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林家木久扇「”面白くありたい”気持ちが枯れない限り、人生に飽きることはない」

今回のゲストは落語家の林家木久扇さん。林家さんは、84歳にして「笑点」や高座で落語家として活動を続けています。生涯現役を体現している林家さんですが、二度のがんの闘病を含めて、これまでの人生で命の危険にさらされた経験は5回あったと言います。落語家になる前は漫画家として活動していた木久扇さん。漫画家という共通点で、くらたまとのお話に花が咲きました。

著者:林家木久扇 文藝春秋 (2020/5/20)

仕事・家族・子育て・老いなど、誰もがぶつかる人生のお悩みを落語会で長年活躍し続けてきた木久扇師匠が解く。驚きと感動の生き方指南本です。

漫画家の経験が「絵が浮かぶ落語」につながった

林家林家

今日は倉田さんに、僕が描いた絵が入ったカレンダーを持ってきたんですよ。

くらたまくらたま

すごい!お上手ですねー。絵は昔から描いていたんですか?

林家林家

はい、昔から。小学校3年のときなんですが、当時インドのネール首相という人が日本の子どもたちに象を送ってくれたことがあったんです。そのときに僕も象を見に行ってスケッチしました。インデレラという名前の象で上野動物園にいたんです。

それで、僕の描いた象が学校で表彰されて杉並区の代表になったんです。その頃から自信がついて、白い紙があるといつも絵を描いていました。

くらたまくらたま

確かに完全にプロの絵ですね。見せていただいてびっくりしました。

林家林家

今も日本漫画家協会に入っています。こないだ亡くなられた、さいとう・たかを先生や石ノ森 章太郎先生とはずっとお付き合いがありました。

僕の漫画の先生は清水崑さんという河童の漫画を描く方です。昔、黄桜のコマーシャルにも出ていました。僕は清水先生の書生をしていたんです。

当時は、先生が書いた原稿をNHKや朝日新聞に届けていました。『かっぱ河太郎』がテレビで始まった頃です。

くらたまくらたま

そんなことをしてらっしゃったんですか。

林家林家

先生の教えは攻勢・攻勢また攻勢でした。人生はいつも攻めと教わったんです。それから群れずに孤高であれ、ということ。「才能は人が見つけるものではない。自分の中にある鉱脈を見つけよう」と言われていたことを覚えています。

くらたまくらたま

手塚治虫先生の活躍よりもう少し前の時代ですね。

林家林家

前です。昔は「漫画集団」と「児童漫画」という漫画家の集まりが別々にありました。そのうち合併して「日本漫画家協会」になったんです。ビッグコミックが創刊された頃でした。手塚治虫先生にもそこで出会ったんです。手塚先生は「笑点」に出ていた僕を見て、応援してくださっていたんです。

僕は、引っ越ししたことを友人や知人にはがきでお知らせしたことがありました。すると、ある朝チャイムが鳴ったので、外に出ていくと手塚先生が立っていたんです。

くらたまくらたま

え、すごい!びっくりですね。

林家林家

「先生どうなさったんですか?」と尋ねると、「良い家ができましたね。お祝いに」と言って色紙2枚に鉄腕アトムとジャングル大帝の漫画を描いて持ってきてくださったんです。落語を話している絵で感動しました。

くらたまくらたま

それは貴重だ。

林家林家

手塚さんの担当だった編集者の目をかいくぐってご本人が来ちゃうんです。そういうすごい人です。

くらたまくらたま

漫画家の経験が落語に生きているところもありますか?

林家林家

そうですね。僕の話の内容は絵がスーッと浮かぶと言っていただくことが多いです。漫画に描いたつもりのことを喋っているからかもしれません。それに、面白い閃きを避雷針のようにパッとつかむ感覚は、漫画家の頃から大切にしてきました。

例えば「倉田さんとの対談」とかけて「気に入った洋服と解く」その心は「一度会ったらまたきたくなる」とかね。

くらたまくらたま

素敵だわ!!

林家林家

そんなふうに「ちょっとしたことも、何か面白くできないかな」といつも思っています。自分を面白がらせることが大事なんです。

「ちょっとやってみるか」で落語の世界へ

くらたまくらたま

漫画家じゃなくて落語を目指されたのは、どんな経緯があったんですか?

