いいね!を押すと最新の介護ニュースを毎日お届け

施設数No.1老人ホーム検索サイト

入居相談センター(無料)9:00〜19:00年中無休
0120-370-915

「できればずっとみてあげたい」(前編)

介護当事者の本音をお聞きする「みんなの座談会」。今回のテーマは「在宅介護」の是非。ご参加いただいたみなさんに、在宅介護の思いを聞きます。

この記事に登場するみなさんのプロフィール(敬称略)
佐藤 (仮名) 佐藤 (仮名) 田中 (仮名) 田中 (仮名) 鈴木 (仮名) 鈴木 (仮名)
60代、介護福祉士として介護施設に勤務。独身。骨折と肺炎をきっかけに要介護状態になった実母(90歳、要介護2)を介護施設から引き取り、二人暮らしを始める。母親は歩行自立、年相応の物忘れがあり、1日型のデイサービスを週に4回利用。
50代、自営業。5年前から認知症状があらわれた母親を、長女として一人で在宅介護を担う。2020年に転倒し脳を損傷した母親は、生活のすべてに介護が必要な寝たきり状態となり、入院。在宅介護を経て入居した施設で、2022年に他界。
70代。妻の実兄の主介護者。兄は京都で独居していたが、介護度が進んだために、2022年に地元でもある神奈川県へ呼び寄せる。その後、兄は施設に入所。現在、施設とのやりとりや、兄の金銭管理を行っている。

施設に長く居させたくなかったから「引き取った」

みんなの介護(以下、―――) まずは、みなさまの介護の状況について伺えますか。

佐藤
佐藤と申します。62歳です。介護施設で介護福祉士として働いています。90歳になる要介護2の母と二人暮らし。自宅で介護しています。

3年前まで母は兄と実家で暮らしていましたが、骨折と肺炎になり入院。退院後老健へ入所しました。当時、コロナ禍で母と面会ができなく、実際の様子が分かりませんでした。

施設で働く自分が言うのもなんだけど、施設に入ってもらうことは、いいことでないと思う。住み慣れた自宅とは違い、入所することになれば当然環境が変わる。物忘れや認知症がある方なら状況が悪化すると思っています。

母を老健から早く出してあげたい。近くに家族がいる中で暮らした方がいい」。そう思い、自分が引き取りました。

佐藤さんのお母さんが入院する際、同居していたお兄さんから「今後は自分が介護をするのは厳しい」と言われたそうです。

当時、お母さんとお兄さんが暮らしていたご実家は、古い戸建てで段差のある場所もあり、「バリアフリー」にするのは難しい。

「弟」である佐藤さんのお住まいが、マンションの一室で段差がなく浴室やトイレも近いことや、佐藤さんが介護の仕事をしていて独身であったことから、佐藤さんの暮らすお部屋での生活が始まったそうです。

田中
田中です、自営業をしております。52歳です。離婚して息子が一人います。学生時代の数年間を除き、“長女として”ずっと母と息子と実家で暮らしていました。

父は若くして病死しています。父を亡くして以降、母が一家を支え事業を拡大してきました。バリバリ働いていたそんな母に、5年前くらいから数字の間違いが桁数のレベルで目立つように

当時、母は自分が"変"だと意識していたので、病院に行きたがりませんでした……結果、医療機関に「つなぐ」ことができず。

2年前から認知症が悪化。2020年年末に自宅前で転倒し、頭部をアスファルトに打ち付け救急搬送。夜間救急も受け付けている大きな病院(急性期病院)へ入院。

入院中にやっと介護保険申請ができ、要介護5に認定。その後、リハビリを行う回復期リハビリテーション病院を経て、一度自宅へ1か月限定で引き取り、住宅型有料老人ホームへ入居。2022年、81歳の年にその施設で亡くなりました。

田中さんのお母さんの認知症が悪化した当初、ご本人も今まで自分ができていたことができなくなったことから「なんで、できないのかしら」と泣いていたこともあったそうです。

