前回、ボクの毎日をお知らせしたが、ではどうやって、今やっていただいている介護や医療関係の方とかかわっているか、頭を整理しながら数回に分けて考えていこうと思う。

くも膜下出血発症からもう7年
家族が一生懸命にボクのことを考えてくれた

ボクはこの9月(2018年)で、くも膜下出血を発症してもう7年になる。1年間の入院を経てから在宅介護という、とてつもない世界に入った。在宅介護になったのは、「ここは良い」と思える施設は経済的にも無理だったし、だいたい家族がボクを家に戻したいという気持ちが強かったので、積極的に施設を探すことはしなかったと聞く。それでも療養型の施設をいくつか見てきたようだ。

ここでの家族のポイントは「家から気軽に行ける距離」「支払いの金額」「施設のスタッフ」「周辺環境が良い」「リハビリができる」だったそうである。

すばらしいリハビリ環境とスタッフの良さを売りにしている都内の施設はべらぼうに高額。「ここは温泉もあるし、ゆっくり過ごせます」。そう言われた施設は、たしかにスタッフの人柄も良さそうだったし値段的にもまあまあ。しかし、家から離れ過ぎている。これでは会いに行けてもせいぜい1ヵ月に1回…という感じのところ。

折衷案で挙がった、都内の病院に併設されている療養型施設。療養型というシステムが消え行く中で、貴重なところだと紹介された。きれいで、リハビリの部屋も今までで一番充実していたそうだ。ここで妻が一番に発した言葉が「静かなんですね」だったと息子。当たり前の話だが、寝たきりの高齢者がほとんどで、さらには個室なので話し声もあまり聞こえない。食堂のコーヒーマシーン横でスタッフと利用者さんが話している様子も見れたので嫌な感じはしなかったけれど、静か過ぎて「違うな」と感じたそうだ。

自由業のボクは収入がなくなり妻のへそくりも…
それでも決断してくれた“在宅介護”

その頃のボクは喉に呼吸器の穴は空いているし、首も支えなければいけない、ストレッチャーまがいの車椅子生活だった。自分でご飯を食べるどころか経管栄養だった。退院するまでに呼吸器は外せる予定だったらしいが、探すときは呼吸器への対応もOKな施設でないとだめだったようだ。

しかも、大黒柱であったボクが倒れ、家のローンに娘の学費、1年に及ぶ入院費。自由業のボクは倒れた翌月から収入もなく、わずかにあった妻のへそくりだってあっという間に底が見えてきたのだろう。先の見えない不安の中、ここでドサっとお金を使ってしまって大丈夫なのか?そう不安でならなかったそうだ。まったく動けないボクを、この先、安心して過ごさせてあげられる一番の方法は何か?と周りの人たちとかなり話し合ったらしい。

「結局、あきこさん(妻)もお子さん方も家に一緒にいたいというお気持ちが強いらしいから、どの施設を紹介してもダメですね、最後にはそう言われちゃったのよ」と、笑い話のように後から聞いた。「ああいうのは嫌」「こうされるのは嫌」「かわいそう」…と、実際にボクがどう感じたかどうかはわからないが、家族がそう思ってしまうのなら結局は自分たちの手で、そして自分たちの家でやっていくしかない、というのが結論だったそうだ。介護を何も知らないド素人の家族だったからできたことかもしれない。

回復を信じてくれたダンディーなケアマネさん
ボク「まだまだよくなりたい」

さて、家に戻って来ることが決まったボクは、まずケアマネさんを選ばなくてはいけない。これは話したことがあるようだが、家へ戻るにあたり、施設と在宅で一番違うところはリハビリ環境の違いだったそうだ。家にリハビリマシーンを置くこともさすがにできない。

くも膜下出血発症から1年経って、医師や周りの人間からは「もうあまり良くならない」。そう言われていたらしいが、家族だけは違った。「もう少しやったら良くなる」。そう信じていたようだ。だからこそ、一緒にリハビリのことを考えてくれるケアマネさんを探す、というのが我が家の出発だ。

友人の家では、ショートステイを希望していた一人暮らしのおじいさんのために、いろいろと積極的に施設を探してくれる人をケアマネに選んだと聞いた。「このケアマネさんがこれに強い」という一覧はないから、経歴やうわさでどんな人かを嗅ぎ分けて探したらしい。

で、我が家の場合、前職がリハビリ関係で、今は訪問マッサージの会社も経営しているダンディーなケアマネさんにお願いした。これはかなり正解だった。まだ入院中だったボクのリハビリの様子も見に来てくれた。これから退院して、どのようにリハビリを組み立てていくかという点でさまざまな提案をしてくれた。住宅改修もどう身体に合わせていくか、わかりやすく説明してくれた。

訪問マッサージも通いのリハビリも、彼のおかげでかなり充実していたし、月に一回の訪問時、ボクの麻痺した足を触ってみて「ちょっとクッションが合わないかもしれないなあ」。そんなこともすぐわかってくれた。我が家が在宅介護を始めて、「まだまだ良くなりたい」という希望をすくい上げてくれるケアマネさんだったのだ。ボクは彼が大好きであった。

スタッフを代えるのは大変なこと
でも、そのおかげで原稿が書けている

それから6年が経ち、残念ながら、今はその大好きなケアマネさんとは違うケアマネさんだ。そんなに気に入っていたケアマネさんを、なぜ代えるまでに至ったのか?

彼は敏腕で、経営にも長けていたから忙し過ぎたようだ。そこで、「いつでもボクも相談に乗りますから」と自分の会社の別のケアマネさんに交代したのだ。優しい女性だった。

けれど、いつの間にか司令塔を失った「チーム神足」のリハビリ部門にほころびを感じ始めてしまった。「なんとなく違う」が、入院をきっかけに「これはかなり大変だ!」に変わってしまった。身体の拘縮が顕著になってしまったのだ。

これには「リハビリ体制を見直さなければ」と家族も我に返ったそうだ。今までのケアマネ会社の関係で組み立てられていたリハビリのプログラムを、一切見直すという思い切ったことをやろうとしていた。

うまく付き合ってきたと思っていたスタッフを代えるというのはエネルギーもかなりいる。それに、新しいケアマネさんが今以上という保証もない。けれどもここで家族は、「リハビリ体制」の変更を思い切って進めたそうだ。

どれだけ我が家族が「リハビリ」に重点を置いているか、おわかりいただけたのではないだろうか。そんなボクは、お陰で外出もできるようになったし、こうして原稿も書けるようになった。今のケアマネさんは行動が早くて、何より妻の話をよく聞いてくれ、いろいろと気がついてくれる人だと聞いている。妻と一緒に考えてくれるのが一番なのかもしれないなあと思ってる。