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今井照「市民の生命と安全を守ること。そのひとつが自治体の使命で、それ以外は余計なことです」

最終更新日時 2019/06/17

今井照「市民の生命と安全を守ること。そのひとつが自治体の使命で、それ以外は余計なことです」

地方自治の専門家、といってもさまざまなタイプの語り手がいる。その一人、今井照氏は東京都大田区役所の職員として地方行政に携わった経験を持ち、1999年からの18年間は研究者として福島大学の行政政策学類教授を務めた人物だ。それだけでなく、2017年からは公益財団法人・地方自治総合研究所の主任研究員として地方行政のあり方を提言するなど、地方自治体を内側と外側から見つめてきたスペシャリストである。そんな今井氏は、国と自治体の関係は歪んだものになっていると指摘する。まずは地方自治体の成り立ちと歴史について説明してもらいながら、その理由を解き明かしていこう。

文責/みんなの介護

同じ政府であっても、国と自治体は異なる存在

みんなの介護 まずは、国と自治体の違いから伺いたいと思います。どちらも政府であるという共通点があるわけですが、どんな違いがあるのでしょう?

今井 単純に考えてみると、大きさが違いますよね。あまり良いことだとは思いませんが、たとえば自治体は合併することによってエリアを広げていくことができます。でも決して国より広くなることはない。

そんなことはあまりに当たり前なので、両者が会社の上司と部下のような関係にあると考えている人も多いかもしれません。会社では部下が成長して上司と立場が逆転することがありますよね。上司も部下も同じ資質を持っているのでそれが可能になるのですが、国と自治体の関係においては、そういう逆転は起こらないんです。

自治体が広くなっても国にはならないし、その逆もありません。あくまで国は国、自治体は自治体で、両者は別物なんですね。私たちは「国民」として国の主権者でもあるし、「市民」として自治体の自治権者でもある。

みんなの介護 政治的な意思決定をしたり、市民をまとめたりする集団が二重に存在するわけですね。なぜ、そんな面倒くさい仕組みがあるのでしょう?

今井 確かに面倒くさいですよね。非常に有能な人がいて、みんなが民主的にその人を選んだのなら、その人の指示通りに全体が動いたほうが効率的と考える人も多くいます。「強いリーダー」待望論ですね。

ただ、歴史を紐解いてみると、世界はそういう「強いリーダー」に何度も痛い目にあってきました。ドイツでもイタリアでもロシアでも、そして日本でも、広い意味での民主化の動きが出てきた直後、その流れに危機感や失望感を抱いた人たちによって導かれた独裁政権が戦時体制になだれ込む、ということが起きたのです。  

そこで、権力を一元化するのではなく、重層的、多元的に分節化してリスクを回避しようという考え方が出てきました。そのひとつが都道府県や市町村という単位で政治や行政の決定権を持つということです(自治体政府)。

だから自治体が国の部下になってしまったら意味がないですよね。地方自治にも小さなミスはたくさんあるかもしれないけれど、それは取り返しのつかない大きなミスをしないためなのです。

地方分権型から中央集権型国家に移行する過程で生まれた現在の市町村

みんなの介護 今井さんの著書『地方自治講義』(ちくま新書)には、自治体が今の形になっていく歴史が解説されています。自治体のルーツは、江戸時代の「村」にあったという指摘は今まで考えたこともなかったもので、とても新鮮でした。

今井 農耕や狩猟などで、人間が生きていくために集団を組んだのが「村」の始まりです。「村」と「村」が交易をする場が「町」で、江戸時代は城下町や宿場町などの形で発展した。ここで言う「村」や「町」は、現代の地方自治制度の村や町とは異なるのでカギカッコつきにしておきましょう。  

江戸時代の納税(年貢)の単位は村請制といって、個人でなく「村」です。「藩」が「村」ごとに税を課しました。そこで「村」ではその中で誰がどれだけ負担をするかを決めたのです。

例えば誰かが病気になったり、災害にあって税を充分に納められなくなったとき、「村」はその分の負担を他の世帯に割り振ったり、あるいは融資したりして調整しました。つまり農民にとって「村」は税を課す権力者であるとともに、セーフティネットでもあったのです。そこに自治が生まれます。  

「村」に税を課していた「藩」というのは、独自の紙幣まで出していたくらいですからアメリカで言う「州」以上に独立性が高いもので、それらの集合体が江戸幕府でした。江戸幕府が全国で税を課していたわけではないのです。

みんなの介護 明治維新になって、そういう国の形がガラリと変わるわけですね?