当時は介護保険申請もできず、田中さんは誰の手も借りずにお母さんの介護を担っていました。

鈴木
鈴木です。76歳です。家内と二人暮らしをしています。近所の介護老人保健施設でお世話になっている、84歳になる要介護2の家内の兄の身の回りの面倒を見ております。

入所以前は京都で独居していましたが、5年ほど前から一人での買い物も難しくなり、私が現地の包括支援センターへ相談して介護申請を行いました。それからは年を追うように私が京都へ行く頻度が多くなり、負担も大きくなっていました。

2022年正月、兄の一人での京都生活が限界となり、住み慣れた京都から自分が暮らす神奈川へ呼び、今に至っています。

実際の介護は施設任せで、本人の介護にかかる費用管理や雑務を家内と行っています

鈴木さんは「現役時代」に関西出張が多かったことから、お兄さんのご自宅に泊まって「健康度」を観察していたそうです。介護申請を行う前後には、お兄さんはごみを捨てる際に転倒して、血まみれになってしまったことが何度もあったそうです。京都市の「まごころ収集」をお願いしたり、立ち上がりが困難になったお兄さんの寝室に介護ベッドを導入したりと、鈴木さんが京都へ行く頻度が非常に多くなったことも、お兄さんをお近くにお呼びした理由のひとつです。

トイレの悩みは“つきない”

――― 在宅介護で困ったことを教えてください。

鈴木
とにかく和式でないと「ダメ」だったこと。なかなか変えられなかったことは困ったかな。

鈴木さんのお兄さんは「ほふく前進」のようにして畳をはいずっているのにもかかわらず、かたくなに和式便所にこだわっていました。何度も説得したようですが、洋式に変えることに「うん」とは言ってくれない……。

そんなとき、ケアマネさんがお兄さんに上手に言ってくれたそうです。「持ち出し」もありながら介護保険での助成を利用し、手すりの設置に合わせて「洋式」に変えられたのは大きかったと鈴木さんは話します。「京都独居時代」の最後まで、“失禁なし”で用を足せていたそうです。
佐藤
うちの母は『リハパン』(※)にパットを使っているけど、パットは自分で変えられないなあ。いつもパットはびしょびしょ。でもトイレに詰まらせることはないから助かっている。

たまに洗濯機にパットを入れちゃって、ポリマーがふくらんで、悲惨なことになることはあるけど……。

※ リハビリテーションパンツの略。排泄の自立を促す目的で履く

佐藤さんのお母さんは90歳。「ものを大事にする世代」です。汚れたパットを隠そうとする心理を、「まだ使える」と思う気持ちと「見られたくない」気持ちの半々だと佐藤さんは推察しています。

ちなみに、尿を吸収する素材である「ポリマー」は、紙おむつやリハビリパンツ、パットに含まれています。“間違って”洗濯機に入れると、洗濯した衣類や洗濯機の中にジェル状になって散らばり、取り除くのにかなりの時間を要する惨事となります。

田中
洗濯機ポリマーあるある……わかります。佐藤さんがうらやましい。だって母はしょっちゅう、パットをトイレに流して1日に3、4回も詰まらせていたの。もちろん本人は『私は捨ててないわよ』の一点張り。

田中家の必須アイテム『しゅぽしゅぽ』(※)。

一般家庭用の「しゅぽしゅぽ」から、ついには業者仕様の「しゅぽしゅぽ」までネット購入した田中さん。最終的には便器を一度だけ交換。交換時に高圧洗浄をかけてもらったところ、下水からパットがたくさん出てきたそうです。

※ 正式名称はラバーカップ。トイレなどの詰まりを解消する清掃用具

なかなか手放せなかった「車」

――― 昨今、高齢者の運転による交通事故が増えています。「運転」にまつわるエピソードがあれば教えてください。

田中
若いころからどこへ行くにも車を運転するような母でした。

「かかりつけ医」に相談して、運転を辞めてもらうように言ってもらおうとしたところ、先生は『お母さまが運転されることを娘さまが心配していますよ』って。これじゃあ私が先生にちくったみたいじゃない。……まったく効果なしだったわ。

