いいね!を押すと最新の介護ニュースを毎日お届け

施設数No.1老人ホーム検索サイト

入居相談センター(無料)9:00〜19:00年中無休
0120-370-915

天野篤「平均寿命の延伸に伴い、高齢者でも心臓手術を受けられるようになった。手術方法が進化しているんです」

最終更新日時 2018/12/17

天野篤「平均寿命の延伸に伴い、高齢者でも心臓手術を受けられるようになった。手術方法が進化しているんです」

天野篤氏はとにかく型破りの医師である。3浪して入った日本大学医学部を卒業して医師免許を取得すると、いくつかの病院勤務を経て、当時はまだ無名だった新東京病院へ。そこでオフポンプによる心臓バイパス手術のパイオニアになると、その後は名門・順天堂大学で心臓血管外科の教授に。2012年2月、今上天皇の心臓バイパス手術で執刀したことはあまりに有名だ。そんな天野氏によれば、後期高齢者が急増している今、心臓手術のあり方も変わってきているという。心臓血管外科の最新事情について、話を伺った。

文責/みんなの介護

高齢化が続く現代では、がんよりも心疾患が問題になります

みんなの介護 天野さんの著書『100年を生きる 心臓との付き合い方』(セブン&アイ出版)を拝読すると、年々延び続ける平均寿命に比例して心疾患による死亡数も増えていることがわかりますね。

天野 もう少し正確に言いますと、心疾患死は超高齢化の進展とともに、2000年頃までずっと増加を続けていました。ところがそれ以降、心疾患による死亡者数は一時的に減少しました。

その理由には、AEDを用いた救命処置などの急性期医療が全国的に普及したこと、健康志向の高まりとともに、健康食品などで動脈硬化対策が進んだことなどが挙げられます。とはいえ、超高齢化の波を押し戻すことはもはや不可能で、2007?2008年頃から、心疾患死は再び増加を続けています。

みんなの介護 平均寿命が延びると、その分だけ心臓の病で亡くなる人が増える傾向にあるのは間違いありませんか?

天野 はい。心臓病は65歳以上の高齢者に多い病気ですから。長生きすればするほど、がんよりも心疾患で亡くなる確率のほうが高くなると言えます。

みんなの介護 以前に比べて、近年は心臓の手術を受ける高齢者も増えていると伺いました。

天野 その通りです。私が心臓外科医になった30年ほど前まで、心臓の手術が受けられる年齢的な上限は65歳くらいまででした。ところが、いまでは85歳くらいの患者さんまで、通常の心臓手術が受けられるようになりましたね。患者さんにできるだけ負担をかけないよう、手術方法も進化しているからです。

超高齢社会の心臓手術は“弁”が重要です

みんなの介護 高齢者の心臓手術について、内容は以前から変化しているのですか。

天野 手術内容も変化していますね。これまで心臓の手術といえば、冠動脈バイパス手術が圧倒的に多かったのです。ところが、高齢化が進むにつれて、弁置換術や弁形成術といった弁膜症の手術が増えてきました。もう少し噛み砕いて説明しましょうか。

心臓は、生まれてから死ぬまで全身に血液を送り続けるポンプ。大きさは握りこぶし2つ分ほどある筋肉の塊です。

構造的には、4つの部屋(右心房・右心室・左心房・左心室)と4つの弁(三尖弁・肺動脈弁・僧帽弁・大動脈弁)でできていて、1日に約10万回も収縮と拡張を繰り返すことで新鮮な血液を送り込むのと同時に、全身から戻ってきた血液を取り込んでいます。

また、心臓の病気には、大きく分けて2つのタイプがあります。心臓の血管と筋肉がダメになる病気と、心臓の弁というパーツがダメになる病気です。どちらも放っておくと、心臓のポンプ機能が失われる「心不全」の状態になり、死に至ります。

