昨今問題となっている「ヤングケアラー問題」ですが、実は私の身近なところでも勃発していて、いわゆるガクモンやギョウセイとして社会保障を見ている私からしても「現実はこんなに厳しいのか」と思わずにはいられないような事案でありました。

もうある程度解決はしたので、今では落ち着いて語れる状況になったのですが、遡るほど10年ほど前、私は親の介護と子育てで常勤職を離れてセミリタイアを決断しました。結果的には良かったと思っています。

今回はそのときの話をしたいと思います。

義妹夫婦のご主人が若年性認知症に…。3人の子どもが突然ヤングケアラーになった!!

いまでこそ、在宅介護の日々から解放されて老健や療養型病院にお世話になっている私ですが、両親も義父母も、おのおの介護や不調を抱えながらもまだ存命であります。これらの施設にお願いするにあたっての出費は痛いですが、この世に生み落としてくれた感謝も兼ねて、年寄りを介護することも子の使命と思って涙目で財布を開く日々です。

しかしながら、これは私がある程度仕事がうまくいき、経済面で余裕があるから「泣き言をいう」ぐらいで済んでいるともいえます。

というのも、複雑な家庭に生まれた私は、“ちょっとした”親戚がおります。歳も私とそう遠くない40代から60代でおりますので、彼らの身に、健康問題だ経済難だなどなど何かあるとたまに私も呼び出されることがあります。保証人になってくれとか。カネ貸してくれとか。そういうのですね。

あるとき、義妹夫婦から呼び出されて面食らったことがありました。共働きで頑張っていた義妹夫婦のご主人が、軽い脳梗塞から若年性認知症を発症してしまい、働くことができなくなって困った、というのです。義妹も資格を持って責任ある仕事をしていますので、そちらを辞めてしまうと一家の稼ぎが本当にゼロになってしまう、貯蓄を取り崩して生活しようにもまだ小学生と幼い子たち3人の子育てがあってクビが回らないというのです。

当初は、福祉系のNPOなどとも連携を取りながらどうにかやり繰りしていたようですが、子どもが大きくなると今度は貯金が底を尽きてしまいました。収入はあっても子どもが育つと教育費ほかあれこれカネがかかるのは当然です。まあこれはしょうがないなと思いつつ、どうにか早く生活を持ち直してくれよと思いながら、一定額の仕送りを毎月しながら事態の改善を待っていました。

しばらくすると、ご主人が完全に寝たきりになってしまいました。何とも気の毒なことです。当然、在宅介護といっても限度がありますので、お金がもっとかかるようになります。そこへ、中学に上がる上の子の学費や、下の小学生姉妹も手はかからなくとも“お金”はかかってきます。

頼られるのは私です。より正確に言えば、私の財布です。不運な親族と飛んでいく諭吉を想うとつい流れ落ちる涙を拭い、どうにか早く生活を持ち直してくれよと思いながら、仕送りの金額を増やしつつ状況によっては施設への送迎を手伝ったり、一部契約の代行などもしてあげることになりました。

その後、さらに困ったことに長年の育児とご主人の介護と稼業の激務がたたって、頑健さと聡明さが売りであった義妹が倒れてしまいました。幸い今は回復していますが、一時期は命も危ういのではと言われて肝を冷やした時期もありました。自宅には、寝たきりのご主人と子どもたち、たまに手伝いに来てくださる介護職の方とヘルパーさんしかいません。

私への負担はますますのしかかってきます。とはいえ、私にも家庭があり、介護があり、仕事がありますので、家庭の中でできることをすべて代行するには限度がありますし、一時ながら意識のなかった義妹も認知症が酷くなったご主人も、契約ごとどころか毎月の電気代水道代のような支払いだけでなく、子どもが学校から送られてくるプリント類の処理や給食費、修学旅行、ちょっとしたアクティビティや部活代などなどカネのかかる「日常」が襲いかかってきます。

一時期は、どうにもならないのならば私が山本家の一員として義妹一家と同居することさえ考えました。そこまで思い切る必要が出たのは、ひとえに「ヤングケアラー問題」が勃発したことに尽きます。実父も施設に入っていて一緒に暮らして状況が改善しない以上、義妹一家だけでどうにかなるものでもなくなってしまっていました。

手を入れてみて、一番最初に訪れたのは「子どもたちの学業不振」でした。義妹も良い大学院を出て博士ですので、倒れるまでは“ない時間”を工面して子どもたちに勉強をかなり教えていたものの、経済面で苦しいため学習塾には行かせられず、ほぼ独学で学校の勉強をフォローアップしていました。

ところが、いざ義妹も倒れてしまうと、小さい子どもたちには過酷な生活が待ち受けています。家で動けないご主人のケアもしつつ、ヘルパーさんの手も借りながらお買い物をして日々の料理をつくり、家事をして生きていかなければなりません。勉強に専念できる時間などないのです。

必然的に、多感な時期に友だちと過ごす時間も減って孤独を感じ、ひどく卑下するような言動を、私の前でもするようになりました。小学校3年生の女の子が、どうせ私は学校に行ってもいる場所がないからとぽつりと呟くのを聞くと、単なる親戚のおじさんである私でさえも、これはどうにかしてやらないとアカンという気持ちになります。

