コロナで仕事もキャンセルに…
「普通の生活」ってありがたい
旅に出た。この時期にいかがなものなのかというご批判もごもっとも。悩みに悩んで出かけた。もちろん少しの仕事を持っての旅ではある。
この時期にだから大手を振っても出かけられない。3月末から家の外に出ない生活をしてきて、停滞しまくっていた仕事とモヤモヤ感が募っていた。
「あなたがコロナになってしまうのは百歩譲っていいとしても、それを誰かにうつす恐れもあるわけだから、不要不急の外出は控えた方がいい」
わかっている。でも、それで仕事もできなくなって生活できないのはいいのか?どうしたらいいんだろう。
「神足さんにうつしたら大ごとだから」そう言っていくつかの仕事もキャンセルになった。大きい会社や組織に雇われていれば、リモートで働くこともできていたかもしれない。
実際オンラインで会議やインタビューをするなんていうのも普通になった。でもそこまで守られていない会社だったら?店だったら?蓄えがそんなにあるわけでもない。どこまでの線引きが必要か?不要不急の用事ってどこまで?
まるで「普通の生活」ってやつがどんなに恵まれていたか実験しているようだった。この数ヵ月の「普通でない生活」が体を弱らせた。人と会わない生活が活力を奪った。ただでさえ弱い足腰が目に見えるように衰えた。きっと頭の中もボヤッとしただろう。
イライラが募ったという人の話も聴いた。病院の入院や通院のあり方も変わった。そんなコロナ期間をひっそりと過ごしていた。そして「普通の生活」のありがたさがしみじみわかった。
外国車の福祉車両で旅へ
観光地はどこも客が減ってるみたい
そんなとき、旅に出る企画が持ち上がった。最初はGo Toキャンペーンをやろうとかいう話もあったが、この時期に神足さんに旅に行かせるのもなあと、とりあえず延期となった。それでも、違う企画とともに中途半端な見切り発車の北海道への旅は始まった。今回の旅は、仕事仲間と家族と一緒だ。

今回は、前回書いた介護車での旅を体験することが一番の目的で、車の旅だからある程度のソーシャルディスタンスが保たれるってわけ、と言い訳も考えた。
県外の車を見たら嫌な顔をされるって話も聞いていたので、恐る恐るの旅ではあるが、今のところ皆さんの対応はあったかい。あったか過ぎる。ただいま、まだ旅の途中である。
観光客も通常の三割ほどと聞いた。この1ヵ月はそれでもずいぶん戻ってきたとは言っていたが、どこも死活問題だろう。
新鮮なイカやウニに大満足!
好きな人と旅も仕事もできる幸せ
漁港の近くの食堂に入った。店は一階と二階があって二階の見晴らしの良いところは開けていたが、一階は閉まっている時間だった。車椅子だと告げると開けてくれるという。車いすが入れるスペースまで作ってくれた。
店を開けるということは人も配置するし、見ていると二階からわざわざ料理を岡持ちに入れて運んでいるようだった。一階の調理場は閉めたまま。こんなご時世だから、一階は閉めたままなのだろう。店自身だって危ない。無駄になるかもしれないが準備をして客を待つ。
そして今日はあちらとこちらの利害関係が一致した。お品書きの値段から大負けに負けてくれたし、今日採ったばかりのおいしいイカや季節もののムラサキえびもウニも食べることができた。商売を抜きにしたって親切なおばちゃんは気さくに話しかけてくれた。「どこに行くの?鹿が出るから運転気をつけて」

