を整えること。それと同時に、介護に関する情報を従業員に向けてより積極的に発信していくことも重要だと考えます。私自身、介護セミナーの講師に招かれてお話しする機会が多いのですが、企業主催の介護セミナーでは、ここ3~5年ほどの間に内容が大きく変わってきました。一言でいえば、提供する情報の質が変わってきていますね。
みんなの介護 具体的に、どのように変わってきているのでしょうか?
小室 かつての介護セミナーでは、要介護になった親との接し方や身体介護の具体的な方法など、介護の仕方そのものを伝えることに重きが置かれていました。しかしそれでは、「あなたが家に入って介護しなさい」と、誤ったメッセージを受講者に伝えることにもなりかねません。
そこで、最近の介護セミナーでは、介護予防により力点が置かれるようになっています。ポイントは、親が要介護状態にならないよう、「日常生活や運動、食生活、口腔ケア」などへしっかりと目を配ること。また、親に何らかの異変が起こったとき、すぐに気づいて対処できるよう、日頃から準備しておくことも重要になります。
最近注目されているのは、遠隔地に暮らす親とスカイプ等を介して電話すること。スマホを使いこなす今どきの高齢者は、以前ほどICTを苦にしなくなっているため、やり方さえ教えれば、比較的簡単にスカイプ等の環境を実現できます。そうやって親の映像を見ながら電話してみると、おしゃれだった親が身だしなみに気を遣わなくなっていたり、親の居室がゴミだらけになっていたりするなど、通常の通話では知り得なかった親の変化にいち早く気づくことができます。
みんなの介護 介護される側の親たちも、それだけ世代交代しているということですね。
小室 先ほど、介護セミナーの内容が「介護の仕方」から「介護予防」へと変化しているとお話ししましたが、それに合わせて、セミナーの対象年齢もより若くなってきています。3~5年前であれば、介護セミナーの受講者は40代後半の人が主でしたが、今では30代半ばの方が受講するようになってきています。
みんなの介護 セミナーを企画する企業の人事担当者も小室さんの講演を聞いて、意識が変わってきたのだと思います。
小室 私たちが介護セミナーをご提案する場合には、「35歳から始まる介護の準備」のように年齢を明記して、より若いうちから介護の意識を高めてもらおうと努力しています。さらに言えば、介護セミナーの講師についても、年齢が意外に重要ですね。介護セミナーの講師は、一般的には50代後半の人が多いのですが、弊社がセミナーをご提案する場合には、主に30代の講師が担当します。
すると、セミナーの告知ポスターにも、30代の若い講師の顔写真が載ることになる。この顔写真が実は効果大です。なぜなら、ポスターを見た30代の人が、「介護は他人事ではなく、まさに自分に関係することだ」と認識してくれるから。実際のところ、今の30代の人々は、すでに親の世代から晩婚化が進んでいたため、親が60代というケースも少なくありません。
いずれにしても、企業にとって重要なのは、すでに親の介護が始まっている人をフォローすると同時に、介護予防の情報をより若い従業員に伝えていくこと。多くの企業がその重要性に気づき始めていて、企業間での情報共有も進んでいるようです。
自分に対する評価が上がっていないと感じてしまうことは苦しい。誰でも「仕事を通じて成長したい」と思うからです
みんなの介護 企業や労働者の間で介護の意識が高まるなど、介護を取り巻く環境は少しずつ改善されてきているようです。問題は、介護の現場で深刻な人手不足が続いていること。介護スタッフの労働環境には改善の兆しが見えず、離職率は高止まりしたままです。働き方改革は、実は介護スタッフにこそ必要なのではないでしょうか?
小室 実は、私の本業である働き方改革コンサルティングで、介護施設からご依頼が入ることもあります。ある介護施設でコンサルティングを8ヵ月間実施したときのお話をさせてください。
その介護施設では、私たちがコンサルティングに入ったチームでは離職者がゼロになり、全体でも離職者が前年の3分の1にまで減少したのです。
みんなの介護 素晴らしい成果ですね。コンサルティングでは、どんなことを実践したのですか?
小室 介護スタッフの人に話を聞いてみると、彼らが最も辛いと感じるのは肉体的な疲労ではなく、「1日頑張って働いても誰からも感謝されず、昨日より自分が成長したと実感できない」ことだったのです。毎日同じ仕事を繰り返しながら、日々が漫然と過ぎていき、1年経って同じ季節が巡ってきても、1年前の自分と今の自分がどう変わったのかもわからない。
お給料も、1年前と比べてそれほど昇給していない。介護スタッフの思いは、お給料の金額が低いことそれ自体よりも、「昇給しないのは自分に対する評価が上がっていないからだ」という点に向いています。この停滞感が若い介護スタッフにとっては特に苦しいようです。なぜなら、人は誰でも、仕事を通じて成長したいと思っているからです。
みんなの介護 自分は評価されていると気づいてもらうために、どのようなことから取り組み始めたのですか?
