人生にはたくさんの分かれ道
妻は苦渋の選択を重ねてきた

人生にはいろいろな分かれ道がある。

その度、人はさまざまな選択をする。

分かれ道だとわからずに、知らず知らずのうちに選択している場合もある。

後になって「ああ、あのとき」と思う瞬間が、誰にでも一つや二つあると思う。そんなに重大なことでなくたって日々選ぶことの連続だ。それの積み重ねで人生ができていると言っても過言ではない。

ボクが発病してからというもの、妻も苦渋の選択をいくつもしてきたということを、先日インタビューを受けた際に知った。

その最たるものは延命措置。救急車で運ばれて、大学病院で診察後入院を待っているときに別室に呼ばれて「どうしますか?」と聞かれたらしい。

この数年入退院を繰り返し、くも膜下出血以外の病気にも見舞われているが、そのときは突然の吐血。さっきまでご飯を食べていたのに、数時間後には救急車に飛び乗って、病院の小部屋でそんなことを聞かれる妻。

自分のことだけど、ボクは意識朦朧でそんなことは聞かれることもない。「今、決めなきゃいけないんですか?」「そんなにひどいのですか?」妻はそう答えるのがやっとで、結論なんて出せるわけがなかったと後日話してくれた。

あのとき、「呼吸器はもうつけなくていいです」とか「経管栄養はしないでください」なんて選択肢もあったのか?そうしたら、今のボクはいなかったのか?そう思う。

9年前のくも膜下出血
いろんな人の選択でボクの命はつながった

もっと遡れば、9年前くも膜下出血になったとき、1度目の手術ではあまりに頭の中の出血が激しく、ここまでか、という判断もあったかもしれない。手術は本当に長時間に渡ったと聞いた。あのとき、「もうここまで」と先生が判断していたら命はなかったかもしれないし、一生目を覚さない植物人間になっていたかもしれない。

さまざまな要因といろいろな人の選択でボクの命はつながった。ボクは1ヵ月あまりICUで過ごし、意識もなく眠り続けたが、その間も家族は選択の連続だったであろう。

ベッドでピースをするコータリさん

“もしも”災害が起きたら…
動けない体ということを思い知らされる

このコラムにも書いたことがあるが、もし大災害が起きたとき、動くことが困難なボクはどう避難するか、日中家にいるのは誰か、などといったことを尋ねられる町内会のアンケートが毎年9月の防災の日あたりに配られる。

もう数回はそのアンケートに記入しているが、その度自分というものを考える。自分が動けない体だということを思い知らせれる。そして迷惑かけてるなあと切なくなる。

実際、我が家には玄関から外に出るまで階段があり、停電などが起きたら妻がいたとしても避難するのは困難だ。ましてや我が家には高齢者も二人いる。避難するときは車椅子で?でも、もし車椅子もなかったら?どう考えても妻と娘がボクを連れて逃げるというのは難しいだろうなあと思う。

避難所に運よく行けたとしても、体育館で座ることも、背もたれや肘置きがなければできない。ただマグロのようにデンと横たわるだけだ。

すぐにトイレ問題も発生する。異臭が漂うかもしれないしスペースだって必要だ。大勢が避難しているであろうその場所で共存できるか、考えただけでも不可能なんじゃないかと思ってしまう。

ボクが平気でも一緒に避難している一般の人に迷惑がかかる。そういう非常時は精神的にも追い詰められているだろう。普通は我慢できるものも「なんとかしてくれ!」と言われるかもしれない。

妻はこともなげに町内会の人に「家が崩れない限り夫と私は避難所には行かずに家にいます」そう答えたそうだが、それが彼女のベストな選択だったんだろうなあと申し訳なく思う。

妻に言わせれば、「“もしも”の話なんて気にする必要ない!!」だそうだけど、ずっしり重い選択だ。

妻は肝っ玉母さんぶりを発揮するが、だいたい、“選択”をするってことは「もしも」の連続なわけである。未来に向かって選択するわけだから。

選びたくても選べないことも多くなった
だからこそ慎重に考える「選択」

「お話を伺いたい」とメールが入る。その人と会っても意思疎通も図れず終わってしまうかもしれない。でも数年後「ああ、そういえば」って思い出して連絡するかもしれない。

今まで無意識に行ってきた選択についてもよく考えるようになった。それは今、選びたくても選べないことが多々あるからかもしれないなあと思う。

今日会うはずだった約束も、雨が降っただけで流れてしまう。外に出るのが困難だからだ。それでもどうしてもの場合は、マンパワーで外まで出してもらうのを頼むこともできる。お金もかかるし人も用意できるかわからない。相当な苦労だ。

行きは出してもらったとして外出先ではどうする?帰ってくる時は?体調は?思いもよらない難題が選択を待っている。

今日その人と会わないことが、どう人生を左右したんだろうなあとか考える。健常なとき、そんなことまで考えてきただろうか?実際いろいろな積み重ねで人生ができているのだからそれも必然とは思う。

入院中のコータリさん

「もしも」のときの選択を人に委ねるのは楽かも
でも、最後の選択はボクが

どうしてもこれがやりたいとか曲げたくないという生活をずっとしてきたような気がする。自分の信念。仕事をしていくうえでは特にそうだ。それがなければ成功もないと思う。自分の考えを持っているということだ。ときには間違えも犯してきた。でも自分のスタイルは通してきた。

今も信念はもちろん持っているつもりだ。どうしても譲れないものもある。仕事についても生きていくうえでも。

でも、ふと考えてしまうことがある。それは自分では動けなくなって自分以外の人に自分を委ねなければいけなくなったからなのかもしれないなあと思う。仕事一つも誰かの力が必要なわけだから。

普通の神経の持ち主だったら当たり前なことか?介助が必要ならば人に選択を委ねるのも楽な生き方かもしれない。

いや、でも結局のところボクの代わりに選択する家族にはつらい思いをさせてしまうかもしれない。「もしも」のことなので「かもしれない」話ばかりだけど、やっぱり最後の選択はボクがしておくべきだなと思っている。

「もしも入院して選択を迫られたとき」それははっきり伝えておこうと思った。

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