3月1日、認知の問題を抱えた76歳の女性入居者が介護施設内で転倒して死亡した事件で、広島地裁福山支部が医療法人社団に1,650万円の支払うよう判決を下しました。

実にマズい事件とその判決で、改めて介護業界だけでなく社会保障界隈が震撼しているわけですが、認知症や血管・循環器系の既往歴を持つ施設入居者のケアは特に留意すべきとはいえ、ゴーイングコンサーン※である介護施設において、このような事故で大きめの賠償判決が出るたびに「これは制度的に利益衡量を図るのが難しくなったぞ」と感じざるを得ません。

※会社や事業所が将来にわたって事業を継続していくという前提のこと

もちろん、施設側が控訴して高裁の判断を仰ぐことで判決がひっくり返る可能性はあるわけですが、和解に終わった件も含めて、いわゆる長期滞在を受け入れる療養型病院や老健も含めた介護施設では、本来の意味での終活を考える高齢者やご家族のよりどころとして安くはない費用をかけて暮らしておられます。

施設の側も、充分ではない介護費用からあれこれ“やり繰り”して、どうにか日々の介護事業を回している形になるわけです。

しかし、ここで「入居していた高齢者が転んで死んでしまいました」という事故での賠償を司法判断で保障するぞという話になると、入居時点ですでに認知症状を抱えている高齢者の方々が暮らす施設の場合は「どこまで手当すれば、万が一のことがあっても施設側の責任を問われないか」というハードルが格段に上がっていきます。

今回はこうした事故のリスクも踏まえて介護保険制度の持続可能性について見ていきたいと思います。

介護事故に利用者の減少……介護事業所は四苦八苦!

制度医療と法的紛争の事例を見る限りでは、首都圏のある県において、少なくとも年間17件の入居者死亡に関する裁判を抱えた事例の約半数が、数百万の見舞い金を亡くなられた高齢者のご家族に支払う形で和解となり、さらに裁判経緯については一部秘匿となっています。

つまり、施設側が責任を認めるかどうかは別として、施設内での死亡に対し訴えが発生したら、和解のための費用支出を余儀なくされる可能性が高いのです。そのことを考えると、死亡の経緯が第三者的に、かつ法的によほど問題のないものであったとしても何かが起きてしまうことを示唆しています。

例えば、鳥取県益田市で介護施設に入居していた91歳の女性がベッド下に転落していたことに気づかず死亡したケースでは、和解金を300万円支払ったうえに報道までされてしまいました。

事故の原因は、ベッドから降りたときに反応するセンサーのスイッチが切れていた不備であったため、裁判所がこれを重過失と認定してしまうと訴えの2,200万円の過半が判決で認められる虞があったためとも見られます。

さらに、こうした状況に加えて、老人福祉や介護事業のカテゴリー全般の介護事業者の倒産が、昨年2022年では1.7倍増となったようだという報告もありました。

特に問題となるのは、有料老人ホームなどの入居時に相応の入居費用がかかるにもかかわらず、施設運用に見合う収入が得られないまま入居費用のプールを財源とした資産を食い潰してしまい、事業の引き取り手もなく倒産してしまうケースです。

この数字には水面下のものは当然含まれておりませんが、最近では、高齢化の進展し過ぎた地域では有料老人ホームの身売りや廃業による高齢者の引き取り事案がかなり含まれています。

出口がないのは、老後のためにと思って亡くなるまでの棲家を確保する目的で安くない入居費用を支払ったはずなのに、施設そのものが破綻してしまって年金以外の収入もさしたる貯蓄もない高齢者が行き場を失いかねないことです。

このあたりの問題を指摘すると、たいてい行政がどうにかしろと自治体に問題が押し付けられるのですが、公的な施設での高齢者の受け入れは多くの自治体においてはすでに満員どころか順番待ちをしているところも少なくないため、一時帰宅先も見当たらない高齢者が保護の対象とされてしまう場合すらもあります。

おそらくこれから団塊の世代の皆さんが後期高齢者入りをすることでより多くの施設入居待機組が生まれることは間違いないのですが、認知レベルが困難なレベルまで上がってしまった高齢者は当然自活などできませんし、また、施設も受け入れられる状況にないとなると、おのずと対応できる選択肢は限られます。

高齢者の増加スピードが想定以上!従来の介護保険制度はすでに限界水域

一連の介護業界と界隈を支える介護保険については、現役世代の負担が増える方針は決まっており、発表の通り2023年4月から介護保険料改定で第2号保険料の見込み額は6,216円となります。

2020年に比べて介護保険料負担は約3倍にまで膨れ上がっている計算になりますが、前述の通り、介護業界の苦境はむしろこれからが本番ですので、介護の苦労やリスクに見合った国民の応分負担額については根本的な制度改革を行っていかなければならないでしょう。

