宇野重規「新型コロナとの⻑期戦では「政治家の⾔葉」こそが重要」
2020年10月に刊行された『民主主義とは何か』(講談社現代新書)が話題を呼んでいる。本の冒頭には「民主主義では多数決で物事を決する」「民主主義では少数派の意見を尊重する」のどちらが正解なのかという問いが立てられている。筆者は東京大学社会科学研究所教授の宇野重規氏。世界的な新型コロナの流行により、医療や介護などに対する各国の政府の対応に注目が集まっていることを受けて、今後の政治に求められる要素について政治学者としての意見を伺った。
文責/みんなの介護
「世界は民主化に向かっていく」と多くが信じた20世紀
みんなの介護 宇野さんの『民主主義とは何か』の中で指摘されている「民主主義の危機」について、お話を伺いたいと思います。私たちの民主主義は危機的状況にあるのでしょうか。
宇野 危機に瀕していると思います。しかし、民主主義はそう簡単に別の主義に置き換わってしまうものでもなければ、消えてなくなるものでもありません。
歴史を振り返ってみると、民主主義はおよそ2,500年前に古代ギリシアで誕生して以来、常に多くの批判にさらされてきました。例えば、「必ずしも正しい答えを導き出せるわけではない」とか、「数の論理で少数派を抑圧する」とか、「意見が一度分裂してしまうと、物事をいつまでも決定できない」など。
21世紀の現在、民主主義の弱点がふたたび声高に指摘されています。「自国を守るためには国際協調など二の次だ」とか、「独裁国家のほうが新型コロナを封じ込めやすい」などなど。こうした意見の前では、民主主義はいかにも無力なように見えます。
みんなの介護 ですが21世紀が始まった頃は、世界全体が民主化の方向に向かっているのだと、みんななんとなく思っていました。
宇野 1989年に「ベルリンの壁」が崩壊したとき、当時アメリカ国務省に勤めていた哲学者であり政治学者のフランシス・フクヤマは『歴史の終わり?』と題した論文を発表し、「これで自由民主主義が最終的に勝利したのだ」と高らかに宣言しました。もちろん、これからも世界ではさまざまな問題は起きますが、人類は最終的に自由民主主義に向かうことが決定づけられ、もはや民主主義を脅かすライバルは存在しないとまで言い切ったのです。
その論文を読んで、当時は私も「そのとおりだろう」と思いました。民主主義が人類の歴史の最終的なゴールであることは間違いないだろう、と。多くの国ではまだ民主主義が成立していないけれど、それが実現するのはあくまでも時間の問題。今後は共産主義国家も、いずれ民主主義に向かっていくはずだと考えたのです。
また2000年代以降、かつての社会主義国を次々に取り込んで拡大していくEUを見て、「これが時代の大きな潮流だ」と多くの人が感じていたのではないでしょうか。そして「アラブの春」が起こったとき、国際的な民主化の流れはもはや誰にも止められないと感じました。最初は独裁、あるいは開発独裁という国の形を取っていたとしても、国内のミドルクラス、いわゆる中間層が成長して経済的自由を得るようになると、やがては政治的自由をも要求する。かつての台湾のように、最終的には民主化への道を辿るようになる。それが2010年代初め頃までの一般的な歴史認識だったと思います。
英国のEU離脱とトランプ大統領誕生の背景にある所得格差に対する中間層の不満
みんなの介護 では民主主義はなぜ危機に瀕してしまったのでしょうか。
宇野 民主主義は、社会の中核となる中間層によって支えられています。社会的地位においても所得的にも中間を占める層が一定数存在しているからこそ、民主主義は成立する。これはアリストテレスの時代から言われていたことです。考えてみれば当たり前ですね。社会経済的に「平等だ」と感じる人が多ければ多いほど、公正で民主的な社会をつくりやすいわけですから。
ところが、グローバル経済の発展は、先進国における人々の所得格差を拡大させてしまいました。世界レベルで所得分布別の所得増加率をグラフ化してみると、横から見た鼻を持ち上げた象の姿「エレファントカーブ」が描き出されます。すなわち、ここ20年間で新興国の中間層と先進国の富裕層の所得は大きく増加しているものの、先進国の中間層は所得がほとんど増えないか、むしろ減少している。つまり、先進国では中間層が経済的に没落し、一部の富裕層のみが勝ち組になっているのです。
こうした現状は、先進国における中間層の意識を大きく変容させることになりました。その結果として2016年に、国?投票によりイギリスのEU離脱が決定し、アメリカ?統領選でトランプ?が勝利しました。この2つの出来事は世界に大きな衝撃を与えました。