田中さんのお母さんの免許返上のきっかけは、不幸にも交通事故。田中さんのお母さんが運転する自動車が、地元のバスにぶつかってしまいました。

幸い大事故に至らなかったものの、「運転した本人はぶつかったと分かっていなかった」と相手方の保険会社から聞かされた田中さん。事故を起こしたことを自覚されて、田中さんのお母さんは車を手離したそうです。

鈴木
私の兄は、免許返納の「最後の最後」まで運転することにこだわっていました……。

鈴木さんのお兄さんは、「タクシードライバー」でした。定年まで職業ドライバーとして勤務していたプライドもあり、80歳を過ぎても小型国産車を運転していました。でも、車体は傷だらけであちこちぶつけていたようです。そんな中、三車線の道路で左折しようとした際、ハンドルを切れずに立ち往生。見かねた見知らぬドライバーの方が、車を移動してくれたこともあったそうです。

免許返納をすかさず促してくれたのが、担当のケアマネさん。本人を傷つけない言い方で「ほかの方を巻き込んだら大変なことになる」と優しく諭し、本人も廃車することに同意しました。

何度も迎えに来てくれたデイスタッフに感謝

――― 佐藤さんは、常勤施設介護職として夜勤もこなしながらお母さまを見ていらっしゃいますよね。日中、お母さまはどのようにお過ごしになっているのでしょうか。

佐藤
週4日、一日型のデイサービスにお世話になっています。サービスを利用し始めたころは、スタッフの方が迎えに来てくれても仮病を理由に『行かない』宣言したり……。そんな日は、時間を置いてもう一度迎えに来てくれたこともあり、ありがたかった。

“おさぼり”もありつつ、最初からすんなりとデイサービスに通っている佐藤さんのお母さん。「デイ」とは言わず、「お仕事に行ってくる」とご本人は話されているそうです。

佐藤さんのお母さんがデイで作った毎月のカレンダーは、部屋に飾っています。

座談会写真

佐藤さんのお母さんの作品(写真提供:座談会参加者)

佐藤
母の通うデイは、正月や祝日もやっているだけでなく、急な振り替えにも対応してくれるので、おかげさまで働けています。感謝しています。

一方、「ケアマネさんに合わす顔がない」とグチるのは鈴木さん。紹介してもらったすべてのデイサービスに「1回しか」行かずこっきりだとか。

鈴木
兄がまだ京都で一人暮らしをしていた時代、兄を連れて、自宅近くのデイサービスに数か所見学に行きました。見学時は本人も良さそうな発言をするものの、いざ行ってみると初日から「こんなところ行きたくない」と文句ばかり。結局、どこのデイにも通うことができませんでした。

半日型、一日型、機能訓練型。いろいろな種類のデイをケアマネは紹介してもらったそうですが、「自宅でマイペースに過ごしたい」と鈴木さんのお兄さんは自分を“曲げる”ことなく、サービス導入に至らなかったようです。

ただ、訪問ヘルパーの方には徐々に気を許すようになり、来訪日を心待ちにしていたそう。一人暮らしをしていた鈴木さんのお兄さんにとって誰かと話す機会はそうそうなく、ヘルパーの方との数十分は、貴重なコミュニケーションの時間であったことがうかがえます。

座談会写真

鈴木家のヘルパー連絡票(写真提供:座談会参加者)

「今どきの電話ってお年寄りに使いにくいのよ」

――― 『理想の家電話』とめぐり合うまでに、お母さまとのやりとりで苦労されたことがあったそうですね、佐藤さん。

佐藤
そうなんです。母はもう90歳。耳が遠いので、固定電話の音が拾えなかったり、気づけなかったりします。一方で今どきのおしゃれな受話器は取りにくく、受話器をとっても母の耳に僕の声が届かなかったんです。

昔ながらの「黒電話」に固執しないものの、近しいタイプや着信音が大きくなるタイプなどを探し出しては、佐藤さんは家電量販店やネットショップなどで購入を繰り返しました。そうしてついに理想の1台に巡り合えました。