今井 そうです。明治維新政府は、「村」が「藩」に納めていた税を、「個人」が国に納めるようにした。近代的な中央集権型国家にしようとしたわけです。  

そのために明治維新政府は、税を徴収したり徴兵を制度化するために個人を把握する手段として戸籍制度をつくります。こうしてお金と権力が中央に集まる仕組みが確立されます。これが「富国強兵」路線の基盤になる。

江戸時代の「村」や「町」のカギカッコがはずれて現在の村や町に変わったのは、1888(明治21)年に公布された「市制町村制」(1889年施行)がきっかけですが、総務省の資料によれば、これに前後して約7万あった「町」や「村」が統合され、約1万6,000の町村が制度としてつくりだされました(明治の大合併)。

合併を繰り返してきた日本の市町村は非常に規模の大きなものになっている

明治、昭和、そして平成に起こった市町村の大合併

みんなの介護 日本の市町村は、明治、昭和、そして平成と、ほぼ50年ごとに大合併が起こっています。現在、日本の市町村は海外と比較しても非常に規模の大きなものになったことを今井さんは指摘していますが、市町村の規模が大きくなるということは市民にとって、なぜ良くないことなのですか?

今井 企業が大きな合併をするのは、経済的な効率性を生み出して利益構造を高めるためですが、こうした企業合併の論理は市町村合併に当てはまりません。

なぜなら、市町村が市民に対して行っている行政サービスは、市民一人ひとりに残らず行わねばならないユニバーサルサービスですから、合併によって効率化できる余地がないからです。市民の人数や土地の面積は、たとえ合併してもマクロとしては変わらないのです。  

もちろん、合併によって首長や議員の数を減らし、組織管理を効率化するというメリットもないわけではありません。

しかし、客体である市民や地域は変わらないのですから、どこかで管理能力の不足やサービスの低下が起こります。そもそも、企業合併も競争を減らすことですから消費者にとっては不都合であり、不利益をもたらすものですが、自治体の合併も同じです。

何より問題なのは、規模が大きくなることで市民の意見がまとめにくくなることです。  

仮にA市とB町とC村が合併して10万人の市になったとして、それまで1,000人規模で取りまとめられていたC村の意見は、10万人の中では圧倒的に少数意見となります。議員も出せない。学校の統廃合や選挙の投票所の削減などは、周縁部から取り組まれるようになるでしょう。こうして周縁部の地域がますます衰退することにつながる。

みんなの介護 合併したことで、それまで受けられていた行政サービスの質が低くなるというのは、大いにあり得ることなのですね。

今井 もちろんです。自治体の使命をひとつだけ挙げろと言われたら、それは、市民の生命と安全を守ることです。言い換えれば、「今日と同じように明日も暮らし続けられる」ということを市民に保障すること。  

その使命は「ひとつだけ」で充分で、そのほかのことは「余計なこと」と言っても良いでしょう。ところが今の自治体は、国から余計なことばかりを押しつけられているのが現状なんです。

安易に合併しなかった自治体は地方活性化に成功した

みんなの介護 国は自治体に、どんな「余計なこと」を押しつけてくるのですか?

