この記事に登場するみなさんのプロフィール(敬称略)
元介護士。大学時代の恩師の言葉をきっかけに介護職へ。7年ほど高齢者施設に勤務。現在は総合スーパーで管理職として働く傍ら、予防医学を学んでいる。父の在宅介護を経験。
ケアマネジャー。息子の介護をきっかけにケアマネジャーへの転職を決意。重度の障がいを持つ息子と祖母の介護を母と行う。放課後デイや生活介護、訪問介護サービスも利用している。
介護施設の管理者。先天性脳性まひで生まれた兄と高齢の母と暮らしている。兄の力となるべく介護のノウハウを学ぶ目的で40代で訪問介護職に就く。
家族の介護をきっかけにして……
みんなの介護(以下、―――) 本日はお集りいただきまして、ありがとうございます。まずは、自己紹介をお願いできますか。

天野
天野です。よろしくお願いします。
大学を卒業してから介護士として7年ほど働いています。、学生時代、ゼミの教授から「性格が穏やかで気が利くタイプだから特性を活かして介護士になってみては?」と言われたことが介護職を目指したきっかけのひとつです。
在宅介護の経験は、6年前に父ががんになったときです。主に介護をしていたのは母ですが、介護の現場で得た知識で母をサポートをしていました。仕事が忙しく、父の介護にはなかなか携われないまま父は亡くなってしまいました。いまは一時的に介護職からは離れています。
――― 現在は予防医学を学ばれているそうですね。

天野
はい。介護とは少し違ったアプローチではありますが、父と同じような病気の皆さんのお役に立ちたいと考えています。
――― ありがとうございます。続きまして白井さん、自己紹介をお願いできますか。

白井
白井と申します。よろしくお願いします。年齢は50歳です。介護業界でマネージャーをしております。
私は息子を介護しております。妊娠中に息子が悪性リンパ腫になってしまい、お腹の中にいながらに抗がん剤の治療を受けなければいけない状況でした。7か月目に入ったときに腫瘍が大きくなってしまい、帝王切開で生みました。1750gの未熟児でした。
生後52日後に退院しましたが、無呼吸症候群でチアノーゼがでて再度入院。生後6カ月で点頭てんかんを発症しました。脳の一部が壊死した影響で運動機能に重度の障害を持っています。現在は、放課後デイや生活介護、訪問介護サービスを利用しています。
白井さんは、お子さんと一緒にいるときにはいつも笑顔でいるそうです。笑うことで運動機能の発達に良い影響を与えると考え、いつでも笑顔で接しているとのこと。
お子さんは、全介助が必要な療育手帳A、障害者手帳1級です。「はい」といった意思表示が表情で伝えられるそうで、周囲の方々から笑顔をよく褒められるそうです。
――― ありがとうございます。吉田さん、自己紹介をお願いいたします。

吉田
吉田と申します。よろしくお願いいたします。仕事は白井さんと同じく、障害訪問介護事業所で介護職をしています。
一番上の兄が脳性麻痺を持って生まれてきて、両下肢麻痺と知的障がいがあるので、日常生活全般で要介助です。子供の頃から母が面倒を見てきており、父も母も兄に施設に入ってもらう気はなく、「自宅でずっと一緒に暮らしたい」と私が幼いころから言っていました。
そのような背景もあり、将来的な面倒は私が見るんだろうなっていう覚悟のようなものはありました。
今の仕事に就いたのは、母や兄の介護をするときにスムーズに世話ができるようになればいいな、と40歳くらいのときに思ったからです。
介護はコミュニケーション?
――― まずは介護職員としての皆さまのお話を伺えますか。

吉田
今だから話せるのですが……初めて仕事で利用者さんのお宅へ行ったときのことです。
利用者さんは、頚椎を損傷されている男性でした。介護だけでなく、利用者さんのためになることをしたかったのですが、どんなことができるのか分からずに……掃除ならできると思って、家中の床を掃除しちゃったことがありました。管理者に報告したら「介護をもっと勉強しろ!」って怒られてしまいました。

天野
私も新人だった頃は何していいかわからないから雑用に向かいがちでした。ゴミを集めたり、トイレ掃除をしたりと……。利用者さんに「関わる」ということが、どういったことなのか難しく感じていた記憶があります。
――― 白井さんはいかがですか。

白井
私はコミュニケーションを取ることが得意な方なので、「何をしていいのかわかんない!」というときには、利用者さんとお話をするところから始めていました。ほんとうに他愛のないことですが。
重度の障がでお話ができない方とは、文字盤やパソコンを使って会話をしていました。もちろんお互いに疲れでしまうので長時間にならないようにはしていました。でも、趣味が一緒ですと「あそこのお店がこうだよね」とか「ここの店員さんってこうだよね」ってお話までできるから、会話が予想以上に盛り上がっちゃったことも多々あります(笑)。
――― 吉田さんもそのようなご経験はありますか?

