第61時限目『やまもといちろうさんの体験談!義妹夫婦の子どもたちがヤングケアラーになった話』という記事を書いたところ、関係先だけでなく大変多くの反響を頂戴しました。

我ながらちょっとびっくりなのですが、皆さま同じような問題を抱え、悩みながらも家族としての形をどうつくっていくのか考えているのだなあという思いを強くしました。

ちょうど国会では改正健康保険法が参院で可決され成立しましたが、そういう社会保障制度の問題では、取りこぼしがちな個別のご家族の肖像という目線も大事だと感じます。

困ったときに役立つのは介護サイト!介護施設探しは専門家に頼ろう!

私の実父(90代)と実母(80代)もまた、要介護の状態にあります。

ごく最近まで夫婦で二人暮らしをしていたものの、まず母が脳内出血で倒れ、母が入院中に一人暮らしとなった父が今度は別の急性疾患で倒れて長期療養をせざるを得なくなるという状況になりました。

妻は癌サバイバーの義父の体調が術後なかなか戻らず介護状態となり、また、義母も割と大変な状況となって、いわばダブル介護で夫婦の老親4人が全員介護というヤバイ状態になったわけであります。

私も本稿連載で社会保障の制度全体を見ている者として、高所から高齢者や障がい者の皆さんの暮らしをどうするか考えてきた一方、いざ自分の肉親や家内の両親もまた大変なことになってしまうと、税金や年金や自己負担、保険収載がなんだ、社会保障費がどうだという議論は全部すっ飛んで「うわあ…親父とお袋、どうしよう」となってしまいます。

介護を通じて、仕事と生活とは別なのだというふうに感じざるを得ません。離れて暮らす肉親と、一度は一緒に暮らすことも考えましたが、私自身も妻と4人の子育て中であり、子どもたちも都内の学校に通っていますので、私の介護の都合だけで住まいを変えたり同居したりということもできません。

その結果、頼ったのは「みんなの介護」でした。困り果てて良い施設を探して、まずは落ち着かないことにはどうにもならないぞ、ということで、かといっていつもお世話になっている厚生労働省や学者の皆さんに訊いても個別具体的なことでは埒が明きませんから、電話をしたのは連載でお世話になっている「みんなの介護」であったという。いやはや。

身近な施設を見つくろって資料請求を掛けましたところ、この「みんなの介護」の職員の方から丁寧な連絡を戴き、状況説明の後で「ご苦労がおありのことでしょう。条件に合いそうな施設の資料を自宅に郵送いたします」とお話しいただき、大変に心強かったです。

両親ともに施設に入居…複雑な思いはあれど「助かった」という本音も

私の家の介護もそうでしたが、両親ともに介護の場合はかなりのケースでバラバラの医療機関にお世話になることになります。当たり前ですが、両親が同時に同じ症状で倒れるという状況でもない限り、異なる症状で専門とする病院も違いますから、おのおの違う病院で入院をするのは割と自然なことです。

まず実母が倒れたときは、急性期は救急搬送された地元の総合病院に入り、病状が安定した後、系列のリハビリ病院に転院後、自宅に帰るのか長く受け入れていただける療養型病院にお世話になるのかの選択となりました。

その2年間、母と二人暮らしだった父が孤独や生活面での困難もあって衛生状態が悪化してしまい、自宅で倒れ、幸い日参していた私とお願いしていたヘルパーさんとでやはり救急搬送で事なきを得ました。

その後、父も、かなり無理を言って入れていただいた老健でしばらく逗留できて安定していたのですが、問題は母も療養型病院に入院、父が老健に入所となって、離れ離れになり、自宅は住人不在で空き家となりました。そのため、しばらく私が仕事の合間を見つけては掃除に行くぐらいの状況になったのです。

もう老夫婦二人で自宅に帰ることはできない。それどころか、長年連れ添った父と母が違う病院や施設で離れ離れで長く暮さざるを得ないというのは、(山本家としては)一人息子の私からしても心理的にしんどいことでした。

面談をするたびに、母は「パパは元気にしているか」と問い、父は「早くママとお家に帰りたいね」と訴えるので、子としても、非常に苦悩するところです。

出張から帰る途上や仕事の合間に「みんなの介護」で施設を検索しては、合う条件の施設に電話を入れたり資料請求をし、また「みんなの介護」の職員の方から介護方針についてのアドバイスももらいながら、都内や隣県の施設を見つくろって見学し、本人たちの希望通り、たまに夫婦で自宅に帰ることのできそうな距離の施設に、親父お袋ともに入れる形の着地を実現することができました。

正直に申し上げて「助かった」というのが、老親二人同居の施設に移った後に感じた感想です。

もちろん、放置すると両親ともに「おいしいものが喰いたい」とか「マラソン大会に出たい」などのわがままを言い始めるわけですが、それでもしばらく離れ離れに暮らしていた両親が一緒のテーブルで向かい合って介助もいただきながら語らって食事をしているのを見ると、ああ、これで良かったのだという実感も湧きます。

人生の締めくくりは十人十色!結論が出ない悩みがあるのも当然!

他方で、ずっと実家で暮らしたいという希望も出るわけですが、リハビリも必要な要介護の高齢者が訪問介護とヘルパーさんの支えだけで長期間暮らしていくのは無理があります。

いままで避けて通ってきた「看取り」という文字が、子である私の眼前に垂れさがるように見え隠れするのは、それでもまだ突然のお別れで幕を閉じるよりは神が家族との最後の時間をくれたのだと割り切るには重いものがあります。

政策として社会保障を見る者として、90代になってなお元気でいてねというのが日本社会の制度では重荷である一方、いざ自分の血を分けた家族・両親がよれよれになりながらも夫婦で暮らしているのを見ると、足りないカネなら私が出すからいつまでも元気でいてねと願ってしまいます。理性と感情とが、強く引き裂かれる思いです。

また、夫婦揃って施設に入ってたまに実家に戻れる生活で良かったね、といっても、これも私が割と稼ぎがあって経済的にどうにかできてしまうからなのであって、難病や要介護でも施設に入ることもできず、自宅で不自由な暮らしをされている方々も少なからずいらっしゃいます。

人間、生きることだけでなく、人生のまっとうの仕方にも多大な苦労があるのだ、というのは味わいというべきなのでしょうか。そういう結論の出ないことを悩んでも仕方がないと思いながら、日々を生きています。