みんなの介護 つまり、心不全にならないよう、心臓の手術を行うのですね。

天野 はい。心臓は死ぬまで動き続けなければなりませんから、心臓の筋肉(心筋)には、血流によって常に新鮮な酸素と栄養分が供給される必要があります。

その心筋に酸素と栄養分を供給しているのが3本の冠動脈ですが、この冠動脈は動脈硬化などで内側が狭くなったり、血栓で部分的に塞がったりすることがあります。そうなると、そこから先の筋肉に酸素と栄養が届きにくくなり、筋肉が悲鳴を上げます。

これら、心筋に血流が届きにくい状態になってしまうのが「狭心症」と、血流が完全にストップしてしまう「心筋梗塞」の2つを合わせて「虚血性心疾患」と言います。心筋梗塞になると、そこから先の心筋は壊死してしまい、重大な機能障害をもたらします。

みんなの介護 ここまでお話いただいたのは、心臓の血管と筋肉の病気ですね。

天野 そうです。それに対して、心臓の弁というパーツの病気が「心臓弁膜症」です。心臓の中では、血液が効率良く一方通行で流れなければならず、その流れを4つの弁がコントロールしているのですが、高齢となるにつれてパーツが傷み、閉じるべきときに弁がきちんと閉じなかったり、開くべきときに弁がきちんと開かなかったりします。

そうなると、心臓内で血液の逆流が起こり、心臓に大きな負担をかけます。前者は「閉鎖不全症」、後者は「狭窄症」と呼ばれ、近年では「大動脈弁狭窄症」と「僧帽弁閉鎖不全症」が目立って増えてきました。

先ほどの手術の内容に戻ると、虚血性心疾患になってしまった心臓に対して、詰まった冠動脈の代わりに別の血管でバイパスを作るのが冠動脈バイパス手術です。また、心臓の傷んだ弁に対して、弁そのものを修理するのが弁形成術、人工弁に取り替えるのが弁置換術となります。

心臓そのものは元気なのに、弁に不具合が出てきた患者さんが増えてきたので、高齢化が進んでいる近年は、弁形成術や弁置換術の手術が急激に増えています。

「賢人論。」第79回(前編)天野篤氏「当時は80歳の人にあと5年だけ長生きしてもらう意味を見いだせずに葛藤していた。でも、それぞれには手術するべき明確な理由があった」

医師としてのキャリアを形成してくれたのは、まぎれもなく8,000人を超える患者さんです

みんなの介護 天野さんはご自身で「後期高齢者が僕を育ててくれた」と語っています。それはどういう意味でしょうか。

天野 私がまだ研修医だった時代、よく高齢者の患者さんの手術を任せられたからです。

先ほど、30年くらい前は心臓手術を受ける上限が65歳だったとお話ししましたが、まったく例外がなかったわけではありません。たとえ75歳であっても、80歳であっても、手術するしか生きる道が残されていない患者さんもいるわけですから。

ただし、そういう患者さんは糖尿病など他の病気を併発しているケースが多く、手術後も通常の患者さん以上に入念なケアが必要になります。医者の立場から不遜な言い方をすれば、いわゆる“面倒臭い”患者さんが多いんですね。そしてその当時、私の上司にあたるベテラン心臓外科医は、そういう面倒臭い患者さんを担当したがらなかった。そこで、まだ若手で手術する機会に恵まれなかった私に、執刀するチャンスが巡ってきたというわけです。

みんなの介護 どのような方を執刀してきたかという経験は、とてつもなく大きいのではないですか?

