内館さんの書かれた『今度生まれたら』という小説には70歳を迎えた女性の揺れる心情がリアルに描かれていました。私も今年50歳。30代、40代を目前にしたときも動揺したのですが、これまで以上の気持ちの変化を感じています。内館さんご自身にも、そんな時期があったのでしょうか?
今回のゲストは脚本家、作家、作詞家の内館牧子さん。内館さんはこれまでに、エリートサラリーマンの定年退職後の人生を描いた『終わった人』やおしゃれに気づかい加齢に抗って生きる78歳の女性を主人公にした『すぐ死ぬんだから』と、次々にベストセラー「高齢者」小説を発表してきました。2020年12月に最新作『今度生まれたら』を上梓した内館さんに漫画家くらたまが話を聞きました。
- 構成:みんなの介護
「今度生まれたら、この人とは結婚しない」
70歳を迎えた主人公・佐川夏江。夫はエリートサラリーマンだったが、退職後は歩く会で楽しく余生を過ごしている。2人の息子は独立して、別々の道を歩んでいる。自分の人生を振り返ると、節目々々で下してきた選択は本当にこれでよかったのか。進学は、仕事は、それぞれ別の道があったのではないか。やり直しのきかない年齢になって、夏江はそれでもやりたいことを始めようとあがく。2大ベストセラー『終わった人』『すぐ死ぬんだから』の著者が放つ最新「高齢者」小説。
70代は過去に縛られない


30歳、50歳、70歳っていう年齢は、なにか“大台に乗る”といった感じがしますよね。

はい、まさにそうです!

実は、私が過去に書いたエッセイをまとめた『別れてよかった』という本が新装版で出版されることになって、改めて原稿を読み返してみたんですけど、今とはまるで感覚が違うの。40代の文章なんか若いわ〜!って思う(笑)。

どういうところに若さを感じたのですか?

40代の文章を通してその頃の自分を振り返ると、まだ大学生の自分が見えていたことがわかるの。日本相撲協会の横綱審議委員とか、さまざまなことにトライしていた50代の文章を読んでもやっぱり同じで、20代、30代のことが当たり前に隣にある感じ。

なるほど!40代、50代では感覚的に若い頃の自分の方が近しく感じられていたんですね。

そう、でも70代になったら、大学時代の自分や昔付き合ってた相手のことなんか全然見えなくなった(笑)。もちろん懐かしい思い出ではあるんだけど、今はもう過去なんか振り返るより、これからの人生をどうすれば刺激的に送れるだろうかと。70代はまだ“終わり”についてはイメージできないんですよ。
相撲の伝統を守りたいという一念から54歳で大学院へ

内館さんは50代をどのように過ごされましたか? 私は“まだ何でもできる”と、そう思っていたいんですが…。

倉田さんの年代であれば“何でもできる”と考えるのが健康的だと思います。実際、何だってできますもの。私もね、54歳のとき、東北大学の大学院(文学研究科修士課程)を受験したの。

そうなんですか!?その頃はテレビドラマの脚本だけでなく、女性初の横綱審議委員としても活躍されていて、寝る暇もないくらいお忙しかったはずでは…。

ちょうどね、男女平等・男女共同参画ということで、大相撲の土俵にもジェンダーの問題が持ち込まれて社会問題化してた頃です。大阪府知事の太田房江さん(当時)が女人禁制の土俵に上がって府知事杯の贈呈をしたいと言って…。

覚えています。たしか、相撲協会は女人禁制の伝統を理由に拒否しました。

はい。もちろん私だって男女共同参画には大賛成だし、男女平等も当然だと思っています。でも、それと宗教的儀式、民俗文化、祭祀、芸能、伝統文化、にまで、21世紀の常識をあてはめる必要はない。
知事は「グローバルスタンダード」とおっしゃいましたが、自国の伝統文化にグローバルスタンダードをあてはめるというのは暴挙です。
私は相撲協会の判断を全面的に支持しました。

相撲は単なるスポーツではないとお考えなんですね。

大相撲は長い歴史の中で、変わってきています。その中の何を変革して、何を保守するのか、そこを見極めないと、まったく別物になる。
スポーツであって伝統文化であることを、もっと重く捉える必要があります。
だって男女平等・男女共同参画だけを推し進めていったら歌舞伎も宝塚歌劇も成立しなくなりますよ。私はそういう風潮の中、大学院で宗教学の見地から“神事としての相撲”を研究してみようと。

54歳で大学院へ進まれたのは、こよなく愛する相撲の伝統を守るためだったんですね。う〜ん、凄いエネルギーと行動力!でも、大学院に通っている間、お仕事の方はどうされてたんですか?それにお住まいも。

