……そうそう。私も18歳から国分寺に住んでいたんですよ。一橋大学の国立キャンパスに通っていたから。
今回のゲストは、月間800万アクセスを誇る人気主婦ブロガーのカータンさん。 介護の“前日譚”を描いた「健康以下、介護未満 親のトリセツ」から、二年の時を経て「 介護ど真ん中!親のトリセツ」を2023年2月に上梓。 「『姥捨て山』の話が頭から離れない……」。視力を失ったお父さんを施設に預けることに葛藤した日々、入居後の施設への印象の変化。 「最寄り駅」を幾度となく同じくしていたお二人が介護について語り合います! なにやら対談前から、盛り上がっているようですが……。
- 構成:みんなの介護
6年前から「きれいごと」なしの介護を現在進行形で描いてきたカータンさん。泣き虫で仕事人間だった父、認知症になった専業主婦の母、乳がんを患うしっかり者の姉……。個性豊かな家族が、介護に向き合いながら懸命に生きる様子を描いたカータンさんの漫画には、「家族愛」が溢れています。ページの随所で涙ぐむ一冊。
エッセイストに憧れてスッチーへの道を選んだ


共通点ばっかりですね! 倉田さんが住まれてた頃とは、国分寺の景色もずいぶん変わっちゃったと思いますよ。

そうですよねえ。学生時代のころのことを思い出すなあ。「惹凱牡(じゃがいも)」っていう居酒屋があって。

私の“行きつけ”(笑)。そこで「スナックカータン」をやったり。

うっそ!懐かしい!

……そろそろ本題に入らせていただきたく(笑)。

ごめんなさい、カータンさんとの共通点が多くて盛り上がっちゃいました(笑)。さて、改めて本日はよろしくお願いいたします。

(笑)。よろしくお願いします。

カータンさんは、私たちの時代で言う“スッチー”だったんですよね。漫画を書かれるようになったきっかけをあらためて教えてください。

10代のころからエッセイストに憧れていたんです。高校時代からいろいろなメディアに「投稿」をしていました。でも、いいところまでは行くけどグランプリは取れないような状況で。
当時、付き合っていた彼氏と結婚して、趣味で書きながらいつか……なんて考えていたんです。でも振られてしまいました。

こんな素敵な方なのに!

「ああ、どうしよう」なんて思っていたときに、たまたま、ある客室乗務員さんに出会ったんです。
その方に相談したら「CAになったら?」って。「CAが書いてるエッセイだったら読んでみたいと思うんじゃない?」と。

エッセイの肩書きは超・大事!

「『空の上からこんにちは~』とか『アテンションプリーズ!』みたいなエッセイ書けるんじゃない?」なんて言ってくれたんです。すっかりその気になって客室乗務員に。

動機がいいですよね(笑)。
ヘタだけど描き続けたエッセイ漫画に反響

そんな客室乗務員時代は、いかがでした?

楽しかったです。でも、エッセイストの夢を諦めきれなくて客室乗務員をしながら投稿を続けていました。相変わらず、最後の方まで残るけどぎりぎりで落ちる状況は変わらず。そうこうしているうちに客室乗務員になってからも長くなっていって。
当時、同期はみんな先輩にいじめられて「辞めたい病」になっていました。そこで、みんなのストレスが少しでも軽くなるようにと考えて、先輩の悪口をもとにしたエッセイ漫画を月に1回、同期に配り始めたんです。

それ面白いなあ!

個人用のパソコンなんてない時代ですから、休みの日に紙に描いたエッセイ漫画をコピーして、同期30人に配っていました。そうしたら、同期だけじゃなくて同期の彼氏や家族も楽しみにしてくれるようになったんです。

カータンさんの原点を見た(笑)。当時、どういうところが“ウケて”いたんですかね。

何と言っても絵が汚いことかなぁ。描き始めた頃は、“落書き”に近い感じだったと思います。過去のブログを見返しても、「よくこんな絵で公開していたな」って。

カータンさんの絵っていわゆる”ヘタウマ“だと思います。でも、それって誰もができるものじゃないですよね。

そう言えば、知人の漫画家さんやデザイナーさんも言ってました。「下手に描いて成り立たせるのが一番難しい」って(笑)。

カータンさんの場合は、それが味になっていますよね。カータンさんにしか描けない絵。当たり前ですが、私がカータンさんの絵を真似して描いたとしても、やっぱりどこか違う。
その「マネできない部分」に”カータンさんらしさ“が出ていて、親しみだったり、共感が生まれるんでしょうね。
介護は「見切り発車」じゃないと大変になる

「介護ど真ん中!親のトリセツ」にもお父さまを老人ホームに預けるまでの経緯を書かれていますが、絵のタッチを通じてカータンさんの葛藤が見えるんですよね。

本にも書きましたが、親を施設に預けることに対して、「姥捨て山」の話への葛藤が頭から離れませんでした。
でも、父にせん妄の症状が出たことから、老人ホームに預ける決意をしたんです。症状が出始めたときは、私と姉が泊まりで父をみていました。
幸い意識は戻ったんですが、そのときにケアマネさんに言われたんです。 「また同じような状況になっても、お二人が泊まりでみるんですか?」と。
それを聞いて「たしかにそうだな」と。

それからすぐに入居を決断されたんですか?

