新型コロナウイルス感染症関連は「あれやこれや」とすったもんだしているうちに、ようやく当面の収束に向かうような状況になってきました。

これもひとえに医療関係者の皆さんの懸命な努力と、政府がかなり適当な「緊急事態宣言」を出したり引っ込めたりする状況の中で自主的に外出自粛を励行した日本国民の理解の賜物だと思っています。

6月下旬から緊張緩和もあって東京都などでは連日100人近い新規感染者数が発表されていますが、PCR検査の拡大も含めて3月4月とはまた違った状況ではないかとみられます。一方で、相談件数や入院患者数が激増しないかという点をしっかりモニタリングしつつ、PCR検査の拡大は検討していかなければならないのかもしれません。

新型コロナの大流行中にもかかわらず、
アメリカでは暴動が起こりパニックに…

海外に目を向けると、本来なら超大国であるはずのアメリカでは、新型コロナが爆発的に増加しています。そればかりか黒人の方の不幸な死を理由とする全国的な大暴動が発生して、「どうしてこうなった…」と見ている私たちが途方に暮れるような事態に直面しています。何してんだよ。

また、欧州でも新型コロナの拡大を甘く見たスウェーデンやイギリス、フランス、イタリア、スペインといった名だたる各国が感染者数、死者数の激増に見舞われ、身動きが取れなくなっています。

ブラジルをはじめとする南米諸国やインド、中東、ロシアなどでも感染は急拡大。発端となった武漢の都市封鎖でどうにかしたはずの中国ですらも北京での感染者増加が報じられるなど、安閑としていられない状態が続いています。

論点は「アフターコロナ」へ‼
コロナ禍をきっかけに医療改革の議論が進んでいます

日本でも収束には向かってはいるものの、終息にはほど遠い状況です。冒頭でも申しました通り、経済活動の再開とともに感染者数の拡大は視認されており、事態が短期間で悪化する懸念も持たれます。

日本国内の新型コロナ累計感染者数
出典:『日本国内の感染者数』(NHK)を基に作成 時点

当連載でも新型コロナ対策と介護の現場の問題について書かせていただきましたが、ここにきて、医療の現場がアフターコロナの改革をどう進めていくのか議論が進んできました。

もちろんまだ総花的な「こうなればいいな」的なところではありますが、今までの急性期医療・慢性疾患に対応する医療体制にベッド数を判断材料とした地域医療の考え方から、かかりつけ医制度・感染症対策も含めたより包括的な医療へとシフトしましょうという話です。

四病協(全国組織である病院団体の連合体)の議論が非常にまとまっているので、ご関心を持たれている方はぜひご覧いただきたいと思います。2021年度予算要望として立てられた項目のうち、医療人材(介護・介助職員)の処遇改善への予算確保という名目も踏まえた「介護施設・介護従事者への対応」と「地域医療介護総合確保基金の拡充」は直接介護職の地位向上や人員確保に資する内容になっています。

医療と介護の連携は課題が山積…
診療報酬の分配問題などで立ち往生も

一方で、地域で進む高齢化に伴い、必要な医療リソースについては、新型コロナ拡大前まで増加の一途をたどっています。医療費削減の名目も踏まえたうえで、「急性期」「回復期」「療養期」などの機能分化が病院側で進み、病院の基幹化とかかりつけ医制度の役割の明確化、そしてさらに地域包括ケアによる在宅医療とそれらの連携を進めてきてはいました。

しかしながら現実には、医療と介護の境目のところでも難題が山積。急性期を脱した患者さんに対し、ソーシャルワーカーを経由する在宅介護や老健、老人ホームなどへのスムーズな連携を求められていたのにもかかわらず、なかなか改善は進みませんでした。また、診療報酬の分配の問題もあり、立ち往生した分野もあったように見受けられます。

保健所などの予算削減があだに!
リソースの大幅な不足が発生してしまった

ところが、ここにきて新型コロナ問題がどかーんと出てきたおかげで、感染症対策の予算や、感染症拡大阻止のための足腰であったはずの保健所・地方衛生研究所の予算も、どんどん削られてきました。

日本国内の新型コロナ累計感染者数
出典:『保健所数の推移』(全国保健所長会)を基に作成 時点

平常時には冗費(無駄な費用)以外の何者でもない感染症対策の予算というものは、地震や津波、火事など自然災害と同様に「いざ」というときに必要とされるリソースそのものです。平時にこれらの予算を削ったことが、結果として東日本大震災で発生した津波により、主に岩手県・宮城県・青森県で多くの死者・行方不明者を出しました。また、福島第一原子力発電所事故では福島県の経済や生活に大きな被害を出し、今なお爪痕が残る結果となったのは記憶に新しいところです。

さらには、豪雨による熊本県・球磨川氾濫の被害拡大をはじめ、九州北部や中国地方で水害が発生すると、避難所生活での感染拡大だけでなく、住居などの浸水によって発生した汚泥の除去作業が感染症と隣り合わせであるという問題についても目くばせがなされるべきです。