天野 難しい患者さんの手術に死力を尽くして取り組んだからこそ、今の自分があると考えています。だからこそ、75歳以上の患者さんたちは、私の恩人なんです。

その後、2008年から現在の後期高齢者医療制度が始まり、75歳以上の方を後期高齢者と呼ぶようになりました。この呼び方には賛否両論ありますが、「後期高齢者」と聞くたびに、私は若い頃お世話になった患者さんたちを思い出します。

みんなの介護 心臓外科医としての卓越した技量は、後期高齢者の方を数多く手術したことで培われたんですね。

天野 とはいえ、当時まだ若かった私は、私なりに葛藤を抱えていましたよ。今80歳の人に、あと5年間長生きしてもらうことにどういう意味があるのだろう、とか…。しかしそれは、あまりにも不遜で、独りよがりの考え方でしたね。患者さんの話をじっくり聞いてみると、それぞれの人に手術すべき明確な理由が存在していたのです。

「自分は太平洋戦争の激戦地でかろうじて生き延びた。だから自分は、亡くなった戦友たちの『おまえだけは生きてくれ』という思いを背負って生きている。心臓病くらいで、まだ死ぬわけにはいかない」と聞かされたなら、それに応えない理由はありません。

みんなの介護 天野さんが手術された患者さんのなかで、最高齢は何歳でしたか?

天野 98歳のおばあちゃんでした。その方にも、生き続ける明確な理由がありましたね。その当時、お子さんがちょうど自宅を新築中で、家が完成すれば、新たな仏壇を入れることになっていました。その仏壇に、亡くなったご主人の位牌を納めるまでは死ねない、と言うのです。

そこで、おばあちゃんには冠動脈バイパス手術を実施し、ご希望通り、ご主人の位牌を仏壇に納めてもらいました。おばあちゃんはその後、102歳まで生きられたそうです。

難度の高い“オフポンプ術”を行う理由は一つ。患者さんの負担を減らすためです

みんなの介護 高齢の患者さんでも心臓の手術が受けられるようになった背景には、医療技術の進歩があったのですね。

天野 まさにその通りです。患者さんの体に大きな負担をかける心臓の手術は、30年ほど前までは生きるか死ぬか、一種の賭けのようなものでもあったわけです。

ところが、時代は大きく変わりました。現在、わが国の心臓血管外科手術の治療成績は世界でもトップレベル。手術症例数の多い病院では、予定手術の院内死亡率は1%以下です。つまり現在の心臓手術は、たとえ患者さんが高齢であっても、きわめて安全に行えるようになったということです。

みんなの介護 そうした医療技術の進歩のひとつとして、オフポンプ術があると伺いました。どんな手術法なのでしょうか。

天野 一言でいえば、心臓を止めないまま行う冠動脈バイパス手術です。

私が研修医だった時代、冠動脈バイパス手術では人工心肺装置を使うのが一般的でした。拍動している心臓にメスは入れられないので、患者さんの血管を人工心肺装置に一旦つなぎ、人工心肺装置が心臓の代わりをしている間に、心筋保護液で心臓を止めて手術を行うわけです。

しかし、人工心肺装置の使用にはリスクもあります。最も大きなリスクは、血液の寿命が短くなってしまうこと。通常、赤血球の寿命は120日程度ですが、人工的なポンプを使って血液を送り出すと、赤血球がダメージを受けてしまうのです。

そこで考案されたのがオフポンプ術です。人工心肺装置、通称「ポンプ」をオフにして行う手術だから「オフポンプ」。つまり、心臓を動かしたまま行う手術ですね。

みんなの介護 天野さんはオフポンプ術の先駆者としても知られています。

天野 私がオフポンプ術を始めたのは1996年から。日本ではまだほとんど行われていなかったので、手術を撮影した映像を海外から取り寄せ、独学で研究しました。

動いている心臓にどうやってメスを入れるのか、不思議に思う人もいるかもしれませんが、神経を研ぎ澄ましてじっと心臓を観察していると、一瞬、止まって見える。その瞬間にメスを入れます。集中力と慣れの領域です。

オフポンプ術には数々のメリットがあります。患者さんへの負担が軽く、その分、術後の回復も早い。脳梗塞など合併症を起こすリスクが低く、それまで手術が難しかった高齢者や腎不全などの持病がある患者さんにも、手術が可能になります。

ただし、心臓を止めて行う手術より難度が上がるし、短時間に的確に処置しなければならないため、執刀医の技量に依存する部分が大きいと言えます。

みんなの介護 難度の高いオフポンプ術をあえて手がけようと思われたのはなぜですか?