今井 2000年に地方分権一括法が施行され、国と自治体が「対等・協力の関係」であることが明確化されました。それまでは「行政統制」といって、国の一機関である省庁が自治体という政府に対していろいろな指示を直接出していたのですが、それはやめようということになった。  

そこで「立法統制」といって、国が自治体にいろいろなことを頼む際には国会を通した法律が根拠になくてはならないということにしました。ところが、国の人たちは頭がいいので、その法律の中に自治体が作成するべき計画をたくさん盛り込むようになった。これが「計画統制」です。

最近は特に、本来は国がやるべきことを「分権」と称して自治体にやらせる動きが強まっています。たとえば自殺対策や地球環境対策なども、どんな小さな市町村にも計画を策定させます。そうすると、計画そのものは自治体が立てたものだから、成果が上がらなくても自治体のせいになる。国の責任転嫁ですね。  

こうした計画が山のように押しつけられているんです。2018年の時点で、わかっているだけでも238の計画策定が市町村に求められていますが、私はこういう状態を「計画のインフレ」と呼んでいます。

みんなの介護 現在、国が国策として進めている「地方創生」も、自治体に計画の策定が委ねられているのですか?

今井 そうなんです。国が「地方創生」をぶち上げた2014年9月の国会の所信表明演説で、安倍首相は計画策定のお手本として、地方活性化に成功した市町村のケースを具体的に紹介しました。  

ところが、その成功事例のほとんどすべては、2004~2005年にかけて起こった平成の大合併の中で合併に走らず、自分たちの町の将来をどのようにするかを真剣に考えた自治体でした。  

地域づくりに成功するためには、国策に反してでも取り組んだほうが良いということを奇しくも国が認めたことになったわけです。

職員を鍛え、自治体を育てるのは市民

みんなの介護 平成の大合併で、約3,200あった市町村が1,800弱になりました。その合併が自治体にとって利点のないことなら、自治体側はなぜ抵抗しなかったのでしょうか?

今井 実は合併を促進するための法律は、昭和の大合併以降も一貫して存在していました。でも大きな合併の動きはなかった。なぜなら自治体にとって合併する必然性や不可避性がなかったからです。

1995(平成7)年や1999(平成11)年にも「合併特例法」が改正されましたが、国が旗を振る割に合併の動きは出てこなかったのです。実際に合併があわただしく進んだのは2005年前後で、「三位一体の改革」の影響によって地方交付税が大幅に減らされたからです。

みんなの介護 今井さんは当時、福島大学の行政政策学類教授としてその間の動きをどのように見ていましたか?

今井 もちろん、福島県でもいろいろな議論がありました。当時の県知事は合併には懐疑的でしたが、それとは裏腹に、県庁の職員たちは国が打ち出した政策だからと市町村に合併を促していました。

合併の流れに乗らず、自分たちの町の将来をどのようにするかを真剣に考えた自治体が後に、地方活性化の成功事例として安倍首相の所信表明演説に登場したことは先にも話しましたね。  

その一方で、市町村長が「お国の財政を救うため」とか、「これは避けて通れない時代の流れだから」と根拠にならない理由を市民に説明して合併の波に飲み込まれた自治体もありました。両者にはどんな違いがあったのだと思いますか?

みんなの介護 市長や町長、村長に「強いリーダー」がいたからでしょうか?

今井 いや、必ずしもそうではありません。時間をかけて住民たちに議論を委ねた自治体では、たいていの場合、合併を選択していません。合併した自治体の多くは、住民間でほとんど議論しないまま、国の言うとおり期限間近に駆け込み合併をしたように私には見えました。

リーダーの存在は確かに大きいんですが、それは「こっちへ行くぞ」と自分勝手に旗を振るリーダーではなくて、「市民の意見を尊重するリーダー」が必要なのです。

みんなの介護 地方の議会選挙というと、国政選挙より盛り上がらないことで知られていますが、非常に残念なことですね。

今井 今回の統一地方選挙では、議員のみならず、市町村長も多選や無投票当選が目立ちました。つまり「議員のなり手」不足だけではなく、「自治の担い手」そのものが不足していることが露呈したと思います。

