「女性が男性を介護して思ったこと」の後編です。後編も“大ボリューム”でお届けします。異性介護で大きなハードルとなる「おむつ交換」、介護中に災害に遭遇したときの問題点、コロナ禍での介護などについて語り合います。
この記事に登場するみなさんのプロフィール(敬称略)
結婚直後、義母の介護を担う。義母が亡くなったあとは、持病のある義父の在宅介護と育児が同時進行のダブルケアラーに。義父は介護保険の認定は受けていない。“昔ながら”の家族感が強い義父をひとつ屋根の下で常にケアをしている。また、ダブルケア中の身で自然災害に遭い、避難を経験。災害と介護について考えさせられることがあった。
結婚前に脳出血により高次脳機能障害となった義理の兄と、水頭症から認知症になった義理の母親、認知症になった義理の父親の3人の在宅介護を担った。2018年に義母を、2022年に義父を自宅で看取る。コロナ禍に義兄は地方の特別養護老人ホームへ入所。介護中より社会福祉士の資格取得に向けて勉強し、義父母を失った喪失感からグリーフケアを学ぶ。
実母がガンになった直後、実父が認知症だとわかる。母親が亡くなったあと、父親を引き取るも、育児と介護の両立が難しくなり、父親は2015年に自宅近くの有料老人ホームに入所。入所後はコロナ禍となり、面会が思うようにできない日々を過ごす。遠方に住む実兄は、口は出すがそれ以外はしないタイプ。その対応にも悩まされている。
義父のおむつ交換、抵抗がなかったといったら……
みんなの介護(以下、―――) 介護未経験で異性の「おむつ交換」をすることに対して、抵抗がある方も少なくないと聞きます。お義父さんのおむつ交換もされていた丸山さんはいかがでしたか。

丸山
最初のうちは、夫とヘルパーさんが義父のおむつ交換を担当してくれていました。でも、身内で“ゴタゴタ”があったことと金銭的な面から、夫が仕事、私が三人の介護を役割分担することになり私も義父のおむつ交換をすることになりました。
「抵抗がなかった」といえばウソになります。そこには大きな葛藤がありました。ただ、ヘルパーさんが入ってくれていたし、抵抗を感じながらも彼らにいろいろ教えてもらいながら徐々に慣れていくことができました。
――― 男性ですと尿取りパッドの当て方に「工夫」が必要だと聞いたことがあります。

丸山
そういうことも含めて、私は発想の転換で「義父に絶対に褥瘡は作らない」とおむつの当て方の“研究”をしました。義父と嫁という関係ではなく、私が介護職になりきってケアをするマインドに切り替えました。
――― 伺いづらいことなのですが、「セクシャルハラスメント」のようなことはなかったのでしょうか?

丸山
一切ありませんでした。私が義父を抱きかかえて介護ベッドから車椅子に移乗させていましたが、おしり1つ触られたことはありません。うちは違いましたが、嫁だったりすると、「そういうこと」が多いという話は聞いたことがあります。
私は義父の介護ベッドの隣で寝ることもあり、義父と義母とは「義理の関係」を通り越して、最終的には夫よりも私の方が2人との関係性が強くなっていたのかもしれません。そんな経緯から、どんなに大変でも二人を家で看取りたいという想いが強くなりました。
――― 和田さんも、お義父さんの体調が悪いときには、トイレなどの見守り介護をされているということでしたが。

和田
義父は“家父長”というプライドがあります。認知症ではないので、どんなときでも自分の立場を忘れずに嫁の私に対しても家族の一人として接している感じですね。
でも、病院で若い看護師さんとかにはすごく優しいんですよね。たとえば注射の針がなかなか入らなくても、“家”では考えられないくらい「いいよ、いいよ」と優しい。だから、看護師さんたちからは“癒し系おじいちゃん”と思われているみたいです。
――― 「切り替え」をしているのかもしれませんね。

和田
家と外での自身の立ち位置を区別しているというか。それもあって、性的な視点で嫁と接しないところはいいと思っています。万が一、そういった視点があったら、気持ち悪くて耐えられないと思います。

丸山
――― 谷口さんは実の娘ということで、お二人とは立場が違いますが。

谷口
実の父親なので、そういうことはないと思います。だからこそ、お互いに遠慮や配慮がない。父は持病の関係で食事に制限があるのですが、その対応がすごく大変なんです。
母が闘病中で私が病院通いをしていてもそれの対応があったし、幼い子どもたちの世話もありました。クタクタで母の病院から帰ってきて、父の食事の支度をしていると「なんで、お前はそんなに忙しいんだ!」とテレビを見ながら言ってきて。その時は頭に来て、父のために用意した食材が入った容器を父に投げつけましたね。
――― 実の親子ならではなのでしょうか。

谷口
私と父が言い争うと子どもたちは泣き叫ぶし、それを疎ましく思う父が子どもたちにイライラして手を出しかねません。もし、父が子どもたちに手を出したら警察を呼ぼうと本気で考えていました。そういうことがたびたび起きて、一緒に暮らすことは難しいと思いました。
認知症とはいえ、まだ70代前半、「元気」で力のある男性が暴力的になったら、女性では止めることが難しいこともあります。さらに力の弱い子どもを守らなければならない環境で、谷口さんは常に大きな不安と向き合う生活を送っていたようです。
災害が発生。避難を拒む義父
――― 今回のもう1つのテーマである「介護中の災害」についても伺えますか。和田さんは避難のご経験があるそうで。