天野 必要に迫られて、ですね。先ほども言いましたが、研修医時代から、私は高齢者の手術を任せられることが多かった。高齢者の方は基礎的な体力が低下しているため、心臓を手術する場合は、できるだけ短時間に効率的な手術ができるよう、工夫する必要がありました。そこで、患者さんへの負担が少ない手術法を模索しているうちに、オフポンプ術に行き着きました。

体力のない高齢の患者さんに有効な手術法が確立できれば、それは高齢者だけでなく、手術を受けるすべての患者さんに恩恵をもたらします。また、状態の良い患者さんにもオフポンプ術を行うことで入院期間を短縮し、より短時間で社会復帰してもらうことを追求しているんです。

多くの患者さんに向き合った人にしか見えない世界というものが必ずあります

みんなの介護 天野さんは2012年2月、天皇陛下の心臓バイパス手術を執刀されました。チームのなかでもメインの執刀医、相当のプレッシャーがあって当然だと思います。しかし、著書の『あきらめない心』(新潮文庫)を拝読すると、「緊張はしなかった」ということが読み取れます。この落ち着きはどこからきていたのでしょう?

天野 それだけの数の手術でも結果を出し続けてきたからです。天皇陛下を執刀する時点で、私が経験した手術数は6,000例を超えていました。手術を通して6,000人以上の命をこの手で預かってきたのですから、その経験値はとてつもなく大きかったのだと感じています。

みんなの介護 手術数について、天野さんは少なくとも年間250例はキープするよう心がけてきたそうですが、なぜそこまで手術数にこだわるのでしょうか。

天野 心臓外科医という仕事が、ある種の技術職だからです。腕の良し悪しは経験値で決まるし、外科医としてあるレベル以上の技術を身に付けたなら、そのレベルを維持していくためにも、一定数以上の手術をこなし続けなければならないと考えています。技術は使わないでいると錆び付きますから。

私が手術数にこだわるもうひとつの理由は、たくさん手術することで新たに見えてくるものがあるからです。およそ30年前に心臓外科医としてスタートして、手術数がまだ2,000例くらいのときは、予期せぬ展開に慌てたり、怖い思いをすることも結構ありました。

しかし3,000例を超えたあたりから、大局観というか、手術のおおよその展開が自然と見えるようになりましたね。その頃になると、それまでの手術経験が「静止画」として頭にインプットされているので、「このケースは〇〇さんのときと同じだな」とか、「ここをこうすれば上手くいく」とか、過去の経験を随時活かすことができるようになっていました。

介護の主な原因となる脳梗塞は、心臓手術で防げることもあるんです

みんなの介護 天皇陛下の手術は、具体的にはどのような手術だったのでしょうか。

天野 ごく一般的な冠動脈バイパス手術です。3本ある冠動脈のうち、「左回旋枝」と「左前下行枝」の内部が狭くなっていたので、陛下ご自身の体から別の血管を切り取り、その血管をバイパス用に縫い付けました。陛下は当時78歳とご高齢だったので、体へのご負担が少ないオフポンプ術を実施しました。

それと同時に行ったのが、左心耳縫縮術です。左心耳とは、左心房の上に飛び出ている袋状の突起物のこと。手術中は、心房が小刻みに震える心房細動という異常が起きやすくなりますが、そうなると、左心耳内で血液がよどんで血栓ができやすくなり、それが脳にまで到達してしまうと脳梗塞を発症します。