吉田
ある利用者さんのお宅で、松田聖子派か中森明菜派かで話したことがあります。同じ明菜派だったので意気投合しましたよ(笑)。もし“聖子派”なら追い出されていたかも(笑)。
――― 大変だったご経験がありましたら、教えていただけますか。

天野
利用者さんから介護者の好き嫌いをこっそりと言われると困りましたね。「あの人は嫌いだから担当を変えてほしい」と言われたことがあります。「私も陰で言われているのかもしれない……」なんて思っちゃいました。担当を変更されたい理由を聞くと「乱暴に扱われるからイヤ」「夜にコールをしてもすぐに来てくれない」といったご返答がありましたね。
ただ、私は役職者じゃないし、リーダーではなかったので、報告がなかなかできませんでした。言えなかったことを今でも後悔しています。
――― ご自身だけで改善を試みたということですか。

天野
そうですね。もちろん、施設全体のサービス改善については声をあげました。でも、ヘルパーの中でも人間関係があるので、言えないこともありました。利用者さんに少しでも心地よく過ごしていただくことが“大前提”ですけが、苦手な人もいるから言えないことはありましたね。
介護職だからこそわかる「介護」のこと
――― 介護をされているときに気を付けていることがありましたら教えてください。

白井
息子は「はい」とは言えるんですが、脳性麻痺で全てをわかっているわけではありません。成長を促すためにも、意思を尊重するようにしています。わかっているのか、わかってないのかは私にはわかりませんが、必ず聞くようにしています。
「これを食べたい?」「お風呂に入る?」とか「外へ遊びに行く?」といったように必ず確認をします。
私の場合は、息子を思う親の気持ちも入っているんですが、元々は家族の介護がきっかけで5年ほど前から介護を仕事にしたんです。吉田さんと同じで将来的に子どもをずっと見ていくためにも、知識や技術を身につけたいということが理由です。家族の介護で意識をしていたことが、やはり重度訪問介護の際にも重なる部分がありますね。
認知症の方や障がいのある方、もちろん息子もそうですが、意思を確認することを必ずしています。「症状やご病気に限らず、大事なことは変わらないんだな」って思いました。
――― ありがとうございます。皆さまは介護職の経験があり、ご自宅での介護者でもあります。お仕事でご利用者のご家族からの対応で葛藤されたこともあるのではないでしょうか。

吉田
私がヘルパー職に就いていたとき、支援内容とは違ったものを頼まれることが「ちょくちょく」あったんです。例えば「今からちょっと出かけなきゃいけない。でも、宅配便が来るから受け取っておいて!」なんて言われたことが。「ついでに他の服も洗濯してもらえる?」なんてご家族の衣服の洗濯を依頼されたり……。いわゆる雑用ですよね。そういうことは「対応しちゃいけないんだろうな」って思いつつもすごく困りましたね。

白井
私も同じような経験がありますよ。「ついでに」なんて言う方は多いと思います。「子供のご飯も準備しておいて」なんていうこともありましたしね。
そこは徐々にやらない方向で(笑)。どうやってそこを切り抜けていこうかなっていう悩みは尽きません。ご本人にお伝えしたり、ケアマネさんがいらっしゃるご家庭なら、相談しながらなんとか……。

天野
私は入所施設で働いていたので、お二人のような雑用を頼まれたことはないのですが、帰宅願望がある入居者さんが多かった印象です。
「家に帰りたい」「家族に会いたい」「こんなところはイヤだ」ということをよく聞くんです。でも、自分は仕事が終われば家に帰れるし、家族にも会える。遊びにも行っていい……。
「何をしたら幸せなんだろうか」って考えるんです。それはすごく……言葉にすることが難しいのですが、不自由さかな。「介護の入所施設って何なんだろう」って考えることが何度もありました。
――― たとえばどのような「不自由」があるとお考えですか。

天野
そうですね。ひとつには、決められた“消灯時間”。「そんな時間には眠れないよ」って仰る方もいましたし、生活リズムが違うから不自由さを感じる方もいました。
……食事もですかね。嚥下状態によって「刻み食」とか「ミキサー食」の方もいらっしゃいます。「こんなのイヤ」「何か物足りない。形のあるものを食べたい」と言われたこともありました。
外出も自由にできないから「映画が見たい」「買い物に行きたい」という要望があるんですけどなかなかそれを叶えてあげられない。不自由さを感じられて、「帰りたい」と言われちゃうんです。凄く心苦しかったですね。どうしようもなく感じていたので。