小室 スタッフ同士お互いに「ありがとう付箋」を渡し合うことからスタートさせました。週に1度、誰々のどんな行動にどれくらい感謝しているかを付箋に書き込み、掲示スペースに張り出すのです。例えば、「昨日のシフトチェンジのとき、○○さんがシーツをきれいに整えてくれていたので、すごく助かりました!」など。
こうした感謝のコメントは、日々の業務に忙殺されてなかなか言う機会がないし、シフトの関係で次に会うのが1週間後だったりすると、感謝したこと自体忘れていたりします。それを忘れないうちに付箋に書き込み、スタッフ全員で共有することで、スタッフ相互の関係の質が上がります。
「ありがとう付箋」は、自分の担当エリアだけきれいにしている人よりも、他のスタッフが働きやすいように目配り気配りしている人に数多く集まります。普段、全体の働きやすさに貢献している人ほど評価されにくいものですが、そうやって付箋で感謝されると、「あのとき他のスタッフのためにやったことは無にならなかった」と実感でき、他人のためにもっと頑張ろうとモチベーションが高まります。そんなモチベーションの高さが他のスタッフにも伝播するので、職場全体の雰囲気が明るくなります。
みんなの介護 相乗効果が生まれていくのですね。
小室 働き方改革の第一歩は、スタッフの気持ちやモチベーションが変化すること。スタッフのモチベーションが上がれば、離職率が下がります。離職率が下がれば、これまで新しいスタッフが入るたびにオリエンテーションを担当していたベテランスタッフの負担が減ります。と同時に、人の入れ替えが少なくなれば、その分仕事上のミスも減り、以前は他人のミスをカバーするために奔走していたベテランスタッフも、余裕をもって仕事をすることができます。
このように、離職者が減少すれば、そのうちスタッフの多くがベテランの域に達して、業務の生産性が飛躍的に向上していきます。こうして生み出した時間で、仕事の棚卸をして、プロセス改善をするとまた時間外労働が削減できて…と好循環が回っていきます。
みんなの介護 介護の現場でも、働き方改革の有効性が証明されたわけですね。
小室 ここでご紹介した手法は、就業時間やお給料を一切変更することなく、今日からすぐに実行できるものです。介護の現場における負の連鎖を断ち切り、連鎖を逆回転させるためにも、介護施設のスタッフの人たちには、働き方改革にぜひチャレンジしていただきたいですね。
社会保障は破綻寸前。2050年には一人分の生活費を捻出するために、二人分稼がなければいけません
みんなの介護 日本の人口構成比を見ると、すでに国民の4人に1人が65歳以上の高齢者になっています。高齢化が急速に進む日本では、社会保障費の負担が国民に重くのしかかっていますが、将来的に、この状況を改善する手立てはあるのでしょうか?
小室 日本の未来について議論を始める前に、まずは従属人口指数が何を意味するのか、すべての国民の皆さんに正しく理解してもらう必要があります。
従属人口指数とは、「0~14歳+65歳以上の人口」を「15~64歳の人口」で割って100を掛けたもの。簡単に言えば、「子どもとお年寄りの暮らしを何人の現役世代で支えるか」という目安になります。日本では、1990年代半ばからこの数値が急上昇しており、このままいけば、2050年にはほぼ100%に達してしまいます。この状態を言い換えれば、2050年の現役世代は、自分一人分の生活費を捻出するために、正味二人分稼がなければいけないということ。この数値だけとってみても、日本の社会保障制度が破綻寸前なのは誰の目にも明らかですね。
日本の社会保障制度を破綻させないためには大胆なテコ入れが必要。国政選挙のたびに消費税を上げるか上げないか議論になりますが、国民一人ひとりに従属人口指数の意味をきちんと説明した上で、社会保障制度を再設計する議論へ主体的に加わってもらわなければならないでしょう。
みんなの介護 ここまでいろいろお話を伺ってきましたが、結局、すぐに現在の少子化の流れを止める手立てはないように思われます。従属人口指数を劇的に改善させることがほぼ不可能だとすれば、わが国には暗い未来しか存在しないのでしょうか?
