波頭亮「介護業界の健全化を図るには介護従事者の給料を月額10万円上げるほかない」
テレビやラジオ、新聞、雑誌で活躍し、さまざまな経済メディアで圧倒的な数の視聴者・読者から支持を得ているソシオエコノミスト(社会経済学者)の波頭亮氏。東京大学経済学部からマッキンゼー&カンパニーを経て独立した、スゴ腕の経営コンサルタントでもある。コロナ禍で業績悪化の一途をたどる介護事業者へのアドバイスをという問いに対し、波頭氏からの返答は「国費2.4兆円を投入せよ」との提案であった。いったいどういうことなのか。くわしく話を伺った。
文責/みんなの介護
エッセンシャルワーカーに関する施策には国家予算を投入すべき
みんなの介護 新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、要介護の方たちが居宅介護サービスの利用を自粛する動きが高まっています。その結果、経営状況が悪化し、倒産せざるを得ない介護事業所が100ヵ所以上と深刻な状況です。慢性的な人手不足に加え、顧客の減少で経営の危機に瀕している介護事業所は、今後どのような点に目を向けて事業を立て直していくべきでしょうか。
波頭 経営コンサルタントとして、ここでいくつか個別の経営改善のアイデアを示すことは可能です。しかし、それは介護業界が抱えている問題の根本的な解決にはつながりません。
介護業界全体を健全化の方向に立て直すための唯一で最大の施策は、思い切って国家予算を投入し、介護従事者の手取り月収を1人10万円ずつ上げること。これ以外、有効な施策は今のところ思い当たりません。介護従事者は看護師や消防士と同じく、私たちの社会の安全を支える重要なエッセンシャルワーカーです。今こそ、国を挙げて業界を支えていく必要があります。
みんなの介護 大変興味深いです。国家予算の投入に関して、くわしく教えていただけますか。
波頭 昨今、介護ビジネスが立ちゆかなくなっている最大の要因は、介護従事者の慢性的な人手不足です。とにかく、介護の担い手がまったく増えていかない。なぜかといえば、介護の仕事は肉体的にも精神的にもハードであるのに、それに見合うだけの給料が支払われていないからです。
私の知り合いに20代の介護士がいますが、彼の手取りを聞くと月収17?18万円ほど。残業できなかった月は手取り14?15万円にまで減ってしまうとか。これでは、結婚して家族を養うことは難しいでしょう。
給料が安ければ、仕事に対するモチベーションも上がらないし、必死にしがみつきたくなる職場でもないから、多くの人がちょっとしたことですぐに辞めてしまいます。すると、介護事業者側は人員を補充するために、決して安くはない広告費をかけてスタッフを募集する。運良く採用できたとしても、新人教育に多くの手間と時間がかかり、その分要介護者に提供するサービスが低下するという連鎖が延々と続くわけです。これを断ち切る有効な方法が、介護従事者の給料を思い切って上げることです。
介護従事者を守ることは日本社会を維持・安定させることと同義
みんなの介護 介護従事者の給料を引き上げれば、介護ビジネスを取り巻く環境は大きく変わるのでしょうか。
波頭 変わります。ただし、毎月少しずつ昇給しても状況はさほど変わりません。一人当たり月10万円、年収にして120万円程度上げることが重要です。
介護事業に携わっている人は、全体で200万人弱。その全員の年収を一律120万円アップさせるために必要な予算は約2.4兆円です。この金額であれば政府も捻出できるはずです。家計を支えるために十分な収入を見込むことができれば、「介護の仕事をやってみたい」と思う人ももっと増えてくるのではないでしょうか。
2021年1月の労働力調査によれば、就業者数は6,637万人。前年同月比で50万人減少していて、そのうち39万人を宿泊業・飲食サービス業の人が占めています。明らかに新型コロナの影響ですが、たとえこの先コロナが終息しても、この39万人すべてが元の仕事に戻るわけではありません。介護職の待遇が飛躍的に良くなれば、そういった離職者の受け皿になるでしょう。
みんなの介護 魅力的な構想ですが、それだけの予算が毎年必要となれば、国にとってかなりの負担になるのではないでしょうか。
