酒井 穣(さかい・じょう)です。第27回『9割超が延命治療を拒絶する日本で「安楽死」は個人の権利か否か!?』では、日本における安楽死について、オランダとの簡単な対比として考えました。
この議論では「自分の命は誰のものか」について、文化的な背景と合わせて考えるべきです。特に日本には「生きる権利」というよりも「生きる義務」としか言えないものが存在しているように感じられます。
今回は、個人レベルでの延命治療が難しくなってきているのと同様に、国家レベルでの延命治療もまた厳しくなってきていることについて考えてみたいと思います。日本に暮らす人々には、相当な覚悟が必要になってきているのです。
生活保護以下の生活を送る高齢者は5人に1人
もはや…嘆くことさえも無駄である
高齢者の5人に1人は、生活保護以下の年金収入で暮らしています。
生活保護を受けている場合は税金や医療費が免除されたりもするので、この差は想像以上に大きいと考えるべきでしょう。
以下のグラフからも、多くの高齢者は低所得者であることがわかります。
そして、こうした状況はあくまでも現時点でのものであり、今後は生活保護以下の年金収入で暮らす高齢者の割合は増えていきます。
さらに、貧困化も進む日本では、しっかりと働いていても生活保護以下の収入にしかならないケースも増えてしまっています。
働いていれば、給与からさまざまな社会保障費が天引きされるわけですが、こうした天引きされるお金は、今後もどんどん増えていくのです。
では、貧困であれば生活保護を受けられるかといえば、日本の場合は必ずしもそうなっているわけではありません。
本当に生活保護が必要な状況であっても、その8割以上は、自治体の窓口で門前払いになっているとも言われます(正確には、受けるべき生活保護が受けられている人の割合を捕捉率といい、日本は15〜18%程度にすぎない)。
そうした背景にあるのは、日本の社会福祉のための財源が枯渇しつつあるということです。
今後の日本の衰退は避けられないので、こうした状況は今後さらに悪化していくことでしょう。
「どうなってしまうのか」と嘆くことももはや無駄で、基本的には、少なからず日本人は、自分自身が貧困になることを覚悟すべき局面になってしまいました。
それでも日本の生活保護の受給世帯は増えており、その過半数は高齢者世帯であるという現実は非常に重たいものです。
財源が足りないところで貧困が広がっているわけですから、生活保護の給付水準の悪化も避けられません。
そうして下げられ続ける給付水準を「生存権の侵害」とした集団訴訟も相次いでいます。
しかし、給付水準を上げられる財源があるなら、生活保護を受けられるはずなのに受けられない人のところに、生活保護が届くようにすることが先決でしょう。沈みゆくタイタニック号の中で、救命ボートをめぐる争いが起こってしまっているのです。
「貧困生活を送るなら刑務所に入った方が良い」
刑務所に高齢者が殺到する未来もあり得る!?
こうした状況のなかで、高齢者にとって意外なほどに快適と言われるのが、日本の刑務所です。
刑務所にいる受刑者の高齢化もまた、刑務所の外と同様に深刻です。
高齢の受刑者は、1997〜2016年の期間でおよそ4.2倍に増加しており、そのなかで認知症と診断されている人は14%(約1,300人)もいます。
また、刑務所には専門の介護職員が配置されていたり、認知症予防の対策が進められていたり、食事や適度な運動、週に2~3回の入浴もでき、社会的な営みにおいても支援を受けられます。
冗談ではなく、そんな刑務所に入りたい(戻りたい)がために犯罪をする高齢者も少なくないのです。
実際に、高齢者の再入所率は7割(全体としては6割程度)と高止まりしています。
そうした受刑者の3分の2に対しては、なんらかの医療的なケアが必要ということも事実として知っておくべきでしょう。
刑務所の中ではそうした医療的なケアが行われ、もはや刑務所の外で生活保護以下の生活をしているよりもずっと豊かな生活が刑務所の中で実現されてしまっているのです。