かなり迷いました。でも、ケアマネさんが「介護は“見切り発車”ぐらいじゃないと、いざとなってからでは大変だから」って、背中を押してくれたんです。

さすがプロの言葉。

入居希望者が多い特養は、2年待ちなんて“ザラ”だと言われました。親がいよいよ生活できなくなってから申し込むのでは、特養に入るのは無理です。<でも、十分に見学もせず「近いからここに入れちゃおう」という発想になるのはもってのほかだと。
だから、まずは特養への入居を申し込むようにケアマネさんから教えてもらいました。そうして、入居を待つあいだに有料老人ホームの資料を揃えて見学に行き、「ここだったら!」というところを見つけておくように、とも。

「迷っている時間なんてない」ってことですね。

そうですね。父の場合も「見切り発車」で特養に申し込んだにもかかわらず、1年半ぐらい待ちました。

お父さまが施設に入居されてから、「姥捨て山」への思いは変わりました?

変わりましたね。プロが見てくださる安心感があるんです。実は入居後、父がホームで倒れたことが2回ぐらいありました。救急車で運ばれて入院することになったのですが、もし実家にいたら助かっていなかったと思います。

施設に入っていたから、命を救われたのですね。

それに、施設に入ったら楽しみがなくなるイメージがあったのですが、それも違った。毎月、施設から写真付きの日誌が送られてきていたんです。それを読むと、新たな楽しみを見つけた父の姿も感じられました。

「延命」の意思は肌着やタトゥーで表現すべし!?

施設に入居される際、ほかに悩んだことはありました?

「終末期の意思確認」の書類の書き方は悩みました。病院で延命治療を受けるか、ホームでの看取りを希望するかをチェックする項目があったんです。緊急時に心臓マッサージをするか、しないかについても。これは、親の寿命を決めるみたいで荷が重かったですね。
うちの家族は、いろいろな話ができるほうだったのに、「延命」については聞きづらかった。それに、親が年を取ると、かわいそうになって延命についての話し合いもできなくなります。元気なうちに「延命」について決めておいてほしいって思いましたね。

延命の話をうまく切り出す方法って、あるのでしょうか。

この本を監修してくださった認定介護福祉士の松川春代さんと対談したとき「親にインタビューしましょう」とおっしゃっていたんです。例えば、「これ今、流行ってるの」と言いながら、代筆するエンディングノートのように親にインタビューする。
「行きたい国」や「好きな食べ物」など順番に聞いていくんです。後半に進むほど、介護についての質問が出てくる。「貯金はいくらありますか?」とか、「通帳はどこにありますか?」とか(笑)。目的は介護なんだけど、親のことを一から知ること自体、面白そうだなって。

聞きにくいことも自然に聞けそうですね。ただ、延命の判断は難しいですよ。昨年、父が亡くなりました。本人も母も「絶対に延命はしない!」と言っていましたが、結局、延命治療を施してもらいましたからね。
「透析を止めたら、お父様は一両日中に亡くなります」と医師から言われたんです。そうしたら母が「ダメです!止めないでください」って涙ながらに。私も「そうしてください」と言ってしまったんです。
3週間後、父は亡くなりました。でも、人工呼吸器を付けて、意識がないまま「はぁはぁ」呼吸をしている父はとても苦しそうで……。無理して呼吸だけさせているような状態でした。そういう意味では、延命を選んだことに後悔が残っています。もしあの状態がもっと長く続いていたら大変だったと思います。
一度延命しちゃうと、止められないんですよね。そうなると、長く苦しませ続けるから、周りからも「そうならなくて良かった」と言われました。

延命治療で寿命を延ばすことが、必ずしも、本人と家族の幸せにつながるとは言い切れませんよね。
お医者さんが「枯れるように死ぬ」って言いますけど、それって決して、悪い意味ではないと思うんですよ。ライオンも死期が近づいたら、群れに迷惑かけないように姿を消します。そして、飲まず食わずの日々を過ごして、枯れるように死んでいくじゃないですか。
でも、ブログに「枯れるように」って描いたら「なんて言い方するんですか!」と言われたことも。

私も「枯れてきてんのに水とか入れないでくれ~」って思うかもしれない。でも、いざ「命がない」と言われたら、延命への誘いに抗えない。冷静なときの意思を残せる方法があったらいいのにな。

年を取ったら、自分で肌着にプリントしておくのはどうですか?