「なり手」「担い手」の不足ということは、私たちのような「ならせ手」「担ぎ手」の力も不足してきたということにほかなりません。選挙に限らず、例えば、自治体が提案する政策に対して意見を述べたり、あるいは抵抗したりという市民の力も衰えていることがこういうことにつながっているのかもしれない。

役所の力としても、そのような市民とのぶつかり合いが多いところは、交渉ごとに慣れていき、市民の意見を取りまとめることが上手になります。役所が市民に鍛えられるわけですね。

その結果、「市民と自治体とのパートナーシップ」という言葉が、単なるきれいごとで語られるのではなくて、うまく機能していく自治体になっていく。

そういう意味において、自治体にとって大事な要素はリーダーよりも市民の力であると言えるでしょう。職員を鍛え、自治体を育てるのは市民なのです。

大震災の最中にあって、双葉郡と飯舘村の自治体は「市民の生命と安全を守る」という自治体の使命を尽くした

原発が立地する自治体は、懸命にその使命を果たした

みんなの介護 ところで、2011年3月11日に起きた東日本大震災と、それを契機とした東京電力福島第一原子力発電所事故は、自治体の行政能力が大いに問われる出来事でした。今井さんはどのように見ましたか?

今井 原子力発電所が立地する福島県双葉郡の8つの町村と飯舘村のあわせて9町村が、自治体丸ごとの避難を強いられました。

原発災害というのは目に見えるわけではなく、計器で測られた数値によってわかるものですから、その情報は、現場である地元の地域にはなく、いったん東京にデータが送られてから地域に還元されてきます。

当日はその情報回路が切断されていました。そんな五里霧中の中、双葉郡の各自治体はそれぞれ独自に情報を収集し、住民に対して独自の避難指示を出さねばなりませんでした。わずかな例外を除いてほとんどの市町村は国が避難指示を出すよりも早く、かつ広く住民に対して避難指示を出しました。

近隣の市町村に声をかけて避難場所を確保し、地域内にあるバスなどの交通手段をかき集め、一人では避難できない弱い立場の住民をピストン輸送したのです。

みんなの介護 非常にすばやく、適切な対応ですね。

今井 実は、そのことに私はとても驚いていました。というのは、福島大学には都市計画やまちづくりを専門にしている教員もいましたが、双葉郡がその研究の対象になることはほとんどなく、それまで大学とのつきあいがなかったからです。

東京でニュースを見ていると、原発避難をした町村は農業や畜産が中心のように見えますが、浜通りと呼ばれている海岸沿いの大熊町や富岡町の街中には、東京郊外の住宅地のような都会的な風景が広がっていました。

2005年と2010年の国勢調査を比較して、人口が増加している町村は福島県の59市町村の中でわずか7町村しかありませんが、福島第一原発が立地する大熊町は伸び率で県内最高の4.76%増、福島第二原発が立地する富岡町の人口も増えていました。

原発立地地域はそういう環境にあったので、大学とのつきあいもあまりなかったのです。そのためもあって、私たちにはそれほど活発な自治体というイメージがなかった。

みんなの介護 ところがそれは、思い込みに過ぎなかったというわけですね?

今井 そう、そのことに驚いたのです。もちろん、すべてが完璧だったというつもりはありませんが、限られた情報、限られた労力、資源を駆使して、懸命に「市民の生命と安全を守る」という自治体の使命を尽くしたのです。

東日本大震災では福島県に限らず、多くの地域について「しばしば市町村の機能が崩壊した」と報道されました。確かに、津波に被災した地域では庁舎そのものが波に呑まれ、職員自身が犠牲となったところがいくつかありましたね。

ただ、国や県が有効に手立てを打てないところでは市町村が大きな役割を果たしました。もし、市町村の行政が機能していなければ、事態の混乱と被害はもっと大きなものになっていたでしょう。

原発災害で町丸ごとの避難を強いられた双葉郡の町村はいずれも平成の大合併を選択せず、自分たちなりに地域を守っていこうとしたところばかりです。中には明治期以来、一度も合併していない町や村まであります。

