財政と社会保障を研究している私たちとしても、椅子から落ちるレベルですごいニュースが飛び込んできました。
先日、財務省で行われた財政制度分科会で社会保障制度改革案として「要介護2まで軽度の扱いとし、介護保険の適用除外にする」という提案をしたのです。
今回はこの問題について考えていきましょう。
社会保障制度の根本的な問題は人口の異常な偏り
率直に「ついに来たか」と感じてしまったのですが、財務省が社会保障制度審議においては鬼門ともいえる本件に切り込んだ理由から解説してみたいと思います。
まず前提として社会保障制度改革は必要ってのは、ほとんどの方が感じていらっしゃるのではないでしょうか。
我が国において、最大の人口ボリュームである団塊の世代が高齢化しています。現状では比較的健康な人が多いのですが、後期高齢者に差しかかると、いかに元気な団塊の世代の皆さんと言えど病気がちになり、医療費・介護費がかかるようになります。
また、人間というものは亡くなる間際が一番医療費がかかりますし、脳卒中や心筋梗塞など高齢者が引き起こしやすい疾患が発生したり、認知症を発症してしまったりして、介助なしには暮らしていけない高齢者も多くなります。
さらに、団塊の世代を支える子どもの世代も高齢化して平均55歳から64歳の区分に位置し、いわゆる老老介護問題を引き起こしています。同様に、団塊の世代の介護問題は、全人口の約4割が家族からの支えがないことも指摘されます。
当たり前のことですが、妻帯者だった高齢者の方も、夫婦で同じタイミングで亡くなるなんてことはなく、どちらかが先に伴侶を看取ります。そこから先は、独身の高齢者と同様に「おひとりさま」の人生が待っているわけで、そうなると独居老人の介護という現代社会特有の問題を引き起こします。
国庫負担が今後も増加!その後は病院も医師も余る!!
深刻なのは、団塊の世代が後期高齢者になって引き起こす社会保障費用の国庫負担です。
その費用はまだまだ上がり続け、そのピークは2038年から2040年になるのではないかと推測されています。あと20年ぐらい、私たちは高齢者の医療費・介護費の問題に向き合ってやっていかなければなりません。
その後、団塊の世代がお役目を果たされて減少すると、一気に病院余り、医者余りの時代が来ます。それと同時に、今度は子どものいない高齢者、生涯独身世帯が社会保障問題の中心になります。
独身を謳歌した皆さんが子どもを生むことなく老後を迎えると、家族の支えなどまったくなく、第三者による介護一直線になるため、制度的に困難を伴う見直しが必要になるんですね。
政府も介護事業の見直しで、地域による支え合いや家族からの扶助を前提に、2040年に向けて激増するであろう介護需要を何とか捌こうとしています。しかし、息子や娘の世帯と同居している高齢者において、その孫が一部介護を行う「ヤングケアラー」が社会問題化しています。そもそも地域のつながりなんてまったくなかった都市生活者も含めて、介護は本当にどうなるんでしょう。
もはや無い袖は振れない!介護費用削減は既定路線?
その問題に財務省が正面から切り込むのは、当然のように国庫負担どうするのってことなわけですが、その議論の最初に来たのが「要介護2以下の人たちを軽度として、介護保険の適用対象としないようにしませんか」という話です。
私も肉親が要介護2ですので実感をもって思うことはあるんですが、要介護2って全然軽度じゃないですよね…。
端的に申し上げて、現状の介護産業において、この方針が実現してしまうと、総合事業では負担が重すぎて、とても要介護2の人の介護ができなくなります。
それだけでなく、介護職の立場からしても手当がつけられなくなれば収入は相当に減ってしまい、ただでさえ人手の減少で悩む介護産業はかなり厳しい立場に追いやられかねません。
それでも、財務省が言うように社会保障費はどんどん増大しているので、何かしないわけにはいかないわけです。
これはもう「膨大な社会保障費を毎年国庫から捻出していても、その伸び率以上に多くの介護を必要とする高齢者が増えている」ので、今の介護保険制度や政策の手当てでは、疲弊する介護の現場に充分なおカネが回らなくなったことにほかならないんですよ。
同様に、政府は無尽蔵に社会保障費を出し、必要な介護費用を公的に肩代わりするべきだ、という議論も通らなくなってきていています。
今ちょうど「こども基本法」や「こども家庭庁設置法」に関する議論も進んでいますが、現状の社会保障費の過半は高齢者に振り分けられていて、子どもの出生や教育への予算は手薄です。少子化が進み、世界と比較して学力低下にも歯止めがかからないという議論も出ています。
もはや無い袖は振れないので、予算削減の対策として、まずは少しでも自力で生活できそうな要介護2以下の高齢者には、とにかく介護保険を使わせず自活してもらわないと、カネが回らないってことなのでしょう。かねてより「そんな大ナタを振るうだけでよいのか」という議論はありましたが、実のところ、これから本格的に後期高齢者が増えていくと、今以上にどうにもならなくなります。
他方で、もうすでに介護保険で何とか生活を保っている高齢者と、それを支える現場は170万世帯もあるわけで、ここでパツッと命綱を切られてしまうと介護事業者、介護職にしわ寄せがもろにいくわけですね。辛くなったところで現場にぶん投げられてしわ寄せが行くのは日本あるあるとはいえ、政策担当者の人たちもなんかうまい方法はないのかと頭を悩ませているのではないのかなと思ったりもします。
その分、サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)の充実なども盛り込まれているわけです。このまま後期高齢者が増えていったときに、今まで通り在宅で介護保険でどうにか回すことの不合理・不経済を社会的に受容できなくなってきたので、終の棲家として高齢者のグループホーム的な集中管理体制にして、地域で高齢者に集住してもらって介護コストを下げたいという狙いがあるのでしょう。
議論としては入口のところではありますが、やっぱり「来るべき日が来たか」「ついにこの議論が始まるんだ」という印象が強いです。すでにしんどいのに、いや、これからもっと厳しくなるので絞ります、ってことですから、容易には受け入れられない部分はあるんでしょうが、これはもうどうしようもないんですよね。
カネがなく、家族もいない高齢者にとっては、ご本人の意志とは無関係に社会環境が長生きを許さない状況になりかねません。この連載でも指摘してきましたが、やはりどこかで意志がはっきりしているうちに選択的に死を選ぶことのできる尊厳をどこかで規定しないと財政が回らなくなるという点も当然に指摘されます。同じ日本社会を生きた同胞の皆さんが尊厳をもって最期を迎えることもしんどいご時世になるのだなと寂しささえ感じる一幕でありました。