2回も観たぞ「ボヘミアン・ラプソディー」
前回も、そして今回も涙が止まらない
話題の「ボヘミアン・ラプソディー」を観た。2回目だ。
最後の17分の「ライブ・エイド」のシーンは今回も涙が止まらない。音楽の力か。
実録ではないのだから、映画「ボヘミアン・ラプソディー」のなかのフレディーであり、Queenの歩みである。
なんとなくボクが知っているQueenの情報と照らし合わせても「きっとそうなんだろうなあ」と。
2回目は、現実だか作品だかわからないハザマを自分の感情と確認しながら観る。
1回目はなんだか、なにに感動しているのだかわからないほど泣いた。
一生懸命でひたむきに自分の道を歩んでいく姿なのか、病気を患ってしまっても立ち向かっていく姿か、なにかわからないが心が満たされない彼の気持ちなのか、上りつめていく過程でいい気になってしまった自分への戒めか、一緒にいる人が離れていく寂しさか、裏切りなのか…。
それらと自分とを重ね合わせて、「どうなのか?」と思った人も少なくなかったと思う。
「なにがあっても一生別れず一緒にいる」
妻の一言をボクは忘れない
世界のQueenだ。フレディーだ。なみ大抵の才能と努力とのめり込みと、なによりも、やっていることを愛していなければあの偉業はできっこない。
果たして「自分は?」と重ね合わせる。
映画のなかでフレディーが、「結婚してくれ」と指輪を渡すシーン。「ずっと外さないで」「なにがあっても」。そんな会話があった。
ボクは今の奥さんと出会って、すぐに婚姻届を持って「結婚して」といった。まだ付き合ってもいないのに。
もちろん冗談だと思われて笑って終わった。
ボクは本気だったけどそのままなにもなく数年過ごした。
たまにはご飯も行くようにもなったし、帰り道が一緒だったので校了のときなんて深夜にタクシーで一緒に帰ったりもして、彼女のお母さんの手作りの夕飯もごちそうになったりもした。が、付き合ってるとは言いがたい。
その頃ボクが、初めて手ごたえのある本を書き終えた。
まだ売れるかわからなかったけれど、もう1回「結婚して」と伝えた。断られると思っていた。
その頃のボクは小さなプロダクションに所属してカツカツの生活をしていたのでお金もなかった。生活も乱れていた。結婚、なんて言える環境ではなかった。
彼女はそれなのに「わかった」と言った。自分で申し込んでおいてびっくりした。まさか「OK」だなんて。
そのとき彼女が「なにがあっても一生別れず一緒にいる」といった。
今、妻がその言葉を覚えているかわからない。
その日からボクたちは、正確には付き合いを始め、それからすぐに結婚した。
目に見えない恐怖と戦っていた
自業自得だ。ボクは、ただのよわい男だ
彼女は「あなたは大丈夫。きっと売れる」。そうフレディーが言われたのと同様、そう言った。
そして初めてのベストセラーを世に出すことができた。
それからだって、独立したのはいいけれど仕事もなくお金もなく、一日中図書館で本を読んで過ごしたりした時代もあった。
羽振りがよくなってからは銀座の夜の街を徘徊する時代もあった。
突然、後輩を夜中に家に連れて帰ってドンちゃん騒ぎをしたり、けんかをして帰ったり、めちゃめちゃだった。
だけど、彼女に文句を言われることはほとんどなかった。
1回だけ、2人目の子どもが生まれる直前、2人乗りのジャガーを買って帰ったときに泣かれた思い出がある。
「家族が4人になるのになんでツーシーター(2人乗り)なの?」。ちょっとした思惑もばれている。(いや、浮気をしようとしていたんではないよ)。
文句も言わない彼女が涙を見せたので、驚いて、うろたえた。
調子に乗ってると自分で自覚していたが、「それも仕事のうち」と自分を正当化した。
「遊びだか仕事だかわからないが、これをしていなければ自分の精神もつぶれてしまう」。そう思った。
そんな外の世界から帰ってくる我が家というのは、どれだけ平和で、普通の自分に戻れる場所だってことも自覚していた。
「寝ないで仕事して遊んでこんな生活していたら身体壊しますよ」。そう忠告されていた矢先、くも膜下になった。
自業自得だ。フレディーと同じだ、と思った。
自業自得だけれどとめられない。
精神がやられるか、身体を壊すか。
何かの恐怖から逃れようとしていたのかもしれない。ただのよわい男だ。
今も昔も変わらない妻
ボクにとって家族は、宝物
病気になってから介護してくれている彼女も昔と変わらない。
あのとき「一生別れない」。そう言ったからなのかなあとときどき思う。
こんな生活でイヤになったりしないんだろうか?
この原稿を書き上げて妻に渡す。
原稿をパソコンに打ち込み終わった彼女がこう言った。
「パパ、フレディーの彼女も言ってたでしょ?家族なんだから」。
家族ってこういうことなのか、とあつくなった。