多くの人は「大きいことは良いことだ」と思っているので、普段は小さい役場が頼りなく見えるかもしれません。しかし本当の非常時や危機には小さくても身の回りにある存在こそが頼りになるのです。

みんなの介護 非常に感動的なお話です。双葉郡の自治体職員の健闘は今井さんの著書『自治体再生──原発避難と「移動する村」』(ちくま新書)に詳しいので、興味のある方はぜひお読みください。

人口減少は、日本全体と地方では別の論理で起きている

みんなの介護 「地方創生」と言うからには、国が地方の活性化、あるいは再生を目標に掲げた政策に違いはないと思いますが、これのどこが間違っているのでしょうか?

今井 地域再生とか、地域活性化という言葉が使われ始めるのは1980年代後半から90年代前半にかけてです。つまりバブル期ですね。一方、「地方創生」という言葉が初めて新聞に登場するのは2014年6月13日、安倍首相が地方創生本部を設置した翌日のことです。

その少し前に「地方消滅」というキーワードも登場しました。『中央公論』という雑誌の2013年12月号に「壊死する地方都市 戦慄するシミュレーション 危ない県はここだ──過疎から消滅へ」という特集が組まれ、その続編として2014年6月号に「消滅する市町村523全リスト」という特集が掲載されました。

みんなの介護 「地方が衰退していく」というだけでなく、自治体を名指しで「消滅する」と断言した点が非常にショッキングで、瞬く間に「バズり」ましたね。

今井 「地方消滅」の理屈は、次のような三段論法でできています。

「①日本の人口は減少する」「②減少しているのは地方だ」「③それは地方から東京に人が移動するからだ」と。

しかし、よくよく考えてみると日本全体の人口が減ることと、地方の人口が減ることとは別の話です。日本全体の人口の増減(①)は、大部分が出生数と死亡数との差で、これを「自然増」「自然減」といいます。それに対して地方の人口の増減(②)の多くは、地域から転出した人と転入した人との差です。こちらは「社会増」「社会減」と言います。

つまり、日本全体の人口減少と地方の人口減少は、まったく別の論理で動いているのです。

みんなの介護 でも、論理の違いはあれ、国も地方も「人口が減っている」というのは間違いない事実ですよね。

今井 でも、ある地域からある地域に誰かが引っ越しをしたとしても(②)、日本全体の人口は変わりません。だから「地方創生」という政策は、日本全体の人口減少(①)という問題を解決する方策にはならない。

都道府県別に見ると、すでに多くの県が20~30年ほど前から人口減少が始まっていて、地方の人口減少は、昨日や今日の新しい出来事ではありません。

ですから、「地方から東京に人が移らなくても良いように地方にミニ東京を作れ(地方中枢都市)」とか、「魅力的な地方を作って東京から移り住む人を増やそう(田園回帰)」とか、「いずれ介護が必要になる都市の高齢者が地方に住めるようにしよう(日本版CCRC)」といった政策は、個別には何らかの効果が得られるかもしれないけれど、日本全体の人口減少を止めることにはつながりません。

なぜ自治体は、国の政策に従わざるを得ないのか?

みんなの介護 しかし、政府の中枢にいる頭の良い人たちが、「地方消滅」の理屈の間違いに気づかないのはなぜなんでしょう?

今井 おっしゃる通り、政府の中枢にいる人たちは、頭の良い人たちであることは間違いないでしょう。むしろ、頭の良い人たちであるからこそ、日本全体の人口減少(①)を食い止めるなんて無理だと悟っているのではないでしょうか。そこでこの失政の責任を自治体に押し付けることにした。

国は法律で自治体に対して地方版総合戦略という計画を策定させましたが、最近の国の評価(KPI)によればやはり総人口は増えなかった。むしろ減っている。あたりまえですね。「地方創生」という政策は人口減少対策には効果がないんですから。

しかしそうなると、それは計画を策定し、実施した自治体が悪いということになっていく。国の責任は免除されて、国は自治体を監視する立場になる。前に述べた「計画統制」そのものです。

みんなの介護 良い結果が望めないにもかかわらず、国が立てた政策に自治体が従わざるを得ないのはなぜですか?