その日のシフトによって、帰宅時間が異なる佐藤さんは、画用紙にお母さんへのメッセージを大きく書き、食卓に置いてから出かけます。

座談会写真

佐藤家のメッセージボード(写真提供:座談会参加者)

佐藤
母は文字も読めるし、時間の感覚もあります。季節も例えば正月などはわかっています。

だけど、短期記憶がもう薄れているんです。私の遅番で夜の21時に帰宅する日が一番困るかな。食卓に夕食を用意して出勤するんだけど、家の電話から今でもたまに僕の携帯にかけてきます、「今日は何時にかえってくるの?」って。僕が遅く帰るのが理解できないんだよね。
田中
私もこういうの書いていたなー。なつかしい。同じようなことやっていましたよ。
 

働きながら母を「みる」ということ

―― 佐藤さん、田中さんはお仕事をされながら、実母の介護をされてこられましたよね。ふりかえってみると、どのような思いがありますか。

田中
母は外出が大好きで、認知症の症状も進んだこともあり、家に一人で「置いて」おけなかったんです。事務所に出勤する際は一緒に連れて行ったけど、母が気になって仕事に手がつかず……。
 

自営業の田中さんは支払い手続きや郵便物への対応もこなさなければなりません。銀行や郵便局へ行く時もお母さんは一緒。待ち時間が少ない場面でも、トイレに行きたがってしまうこともあったようです。

田中
「トイレを貸してくれ」となかなか言いにくい場所は困りました。ずっと母と一緒。家も仕事も一緒。それがすごく大変でした

一方の佐藤さんは「楽だった」と言います。介護職の前職はサラリーマン。帰宅時間が日付を「またぐ」ことは“ざら”であったとか。

佐藤
サラリーマン時代には、母を引き取るのは到底無理だった。ただ、母の介護が始まる以前に職住接近を考えて転職していたので、たまたまその環境で母の介護が始まったというだけでした。

佐藤さんのお母さんが老健に入所前は、常時車いす利用で病院から老健の移動の数時間しか一緒にいなかったので、お母さんが老健退所直前からどう変わっているのかは、まったく分からなかったそうですが……。

佐藤
幸運にも老健退所の際、杖も歩行器も使わず一人で歩けていました。

制度を利用してゆっくり復職

佐藤さんは2か月の介護休暇制度を利用し、まずはお母さんの自宅での行動、特にお風呂やトイレの動作を“観察”。ケアマネさんと相談し、トイレに突っ張り棒を入れたり、浴室に手すりをつけたり、お母さんがスムーズに生活で必要な動作ができるように環境を整えました。

介護休暇終了後の2か月間は、夜勤をせずに日勤のみでお母さんを介護しながら仕事復帰を果たしました。

佐藤
母は火こそは使えないけれども食器は洗える。さすがに最初の出勤日はどきどきしたけれども何とか今もやれています。

24時間介護。仕事と両立は無理だった

急性期病院から回復期病院を経て、寝たきり状態なってしまった田中さんのお母さん。病院からは施設入所を勧められました。

田中
コロナ禍で施設入所したら、基本的に面会ができません。入院中の母のことが分かっていなかったので、施設入所をする前に、自宅を「はさみたかった」んです。状況が何も分からない状態での施設入所は避けたかったので。
 

ご自宅に戻られた田中さんのお母さんは、ベッドにほぼ「寝たきり状態」で、あらゆる場面で介護が必要な状態でした。当時アメリカ在住だった実妹と相談した田中さん。1か月という期間を限定したうえで、妹さんがアメリカから帰国し、姉妹による24時間眠れない在宅介護が始まりました

田中
1日に3回ヘルパーさんが来てくれましたが、ヘルパーさんと姉妹の3人がかりで、おむつ交換も着替えもしていました。夜、眠れない母は私たち娘を何度も何度も呼びました。『〇〇ちゃん、来てー』と。

