5年もの間お世話になった
ダンディーなケアマネさんが、替わった
な、なんと、我が家のケアマネさんが替わった。もう5年もの間お世話になっていた事業所だ。我が家の一大事だ。妻はそのことについて数ヶ月悩んでいたそうだ。ちっとも知らなかった。
連載の第2回目で「ケアマネの選び方」の話をしたが、以前のケアマネさんは、くも膜下を発症して1年間入院して在宅に戻る時、リハビリができるように考えて探したケアマネさんだった。
ボクと同じ年かもう少し上かのダンディーな男性だった。ケアマネ業界にも精通していて、ご自分の経営するマッサージや、デイサービス、ほかにも多角経営されていた。ボクはそのケアマネさんが好きだった。月に一度訪問して来てベッドに横たわっているボクの足に触れ「どうですか?」と必ず聞いた。「ちょっとむくんでますね、マッサージに伝えましょう」。そんな数十秒の会話だったが信頼できた。
家に戻って来たばかりの家族は絶大な信頼を寄せていた。門から玄関までの階段をどうやって登るのか?失禁対策は?妻は的確な彼のアドバイスに従った。彼にして本当によかったと思っていた。
それから数年経ち、そのダンディーなケアマネさんが、社長業の忙しさを理由に同じ事業所の女性ケアマネにバトンタッチしたいと申し入れがあった。実際、妻は彼がケアマネとして実務をするには多忙すぎると薄々感じていたそうだし、我が家が無理を言ってお願いしている異例な話なのかもとも言っていた。
「なにかあれば、同じ事業所だからなんでもすぐ対応しますから」。そう言ってこの前までの女性ケアマネさんに数年前に変わったという。
妻だけは私の変化に気づいてた
体がいうことをきかない。どうしよう…
それからは、なんの不便を感じることもなく過ぎていった。ボクの状態も悪くもなっていなかったから。それがどのぐらい大変なことか、もちろんわかっているつもりだ。
クモ膜下になって退院する時に、在宅で問題なのが、寝たきりにしていると褥瘡(じょくそう)ができたり麻痺側の拘縮(こうしゅく)が始まることなんて言われていたけれど、熱心なリハビリのケアプランのお陰か、褥瘡防止のベッドのお陰か、とにかくその男性ケアマネに最初にプランを立ててもらってなにも変更することなく無事過ごしていたそうだ。
ところが、昨年夏にがんが見つかり入院してからボクの身体はみるみるうちに変化した。たった2ヶ月弱の入院で、退院してきたときは左足が「くの字」に内側に曲がり車椅子に座るのも斜めになってしまう。着替えのときも痛くて今までのように協力もできない。
妻は入院前からなんとなく気になっていた、そう言う。けれど、帰ってきてからが極めつき。とにかく痛くて食事もままならない。とにかく起きていることができない。
「パパ原稿だよ」と言われてやっと座って原稿を書く。けれど、身体が曲がってしまって尻が半分浮いているようで(実際自分ではわからなかったけど)、すぐに尻が痛くなって寝ないとやっていけない。たかが足だけど原稿を書くのも人と話すのも、食べることさえもそのせいで億劫になってしまった。
専門的に言うと股関節が内旋拘縮、膝関節が屈曲拘縮、足首伸展拘縮(背屈制限)と言うらしい。
ボクは痛くてやる気まで失った。それに増して大変なのが、家族は着替えさせるのも、車椅子に移乗されるのも、トイレも、オムツもお風呂も何から何まで難しくなったことだ。
何にもやりたくない…
何にも力が湧いてこない
ボクは、大げさでなく「これは死ぬな」と思った。とにかく気力も実際の体の力もない。妻も「ああ、こうやって高齢者の寝たきりが出来上がるんだなあ」と思ったそうだ。入院したらあっと言う間に寝たきりが出来上がる。本当にそうだ。
妻は、その徐々に拘縮していく変化に入院する前から気が付いていたそうだ。だから入院だけが原因でないとも言う。「なんか変。最近足をすごく痛がるんです。曲がってきたように思うんです」。往診の先生にも、その女性ケアマネにも言っていたそうだ。けれど、それはなぜかあまり重大なこととしてはとらえられず見逃され、妻の不安だけが募っていった。
「もっとちゃんと言えばよかった」。妻も、そう今は言う。そんなに切羽詰まった言い方はしていないかもしれないと。徐々に起こっていたそれは、入院を機にクローズアップされた。
そんな時、昔お世話になっていたマッサージの方に妻はばったりと会ったらしい。とにかく妻はその不安をぶつけたそうだ。そしてその方が状態を見に来てくださった。「あれ?なんでこんなになっちゃったの?」。その方と8ヶ月会わなかっただけなのに、ボクの状態があまりに変わったのに驚いたそうだ。
「すぐにどうにかしなきゃ、荒療治だけど、今までのやり方全部変えたら?」。そう提案され、妻は悩みに悩んだ。
この5年、家にいて介護やリハビリを無事に過ごせた「チーム神足」の再編成。気心も知れているし、嫌なこともなかった。特になんにもなかった。本当に。ただ、1番最初にこれだけはお願いしたいと伝えた「麻痺の手足の改善もしくは維持」は、いつの間にか疎かになっていた。ボクなんて、その女性のケアマネさんのお名前も覚えないでいたくらい。
それがいけなかったのだ。5年もの間少しずつ、なあなあになっていて、通ってきていたマッサージやリハビリもボクの状態に気がついていたはず。それを見過ごした。と指摘された。
最初妻は今のままのメンバーでどうにもならないかも考えたようだが「だいたいこんなに急に悪くなるなんて入院があったからとはいえ」「今なら間に合うかもしれない、こんなになってしまってちゃんとは戻らないかもしれない」。いろいろなところからいろいろな意見をもらい、妻は「怖い、怖い」と言いながら「よくなるかもしれないからね、替えてみないとだね」と、「チーム神足」を組みなおすことにした。
怖い。怖いけど…
勇気を出して、「チーム神足」再編成!
我が家の場合、リハビリ中心にケアが行われていて、しかも、ケアマネさんがリハビリと同じ事業所だったから、ケアマネさんを変更することになった。
ケアマネさんにも正直に「足がひどくなってしまったのでマッサージやリハビリを変えたい、つきましては同じ事業所だからケアマネさんも変えることにしたい」と伝えたそうだ。どうなるかわからないのに本当に冒険だ。本当に今以上に上手くいくのか、不安で妻は震えたらしい。
そして地域包括支援センターの紹介で新しいケアマネさんが決まった。今までの流れを地域包括支援センターの方が間に入り、何人かのケアマネさんを選んで紹介してくださった。そして新しいリハビリがはじまった。あっけなく替わった。
替えるまでのあの家族の葛藤はなんだったのか?そう思うぐらい。聞けば、ケアマネさんを替えることはよくあることだと。長年培った居心地の良さと引き換えに新しい「チーム神足」は始まった。熱い人たちの集まりだった。再編成をするにあたってのサービス担当会議は、今までになく長かった。
新しい「チーム神足」についてはまた今度。