林家林家

漫画を描くときに、吹き出しにセリフを入れますよね。あるとき、登場人物のように力を込めてセリフを話しながら描いていたんです。すると、先生が後ろに立っていて見てたんです。

「漫画というのは面白い絵を描かなきゃいけない。だけど自分まで楽しくなっちゃうやつはないだろう」って仰ったんです。

そして「これからテレビの時代になると思うから、漫画が描けて落語ができたら売れるかもしれない。ちょっとやってみたらどうか」と言われました。

「ちょっと」と言われたから、僕も軽いノリで「良いですね」って言っちゃったんです。

くらたまくらたま

それが始まりだったんですね。

林家林家

すると先生が、先代の三木助師匠とお付き合いがあったので、すぐに手紙を書いてくれました。そして「今日は仕事しなくていいから、これ持ってけ」と言われて持っていきました。初めてお会いした三木助師匠はその手紙を読み終わると「あなたはそんなに落語が好きなんですね」と仰ったんです。

しかし、今だから言えますが、僕はその頃そんなに落語に熱心だったわけではなく、三木助師匠のことも存じ上げませんでした。でも、三木助師匠が僕の即興の落語を気にいってくださって「明日から来い」と言われました。

死にそうになったことは人生で5回

くらたまくらたま

人生どんなきっかけから道が開けるかわからないものですね。でも、がんを2回も克服されたにもかかわらず林家さんはお元気ですね。

林家林家

僕は、今まで死にそうな目にあったことが5度ありました。しかし、生き延びることができた。生きていて得をしたという思いがいつもあるので、「助かった命を何かで埋めよう」と思ってきました。だから孤独に悩むということはないんです。

僕の場合は戦時体験だったけど、そもそもが「ゼロ」からスタートした人は失うものがないから、あとはすべて「得したな」って思える。

(『イライラしたら豆を買いなさい 人生のトリセツ88のことば』P40より引用)
くらたまくらたま

5回もですか?

林家林家

一番最初は東京大空襲です。何とか無事でしたが、大変でした。

くらたまくらたま

記憶はありますか?

林家林家

爆撃機が一晩に約300機来てそれが全部爆弾を落としたんです。10万人もの人が亡くなりました。僕はそのとき小学1年生で高円寺にいたんですが、ずっと東京の夜が明るかったです。そういう少年時代でした。

くらたまくらたま

なるほど。

林家林家

僕が通っていた小学校は、集団疎開で福島に移っていきました。しかし僕は長男で店を継がないといけない。だから家に残ったんです。毎晩空襲警報が鳴って、子どもながらに「もうじき死んでしまうんだろうな」と思いましたね。

くらたまくらたま

そんな中を生き延びられて、そのあと4回も危ない場面があったんでしょうか?

林家林家

がんは2回やって腸閉塞もやりました。腸閉塞を患ったときには生還率が50%と言われ、家族全員が集まって僕を見守ってくれました。

くらたまくらたま

それは一回目のがんのあとですか?

林家林家

40歳頃かな。腸閉塞で何とか命拾いし、2000年ぐらいに胃がんになりました。

そして2014年に喉頭がんを発症し、「これでは商売ができないし、芸能生活も終わりだな」と思ったんです。放射線治療というのがあんなに効くとは思わなかったですしね。ひなたぼっこぐらいの熱さで3分ほど喉を照射する治療をしました。

くらたまくらたま

その後どうなったんですか?

林家林家

40日間でがん細胞が消えたんです。喉頭がんになって最初に診てもらった放射線科の先生に「40日間ぐらいで消えますよ」と言われました。本当にその通りだったからすごいなと思いました。

10億円する機械だったので、戦闘機にすると2機買えます。10億円の機械で治してくれたから、治療代ってどれぐらいとられるのかと真っ青になっちゃたんです。そしたら保険が効いて 1回2,000円~4,000円ほどに収まりました。

だから保険は大事だと思います。老いてくると、特にそういう備えはしといた方が良いです。

映画スターへの憧れから歯の健康を意識するように

くらたまくらたま

林家さんが普段実践されている健康法って何かありますか?

林家林家

僕にとって「健康とは何か」と聞かれると「歯」なんです。嚙む力があると元気です。

くらたまくらたま

歯を大事にしてらっしゃるんだ。そのために何をされてるんですか?