今井 例えば、2014年度の「まち・ひと・しごと創生本部(地方創生本部)」の所管予算として地方の消費喚起等を目的に約2,500億円の交付金がついたのですが、その9割以上がプレミアム付商品券や半額旅行券と化しました。

考えるまでもなく、商品券や旅行券を配っても、潤うのは商業者や旅行関連業者くらいで、これが人口減少に効果を発揮するとは思えない。

「この政策はおかしいのでウチではやらないことにしよう」と決意し、それを実行した自治体があったとしても、「隣町では券を配っているのに、なぜウチでは配らないんだ」と市民から文句が出れば配らざるを得ません。

みんなの介護 市民と直に接している自治体としては、確かにそうせざるを得ないですね。

地方と中央の結びつきが強くなると、ますます中央集権化が進む

今井 一見すると「地方創生」だから地方のために予算を付けているかのように思えますが、結局のところ、省庁や官僚の間での予算獲得競争に使われているだけで、その果実は東京に還元されます。

こういうことは、今に始まったことではない。新幹線や高速道路の建設要請は多くの場合、地方から声が上がるのは確かですが、最終的にこうした交通網が整備されることでいちばん便利になるのは中央です。

こうしたネットワークによって結びつくのは地方と中央であって、地方と地方が結びつくわけではありません。中央はたくさんの地方と結びつくことによって、ますます集権的な機能を強化していくとともに、ビジネス上の利益も得る。

みんなの介護 でも、インターネットが発達した現代では、どこにいても働ける環境が整いつつあります。これは地方にとって、良いことではないですか?

今井 情報通信ネットワークが整備されると、働く場所を選ばないので地方にも雇用が広がるという話はよく聞きますが、実は産業別雇用者数で情報通信業が圧倒的に多いのは東京圏なんです。

どこでも働けるからこそ、人は地方に住むのではなく、大都市圏に住むのです。

「地方を活性化しよう」という目的を達成するには、本来ならば個々の地域に根ざした産業を育成すべきですが、それとは逆にこれまでの国の政策は大都市を中心とする産業に地方を組み込んでいくものになっている。それが「国土の均衡ある発展」という国土計画の肝です。

みんなの介護 そうした大きな流れに抵抗するため、自治体ができることは何でしょう?

今井 国は自治体に対してあれをしろ、これをしろと計画を押しつけてきたり、こういうことをすれば補助金や交付金を出しますよと誘いをかけてきます。そのとき、国の顔色をうかがって唯々諾々と行動してはならない。

では、どうすればいいのか?答えはひとつしかありません。その地域にとって大事なこと、すなわち地域の住民が臨む生活を維持することを基準に考えて行動すれば良いのです。国に頼らず、市民や地域の企業と将来のことを考えに考え抜いて地域づくりに励むことが重要ということです。場合によっては国への面従腹背も必要です。

人口が減るぞという脅しに乗って「地方創生」のあぶく銭を使いまくると、あとでますます困窮します。たとえ人口が何人になろうと、そこに住んでいる人が明日も同じように暮らしていけるようにするのが自治体の仕事です。

その地域、その時代に合わせた政策を実行していけば、日本の未来は決して暗くない

弱くなった「地縁」を複数のつながりで補う

みんなの介護 『地方自治講義』(ちくま新書)で今井さんは、日本は近代化することで生産力を高めたけれども、その代償として地域コミュニティが弱まってしまったことを指摘しています。そのことについて、どうお考えですか?