みんなの介護 脳梗塞は介護が必要となる主な原因のひとつなので、避けられるものなら避けたいですが…。

天野 そのリスクを低下させるためには、左心耳内で血液がよどまないよう、あらかじめ縫い縮めてしまえば良いわけです。その当時、左心耳縫縮術はそれほど一般的な手術ではありませんでしたが、私たちの病院では「脳梗塞を防げる」というデータが出ていたので、ためらわずに実行しました。

とにかく、私が陛下の手術を任された以上、私にできることはすべてやり切ろうと最初から決めていました。

みんなの介護 結果は大成功でしたね。

天野 陛下の場合は特に難しい手術というわけではなかったので、普通に手術して、普通に終わったという印象ですね。

ただ、手術の出来には絶対の自信を持っていたので、陛下には「手術した血管はあと20年以上は大丈夫です」と申し上げました。

みんなの介護 天野さんご自身にとっても、天皇陛下の執刀医となった経験は大きかったのではないでしょうか。

天野 あの手術の前と後では、確かに生活が変わりましたね。取材を受ける機会も増え、社会からより注目されるようになったと思います。陛下の執刀医となる機会が与えられたのは、他の病院に先駆けて、オフポンプ術や左心耳縫縮術に取り組んでいたからだと理解しています。

「賢人論。」第79回(中編)天野篤氏「理想の手術は“居合抜き”。病巣はもちろん、患者さんとの関係性も一瞬であることが外科医としての本分です」

お酒は止めました。酔った状態で手術する可能性を完全に排除するために

みんなの介護 天野さんは2016年から、順天堂大学医学部附属順天堂医院の院長を務めていますね。病院の院長になった今、年間で何例くらい手術しているのでしょうか。

天野 2018年に私が執刀したのは、370?380例だと思います。これまでの手術数は通算で、8,300例くらいでしょうか。手術数が最も多かったのは、順天堂大学の教授に着任してから7年目、2008年の438例です。1日の手術件数は平均すると2?3件で、手術時間は4時間から10時間。長いときは18時間以上かかることもあります。

みんなの介護 介護を含め、現場は想像を絶する重労働のはずです。毎年それだけの数の手術をこなしていると、疲労の蓄積が気にならないのでしょうか。

天野 手術そのものはまったく疲れませんね。なぜなら、手術中はほとんど頭を使っていないから。どういう手順でどのように手術するか、手術前に綿密な設計図をつくってあるので、あとは設計図に沿って手を動かしていくだけです。ほとんどの手術は、腕から先の反射運動で成り立っていますね。

もちろん、すべての手術が設計図どおりに進むわけではないので、予期せぬ展開に陥ったときだけ、脳をフル回転させて対処法を見つけ出します。

みんなの介護 もともと手先が器用なのですか?

天野 器用でしたね。少年時代はプラモデルづくりに熱中していて、どれだけ本物に近づけられるか、完成度にこだわっていました。

今でも、指先のトレーニングは常に心がけています。リンゴの皮むきでも食器洗いでも、「手術のために指や手の動かし方の練習をするんだ」という意識さえあれば、いくらでもトレーニングできます。右手と左手のバランスをどう保つか、力の入れ加減をどうするか、などですね。

医学生時代から、両手の爪も事務用のハサミで切っています。私は右利きですが、右手の爪はもちろん、左手で切ります。

みんなの介護 常に手術のことを考えているんですね。聞くところによると、緊急の手術に対応するため、お酒も止められたとか。

天野 ええ、止めました。天皇陛下の手術を担当した1年後くらいからですね。高齢の患者さんの難しい手術は若い医師には任せられないケースも多いので、すっぱりと。

今、旅客機のパイロットの飲酒が問題になっていて、乗務の24時間前からの禁酒が義務づけられるようですが、実は医師の世界でも同じようなことが言えます。患者さんの立場からすれば、酔っぱらった医師に診察してほしくないですよね。ましてや、酔った医師に手術されるのなんて、もってのほか。

だとすれば、医師は自分なりに「0」か「1」かのルールをつくらなければ不誠実だと思いました。酒に酔って手術する可能性を完全に排除するには、「0」、すなわち「酒は飲まない」と自分で決めてしまったほうがわかりやすいですよね。

自分は、心臓外科の“最後の砦”だと思って生きています

みんなの介護 『あきらめない心』を拝読すると、心が折れそうになった手術や、落雷停電時に行った手術など、印象的な手術の場面がいくつも出てきます。最近の例で、特に印象に残っている心臓手術はありますか?