小室 従属人口指数の分母の数(=15?64歳人口)が大きく変わらない以上、打開策を見出すのはなかなか難しいですね。とはいえ、策がまったくないわけではありません。ある意味、一種の救いとも言えるのが、現時点で日本の労働生産性がきわめて低いこと。逆に言えば、日本の労働生産性には、まだまだ「伸びしろ」があることです。
労働生産性とは、「1人の労働者が1時間あたりどれだけのモノやサービスを生みだしたか」を表す指標。そこで、2016年におけるOECD加盟諸国の労働生産性を見ると、日本は35ヵ国中の20位。しかも1970年以降、日本は連続してG7中の最下位に留まっています。
日本の労働生産性がなぜこんなにも低いのか。それについては、働き方改革のインタビュー(前編)でも言及しましたね。日本では高度成長期以降、長時間労働を良しとする風潮がいまだに残っていて、そこからなかなか脱却できずにいるのです。ある試算によれば、現在の労働生産性を2.5倍にまで高めることができれば、膨張し続ける社会保障費をある程度まかなうことが可能になると言われています。
女性社員一人ひとりの適正を見極める。ロボットやAIができることを担当させるのはもったいないのです
みんなの介護 日本の労働生産性にまだ伸びしろがあるというのは、明るい材料ですね。とはいえ、現在の2.5倍にまで高めることは可能でしょうか?
小室 私は可能だと考えています。例えば、労働生産性上位のアメリカが69.6ドル、ドイツが68ドル、イタリアが54.1ドルで日本は大幅に劣っていますが、労働者の質は世界で4位と評価されています。高度成長期の成功体験を思い切って払拭できれば、労働生産性を飛躍的に上げることも十分可能なのではないでしょうか。働き方改革コンサルティングをしていて、ときどき疑問に思うことがあります。”日本の経営者たちはなぜ、あんなにも細部にこだわりすぎるのか”ということです。
例えば、大企業の経営企画室長が、あるプロジェクトのためにパワーポイント100枚の資料を何週間もかけて用意したものの、役員会で細部の誤謬を指摘され、資料の作り直しを3度も命じられるようなケース。大企業の経営企画室長は高給取りですから、こうしたケースでは時間とお金をはなはだしく無駄遣いしていると言えます。そもそも、100枚にもおよぶ資料を作ること自体が無駄ですね。経営陣に物事の本質を見抜く眼力さえあれば、資料はA4数枚で事足りるはずで、会議も20?30分で終了するはずです。
みんなの介護 なるほど。他にカギとなる項目はありますか?
小室 女性を本格的に活用することも、日本の労働生産性を高める上で重要なポイントになります。日本の多くの企業においては、それが実現しているとは言いがたい状況が続いています。
今後ロボットやAIで代替することが可能な領域を担当させていてはもったいないのです。女性社員一人ひとりの適正を改めて見極め、大胆に配置転換するだけで、日本の労働生産性は飛躍的に高まると思います。そして何より、長時間労働の職場を改善することで、出産・育児を経ても女性が働き続けることができるようにすることが重要でしょう。
これだけのテクノロジーの進歩にあって、コンパクトシティには疑問が残ります
みんなの介護 社会保障とはまた別の議論になりますが、今後日本の総人口が減少していけば、多くの地方都市が消滅するという衝撃的なデータもあります。地方に分散して暮らす高齢者の救済策として、一時期「コンパクトシティ」という概念が取りざたされましたが、小室さんはコンパクトシティについてどのようにお考えですか?
小室 コンパクトシティは、国土交通省主導で進められている都市政策ですね。地方都市郊外に分散して暮らす世帯が不動産を売却し、その売却益で地方都市中心部の不動産を買い直してもらうことで、コンパクトな至近距離内に世帯を集約して、医療・福祉・商業・交通などのサービスを一元的に提供しようという考え方です。実現すれば、医療難民や買い物難民は発生しないのではということで注目されました。
しかしながら、現実問題として、お年寄りが自宅やふるさとを捨てることは非常に難しいでしょうね。たとえ被災地であってもです。コンパクトシティの概念が脚光を浴びたのは、おそらく1990年代でしたね。当時の技術レベルであれば、お年寄りを物理的に一ヵ所に集めてケアすることには、それなりの意味があったと思います。
みんなの介護 現状に対してはポジティブではないのですか?
テクノロジーが格段の進歩を遂げた今、コンパクトシティの有効性には疑問が残りますね。例えば、ICT技術の伸長によって、遠隔地医療の可能性が大きく広がりました。また、実験段階ではありますが、ドローンや自動運転車がきめ細かく遠隔世帯を支えることも十分可能。これだけテクノロジーが進化しているのであれば、世帯を物理的に一ヵ所に集める意味もそれほどないのかなと感じています。
日本の社会保障について話を戻せば、私たちを待っているのは、決して暗い未来ばかりではありません。働き方改革によって労働生産性を極限にまで高め、女性や外国人に十二分に活躍してもらいつつ、テクノロジーの恩恵を120%享受する。これらの施策をすべて同時に、かつ全方位に展開すれば、困難な局面を打破し、新しい魅力的な日本社会を世界に発信していくことも十分に可能だと思います。
連載コンテンツ
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