林家林家

もちろん歯は毎日磨きます。その上、歯磨きのチューブや歯間ブラシなどを70種類ぐらい持っています。

くらたまくらたま

70種類!すごいですね。そこまでですか。

林家林家

そしてご飯を食べ終わると、すぐにうがいをします。なぜそんなに歯を大事にするかと言うと、テレビで顔が映ったときに口元がアップになるからです。歯が汚いと、笑顔でも感じ悪く見えてしまいます。

くらたまくらたま

でも珍しいですよね。日本で歯を大切にし始めたのは、ここ2~30年の文化です。それまで歯磨きも習慣化していない状況でした。林家さんの世代では歯のことにそこまで関心を持ってきた人はそう多くないように思います。

林家林家

僕は小学校4年のときに歯の大切さに気づきました。これは、僕が映画少年だったことに関係しています。子どもの頃から電車に乗っていろいろな映画を見に行きました。外国映画で、大スターがアップになるとみんな歯がきれいなんです。

くらたまくらたま

確かに。向こうの人は気にしますからね。

林家林家

僕はそれを見ながら「なんであんなに歯がきれいなんだろう」「大人になって歯がきれいだとかっこいいな」と思っていました。そして、子ども心に歯というのは特別なものになったんです。

子どもの頃のそんな思いが今につながったのか、今「笑点」の僕の似顔絵は、歯が揃っているアニメなんです。

くらたまくらたま

確かにそうですね。

林家林家

先日、80歳を過ぎて20本以上の歯が残っていることを称えて、区で表彰していただきました。8020運動というものです。

くらたまくらたま

何十年もずっと大事にしていらっしゃるからなんですね。そういう具体的な健康の秘訣は真似しやすくてありがたいです。

林家林家

突然ですが、僕はワイキキが好きなんですよ。

くらたまくらたま

え?

林家林家

なんでかって言うと、ハワイ(歯はいい)と言って…

くらたまくらたま

笑 師匠、さすがです!

林家林家

そういうことを考えるのが落語家なんです。

くらたまくらたま

面白い!それから、「噛む」ということは、食べることにつながりますよね?

林家林家

唾が出ることがとても大事です。特に高齢になってくると、唾が出にくくなるので、よく噛んで食べます。すると「お父さん早く食べなさいよ」って言われます。

くらたまくらたま

なるほど。でもよく噛む方が良いですね。

林家林家

食べ過ぎないように、という意味もあります。

くらたまくらたま

それは大事なことですね。良く噛んでいらっしゃるからですかね。あまり体型もお変わりない。

林家林家

太らないんです。今は54.5キロ。

くらたまくらたま

軽い!負けました~。

発信し続けることが老いない秘訣

くらたまくらたま

林家さんは『笑点』では最年長の天然キャラと言われていますね。生涯現役の秘訣ってあるんですか?

林家林家

いつも球を投げ続けていることですね。

くらたまくらたま

その心は?

林家林家

いろいろお呼びいただくと、僕という人間が再確認されます。今日の対談もそうです。

一度球を投げただけでは、世間はすぐ忘れてしまいます。だから発信を続けることだと思うんです。今も本を2冊書いています。

くらたまくらたま

なるほど!

林家林家

瀬戸内寂聴さんも99歳まで原稿を書いていらっしゃった。そのお年まで発信されていたのはすごいと思うんです。

僕はそこまではできないかもしれないけど、参考にしたいと思っています。生き続けることは発信力。老いないことだと思うんです。身体はどんどん衰弱していくかもしれません。しかし、心は別物です。

くらたまくらたま

そうですよね。

林家林家

それに、僕の場合はお弟子さんが10人いて、20代の若者がいつも出入りしてくれています。そしていろいろなことを教えてくれます。それにいつもお客さんがいるんです。得な商売だと思います。

そんな環境にいるので、僕は人の倍以上に面白い人にならなくちゃいけないと常に思っています。だから生きることに飽きないですね。

くらたまくらたま

生きるのに飽きない!素敵な言葉だ。林家さんは好きなことをずっと追求していらっしゃいますよね。

林家林家

好奇心の強さと、何でも面白がる気持ちはあると思います。

くらたまくらたま

面白いことの種はどこで見つけられるんですか?

