岸田政権となり、民間の動向や物価水準に関わらず賃上げを可能とする政策へ誘導しようとする流れが見られます。なんでも、最低賃金を時給換算で30円程度引き上げる方向だそうですが、なんだか発展途上国の雇用政策みたいになってきました。ウキウキしますね。
一方で財務省の財政制度等審議会でも発案されているとおり、OECD諸国との比較で見ても、我が国の社会保障の現状は、受益(給付)と負担のバランスが不均衡の「中福祉、低負担」は憂うべき状況です。
政策議論はなかなか明るい出口が見えないようです。
先日も、財務省が社会保障の根幹を担う制度でもある高額医療費負担に対して、国庫負担の廃止を求める方針を打ち出し、物議を醸しました。もちろん、この問題は高額医療費の公的負担の割合が増えていくと自治体の資金繰りが急激に悪化し、高齢化が著しい地方自治体の破綻が現実のものになるからヤバいですよねという話なわけですが、特に影響を受けるのは実は介護界隈です。首都圏や福岡圏など都市部で収容しきれなくなった要介護の後期高齢者が比較的空きのある地方の介護施設に流れてくる可能性が大きくなります。
病院都合なのに転院拒否!?高齢福祉の理想と現実
私事ながら、高齢の父母が二人とも体調不良を起こし、入院と転院を余儀なくされて慌ただしくも暑い夏を送っております。
父母がこれまでお世話になっていた施設を離れることは老病の常でもあり致し方ないと思っていたのですが、そこから無事に快復し、急性期を過ぎたので一時的に療養型の病院へ転院すべく面談をしていました。
すると、受け入れ窓口のソーシャルワーカーさんが「多人数病床が空いていない」という理由で平然と差額ベッド代のある部屋への入所を要求してきました。
「それは病院都合ですよね。差額ベッド代を求めるのは不適切ではないですか」という話をしたところ、なんと差額ベッド代を断ったからという理由で療養型病院への転院を断られるという事態となったわけです。
療養型病院は入所を待つ人数も多く、もちろん病院側にも経営上の都合があるのはよく理解しています。しかしながら、厚生労働省の決まりで「一応」は患者(この場合は私の父母)の同意がない限り、差額ベッド代を徴収してはならないことが決まっています。
口先では「尊厳ある生を全うする」と言いつつも「結局、カネやないか」という結論に達して心寒く感じた次第です。
一個人の高齢福祉において直面する現実は腹立たしい一方、実際の医療や介護の観点からすれば「とはいえ、無い袖は振れない」という状況が強くなっているのもまた事実であります。
先の財務省による高額医療費負担の件についても、ほとんど納税できなくなって社会に富を生み出すことのできなくなった高齢者に、高額な抗がん剤などを処方して延命させることが財政的に無理になりつつある現状をどうしますかという問題として受け止めざるを得ません。老境にある肉親の医療や介護が逼迫している状況でコロナの感染拡大がまたやってきて、さらに日本社会が公的に負担できる余力を持てなくなったとき、さあどうするかということですよね。
現実味を帯びてきた要介護度2以下の総合事業移行
現行で国の施策として「要介護2以下の訪問介護や通所介護を、保険給付から外して総合事業へ移すかどうか」という制度改正に向けた議論が始まりました。
これは下図のとおり、現時点で要介護1・2への介護給付の3割弱を全国一律の基準ではなく地域の実情に合わせた「柔軟な」形に移行するという提案のようです。現場のためではなく予算削減ありきの制度改正に思えてなりません。
同時に厚生労働省が発表したのは「介護職員の処遇改善の臨時調査」なるもので、要するに介護職の賃上げに関する状況調査をしますよという内容です。
先に結論を言うならば、岸田政権になって全体的な賃上げの政策的実現にあたり、介護職のような国が賃金水準を決める業界については、特に民間の動向や物価水準に関わらず賃上げを可能とする政策へ誘導しようという話が一つにあります。
他方で、介護界隈を取り巻く保険財政はより厳しくなることから、後期高齢者の人口の伸び率を天井に、今までの義務的経費から総合事業に移行することで裁量的経費へと組み替えて、高齢者の人口増・伸び率を超える介護保険給付はこれ以上認められませんということになろうかと思います。
主戦場となっていたのは財務省の財政制度等審議会(2022年5月25日)で、カネの問題として議論になっているのは「日本国民は他の国の連中と比較して、あまり負担をしない割には福祉サービスを多く受け取ってるんやで」という問題意識です。高齢者の側からすれば、手厚い保護を受けられるに越したことはないのですが、これだって社会からすれば費用が掛かる話ですし、どこからか勝手に予算が湧いて出てくることはありませんので、大概は国の税金と介護保険として徴収する保険料で賄われています。
OECD諸国との比較で見ても、我が国社会保障の現状は、受益(給付)と負担のバランスが不均衡の「中福祉、低負担」と言うべき状況にあります。今後、高齢化に伴い一人当たり医療費や要支援・要介護認定率が上昇すれば、支え手を増やし成長への取組を行ってもなお、この不均衡は更に拡大すると見込まれることとなります。制度の持続可能性を確保するための改革は、急務です。
今までは、要介護2以下の方の介護については、文字通り介護保険からの給付で国や自治体がどのような行政を行っても請求があれば支払われるものという前提でしたので、義務的経費の最たるものでした。予算をいくら決めても使ったのだから払われるという話であるため、統制が効かないわけですよ。
これが、総合事業になれば裁量的給付になりますので、国や自治体、介護保険財政の許す範囲内でやってくださいという話になります。必然的に、介護業界の人たちからすれば制度の改悪にほかならず、サービスの品質の低下が起きることは避けられない情勢になるのではないかと思います。
高齢者福祉の予算を抑制するのは既定路線
冒頭に申しました私の両親も、一時期「要介護2」でしたが、これは「要介護2だから楽」なのではなく、介護の現場においては、特にビックリするぐらい手間がかかるグレードである可能性があります。一口に「生活援助」といっても、対応しなければならない事業の幅も大きく、そう簡単な話ではありません。
他方で、すでに述べたように「介護職員の賃金の引き上げはちゃんと進めます」という目配せもあることを考えると、日本国民の受ける福祉のコストに見合わない負担しかしていない日本社会の状況から考えて、介護の質を落としても介護職がほかの民間と比べても早く遜色のない仕事にしたいという国家の意志は感じます。まあ、介護だけでなく出産や教育にもおカネを使わないといけませんからね。それに、介護職の人も、結婚して子どもを儲けようとしたとき、介護職では食べていけないということになれば、社会保障の担い手としてはなかなか厳しいものがあります。そんな職業にしたいとはだれも思っておりませんから、議論が白熱するのも当然のことです。
これから社会保障審議会・介護保険部会での2024年度制度改正に関する議論が活発化することになるわけですが、全体の方向性としては介護職などで働く介護の現場にはより良い仕事をしてもらいつつ、しかし全体の高齢者福祉については増える高齢者の割合以上には規模を拡大させないという方針であることには変わりがなさそうです。
そうなると、これから後期高齢者に入るご家庭についてはむしろ親族負担が重くなる方向でシフトすることは間違いないとはいえ、ちょっと前のこども家庭庁設置法議論でもあった「ヤングケアラー」のような家族で介護を受け持つ際のガイドラインのようなものも今後はもっと充実させていく必要が出てくるのでしょう。
なかなか明るい出口の見えない政策議論ではありますが、いよいよ私もカウントダウンの親族を持つと昨今の社会保障の関連議論も当事者として臨場感のある世界に差し掛かってきました。正直、大変なことだと思います。どうしましょう。