上着を脱いだら「延命反対」って出てくる。

「枯れるように死にたい」みたいな。

意思表示のひとつとしてね。

父が老人ホームに入っていたときにこんなことがあって。
老人ホームに入居しているときに「えーちゃん、えーちゃん」って父はいつも言っていたんです。それを聞く職員さんから、「おとうさん、奥さんの名前をずっと叫んでいましたよ」なんて笑顔で言われたんですが、「えーちゃん」は父の兄なんですよ。それで、「えーちゃんは兄貴です」って父のTシャツに書きました。

(笑)。おもしろいなあ。

“ウケ狙い”でもありました。父は目が見えなかったので、周りとのコミュニケーションがとりやすいように、身に付けるものに気を配っていました。
なるべくユニークな服装をさせていたんです。例えば、ピザやポテトがいっぱいついた靴下を履かせたり、キャラクターモノを持たせたりして。すると、周りのおばあちゃんとかが「あら可愛いわね」と話しかけてくれて、会話が盛り上がったんです。

ささやかだけど、“家族愛”を感じるエピソード。でも、さっきの話に戻ると、Tシャツを着てないときに倒れたら「延命反対」の意思が伝わらないですよね。

じゃあ、70歳を超えたら体にタトゥーで「延命反対」って“掘る”とかどうですか?延命拒否が本人の意思だとわかるように。

(笑)。カータンさんの人気の秘密が分かりました。
エピローグで明かされる姉の死

ご著書を読んでいても、お姉さんの存在がすごく大きかったと感じました。 でもずっと生き生きとお姉さんのことが描かれていて、最後から4ページ目のエピローグでお姉さんが亡くなるところが描かれている。
この本でカータンさんのことを知る人は、衝撃を受けるんじゃないかと思いました。


そうですね。ブログを読んでくださっている方は、とても長いあいだ、2人で介護をしてきたことは知ってくださっています。だから、姉の死を語ってほしかったと思うんですよ。
でも、ブログを読んでない人が本を読むことを考えると、姉の死について語るのは、最後でいいかなって。

それはなぜ?

編集担当の方が言ってくれたんです。「この本でカータンさんが伝えるべきことは、お姉さんを失った悲しみではないですよね」と。喪失感をわかってくれたからこその言葉だと思います。
ただ、姉に助けられたことは事実なので、やってもらったことは、すべて書きたかったんです。姉は「もう1人の著者」なので。

とても大きな存在ですよね。

父と母の介護は、姉がいなかったら“まいって”しまっていたと思います。お互いに愚痴を吐き出すことで乗り越えてこられました。でも、姉の死について語った内容がさらっとし過ぎていて「冷たい女」だと思われたかも……。

読者の方はもちろん、カータンさんの漫画に触れた方なら、ぜったいにそうとは思わないはずです。
「親を悪く言っちゃだめ」という思いは捨てよう

介護の悩みを相談できずに、ため込んでしまう方は多いですよね。カータンさんはどう思われますか。

そうですね。絶対に一人で抱えちゃダメだと思います。それに、「親に対してそんなこと言っちゃダメ」という思いを取っ払わないと苦しくなると思うんですよ。

「親のことを悪く言っちゃダメ」という考え方は根強いのかもしれません。だから、自分のなかに愚痴をためこんで、余計苦しくなる方も多いのではないでしょうか。

実は今回、amazonで本を予約してくださった方しか読めない特典を付けたんです。何のネタにしようかと考えていたときに、編集担当の方が「今まで、お姉さんと一番多く語った愚痴のベスト5を書いたらどうですか?」って。
「え?いいんですか?書いて」って言いました。ベストワンは“もう十分生きたよね?”なので。

カータンさんだからこそ成立する(笑)。でも、それって共感できる方がたくさんいるんじゃないでしょうか。それに、赤の他人が「親の悪口を言うのは不謹慎」と言って怒るのは、話が全然違うと思うんです。赤の他人がどうこう言うことじゃないもの。
「もう十分生きたよね」という言葉が本音だとしても、です。その言葉に込められている本人の気持ちって、本当に重いものだと思うし。

ありがとうございます。

介護の大変さは本人にしかわからないということは、私も経験があります。父が亡くなったとき、私は号泣したけど、妹は泣いてなくて……。周りは「妹さんはなんで泣いてないの?」みたいになっていたんです。実際、妹は「父の苦しみが終わってホッとした」って言いました。
私はずっと東京にいて、ほとんど父と会っていなかった。でも妹は地元にいて父や母のお世話をずっとしてきたんです。妹の方が、そばで支え続けてきたのに、お葬式で不思議がっている人たちには、その苦労や心情が見えていない。

そういうものですよね。

カータンさんは、介護で意識されたことってありました?