天野 先日初めて、10歳の少年の心臓を手術しました。心臓外科といっても、私は成人専門。小児は専門外だったのですが、他の病院での手術を断られたその子にとって、私が「最後の砦」だと思い、手術を引き受けることにしました。

みんなの介護 難しい手術だったのでしょうか。

天野 心臓の血管にこぶができる冠動脈瘤になっていました。そのまま放置すれば心筋梗塞になる恐れのある川崎病です。学校の検診で病気が見つかり、その後、普通学級から特殊学級に移ったことですっかり落ち込んでいましたね。

しかし、外来で会って話してみると、元来はとても明るい子だったようです。何とかもう一度、明るさを取り戻してほしいと思いました。

手術は動脈瘤を取ってバイパスをつなげるというもの。動脈瘤は心臓の奥深くにあって切除するのが難しいし、小児の血管は細いので、バイパスを付けるには細心の注意が必要になります。おそらく、この2つの施術を完璧に行える外科医チームは、日本にもそう多くはいないはず。だとすれば、自分たちがやらなくて誰がやる、という気概を持って手術に臨みました。

みんなの介護 手術は成功したのですね?

天野 設計図通り、完璧に仕上げました。できる処置はすべてやったので、私が死んだ後も、彼はずっと元気に生き続けるはずです。

みんなの介護 「私が死んだ後も」とはどういう意味なのでしょうか。

天野 私は63歳、彼は10歳。当然、私のほうが先に死んでいきますよね。彼の手術後の人生を、私がずっと見守り続けることはできません。でも、それが本来の、外科医と患者さんとの関係なのだと考えています。

心臓外科医である私の理想は「居合抜き」。スパッと刀を抜いて敵を斬り、刀を鞘に収める頃には、もう勝負はついている。あとは何事もなかったかのように、その場を離れるだけです。

実際の手術においても、実はそうありたいと願っています。私と患者さんとの接点は、手術する一瞬だけ。手術で私が敵(病巣)に負ければ、患者さんが命を落とす。だから私は負けるわけにはいかない。

一瞬で敵を倒し、「手術で敵はもうやっつけたのだから、あとは何でも好きなことをして良いですよ」と患者さんに言いたい。「あなたはタバコを止めないと長生きできないよ」とか「コレステロール値に気をつけなさい」とか、そういう内科的なことを言うのは、外科医の本分ではないと思う。

しかし、現実はそれほど単純ではありませんね。多くの患者さんは、糖尿病や腎臓病など他の病気も抱えていて、手術だけで元気になるわけではない。そこで、合併症対策など術後のケアにもあれこれ気を配りながら、患者さんの命を守るために、何とか勝ちに結びつけていくしかないんです。

私が手術した10歳の少年の場合は、スパッと元気になりました。いや、本当の意味で元気になるのはこれからですかね。私たち手術チームが未来への扉を開いたのですから、あとは彼が自分の足で歩いていってくれることを願うばかりです。

働くみんなの誇りのため、年間手術数「500例」を叩き出すことを目指した

みんなの介護 天野さんは2002年に順天堂大学心臓血管外科の教授に着任したあと、医療現場の改革を進めていったと伺いました。どのように改革していったのでしょうか。

天野 最も重要なのは、そこで働いているスタッフ全員が自分の職場に誇りを持てるようにすること。そこで私が目指したのは、心臓血管外科の手術実績で安定した数字を叩き出すことでした。