「会計は悪いけど二階にいってくれる?」妻が海鮮市場の中を通って二階に行くと、国後島を見渡せる眺めのいい食堂もがらんとしていたという。「ここで食べられたらもっと良かったのにって思った」と妻。でも車椅子ではそこには行きつかなかった。
妻はそこを見てしまったから「ああ、ここで食べさせたかったなあ」と欲も出てしまったが、ボクにとっては最高の食事だった。最果ての地でも好きな人に囲まれている。念願の羅臼昆布で育ったウニも食べることができた。ずっとこんなのがあったらいいなあと思ってきたベンツの介護車に乗って旅ができている。それに仕事だってできている。
アクシデントも醍醐味
ボクはこんな旅がしたかった!
旅は思い通りに行かないことも多いが、それを含めて好きである。おいしいと聞いていた寿司屋がこのコロナのせいかやっていなかったり、車に危険なシグナルが点灯して遠回りしてヤナセに持って行ったり。アクシデントで予定がずれ、今日撮影に行くはずだった場所に行けなくなったり。夕飯にありつけなくって、さてどうしようと思ったり。

予定を立ててくれている若者たちは「さてさてどうするか…」と、組み直しが大変だったことと思うが、すべてを含めていい旅だ。こんな体になって安全を配慮して「無理をしない旅」が常になっているボクだけど、本当はこんな旅がしたかったのだ。普通の人だったら普通の旅だけど。
湿原でスッポンポンの大失態
バリアフリーでも断念…
今日は、釧路の湿原の遊歩道に撮影に行った。そこはバリアフリーとは言われていても、さすがに妻と二人では危険を感じて途中で引き返した。
林の中を木製のブリッジが通っている。大自然を壊さないようにという配慮と、ボクたちにも歩きやすいようにちょっとだけ手を入れて木々の中を行けるようになっている。アップダウンも結構ある。
ちょっとした溝で車椅子もボクも大きく揺れた。そしてずれ落ちた。まるでジェットコースターにでも乗っているようなスリル。木のブリッジは露に濡れてツルツル滑るのだ。

あともうちょっとで湿原が見えるとこなんだろうなあっていうところまで来ているのは雰囲気でわかった。けれど、「もう引き返そう。その先に行って無事に帰れる気がしない」そうボクは妻に告げた。
何度も坂道で車椅子からずれ落ちたボクを、引き上げてくれようとする妻。でも、ズルズルとまたすぐに落ちそうになり、その度におむつがズボンごと脱げる。「ああ」二人で笑いすぎて力が入らない。こんな大自然の素敵な空間でスッポンポンの大失態。
とにかく戻ろう。これは無理しちゃいけない合図だ。湿原を目の前にそれを見ることもなく帰路に着く。チョモランマの山頂付近まできて引き返す登山隊の気分だ。先陣を切ってロケハンに行っているパーティーに「ここで引き返す」とメールする。

うまくいかなくても覚えてる
妻の笑い声やピンクの蓮華
残念な話だったが、ボクはこういう旅がしたいといつも言っているのだ。満足である。やってみてダメなものはダメ。車椅子では無理だった。いや、車椅子が無理だったんではではなく、今回の「ボクには無理だった」という話。
ロケハン部隊も「すみません、先に行っちゃったから」と申し訳なさそうに言っていたけど、それでいいのだ。そのときのいろいろなことがすべて組み合わさって旅になる。スケジュールどおりにいかなくたって、いい旅の予感はしている。それに今回はVRで撮影している箇所もある。見れないところはテクノロジーが補ってくれるだろう。
「体が許すのならもうちょっとここにいたいなあ」と思う旅も後半、左足の拘縮が始まりつつある。しかしクスクス笑いながらこれを書いている。どんな風景をボクは覚えているんだろう。
そんなことを車の窓越しに流れる風景を見ながら思ったりしているが、きっとおいしいウニを食べたことは忘れてしまっても、釧路湿原の遊歩道でお尻丸出しになりながら大笑いしたのは覚えているかもなあ。あと、同行した仲間が抱きかかえてくれたときに言ってくれた「ボクにつかまってください」という声や、娘が車椅子をさっと動かしてお尻の下のベストポジションに押し入れてくれたとき、地面にピンクの蓮華が咲いていたこととか。
今書いていたって幸せで涙が出てくる。来年の夏も行けたらいいなあ。仕事を持って。

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