夜中の悪夢……。今、思い返しても厳しい1か月で、その間、仕事は一切できませんでした。

外出もままならない1か月の在宅介護。姉妹で介護するお二人は、お母さんの眠るベッド脇に1冊のノートを置き、出入りする介護事業者の方々との連絡事項や情報を書いて、その時々のお母さんの様子を共有できるようにしていました

田中
車いすのこと。姿勢のこと。嚥下食のこと……知らないことばかりで、『トロミ剤って何?』っていう状態です。色々な方に教わりながら夢中でやっていましたね。

その当時からお母さんによく聞かせていたという1枚のCDがあります。布施明さんの「君は薔薇より美しい」。田中さんのお母さんが大好きだった曲です。布施さんのコンサートDVDを流して、嬉しそうに見ている時もあったそうです。

田中
音楽の力を感じましたね。

座談会写真

思い出深いCD(写真提供:座談会参加者)

施設と家、行ったり来たりできないんだね

鈴木
お二人のような在宅介護をしていない自分は、あまり大きなことは言えませんが……入所前の2週間、家で兄をみていたときは、入所日が確定していたから頑張れたと思う。たった2週間だからみなさんの前で話すのも恥ずかしいけど。

京都のご自宅でお兄さんが倒れたという連絡をケアマネさんから受けて、入院手続きにかけつけた鈴木さん夫妻。ほどなくして、今度は退院手続きに呼ばれて……。「いつまでもこの状態では続かない」と施設探しを始めたそうです。

鈴木
京都の施設がまったく分からず、施設紹介会社へ相談しました。

数か所紹介してくれましたが、いずれも兄の家からも京都駅からも遠く、月々の支払いも高い。現実的ではないが、兄に説得する材料としてパンフレットなどは見せて話しましたが、施設入所の説得は大変苦労し、数か月単位でかけました

鈴木さんのお兄さんは足腰に不自由はあるものの、物事の理解は十分にでき、年相応の物忘れ程度だったそうです。そのために施設入所へは非常に抵抗があったと鈴木さんは、言います。

鈴木さん夫妻が京都の施設へ頻繁に行くことが、体力的にも金銭的にも大変なので、鈴木さんの地元の施設に入ってほしいと根気よく話を続けました。

鈴木
「リハビリをしたら、また歩けるようになるかもしれない」。当時はそんな言葉も兄にかけたりしました。実際は今も車いすを自分の足でこいでいる状態ではありますが。

施設と自宅を行ったり来たり……。一時帰宅ができると思っていた鈴木さんとお兄さんですが、実際はコロナ禍もあり、入所先の老健では一時帰宅はできませんでした。

鈴木
施設へ入っても、また自分たちの暮らす家に帰れると思って、兄は入所しました。外泊が難しくても、外出ができるようになれば、兄の気持ちも変わると思うのです。

入所前の2週間は、車いす仕様ではない鈴木家で、ほぼ一日中座るか寝るかの状態だったそうです。トイレには、京都独居時代と変わらず、はいずってでもご自身の力で向かいました。

鈴木
夜間、物音がすると、転んでいないか心配になったので、家内が兄のそばで寝起きしていました。家内も私も気が張っており、ほぼ眠れていない状態が続いていました。

入所前だからと多少のわがままもこちらが聞いていたので、あの時が2週間以上であったなら、こちらが体を壊していたかと思います

後編では、在宅生活を経て入所へ至った鈴木さん・田中さんにお話を伺います。

今もなお、働きながら在宅介護を続けている佐藤さんに訪れた救急搬送というピンチ、「どういう時に施設入所を考えるか」を後編でお届けします。

取材・文:上垣 七七子

「みんなの介護座談会」へご参加頂ける方を募集しています

「みんなの介護座談会」は読者の皆さまに参加して頂く新企画です。皆さまの日々の介護に対する思いをぜひ座談会で語ってください。

以下のフォームより、ご応募をお待ちしております。

参加フォームはこちらをクリックしてください

【まずはLINE登録】
希望に合った施設をご紹介!