私は、介護のつらさも笑いに変えるようにしています。例えば、母は認知症だから、父が亡くなったことをすぐに忘れるんです。実家に行くたび「パパは?」って聞く。「パパは天国です」とか「もうすぐ迎えに来ますから、待っててくださいね」とか、いろいろな言い方をしました。
でも、あまりに何度も聞かれるので、それを言うのもつらくなってきた。最近は、武田鉄矢のモノマネをするような身振りで「パパは死にましたぁ」って、言ってるんです。

(笑)。それ、素晴らしい発想ですよ。カータンさんは、明るい発想転換とともに、現実をありのままに描いていらっしゃることもすごいと思います。
エッセイ漫画やエッセイを書いてる人が知り合いに何人もいますが、本当に起きたことを変な計算なくズバっと書ける人の作品は面白いんですよ。

ありがとうございます。自慢じゃないですが「現在進行形で、よく介護の話を描けるよね」っていろいろな人に言われてきました。

そういう脚色がないのも、全部漫画に出てますよね。介護の本って、本来すごく重くとられがちだし、ほとんどが専門家の本だと思うんです。でも、カータンさんの場合は、一人の主婦の体当たりの介護のお話です。
それに、重たい内容もさくっと読める内容になっています。絵で描かれることによって、救われるということもありますよね。

ありがとうございます。私の本が、笑って介護の悩みを語れるきっかけのひとつになれたらいいなと思います。
「できないこと」を責めず、「できること」を褒める

介護をしてから、ご自身で「変わった」と思うことってありますか?

人に対してやさしくなれたと思います。例えば、車いすや杖を使っている方たちに対する気持ちが変わりました。
今までは、体が不自由な方を見ると「かわいそう」とか「気の毒だ」としか思わなかったんです。でも姉が車いすを使うようになって、乗っている方の気持ちを想像できるようになりました。体のつらさだけではなく、いろいろな不安がありながらも、外に出られていると思うのです。
それから、高齢者に対する思いも変わりました。たまにおしっこの匂いがするお年寄りに街で会うことがありますよね。若い頃は、電車の中でそういうお年寄りが近くに来たら、さっと席を立っていました。
でも「おしっこの心配があっても、オムツをして外に出かけられているんだな」と思えるようになりました。オムツをして外出することは、ご本人にしたら「意志」の表れだと思うのです。

我がこととして介護を経験すると、今まで見てきた姿も違って見えますよね。

そうですね。それから、介護のプロが認知症の方に関わる姿勢にも驚きました。プロの方たちは、できないことを嘆くのではなく、できたことを見つけて褒めてくださる。
「できるのが当たり前」という健康な方の目線で見ると「できない足りなさ」が見えてきます。でも、認知症の方からすれば、少しの行動ができるだけでもすごいことだと。
例えば、このあいだ、ケアマネさんが変わることになって会議をしたんです。そのとき、書類数枚に母の名前を書かなきゃいけなかった。「娘さんが代筆されてもいいですよ」って言われたんですけど、母が「書いてみたい」って。
すると、そこにいた6人ぐらいのスタッフの方に「お名前が書けるのはすごい」と言っていただきました。
そのほかにも、もう食事の用意ができなくても、カップラーメンのお湯を注げるだけでもすごいって。お湯を入れたお風呂の湯舟に自分で入れるだけでもすごいって。もう、「すごい、すごい」の大合唱だったんです。母はとても得意げな顔をしていました。

うんうん。

それからは、私も「できないことではなく、できることに目を向けよう」と思うようになりました。
カップ麺にお湯を入れるなんて超カンタンなこと。だからできて当たり前って見てたけど、認知症の方の立場から考えると、それもすごいことなんだな、と。違う視点から世の中を見ると、全然違って見えると感じました。

まさにその通りですね。カータンさんのお話を聞いていると、元気が出てきます。介護のご苦労の背景から深い家族愛も伝わってきました。今日は、ありがとうございました。


カータン
人気主婦ブロガー。2007年にブログ「あたし・主婦の頭の中」を開設。コミカルなイラストで日常を赤裸々に描き、主婦層を中心に人気が爆発。「Japan Blog Award 2008」総合グランプリ受賞、「livedoorブログOF THE YEAR 2015」最優秀グランプリ受賞、以降殿堂入り。月間アクセス数は800万超、ブロガーとして確固たる地位を確立。近年は親の介護を中心に記事を投稿。悩みながらも体当たりに取り組む様が多くの共感を呼んでいる。主な著書に『健康以下、介護未満 親のトリセツ』(KADOKAWA)など。