このところ、政府は年金の支給額の減額や、75歳以上の後期高齢者で現役並みの課税所得を持つ“お年寄り”の医療費2割負担など、社会保障の受益者側に対する負担増の施策を打ち出す機会が多くなってきました。
本稿でも何度か説明しました通り、もともとは2012年、旧民主党政権の総理大臣だった野田佳彦さんによる「税と社会保障の一体改革」で定められたグランドデザインに沿うものであって、議論そのものは何かすごい新しいかと言われるとそうでもありません。ただ、足りないカネをどのようにして使うか、そのカネの出どころは国民が納める税金や保険料であることから議論が重すぎて一度には頭に入ってこないタイプのネタではないかと思います。
もう国民年金では老後の生活はまかなえない!
今の社会保障改革でお年寄りにとって不利な改訂が行われていることに関して、昨日今日決まったことだと誤解されがちな面はあります。実際には、もう10年以上前から「日本の高齢化は不可逆に進んでしまう」ことがわかっていたために、年金や医療の負担において改革が必要だと議論が重ねられてきました。
例えば、先日の報道で、厚生労働省から「国民年金については月額5万円の支給を維持するので、厚生年金や税金から回しますかねえ」という内容がありました。
タイトルからして誤解を呼びそうな内容なだけでなく、高齢者から「国民年金の支給が月5万で暮らせるかよ」という嘆きも聞こえてきそうです。ウェブでもテレビ番組でも、こんな金額ではやっていられない、国は高齢者に死ねというのかという感情的な反応や意見も多数寄せられておりました。まあちょっと落ち着きましょう。
確かに、国民年金は年金受給年齢に到達した国民全員がもらえる、いわば二階建ての一階部分です。ここに、企業などにお勤めの方がその所得に応じて累進の二階建て部分にあたる厚生年金をもらえます。
しかしながら、農業やフリーランスの方など、厚生年金に加入していなかった人は、昔は共済などに加入してきたものが厚生年金と一本化されます。これは、フリーランスや自営業など1号被保険者が1,400万人あまり、また専業主婦など被扶養配偶者を主とした3号被保険者が840万人あまり、都合2,000万人以上の高齢者が月の収入の大半をこの国民年金という一階部分にあたる基礎年金の支給で暮らすことになります。
厚生労働省などが発表した内容を基に、2019年にMUFGコンサルティングの横山重宏さんが試算・集計したところ、高齢者世帯の所得が低いほど年金への依存が大きいという当然の結果ながら、低所得の高齢男女の1ヵ月当たりの世帯支出額の中央値は11万円程度ということで、これまた当然のように「国民年金一本では老後資金はまかなえない」ことが明確に示されています。その意味では、こんな金額の国民年金に依存して生きている人は、ご主人奥さん同居世帯かおひとりさま世帯かに関わらず「食えない高齢者」が年金生活ではなく生活保護になってしまう事態が今後はさらに多発することになるのではないかと思っております。
2号被保険者の年金を一部カット!?厚労省は国民の反応を様子見
それもあって、厚生労働省も知恵を絞った結果、現役時代に一定の所得があっただろう2号被保険者に支払われる厚生年金の納める保険料に応じて、多くもらえる年金をカットし、これをどう見ても年金だけでは暮らせない貧乏な高齢者に回す政策へのシフトを検討し始めています。
見ようによっては、年金支給を受ける高齢者世代同士で、いっぱいもらえてどうにかなる人から、暮らせない程度の年金しかもらえない人に回す仕組みとなっているようにも見えます(世代内社会保障)。
他方、なにぶん高齢化が進んでいるので痛み始めている年金財政の健全化や、おそらく移民をたくさん受け入れても解決しないであろう少子高齢化などの社会情勢・構造の変化に、どう対応するのかという課題もあります。これ以上、勤労世帯の負担を増やすことができない前提である限り、当然のように社会福祉に回せる予算も増えませんので、増税なしで切り抜けようとするならばこのぐらいしかもはや方法がないのだとも言えます。
2004年、年金制度改正で「マクロ経済スライド」と呼ばれる給付金額抑制策を導入していたものの、さすがに月額5万円を切るような支給額で「達者で暮らせ」と言われても寝言にしか聞こえません。
そこで、これを本来決められていた期日を前倒しで終了させ、ただそれだと抑制するはずだった年金支給原資が足りませんので、これを厚生年金や一部税金で埋めたらどうかと厚生労働省は考えている、ということになります。