約3年間、仙台に拠点を移していました。仕事は連載エッセイや対談に絞り込んで、どうしても東京へ行く必要があれば、金曜の夜、大学のゼミが終わってから最終の新幹線に飛び乗って、土日に仕事をして月曜の朝に仙台へ戻る。57歳になる直前までそんな生活でした。
本当は70歳までに博士号も取りたかったの。けど、60代で病気をしてしまったこともあって実現できなかった。それは心残りですね。
70代で「できること」は変化する

お話を伺っていたらなんだか元気になってきましたし、さらに現在の内館さんのご活躍を思えば、その先の60代、70代にも希望が湧いてきました。

50代は何でもできます(笑)。50代で「できることが限られてきた」とか「先が見えた」とか言う人は実に不健康だと思いますよ。
ただ、70代でも同じことが言えるかというと、確かに最近の70代は昔に比べれば体も頭も若いんだけれど、それでも50代の若さとは違う。50歳から70歳までの20年で「できること」が変わってしまうんです。

それは必ずしもネガティブな意味合いばかりではないですよね?例えば内館さんほどではなくとも、何かしらチャレンジングな生き方を選択されてきた人であれば、70歳ではじめて実を結ぶ可能性のようなものもきっとあると思うのですが?

それはあると思います。一方、『今度生まれたら』という小説の主題は「もう何でもできる年齢ではなくなった」ことを自覚せざるを得なくなった70代の主人公たちの後悔や焦燥なんです。
でも、意外にも読者からは「力付けられた」「私も頑張って生きていこうと思った」「70歳でなすべきことをなせと喝を入れられた気がする」「これから人のために何ができるかを考えさせられた」といったポジティブな感想がたくさん返って来てとても驚いたんです。
たぶん、そういう受け止め方をしてくれた方たちも、これまでの人生の途上で「自分には何ができるのか」「何をしたいのか」「何をなすべきか」をそれぞれ模索されてきたのだと思います。
無防備に眠りこけている夫の寝顔を見た時、私はつぶやいていた。
(『今度生まれたら』P1より引用)
「今度生まれたら、この人とは結婚しない」

前向きだから心に響いたんでしょうね。う〜ん、ますます50代を一生懸命に生きなければという気持ちになりました。
挑戦してみてわかる「向き」「不向き」

“これをやっておけばよかった”と後悔していることはありますか?

ロンドンに住んでみたかった。

どうしてロンドンなんですか?

長く住んでいた方からね、「歴史や文化を非常に大事にしている街で、あなたみたいな保守的で頑固者にぴったりだ」と言われたの(笑)。旅行では行ったんだけど、やっぱり3年くらい腰を落ち着けて生活しないとその土地の本当の匂いは感じ取れないでしょう。

海外生活のほかにやり残したことは?

うーん、思い浮かばないですね。やりたいと思ったことは50代のうちにやれた気がします。
人間はすべてを手に入れることはできないのだ。手に入れているように見える人は、必ずどこかにシワ寄せが来ている。
(『今度生まれたら』P176より引用)

大学院の修士課程のほかにもまだ何かされていたんですか?

私、将棋を始めたことがあったの。今みたいなブームになるずっと前。将棋を覚えればきっと老後を超楽しく生きられるような気がして、たまたま米長邦雄(永世棋聖)さんとご一緒する機会があったので「私を弟子にしてください」とお願いしてみたら周りの人がみんなズッコケちゃった(笑)。
さらに「将棋はどれくらい知ってるんですか?」と誰かに聞かれて、「駒の並べ方も知りません」と答えたものだから、「内館さん、それは相撲を取ったこともない人が、いきなり北の湖さんに向かって入門させてくれと言っているのと同じですよ」とあきれられてね。
なるほどそうだと反省したんですが、米長さんが「わかった。じゃあ僕の一番弟子をあなたにつけてあげよう。その代わり、月刊『将棋世界』に成長期を連載せよ」って。

その話、凄すぎます!(笑)

それからしばらく、週に1回、わざわざ私の事務所まで来てゼロから教えてくれたのが、当時早稲田の1年生だった中村太地さんなの。恐れ多くも、後に「王座」のタイトルを取られた方です。でも、私はまるで覚えられず、1年ほどでギブアップしたんです。今でも将棋が指せたらきっと相撲と二つで老後を楽しく過ごせたのにと思います。
自分に合うことが見つかれば人生は豊かになる

内館さんにとって、50代の挑戦は老後を心豊かに過ごすための準備でもあったんですね。

いえいえ、そんなことは全然考えていませんよ。興味があるものは、やってみるというだけで。大河ドラマを書いていた頃も、ワイン学校に2年間通っていました。番組プロデューサーから「ワインの名前を覚えるより年表を覚えてください」なんて皮肉を言われながら(笑)。

大河ドラマの脚本を執筆しながらですか?