いわば、公的支出のスリム化を図り、国民の幸福や健康に資する予算を重点的に配分するという「選択と集中」を行った結果、感染症対策を含めた自然災害対策については大きく予算が削られていました。単純な「日本三大急流の球磨川の上流で災害対策のためのダム建設が、地域住民の皆さんの反対などの理由で進まなかった」というハード的な問題ではないのです。

そのため今回、新型コロナ拡大によって「PCR検査をしたいけど検査人員も設備もまったく足りなかった」とか「新型コロナ疑いで患者が医療機関に殺到したものの、防護服もマスクも充分な量が確保できていなかった」などという事態に陥ってしまったのであります。

ポストコロナを誰目線で考えるのか?
将来を見据えた「医療モデル」が必要です

そこで、「これらの反省をきちんとして、新たな医療体制とそれを支える介護も含めた地域医療を考えましょう」という話になるわけです。しかし、ポストコロナを考えましょうと一口に言っても、研究者や政治家、行政関係者によって問題とするべきポイントはバラバラなのです。

つまり「医療制度改革だ!」と言っても、一番問題になるのは患者さんであるため、その家族が納得できる仕組みをどう構築するかが問われます。そういうニーズを満たすことと、医療機関、医師・看護師などの医療関係者や介護職も含めた受け入れ側の供給とのバランスをどう取るのかがポイントです。

そしてこれらの仕組みは、「新型コロナ対策としての一過性のもの」ではなく、より定常的で、安定した予算と組織、人員を必要とします。「将来的にこのぐらいのケアが必要になるかもしれないから、こういう備えをしておこう」という、いわば「医療モデル」をきちんと組むことが求められるのです。これがリスク計算のうえで合理的なのかを、毎年、毎半期ごとに検証しつつ、調整していかなければなりません。

年収2,000万円はかたいと言われた医師が
人余りでワープア化する可能性も出てきてしまった

さらに地域医療構想の課題として、「行政の役割がどんどん大きくなっているにもかかわらず、地方には充分な財源がない」というテーマが横たわります。リソースを確保するためには予算が必要で、地方公務員の方も増やしていかなければなりません。

それにも関わらず、日本の政治の流れは分散化であり地方分権の名のもとに医療行政の都道府県化という、問題解決とは半ば逆行するような掛け声だけが広がってしまっています。政府予算はより少なく、行政においては国家公務員も地方公務員も削減していって「小さな政府」へと移行しようとしつつも、実際には多額の公的資金を必要とする医療制度改革を行わなければつじつまが合いません。

何より、新型コロナの感染拡大によって若い人も高齢者もあまり病院に行かなくなりました。子どもを抱えた親御さんも感染症のリスクを重く見ており、小児科の外来は激減しています。

日本国内の新型コロナ累計感染者数

さらに高齢者もなんだかんだ外出しなくなったので、骨折などの怪我が減り、不要不急で病院の待合室に長い時間たむろするということもなくなりました。結果として、日本の医療機関で小規模の診療所などは特に経営危機が叫ばれています。かつては開業すれば年収2,000万円はかたいと言われる特権階級だった医師が、むしろ人余りによってワープア化しかねないのです。

介護職の負担が増大する一方、
財源の少ない地方自治体の対応には限界が…

今後、オンライン診療で遠隔医療を拡充しようとしても、実際に患者さんが頼る先は家族です。それが無理であれば地域で受け皿を作ろうという話になりますが、その場合、介護職に対する負担はどんどん大きくなります。いくら「デジタル化や遠隔医療で効率を上げよう」「できるだけ介護職の待遇を引き上げよう」と言ったところで、地方には財源がなく可能な行政対応にも限界が出ます。

最初からすべての最適解を出すことなど不可能ではありますが、少しでも「今、これが足りない」「こうして欲しい」という声を上手く政策に反映させて、多くの人たちが救われるアフターコロナ、ポストコロナの介護体制も含めた医療制度改革につなげていかなければならないのだろうなあと思う次第です。

蛇足ながら、現在日本の中枢でもある経済諮問会議が6月22日に開催され、この中で「骨太の改革」とされる重点項目で「介護の生産性向上」というお題目が有識者提出資料に明記されました。

この中で「リモートを活用しろ」とか「介護ロボットを導入しろ」などの話がメインに据えられていて、ひょっとすると政府は介護についてあまり理解しないまま、これらの政策に大事な税金をたくさん突っ込んでしまうのではないかと怖れる部分も多々あります。

せめて利権にならない程度に、介護の世界でがんばっている人たちのニーズをしっかりと掘り起こして、介護の制度改革の中に反映させていこうという当たり前のことができるようにならないものだろうかと毎回資料を見て悩みます…。

悩みすぎ、ですかね?