波頭 そうですね。しかし政府は、「財政的に厳しいからもう出せません」とは言えない状況であることも確か。「財政的に厳しいから看護師を200万人減らします」と言うのと同じことです。介護従事者はそれだけ日本社会にとって必要不可欠な人たちなのです。政府もこの事実を直視すべきでしょう。
冒頭で、「介護事業所が100ヵ所以上倒産した」という話を聞きましたが、そこがお世話をしていた高齢者の人たちはどうなったのでしょうか。仮に1ヵ所でお世話していた人が20人の場合、100ヵ所となれば最大で2,000人の高齢者が介護サービスを受けられなくなります。こういった場合に、ご家庭が代わってお世話をすることが多いのだと思います。介護離職の問題が浮き彫りになっていますが、仕事や育児と両立して介護をすることは容易ではないはずです。一家族3~4人として、6,000~8,000人の日々の暮らしが危うくなります。高齢者介護で破綻を来すと、ドミノ倒しのように家庭や経済生活を崩壊させてしまう。この点に、私たち日本社会はもっと危機感を持つ必要があると考えています。
高度経済成長期の国家施策を振り返る
みんなの介護 先ほど、国家財政で2.4兆円も支出することは可能とのお話がありました。これについてご説明いただけますか。
波頭 日本政府は過去にある業界を守るために国家財政を投入した歴史があります。
日本は1995年まで、「食糧管理法(食管法)」に基づく食糧管理制度というシステムを稼働させていました。政府は、国民の主食である米を国民へ安定的に供給するため、米農家が生産した米の全量をできるだけ高い価格で買い取り、国民にはできるだけ安い価格で米を販売していました。
この制度がスタートしたのは第二次大戦中の1942年。全国民が食に困らぬように政府が買い取った価格は国際価格の5倍の水準でしたが、そうでなければ、多くの農家が廃業し、食の安全保障も損なわれていたかもしれません。
みんなの介護 買い取りの国費は税金でまかなわれていたのでしょうか。
波頭 そうです。1980年(昭和55年)の食糧管理特別会計を見ると、補填額は約1.7兆円。当時の日本のGDPは約240兆円ですから、GDPの約0.7%を米の高価買い取りに費やしたわけです。
2020年現在のGDPはおおよそ500兆円。その0.7%は3.5兆円です。対して、介護従事者200万人に100万円ずつ配ったとしても、合計2.4兆円。つまり、かつて米農家と国民の暮らしを助けるために支出していた額の3分の2程度で、介護業界を救えることになります。この米の高価買い取りは1995年まで続けられていました。かつては食糧の安定供給が社会の重要なインフラでしたが、今は介護サービスの充実が社会のインフラです。だったら、介護業界に対して再配分しても良いはずです。
日本は少子超高齢化で、2025年には4人に1人が75歳以上になります。彼らを介護職の方たちにしっかりケアしてもらわなければ、日本経済は回っていきません。そのために必要不可欠な国家のインフラ整備だと考えるべきでしょう。
介護関係者500万人の票があれば、国を選挙で動かすことができる
みんなの介護 少し前のデータになりますが、厚生労働省の2018年の発表によれば、介護人材の需要は2025年に約245万人になるそうです。今以上に深刻な人手不足に陥る前に波頭さんの「月額10万円アップ計画」を実現すれば、明るい方向に向かいます。
波頭 解消すると思います。私が不思議でならないのは、介護業界がなぜ政治に対してもっと強く物を言わないのか、ということです。
例えば、介護従事者が200万人いるとすると、その家族と親族を含めれば400?500万人になりますよね。この人たちが団結すれば選挙で500万票が動きます。充実した介護サービスを利用したい側の人達も賛同してくれるでしょう。こうした票の力で、「介護職の待遇改善策を掲げる候補者、政党に投票する」と意思表示すれば、世の政治家たちも今のように、介護業界の危機的状況に対して見て見ぬ振りはできないはずです。
医療業界における日本医師会や日本看護協会のような強力な職能団体が構築されれば、介護の世界も確実に変わっていきます。特に1990年代以降の看護師の待遇改善の動きは、介護業界にとっても良いお手本になるのではないでしょうか。
撮影:小林浩一
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