出典:『ヤングケアラーの実態に関する調査研究』(日本総合研究所)を基に作成

幸いにして区立小学校にもヤングケアラー問題に対する理解があり、補習をやってくれたりいろんな手配をしてもらえました。しかし、それも子どもたちの苦境を横で私が聞き、やむにやまれず学校に連絡し、保護者の代わりとして赴いて相談もした結果、区から職員さんが訪ねてきてくれてようやく自治体のケアをいただけるようになった、という流れです。

誰もが全力を尽くしているのに解決しない子どもたちの環境に覚えた無力感

ケアマネージャーさんにもずいぶんお世話になりました。ただ、仮にここで私が、あるいは私の財布がなかったら、どうであったのかというのは、あれから数年が経過したいまでも悶々と思うことであります。

それより厳しかったのは、さまざまな契約書類で実質的なキーマンとなってしまった私がすべての同意事項に目を通さなければならないことでした。「これ、勝手に契約して支払っちゃっていいものなんだろうか」。子どもたちには、ケアマネさんやヘルパーさんを派遣してくださる法人との契約や、訪問医療や投薬についての合意内容なんてわかるはずがありません。

私は私で自分の家庭や介護や仕事がありますから、いつもそばにいてあげられるわけではありません。自宅にやってくる郵便の扱いだけでなく、支払い、契約、物品の受け取り…などなどさまざまな問題が、まだ中学に上がったばかりの子と小学生姉妹にのしかかってきます。

あくまで「きれいごと」として、ヤングケアラー問題を解決するための仕事と子育ての両立とか、在宅ワーク中心の就業支援というのは多く耳にします。もちろん、そういう議論は大事です。ないと死んじゃいますから。

私も、区の職員さんの勧めや介護職員の方からご案内いただいて、少しは役に立つのかと思って説明会に足を向けたこともありました。しかし結局、夫婦で倒れてしまって在宅介護がある段階で、子どもは児童相談所にお伺いのうえ児童養護施設の一時預かりにいくしかなく、義妹一家の場合はご主人の療養型病院の入院ができなければそれも困難です。支援があっても出口がないのは、高齢者単身世帯の介護も同じです。どこに向かえばいいのかすら、良くわからない。さらに、そのような経済力がない場合はヤングケアラー状態となった子どもたちを救う手立てはそう万全ではありません。

しかも、これらの問題は「誰かが悪い」というタイプのものではまったくありません。状況的に、しょうがないってことばっかりなんです。

福祉担当の職員の方々も、ケアマネさんもヘルパーさんたちも、できることは全部やってくださったうえで、なおできない、大変であるという状態なのです。あくまでご主人のケアのために訪問してくれているのであって、子どもたちのメンタルや学業まで面倒見てくれるわけではありません。ご主人の弁当や食事調理の手配はしてくれますが、子どもたちの食事を毎日つくってくれるわけでもありません。これは当然のことです。週に何回か、駅前のコンビニで買った菓子パンを持ち込んで、貪るように食べる子たちが日を追うごとにみるみる痩せていくのを見ると、これはどうにもならんぞという無力感すら覚えました。

介護も福祉も実際にはカネの問題!どう解決するかは家庭の状況に委ねられている

結果的に、義妹の体調回復と、頼られた私、というか正確には私の財布の力もあって、ある程度の生活には立て直すことが可能でしたが、福祉系の皆さんに相談をすると、やはりシングルマザーやまだ若いはずのご両親の病気で経済的に困窮するケースは多いようにも見受けられます。

厚生労働省でも窓口をつくって対応をしているものの、正直私の直面したケースも含めて千差万別であり、共働き家庭が親世帯の介護に子どもが充当されるケースや、経済的貧困から立ち直れないケースもヤングケアラーと同じ枠組みになることを考えれば、いわゆる「子どもの貧困」に関する問題の奥深さに思い至らないわけにはいかないでしょう。

このあたりが、社会保障の政策ではざっくり「福祉」、そしてその中の「介護」として括られ、その救いの手の指と指の間から零れ落ちる事例というのはおそらくたくさんあるのだろう、助けてもらいたくても誰に相談したらいいのかすらわからないまま、ただ呆然としている可能性もあるのだろうと思います。

介護は、伝統的に「家族のもの」とされてきました。しかし、今49歳の私が92歳の実父の汚物付きオムツを在宅で取り換えるのは困難だから、介護という社会システムで包摂し、介護のプロが効率よく代行することで、人生をまっとうする国民の福利厚生を担ってきました。

ただ、これらも結局はカネの問題であり、勤め上げた会社からの退職金や不動産を売ったカネで終の棲家となる老人ホームに入居できる人と、カネがないので限定的な介護サービスを公的に受けながら家族に面倒を見てもらう人とが出ます。前者が幸福で、後者が不幸だと紋切型に論ずることはできませんが、これは簡単には割り切れないものだろうなあと自分の手がけてきたことを思い返しながらいつも悩みます。

かくいう私も、今も猛烈に忙しく、実父母の面倒を見てくださっている施設や病院からの日中の電話連絡を取ることができず、折り返せる時間になると窓口終了の時間になっております。海外に出ているときなんてセキュリティの都合で携帯電話を持って出かけることはありませんし、このあたりの民間経済での常識と、お役所や、介護の世界のジョイントをどうにかしてほしいとも願います。

なんかうまくいく方法、ないもんですかね。財布に頼る以外で。