簡単に「年金の財源が足らんから国庫負担でどや」と言われても困るわけですが、すでに社会保障は財源の捻出で困り果てていますし、ほかに手もないのでそのようなアドバルーンを日経新聞に記事として揚げさせ、世論や政府(主に財務省の皆さん)がどういう反響をするのか見定めたいというのが流れでしょう。
高齢者の自己負担を増やす!待ったなしの改革案
それと同時に、2022年9月26日に開催された社会保障審議会・介護保険部会では、以前から検討することがうっすらわかっていた要介護1・2の高齢者に対する訪問介護と通所介護を市町村の総合事業へ移す案がついに登場しました。
本稿でも指摘の通り、2024年の介護関連諸制度の改正をにらみ、介護費用全体の総額がヤバいぐらい膨らみ続けていることに対して厚生労働省が「どないかせんとあかん」ということで繰り出してきたというわけです。
まあ、かくいう私の実父母も要介護2を経験しているわけですが、数字だけ見ていると「寝たきりというわけではないんでしょ」と煽られがちな一方、ちゃんと監視をしておかないと、トイレで粗相するわ無理なことをしようとして転んで怪我するわ、感情が抑えられなくなって大騒ぎするわと、人によってはけっこう大変な介護を強いられることも少なくありません。
平たく言えば、ちょっとした認知機能やADL(日常生活動作)の低下でもダイレクトに本人の生活力が落ちたり、家族への負担も大きくなって、いわゆる介護離職を決断するご家族や徘徊の始まる時期という点では全然楽じゃないのが一般的な要介護2であります。
ましてや、このような要介護度の人たちを「地域で受け止める」と言われても、高齢者本人も家族も介護業界も「で、その支える役割を果たす『地域』さんって具体的には誰のことなんや?」という話になります。
かかりつけ医制度の審議のときもそうでしたが、患者さんや高齢者を支える「病院(施設)」と「家族」とあいだに「地域」という謎のファンタジーゾーンが形成されていて、地域に住んでいる誰かがどこかから湧いてきて、おカネを掛けなくてもきっと誰かが助けてくれるに違いないという、ふわふわとした解決策が何となく生まれてきているというのが実情のようにも見受けられます。困ったものです。
年金の議論でも、月額5万円の国民年金しかもらえず経済的に暮らせない高齢者が要介護となり、これがうっかり独居世帯でしたという話になると、これは誰が面倒を見るのかという話にならざるを得ません。
さらには、この10月から一部の後期高齢者の窓口負担割合が2割に増額されました。もっとも、課税所得が28万円以上が条件ですので、後期高齢者を抱える世帯の数%だけが対象となる施策ではあります。
現役世代で高齢者を支えるのは不可能!?出口のない議論が続く…
他方で、現役世代からすればそもそもが3割負担であるところ、いまの少子高齢化が進展して社会保険料負担が大きく、また国民年金保険料の未納も増えている状況で高齢者の医療負担が1割が大半というのは不公平感を強くします。
かといって、国庫負担を引き上げ、税金で高齢者の医療費や年金、介護費用を捻出しろと言われてもこれまた厳しい状態であり、もはや打つ手なしのまま、ずるずると給付水準が下がり、介護への拠出も実質的に目減りしながら、続発する高齢者の餓死や孤独死の報道を眺めていくほかないのかという諦観さえも覚えます。
勇ましく「人生100年時代」と銘打ち、いつまでも健康で元気に働く社会にしていきたいと思う一方、本人が当然望まないのに認知症になってしまったり、健康に自信があったはずが老病とともに働けない状況になってしまったり、人生にはいろんな思わぬ事態があるからこそ社会保障が大事で、共助の仕組みを考えた結果、年金、医療、介護の仕組みが精緻に運営されてきました。
ただ、独身で家族のいない日本人が若い人でも働き盛りでも高齢者でも増え、家族単位の看取りができず、また企業も地域も簡単には高齢者を支えられない時代がくるとなると、制度が破綻しないようにみんなでギリギリで回すのが精一杯で、社会的に高齢者の死に方の合意(コンセンサス)をどう取るのかという議論もそう遠くない将来出てくることでしょう。
おしむらくは、税と社会保障の一体改革の中で、野田佳彦政権が進めようとしていたことそのものはそう大きく間違っていなかったものの、実のある議論が半ば置き去りになったまま10年という貴重な年月を具体的施策の実現なしに過ごしてしまったことが、日本の高齢者対策を悲惨な状態にしてしまったのではないか、と考えざるを得ません。
これはもう、出口のない議論ですので、ギリギリの線を見定めつつ最低限納得のできる着地点を見出す以外に方法はないのかもしれませんが、何か妙案はないものなのでしょうか。