イギリスもアメリカも、1980年代以降のグローバル資本主義を牽引してきた国ですが、どちらの国でも階層分化が急速に進行。グローバル経済から取り残されてきた人々の不満が爆発寸前にまで高まっていたのです。すなわち、「グローバル資本主義といっても、その恩恵に浴しているのはごく一部の勝ち組だけじゃないか!」「これまで経済を支えてきた自分たちがないがしろにされ、政治は自分たちの声をまったく聞いてくれない!」と。そのような不満を持つ人たちの受け皿になったのが、イギリスではEU離脱派のジョンソン首相であり、アメリカでは従来の政治家とはキャラクターの異なるトランプ大統領だったのです。
みんなの介護 トランプ大統領の自国第一主義は有名でしたが、ジョンソン首相もその傾向が強いようですね。
宇野 ジョンソン首相は「イギリスのトランプ」と言われましたからね。トランプ大統領のように、既存のエリート層や知識人を否定し、一般大衆の利害と直接結びつく政治形態を「ポピュリズム」と言います。ポピュリズムはこれまで、民主主義とは相容れない思想だと考えられてきました。しかし、トランプ大統領の実践してきたポピュリズムが民主主義とはまったくの別物かというと、そうも言い切れません。なぜなら彼は、これまで取り残されてきた多くの国民の声を確実に代弁しているからです。グローバル資本主義の進展で損害を被ったのはアメリカ国民の多数派であり、多数派の声を代弁するのは民主主義の基本でもあります。
そして迎えた2020年のアメリカ大統領選。ご存じのようにバイデン氏が勝ちましたが、敗北したトランプ氏は平和的な政権移行に協力的な姿勢は見せていません。また、今後バイデン政権が成立してからも、トランプ氏に投票した約7,000万人のトランプ支持者は抵抗勢力であり続けるでしょう。トランプ氏が去ったとしても、それ以前の民主主義に戻れるわけではありません。民主主義の苦悶はこれからも続きます。
民主主義と新型コロナウイルスは相性が悪い!?
みんなの介護 新型コロナウイルスの感染拡大も、民主主義を危うくする要素になっているのでしょうか。
宇野 そうなっていますね。一時期は、「新型コロナと民主主義は相性が良くないんじゃないか」と盛んに言われました。
その際、よく引き合いに出されたのが中国です。中国では、武漢で最初の新型コロナウイルス感染者が発生して以降、初動対応こそ悪かったものの、その後は独裁国家ならではの強権的な感染防止策を次々に実行。新型コロナの封じ込めに成功しました。各都市をロックダウンして人の流れを完全に遮断。また各個人の決済情報、健康状態、行動経路をひも付けして徹底的に管理することで、濃厚接触者を確実につぶしていったのです。そういったことから、新型コロナのようなパンデミックの脅威に対しては、「独裁+IT」というスタイルが最も有効なのでは、などと言われました。
みんなの介護 日本ではそこまで徹底できませんよね。
宇野 できません。日本のCOCOA(新型コロナウイルス接触確認アプリ)は陽性者が自発的に入力してくれないといけませんし、COCOAの普及さえままならないのですから。こんなとき、民主主義国家でいろいろな人の意見を気にするあまり、有効な対策が取られないという議論が必ず出てきます。日本の状況を見ていると、「新型コロナのような非常事態が発生したときには、独裁国家のほうが正解じゃないか」という話が当然出てくるわけです。
とはいえ、独裁国家であればコロナ封じ込めに必ず成功するかといえば、そうでもありません。感染者数世界第1位のアメリカ、第3位のブラジル、第4位のロシアなどを見ると、独裁的な指導者のいる国ほど、感染状況は深刻化しています。むしろ日本のように、一般市民の自発的な行動変容のほうが、現状では感染者の急増を抑止していると言えます。一時期、“自粛警察”のような好ましくない現象も起きました。しかし国家から強制されなくても、国民が感染拡大防止に自発的に協力するという関係を築いた国のほうが、感染対策は結果的にうまくいっているのではないでしょうか。
みんなの介護 東アジアでは、台湾が新型コロナ封じ込めにいち早く成功した国として知られています。
宇野 台湾の場合、オードリー・タンさんというIT専門家が閣僚内にいたことも大きいですね。ITをフルに活用して、国民の行動記録を丹念に追跡することで、新型ウイルスを封じ込めることができた。重要なのは、中国のように強権的にITを活用することではなく、国民のコンセンサスをきちんと得たうえで、合理的かつ必要最小限の追跡システムを構築することです。
政治が国民を突き動かすために必要な「目的・プロセス・共感」