林家林家

本が好きですね。でも、そんなにたくさん本を買ったり読んだりはできない。だから書評をチェックしたり、新聞の推理小説やミステリーなどを読んだりします。

くらたまくらたま

なるほどなぁ。短い時間でも情報を取り入れていらっしゃる。そうやって得られた一つひとつのことを落語に生かしているんですね。

林家林家

一人で話をしていても、お客さんと一緒にやっていると思っています。面白いことを言って、しばらく待ってまたネタをかぶせる。その話が面白いかどうかの反応を見ます。そして、面白くなさそうなら「こんなのどうだろう」とまたネタを出してみる。

くらたまくらたま

大勢の人を相手にしての「間」というのにも慣れていくものなんですかね。

林家林家

要はたくさん高座を重ねることだと思うんです。経験なんですよね。だから前座で初めて高座に上がる子を、いきなり1000人のお客さんの前に出してしまうこともあります。普通、寄席は200人ぐらいなんですけど。

その子は喋れるようになるか、怖くてしょうがないかどっちかです。虎は子どもを崖から突き落とすと言いますが、そんな感じです。残酷なことかもしれないんですが、それをやると少人数の高座ではびくともしなくなるんです。

僕の趣味はね、まだ何者でもない若者を育てて、つまりお弟子さんを売りものになるまでにして世の中に出してあげること。「人間をいじる」って言ったら口幅ったいんですが、僕を頼って来てくれて、落語界でなんとかなろうとしてる人の方向を見つけて、後押ししてあげるのが面白いんですよ。

(『イライラしたら豆を買いなさい 人生のトリセツ88のことば』P19より引用)
くらたまくらたま

それは度胸がつきそうです。林家さん自身は、今はあまり悩まれることもないのですか?人間関係でも、「言い返したりせずに聞き流すことがポイント」と本に書かれていましたね。

林家林家

人間は、言い合っていても前の感情のままずっと怒っていられません。激怒しているのは2~3分です。

僕はよく師匠に「馬鹿野郎」と言われてきました。師匠がものすごく怒っていて、弟子をみんな叱りつけていると、僕は師匠の横に並ぶようにしてたんです。

くらたまくらたま

え、何でですか?

林家林家

真横にいる人は怒れないものなんです。師匠は前に向かって怒っているから。そういう工夫がパッとできるから「きくちゃんずるいね」ってよく言われました。そういうことなんですよね。機転も大事です。それから、いつまでも物事にこだわり続けないことがとても大事ですね。

仕事で理不尽なお小言を言われたり、不愉快なことがあっても、僕のほうから、面と向かってキツい言葉を返したり、怒鳴ったりすることはまずありません。
とくに江戸っ子って気がせっつく人が多いんですよ。人間は自己中心的にできているから、そこでお互いにぶつかって怒ってもしょうがないですからね。

(『イライラしたら豆を買いなさい 人生のトリセツ65のことば』P40より引用)
くらたまくらたま

それは一つの処世術ではありますね。

いつの間にかいなくなるのが理想の最期

くらたまくらたま

ちなみに、林家さんの理想の最期の迎え方はどんな感じなのですか?

林家林家

僕はどういう死に方がいいか、思い描いているんです。

「お父さんなかなか起きてこないわね」
「あんた起こしてらっしゃいよ」
「お父さん遅いわよ。もう9時過ぎよ。起きて」
「あら…お父さん死んじゃった…。ねぇ、お父さん死んじゃったわよ!!」

と、いう感じでいつの間にかいなくなるのが良いなと思うんです。
そして、葬儀なんかは内々でやる。

「この頃、木久扇さん見ないわね」
「そうよ。なんかね、死んじゃったみたいよ」

って。
そんなことでいいと思うんです。

くらたまくらたま

そういう風にすっと逝くのいいですね。今の短いお話で、リアルに風景が浮かんできました。さすが師匠。

倉田真由美イラスト

林家 木久扇

1937年、東京日本橋生まれ。都立中野工業高等学校卒業後、漫画家・清水崑氏に弟子入りする。1960年に三代目桂三木助に入門。翌年、桂三木助氏が亡くなったため、八代目林家正蔵門下へ移り、芸名林家木久蔵となる。1969年、日本テレビ『笑点』のレギュラーメンバーとなる。1992年、落語協会理事に就任。2010年落語協会の理事職を退き、相談役に就任。2007年落語界史上初、親子ダブル襲名により林家木久扇となる。ラーメン店も手掛けたほか、現在も漫画家の仕事にも携わっている。著書に『バカの天才まくら集』(竹書房)『がんに負けるな!免疫力を上げるポジティブ生活術』(主婦の友社)など。現在も『笑点』最年長の天然キャラとして国内外のファンが多い。

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「くらたまのいま会いたい手帳」とは、漫画家でエッセイストの倉田真由美さんが、書籍、映画などのヒット作品を手掛けた著者・原作者・映画監督に対して、制作秘話や裏話に迫るコンテンツです。