私はもともと、自らの意志で出身大学の医局を飛び出しました。その後の約20年間、民間病院ばかり渡り歩いてきた私がいきなり医大教授に抜擢されたのは、新東京病院という無名の病院で「バイパス手術数日本一」という実績を積み上げてきたから。病院経営という観点から見ても、私が手術数を大幅に増やすことはかならずプラスに働くはずだと思ったのです。

その当時、成人の心臓血管外科手術で400例を超える大学病院はありませんでした。そこで、とりあえずの目標手術数を400例に設定。一方、小児の心臓血管外科手術は年間100例前後で安定して推移していたので、成人と小児を合わせて「年間500例」を目標にしました。

みんなの介護 「手術数500例」という目標を達成するため、ポイントになったのはどんなことでしたか。

天野 患者さんの入院期間を短縮するため、早期離床・早期リハビリを徹底することでした。

私が着任した当時、冠動脈バイパス手術を受けた患者さんは、3日間をICUで過ごした後に4日目からリハビリを始め、3週間前後で退院するのが普通でした。

しかし、私の考えでは、リハビリを始めるのは早ければ早いほうが良い。ベッドに寝たきりの状態で3日も過ごすと筋力は衰え、呼吸機能も体力も低下してしまいます。むしろ、多少の痛みはあるにしても、手術翌日から起き出して体を動かすほうが、社会復帰は早まります。

実際に「手術後3日間安静にして3週間後に退院するのと、多少の痛みを我慢しつつ翌日から歩き出して1週間後に退院するのと、どちらが良いですか?」と患者さん100人に聞いてみました。すると、手術を受けた100人全員が「1週間で退院できるほうが良い」と答えたんです。

この結果を受け、当時の麻酔科主任教授や看護師長の協力を得ながら、早期離床・早期リハビリを実行していきました。すると、「順天堂でバイパス手術を受けると、1週間で元気になって退院できるらしい」という話が医療関係者の間で広まっていき、他の病院から紹介される患者さんが一気に増えたのです。こうして着任4年目には、年間手術500例という目標を達成することができました。

前例のない新たなチャレンジも、チームのプライドを高める要因だと考えます

みんなの介護 順天堂大学の教授に着任してから、手術の現場でも新たなチャレンジをしたそうですね。

天野 持続陰圧療法のことですね。簡単に言えば、メスを入れた傷口にバキュームで陰圧をかけ、傷口を内側からふさいでしまう手法のことです。

心臓血管外科に限らず、手術全般で最も気をつけなければならないのは、切った傷口から細菌が侵入して深刻な合併症を引き起こすリスクです。

心臓手術の場合、切開した胸の傷はもちろんきちんと縫合するのですが、術後にこの部分が感染を起こし、傷口が開いてしまうことも結構あるのです。本番の手術は上手くいったのに、術後に合併症を起こしてしまうのは、本当にもったいない話です。そこで、つまらない合併症をなくすにはどうすれば良いかを考え、持続陰圧療法に行き着きました。

もともと、持続陰圧療法は、感染症を起こして開いてしまった傷口をふさぐための方法。医学の教科書にも、感染症の治療法として紹介されています。私たちはそれを逆手に取って、傷口が開く前の患者さんに適用することにしました。開いた傷をふさぐのに有効な手段を、傷が開く前に使うことで、そもそも傷が開かないようコントロールするわけです。

みんなの介護 それは手術の現場において、画期的なことなんですね。

天野 画期的だと思います。手術を担当する外科医は皆、傷口からの感染や合併症に悩まされてきましたから。

発想は、冠動脈バイパス手術にオフポンプ術を取り入れたときと同じです。オフポンプ術は体力のない高齢の患者さんの手術にきわめて有効でした。だとすれば、体力のある若い患者さんに適用すれば、術後の回復がより早まると考えたわけです。