問題は、「じゃあどうするの」でありますが、まあどうにもならないんですよね。

現行制度での介護報酬は、完全な公定価格のため、いかに差別化を図っても介護サービス料金そのものの引き上げが難しく、コロナ対応や燃料費高騰で恒常的なコスト増により収益体制が圧迫されてしまっています。

介護保険制度の財源論も含めて考えれば、短期的に見て、医療制度改革において叫ばれている応分負担の原則を前提とするならば介護関連諸費用についても現行の高齢者による1~3割の自己負担から3割負担に揃えましょうというアイデアは出ています。

いまでも、現役世帯なみの所得のある人は後期高齢者でも3割負担である代わりに、月々の利用者負担額には上限があり、上限を超えて支払った分は高額介護サービス費が支給されますので、高額医療費と同じく天井を超えても支払い最大額は一定です。

ところが、試算によるともっとも我が国の高齢化が進むとみられる2040年には後期高齢者どころか85歳以上となる人口が全人口の9.2%程度と、ちょっとシャレにならないペースで増えていきます。

高齢者福祉や介護業界全体としてみても、潜在的な介護施設の利用者は現状の約3倍程度(試算によっては5.6倍とされるが、いわゆる入居待機組も含む)となるため、これはもう現行の介護制度では「絶対に回らないし、制度改革をしないと高齢者世帯への対策費用の負担で現役世代と共倒れになる」ことは確実となります。

保険制度を支えるため、短期的な対策として高齢者の本人負担を増やしたところで、そもそも介護を要する高齢者そのものが爆発的に増えてしまうと、本当にどうにもなりません。

社会保障改革の切り札とも言える、同世代間での支え合いも論点としては非常に重要なのですが、先に述べた通り、高齢者そのものが経済的に困窮しているところで就労もままならない認知問題を抱えていると、一直線に生活保護となってしまいます。

社会保障は国家としての使命!強い決断力で改革を進めなきゃアカン!!

さらには、結婚をせず子どもを持たない一人暮らし高齢者の割合が、統計上30%台後半から40%近くに達します

実際には、結婚していたとしても伴侶のどちらかに先立たれた夫婦は死別で独居になるのですが、一人暮らしで困窮されている人々の健康寿命は優位に短く、人口動態を見る限り、15歳以上の独身男性の平均死亡年齢は2019年から21年にかけての3年間の平均で約67歳前後と見られます。

他方、伴侶ありで死別している男性の平均死亡年齢は87歳から88歳の間だと見られますので、結婚して継続した夫婦での生活をできることで男性は20年近く長く生きているというデータもあります。

他にも人口政策と各々の「人生」の関係については興味深く示唆に富む事例はたくさんあるのですが、これらの状況を加味すると、現行の社会保障の単位はやはり家族と公的扶助のハイブリッドとして設計されており、現行の社会保障政策の改革は不可避になります。

高齢社会の進展、少子化による労働力・勤労世帯の割合の減少と、非婚化が進んだことを理由として社会保障制度が破綻する前に痛みを伴う改革を手がけるのか、一度破綻してしまうのを待ってから国民が全員気づいてから何かするのかでやり方が全然違うよなあと思うわけですよ。

戦後復興は本土が焼け野原になったから可能だったのだという長年の“ブラックジョーク”がありましたが、一度社会保障制度が医療提供体制も含めて完全に破綻が見えてから、ガラガラポンでいちから制度を再構築するという方針を採るべきなのでしょうか。

本連載でも何度も書いておりますが、ソビエト連邦が崩壊して独立国家連合体(CIS)を経てロシア連邦が成立するまでの約3年半ほどのうちで、医療制度や年金支給が完全に止まるという壮大な社会実験が発生しました。

後年プーチン政権が成立して世界的な資源高によるロシア財政の安定を見るまで、ロシア人の、特に男性の平均寿命は6歳も縮むことになりました。簡単に書いていますが、この間、安全な出産ができなかったことを理由に出生数は減少し、本来なら投薬管理で死なずに済んだ慢性疾患の方々は続々と亡くなり、さらにソ連崩壊で失業増などを背景に社会不安が沸き起こって、働き盛りの男性の自殺数も飲酒を理由とみられる循環器系による突然死も急増しました。

歴史の教訓として、「国家は破綻させてはならない。社会保障は国家と国民の『約束』ではもっとも誠実であるべきもの」と考えたうえで、我が国の繁栄が次の世代も謳歌できるようにするためには破綻しきる前に何とか改革するのが政治に求められる最大の機能です。また、そういう政治が決断できるように国民も理解し支援するべきなのかなあとは思います。

それが、たとえ“決断力に課題がありそうな現政権”であったのだとしても、です。