はい。でも学んでみてハッキリわかりました。私にはソムリエ試験は無理だって。ところが、だいぶ経ってから、日本ソムリエ協会から名誉ソムリエの称号をいただきました。ほかにも日本酒の学校に通って利酒師の勉強もしたんですけど、こちらも面白かったですよ。

信じられません。いったいその活力はどこから湧き上がってくるんですか?

別に活力ってほどじゃありませんってば。やってみようかってことだけで。ゴルフもやりましたけど、私、これだけは何が面白いのか、全然わからなかった。いろいろとやってみると、自分に合わないというものもわかりますよね。

では、これからやってみたいということは特にありませんか?

新しく何かを始めるのもいいけど、これまでの人生で身につけたことをさらに極めるという道もあります。例えば落語を聞くのが趣味の人なら、たとえ介護が必要になっても、今の時代ならDVDやインターネットで思う存分楽しめる。
私にとってそれはまさしく相撲なんですけど、そういう楽しみを持ち続けられれば、必ず飽きない老後を送れると思ってます。
相撲は我が人生。生涯の友。

あの、一度お聞きしたかったんですが、いったい相撲の何がそこまで内館さんの心を捉えて離さないのでしょう?原体験のようなものがあるのでしたら、ぜひ、お聞かせください。

今では誰も信じてくれないんですけど、私、幼い頃、いじめられっ子だったの。幼稚園に行っても社会性はゼロ。人に見られてるとお弁当も食べられないくらい神経質な子どもで、ちょっと何かされればすぐにびいびい泣き出すからよけいにいじめられて。おまけに団塊の世代ですから人数が多くて先生の目も届かない。いじめっ子にとって私は格好のターゲットだったわけです。
でもね、いつも助けてくれた男の子が1人いて、その子、体が大きくて力道山に似てたの。
たぶん、よほどその印象が強かったんでしょうね、「大きな男子=優しくて頼りになる人」というイメージが心に刷り込まれて定着してしまったんです。

それは何歳のときの記憶ですか?

4歳です。結局、半年で私は幼稚園をクビ。強制的に辞めさせられてしまったんです。

そんな!どうしてイジメを受けている側が辞めなきゃいけないんですか!!

私は手がかかるし、トラブルの元凶とみなされたんでしょうね。子どもの人権も何もない時代でしたから。
でも、私としては家にいる方が安心できましたし、おそらく体の大きな男子はやさしいという刷り込みとラジオから流れてくる相撲中継が結びついたんでしょう、それを聴いて過ごすのが一番の楽しみになっていったんです。
友達がつくれないので、何をやるにも一人でした。そのうちにお相撲さんの名前も覚え、気がついたら父の机の下に潜り込んで今度は星取表を書いて遊んでました。一人遊びをしているうちに、ほかのどの子どもたちより早く字が書けるようになったばかりか、8勝7敗とか2勝13敗とか15までの簡単な計算までできるようになっていたの。
おかげで小学校に上がってからは先生からすごく褒められた。それまで扱いにくい子どもだと白い目で見られることはあってもみんなの前で褒められたことはありませんでしたから、もうすっかり舞い上がって性格まで明るくなってしまったんです。
でも、「勉強ができる子」という化けの皮はすぐに剥がれちゃいましたけどね(笑)。

そこで人生が変わった。本当に相撲によって救われたんですね。

私の相撲歴は4歳から始まっているわけですから、ほぼ人生そのものです。だから、この先も相撲という研究分野と楽しみさえあれば、たとえ介護を受ける身になったとしても、私は生涯、楽しくいられる気がするんですよ。

内館牧子
1948年秋田市生まれの東京育ち。武蔵野美術大学卒業後、13年半のOL生活を経て、1988年脚本家としてデビュー。1991年ギャラクシー賞、1993年第1回橋田壽賀子賞(「ひらり」)、1995年文化庁芸術作品賞(「てやんでえッ!」)、日本作詩大賞(唄:小林旭/腕に虹だけ)、2001年放送文化基金賞(「私の青空」)、2011年第51回モンテカルロテレビ祭テレビフィルム部門最優秀作品賞およびモナコ赤十字賞(「塀の中の中学校」)など受賞多数。小説家、エッセイストとしても活躍し、2015年刊行の小説『終わった人』は2018年に映画化され、累計49万部の大ヒットを記録。続く『すぐ死ぬんだから』も単行本だけで30万部のベストセラーになっている。2000年より10年間横綱審議委員を務め、2003年4月、大相撲研究のため東北大学大学院 に入学、2006年3月修了。その後も研究を続けている。