そして今後は、刑務所の中と外の格差(刑務所生活の方が豊かという意味での格差)は加速度的に広がっていき、刑務所人気はますます高くなってしまうというおかしな現象が顕在化していくと考えられます。
こうしたおかしな逆転現象を整理すると、刑務所>生活保護>年金>可処分所得、という図式が現れてきます。
可処分所得とは…可処分所得とは、給与やボーナスなどの個人所得から、税金や社会保険料などを差し引いた残りの手取り収入、つまり自分の意思で使える部分を指します。個人の購買力を測る際、ひとつの目安になります。
もちろん、年金よりも多くの可処分所得を得ている現役世代が大多数であり、生活保護よりも高額な年金をもらっている高齢者が大多数です。
ただ、この割合はいずれ逆転し、刑務所>生活保護>年金>可処分所得という図式に当てはまる方へと向かっているという認識は大事です。
特に現役世代の読者は、給与ではなく、給与から税金や社会保険料を引いた可処分所得を見ていくことが大事です。
なぜなら、どんどん上がっていく税金や社会保険料が、この図式を成立させていく元凶だからです。
「日本人が頑張ってたくさん稼ぐ」は失敗した
残された策は「弱者の切り捨て」しか…
この図式を逆転させるためには、基本的には2つの方法しかありません。
1つ目は、現役世代の生産性を高め、税収をより豊かにしながら、可処分所得も増やすという保守本流の方法です。
しかしこの方法について日本では、ここ数十年という単位で成功していません。
貧富の二極化と言われますが、実際に進んでいるのは日本全体の貧困化です。
以下のグラフは相対的貧困率の推移で鈍化したとはいえ、増加傾向にあることがわかります。
ちなみに、ざっくり相対的貧困とは、「所得が、国民全体における所得の中央値の半分にも満たない状態を指します」。
今後は貧困化に加えて、人工知能の台頭による失業が重なってくると考えると、トレンドとしてこれを逆転させるのは難しそうです。
そうなると、2つ目の方法、すなわち「社会的弱者の切り捨て」ということが、徐々に顕在化してくることになります。
では、刑務所>生活保護>年金>可処分所得、という図式は「社会的弱者の切り捨て」によって本当に逆転させることができるのでしょうか。
短期的には、刑務所の支援を止め、生活保護を徹底的に削り、年金をカットしていくことで可処分所得を増やすことができます。
しかしそれは、税金や社会保障費の面でのコストカットであって、給与そのものを高めるわけではありません。
そして給与は、マクロで考えたとき、今後の日本において上がっていくことはないでしょう。
そんな日本では「社会的弱者の増加」と「社会的弱者の切り捨て」が同時に進みます。
先の図式を逆転できたとしても、長期的にはより悲惨な生活をする人が増えるだけというのが着地になります。
刑務所>生活保護>年金>可処分所得という状況は、別の言葉で表現すれば、社会的モラルの崩壊です。
犯罪に手を染める方が真面目に働いて暮らしていくよりもお得という状況は、モラルの崩壊以外のなにものでもありません。
そしてこの状況が放置され続ければ、「社会的弱者の切り捨て」も、すんなり受け入れられる環境が出現します。
モラルなき人類はただの動物であり、わずか700万年前に種を分けたチンパンジーです。
そしてチンパンジーも戦争をするということは、連載第8回『高齢者虐待や介護殺人が減らない日本。年齢差別は人間の“本能”なのか!?』でも取り上げた通りです。
一生懸命に働いても報われない社会になれば、
人間は誰でも残酷な道に進んでしまう
人類史から考えても、貧困化トレンドは右傾化とつながっており、その行き着く先は戦争という筋書きでほぼ決まっています。
少し落ち着いて周囲を観察してみてください。
ちょっとびっくりするような差別的な言論が増えていませんか?
世界で活躍する人の国籍を異常に気にする人が増えていませんか?
高齢者問題を経済的な側面からのみズバッと解決するような、残酷な話に拍手喝采が集まったりしていませんか?
そして、そうした話に対して「そういう見方もあるかも…」と、少し納得してしまう自分自身がいたりしませんか?