ともあれ、私たちの心臓血管外科では、持続陰圧療法を効果的に使うことで、手術後の合併症のリスクからほぼ解放されました。こうした事実も、スタッフが自分の職場に誇りを持てる一因になっているはずです。

「賢人論。」第79回(後編)天野篤氏「最高の手術、それは患者さんが手術を受けなければならなかったことすら忘れてしまう手術です」

病院のスタッフが「ここで手術を受けたい」と答えるなら、そこはきっと良い病院

みんなの介護 人生100年時代を迎えた今、私たちは自分の心臓とこれまで以上に上手に付き合っていかなくてはいけません。今後、心臓血管外科を受診するとして、自分の命を縣ける病院をどうやって見分ければ良いのでしょうか。

天野 ここまでお話してきた通り、心臓血管外科は技術職であり、医師の技術格差は無視できません。自分の命を守るためには、腕の良い医師や技術力の高い病院を選ぶべきです。

その際、ひとつの目安になるのが、年間の手術症例数です。手術数が多いほど手術に熟達しており、腕も確かだと考えられます。私自身は年間250例以上をノルマにしていますが、残念ながら、これだけの数をクリアしている医師は日本に15名ほどしかいません。

そこで少しだけハードルを下げて、年間100例以上の手術実績がある病院を選べば良いのではないかと思います。それぞれの病院のホームページを見ると、昨年・一昨年の手術数の実績が掲載されているので、簡単にチェックできます。逆に、ホームページに実績を載せていない病院は、避けたほうが良いかもしれません。

もし、その病院まで直接足を運べるのであれば、そこが良い病院かどうか、もっと簡単にチェックする方法があります。

そこで働いているスタッフの人に、「あなたに心臓の手術が必要になったとき、この病院で手術を受けますか?」と聞いてみれば良いのです。

ポイントは、医療関係者でなくてもいいから、清掃や売店のおばさんなど、勤続年数が長いスタッフに質問すること。「ここはいろいろな意味で地域で一番の病院だから、迷わずここで手術してもらいます」なんて答えが返ってきたら、その病院はきっと良い病院です。

患者さんと正面から向き合えば、どんな状態でもきっと良くすることができるはずです

みんなの介護 心臓外科のプロとして、天野さんが最も大切にしているのはどんなことですか?

天野 相撲で言う「四つに組むこと」です。どんな患者さんでも、どんな病状でも、逃げたり引いたりするのではなく、常に真正面からがっぷり四つに組む。

とにかく、中途半端な気持ちで患者さんに接することがあってはならない。一旦治療を引き受けた以上、チーム一丸となって、結果を出すために全力を尽くします。逆に言えば、患者さんとしっかり四つに組むことができれば、どんなに病状が悪くても、「きっと何とかなる」と信じることができます。

先ほど、外科医としての「理想の手術」は居合抜きである、というお話をしましたが、私にとっての「最高の手術」は、少し定義が違ってきます。

私が考える最高の手術とは、「手術を受けた患者さん本人が、手術を受けたこと自体すっかり忘れてしまうような手術」。

手術によって病的な要素が完全に取り除かれ、合併症も後遺症もなく、傷跡さえほとんど見分けがつかない。その結果、手術を受けたことも、手術を受けなければならなかった病気のこともすっかり忘れてしまった…。そんな手術ができれば、外科医として最高に嬉しいですね。

私は現在63歳ですが、脳外科では75歳になっても年間500例以上手術する福島孝徳先生がいます。先生に倣い、体が動く限り、これからも患者さんと四つに組み続ける覚悟です。

撮影:佐藤類

関連記事
医師・医療ジャーナリスト森田豊氏「認知症になった母への懺悔 医師である僕が後悔する『あの日』のこと」
医師・医療ジャーナリスト森田豊氏「認知症になった母への懺悔 医師である僕が後悔する『あの日』のこと」

森田豊
医師・医療ジャーナリスト
2022/11/07