みんなの介護 コロナ禍において、私たちが社会と民主主義を守っていくには、どうすればいいとお考えでしょうか。
宇野 私たち人類が新型コロナを克服するまでには、長い時間がかかります。安全なワクチンと治療薬が開発されて世界中に広く行き渡り、人類のほとんどが抗体を獲得するまで、あと数年はかかるでしょう。その間、感染者と重症患者が爆発的に増え、医療機関が対応できなくなる事態が何度も訪れるかもしれない。私たちはそうした事態を常に想定しながら、社会を動かしていかなければなりません。
その際、国家が国民に対して一方的に行動制限をかけるというやり方は、決してうまくいかないでしょう。なぜなら、「ロックダウン」という強力な措置は、長期戦には不向きだから。ロックダウンは短期決戦であれば有効ですが、長期にわたって何度も繰り返すと、そのうち効力を失います。
では、新型コロナとの長期戦では、何が鍵を握るのか。私は「政治家の言葉」こそが重要だと考えます。
私が注目しているのは、ドイツのメルケル首相です。彼女は東ドイツの出身で、国家権力により行動制限されるつらさを誰よりも知っている。それでもなお、今回の新型コロナに関しては、国民に外出自粛の協力をお願いせざるを得ない。「自分も行動の自由を失う痛みを知っているが、それでもどうか感染拡大防止に協力してほしい…」という彼女の言葉は、多くのドイツ国民の心に届きました。私は、政治が国民を動かすためには「目的・プロセス・共感」が必要だと考えています。メルケル首相はそのすべての要素を満たす、素晴らしいパフォーマンスを見せていると思います。実際に隣国フランスと社会・経済状況はほとんど変わらないながら、感染者数・死亡者数を低く抑えている。
考えてみると、新型コロナ対策に成功した台湾の蔡英文総統も、メルケル首相も、アーダーン首相も、全員女性です。これは決して偶然ではないと思う。非常事態で国民に難しいお願いをするときには、女性ならではのコミュニケーション能力が活きるのでしょう。言ってみれば、女性であったり、トランスジェンダーのセクシュアリティの経験があったりと、社会の少数派として多くの不利益を被ってきた方々だからこそ、多様な人々に届く言葉や説明能力を持っていたのだと思います。私はそのあたりに、未来の民主主義の可能性を感じました。
みんなの介護 これまでのリーダーのように「多数派である自分たちに従え」というのとは、真逆の政治姿勢ですね。
宇野 今回、世界各国の新型コロナ対策が盛んに報道される中で、日本の一般の人たちも、政治を見る目が肥えてきたのではないでしょうか。あちらの国のリーダーはこういう呼びかけをしているのに、こちらの国のリーダーはまるで逆のことを言っている、とか。新型コロナの感染拡大は私たちの世界に大きな災厄をもたらした。しかし、あえて良かった点を挙げるとすれば、私たち日本国民の政治を見る目が肥えてきたこと。今風の言い方をすれば、政治リテラシーが高まったこと、だと言えるかもしれません。
撮影:荻山拓也
宇野重規氏の著書『民主主義とは何か』(講談社現代新書)
は好評発売中!
ギリシア・アテナイにおける民主主義思想の「誕生」から、現代まで、民主主義という制度・思想の誕生以来、起こった様々な矛盾、それを巡って交わされた様々な思想家達の議論の跡をたどってゆきます。その中で、民主主義という「制度」の利点と弱点が人々にどのように認識され、またどのようにその問題点を「改良」しようとしたのか、あるいはその「改革」はなぜ失敗してしまったのかを辿ることにより、民主主義の「本質」とは何なのか、そしてその未来への可能性を考えてゆきます。
連載コンテンツ
-
さまざまな業界で活躍する“賢人”へのインタビュー。日本の社会保障が抱える課題のヒントを探ります。
-
認知症や在宅介護、リハビリ、薬剤師など介護のプロが、介護のやり方やコツを教えてくれます。
-
超高齢社会に向けて先進的な取り組みをしている自治体、企業のリーダーにインタビューする企画です。
-
要介護5のコラムニスト・コータリこと神足裕司さんから介護職員や家族への思いを綴った手紙です。
-
漫画家のくらたまこと倉田真由美さんが、介護や闘病などがテーマの作家と語り合う企画です。
-
50代60代の方に向けて、飲酒や運動など身近なテーマを元に健康寿命を伸ばす秘訣を紹介する企画。
-
講師にやまもといちろうさんを迎え、社会保障に関するコラムをゼミ形式で発表してもらいます。
-
認知症の母と過ごす日々をユーモラスかつ赤裸々に描いたドキュメンタリー動画コンテンツです。
-
介護食アドバイザーのクリコさんが、簡単につくれる美味しい介護食のレシピをレクチャーする漫画です。