子供の頃は、歴史の教科書に書かれた戦争について「自分ならそんな馬鹿げたことはしない」と考えていたかもしれません。
しかし遺伝的に考えれば、私たちは、数十年〜数百年前の戦争が日常だった頃の人類と完全に同じと言っても過言ではありません。
歴史が私たちに突きつけているのは「平時には善良な人であっても、どうして有事には残酷になれるのか」という問いです。
この問いに向き合うときに必要なのは「戦争反対!」という虚しいシュプレヒコールではなく、かつて戦争に向かってしまった自分たちの環境について、共感を持って考えることでしょう。
かつての自分たちもまた、間抜けではありませんでした。
有能で善良な人々が真剣に考えた結果として、戦争があったのです。
シンプルに言えば、一生懸命に働いても、生活が成り立たない状況になったとき私たちは、今と同じようにこの社会を見ることができなくなるということです。
今から10年以上も前に、『「丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。』という論考が話題になりました。
あれから10年以上がたった今、この論考を読み直してみたとき、より共感できる自分がいるということに驚きを隠せないのです。
この10年で、日本がさらに悪い状況になったことは認識していましたが、それはすなわち、私自身もまた心理的に悪い状態になっていることを意味していることに気づいたからです。
刑務所>生活保護>年金>可処分所得という図式が顕在化していくことは、日本を破滅させるでしょう。
それはすなわち、私たち一人ひとりの人格を、モラルなきものに変えていくということに他ならないのです。
こうした話をすると、政治家が悪いということになりやすいものです。
では、どのような政治家であればでは、刑務所>生活保護>年金>可処分所得、という図式を逆転させられるのでしょう。
おそらく、そんな政治家はいないのです。
現実にこれが行えるのは、可処分所得を、コストカット(減税など)ではなく給与の上昇という方向で増やすことができる民間企業だけです。
つまり、日本の民間企業がグローバル市場において活躍し、より高収益になっていかないと、根本的な解決にはなりません。
しかし、そんな力が平均年齢47歳(世界最高)という日本に残されているでしょうか。
そんな力がパスポートの保有率23.5%という日本に残されているでしょうか。
『The Share Of Americans Holding A Passport Has Increased Dramatically In Recent Years [Infographic]』(Forbes)時点
確かにグローバル化は進みつつあり、日本の進学校でも、成績優秀者たちが東大ではなく海外の一流大学に進む流れができつつあります。
ただ、そうして海外に出ていった若者たちが、より平均年齢が上がった日本に帰国して、日本であらたな雇用をつくってくれるのでしょうか。
かつて地方を飛び出して東京に出てきた若者が地元に帰らないように、日本を出ていった若者もまた、その多くは戻ってこないと考えた方が良さそうです。
つい今しがた、食事のためにこの原稿を書くのをやめ、ラーメン屋に行ってきました。
閉店ギリギリの遅い時間だったため、客は私しかいませんでした。
そこの若い店主は、もはや募集広告をかけても、高齢者しか応募してこない(きつい立ち仕事なので高齢者では務まらない)ことを嘆いていました。
材料費もどんどん高騰しているのですが、家賃は安くならないことも不安だと言っていました。
そして私に、日本を離れて海外で出店するにはどうしたらよいか、相談をしてきたのです。
日本からラーメン屋が消え、ラーメンは世界の大都市で食べられるものになったとき、海外での暮らしを受け入れられる日本人も増えるでしょう。
自分を守れるのは職がある人間のみ
高齢者産業が失敗すれば先はない
日本における最後の成長産業は、増え続ける高齢者市場を相手とする高齢者産業しかありません。
世界でもっとも高齢化している日本において、この高齢者産業が成功すれば、それは輸出産業になります。
そうして輸出産業が多くの良質な雇用を生み出せば、先の図式も逆転できるかもしれません。
しかし、これに失敗したとき、日本の終焉はいよいよ顕在化することになります。 そのときはもはや、いかなる延命治療も意味を成さない状態になっています。
そして先導的で排外的な政治家が登場し、歴史は繰り返すことになってしまうのです。
なお自分は絶対に軍隊に入らないと言えるのは、職のある人だけです。
悲しいことに私たちの多くは、自分が失業し、他に選べる職がないならば、それが軍隊でも仕方がないと考えるようにできているのです。