和田
大きな自然災害があって、私たちの住む地域に非難指示が出たことがありました。でも、義父はそれまでずっとその土地に暮らしていて、そういった危機に遭遇したことがないので「大丈夫、大丈夫」と言って、介護が必要なのに動いてくれませんでした。
幼い子どもいるし「とにかく逃げましょう」とお願いしたのですが、「家と一緒に死んでもいい」みたいな感じで言うことを聞いてくれなくて。
――― 命の危険もありますし、それはすごく困りますね。

和田
携帯からは危険を知らせるアラームが鳴り響いていて、本当に怖くて。そのときは夜になって義父は避難所に行ってくれたのですが、「避難しない」という選択をしたときには、「介護をしている義父と一緒でも、傍からみたら家族が一緒だから救助が後回しになるかもしれない」……そんなことを思って、SNSを生命線にしていました。
もしものときは「逃げ遅れています」と発信したら、誰かが助けてくるのかな……とかいろいろなことを考えていました。

谷口
説得に応じない義父さんを「置いていく」という選択は?

和田
そこはどうしていいのか、今もよくわかりません。あのときは、夫も家にいて「避難することは恥ずかしいことではない」と説得してなんとか避難ができました。でも「今まで、そういうことがなかったから大丈夫」と言って、若い人と自然災害に対する感覚の違いを思い知らされました。義父だけ残して避難して、万が一のことがあったら後味が悪いですし。
あと、そういった体験をして考えさせられたことは、持病のある義父は福祉避難所に避難することができますでも、福祉避難所は近くになく、そこで私が義父にかかりきりになったときに、子どもたちの心配や不安に寄り添えるか…。避難生活が長期間に及んだとき、子どもたちとっては、友達や知り合いが多い学校区の避難所の方がいいのではないか…。
地域の避難所でも、ケアが必要な人と一緒に避難ができる体制のニーズはあると思うんです。そういった“咄嗟のとき”に、優先順位をどうつけて動くかということが本当に難しいと思いました。
災害と介護、誰もが遭遇するかもしれない問題です。そうなったときのために、家族で事前に話し合っておく必要があるのかもしれません。
介護が終わっても、自分の人生は続いていく
――― 家族の介護をされている方に伝えたいことはありましたら、教えてください。

丸山
介護は頑張らないとできないことだとは思いますが、頑張り過ぎず無理をしないで欲しいです。プロの手を借りることはもちろん、介護は工夫やアイデア次第で楽になることがあります。私の場合は、介護ブログをずっと書いていますが、同じように介護ブログを書かれている方のリアルで状況や有効な情報を自らも取り入れて工夫することがありました。
あと、義父と義母を看取って思うことは、介護はそこで終わりではありません。看取ったあとも、義父母と同年代の方を見ると涙が出てくるなど、気持ちの整理がつくまでに何年も時間を要しています。私なんて、義理の両親でこんなに気持ちを整理するのに時間が掛かっているので、実の親だったらなおさら時間が掛かると思っています。
だからこそ、無理をして欲しくはないのです。介護が終わったあとも介護をしていた人の人生は続いていくので、どんなに介護で忙しくてもそこは本当に考えていった方いいと思います。自分の幸せが一番大切ですから。

谷口
介護が終わったあとに、何もすることがなくなってしまったら嫌ですもんね。
丸山さんは、義理の両親を見送ったあとに、グリーフケア(家族との死別の悲しみをサポートする)を学んでいるそうです。さらに、ケアをすることで義父や義父が笑う顔を見ることが楽しくて、介護中から社会福祉士を目指して勉強中だとか。
約13年間も、三人のご家族を介護された丸山さんならば、その経験から介護で大変な思いをされている方を救うことができると信じています。
――― 和田さんはいかがでしょうか?

和田
介護は、以前は家族がやることだと捉えられているところがありました。でも、身体の病気はもちろん、認知症は一種の病気でもあると思うので、そういったことの知識もなく見守ったり、通院の介助をするのは想像以上に神経を使うことだと思います。とにかく担う方にはすごいストレスが掛かるし、自身が犠牲になる部分が多いので簡単に引き受けるものではないと思います。だからこそ、介護は社会みんなで考えていくべき問題で、任せられるところはプロに任せて、自分の生活や自分自身のことを守りながら続けていけるかたちにしないといけないと思います。
介護離職後の復職の大変さや、介護が終わったあとの自身の人生など、和田さんは「家族だから」と介護を引き受けて、終わりの見えない介護を家族が最前線で守ることの厳しさを指摘します。
――― 谷口さんにもお伺いしたいです。

谷口
自分が楽しく、いきいきと生きてこその介護だと思っています。そうはいっても、それがすごく難しいこともわかります。だからこそ、とにかく無理はしないで欲しいです。
育児であれば、どんどん子どもは成長していきますが、介護をする親はどんどん衰えていきます。そんな親の姿を目にして介護をしていると、自分が無理をしていることに気付きにくい。でも、自分の生活もあるので、バランスを上手にとって介護をして欲しいです。
それだけでなく、介護のストレスを溜めないように、グチが言い合えるような仲間を探したり、「こんなこと言われちゃった」「そうなんだね」とただ聞いてくれる人を見つけて欲しいです。
谷口さんは、介護生活を支え合う仲間の存在の大切さについても力を込めて語ってくださいました。
今回、女性が男性を介護するといったセンシティブな話題について、それぞれの立場から貴重なお話を伺うことができました。また、誰もが無関係とは言うことができない、和田さんが経験された災害時の避難の義父さんとのエピソードやコロナ禍による介護生活の変化については非常に考えさせられるものがありました。