今井 国の政策はしばしば間違うことがありますが、近代化という流れに抗することはできないでしょう。何よりも個人が大事というのが近代化の成果です。人権の考え方も個人の尊重に基づいています。

したがって、近代化によって暮らすところと働くところが分かれ、個人と地域とのつながり、すなわち「地縁」が薄れたことそのものは、決して悪いことではありません。高度経済成長期には、薄れた「地縁」の代替として、企業との「社縁」がその役割を果たしてきましたが、今はその企業もそれを支える余裕がなくなってきている。

みんなの介護 しかし、近代化する以前の社会に逆戻りして「地縁」を取り戻すのは不可能ではないでしょうか。

今井 ええ、そうですよね。

ただ「地縁」の問題として、最低限、備えておかなければならないのは、防災と福祉に関すること、すなわち災害救助や生活支援といった機能をどうするかということです。

町会や自治会といった地縁団体を強化して、その役割を担わせると良いと考える人もいますが、すべてを負わせるなんて無理な話です。大事なのは、それぞれの個人が大小さまざまな「地縁」を持つこと。

例えば、小学校や中学校のPTA(パパ友、ママ友)は緩やかな地縁の典型です。その他、JA(農協)とか、JC(青年会議所)とか、生協とか、バレーボールやテニスなどの趣味でのつながりでもいい。

そうした大小、さまざまな「地縁」を持つことで、いざというときの自分たちの生活を支え合う。網の目からこぼれる人をできるだけ少なくする。それがこれからの地域コミュニティのあるべきイメージです。

しかしどうしても網の目からこぼれる人はいる。自治体の出番はここにあります。「公共私のベストミックス」という甘い言葉がありますが、欺瞞と紙一重です。最後の最後には自治体という政府が責任をもってやらなくてはならない。それが本当のセーフティネットです。ちょうど原発避難の時に双葉郡の市町村が前面に出たように、です。

しかし残念ながら、ほとんどの大都市は双葉郡の市町村のようには行動できないでしょう。特に市町村合併によって広域化や大規模化した自治体では、こぼれていく人がいることさえ気づけないケースもあると思います。東日本大震災でも合併して周縁化した地域では多くの人たちが長期間孤立しました。

高齢者は未来永劫増えていくわけではない

みんなの介護 現在、政府は社会の高齢化に備えて医療・介護・予防・住まい・生活支援を一体的に提供するための「地域包括ケアシステム」の構築を全国的に進めていますが、これについてはどう評価していますか?

今井 要介護状態になっても、住み慣れた地域で自分らしい暮らしを、人生の最後まで続けられるまちづくりをするという理念は素晴らしいことだと思います。

ただ、これも国が在宅介護偏重の制度化をしてしまうと、施設介護の必要な人たちが厳しい環境に置かれてしまいます。地域の特性や個々の環境に合わせて柔軟に運用できる制度にしておくことは、大前提の条件です。

みんなの介護 一律の制度をすべての地域に当てはめようとすれば、「地方創生」と同様の失敗例を生んでしまうわけですね。

今井 都心には50階程度のタワーマンションが林立した地域があります。これらは、同じ世代の人たちがいっせいに移動してきたために、30年後、50年後には一人暮らしで年金生活をしている高齢者の集合住宅群になるでしょう。

その一方、地方には自分で食べる野菜は自分で作れるという高齢者がたくさんいる。同じ80歳であっても地域や個々の暮らしによって、まったく中身が異なります。

みんなの介護 この先、ますます高齢化が進む日本の将来について、今井さんはどうお考えですか?

今井 高齢者の絶対数が増えれば、介護サービスの量を増やしていく政策が必要ですが、高齢者が未来永劫、増え続けるわけではありません。

現に人口減少が著しい市町村では、高齢者の人口も減少し始めている地域もあります。全国的には、もうしばらく高齢者は増え続けますが、2025年から2030年あたりでピークアウトしていく。

つまり、高齢者の増加にともなう備えは、全国規模であってもあと10年を見据えればいいということです。過度に悲観する必要はなく、その地域、その時代に合わせた政策を実行していけば、国が言うほど日本の未来に危機が迫っているわけではないと思います。

撮影:公家勇人

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森田豊
医師・医療ジャーナリスト
2022/11/07