8月27日、厚生労働省から2019年の公的年金の財政見通し(財政検証)が発表になりました。これだけ見ると何だか良く分からない資料に仕上がっていますが、大きな制度変更もないので毎回同じような文言になってますね。
年金の健康診断とも言うべき財政検証が発表!
しかし、年金よりヤバいのは社会保障費支出費…?
当たり前のことですが、我が国の公的年金は堅牢な仕組みで、なにしろ年金基金に入ってきたお金以上に年金を高齢者には支払いませんし、物価などに連動したマクロスライドもきちんと機能しているため、一部で騒がれるような「年金基金が破綻する」ということはもっとも想定しえないことのひとつです。
後述しますが、我が国の「社会保障費問題」というのは、年金が制度として破綻するぞということではなく、「普通に年金をもらっているだけだと給付水準が低すぎて、貯蓄がある程度ないと生活が苦しいよ」ということです。
年金だけでは暮らせないので、経済的に破綻しちゃう高齢者世帯は生活保護に流れてしまい、結局「年金で生活が維持できないなら、生活保護に流れちゃえば良いじゃないか」ということで、実質的な高齢者のセーフティネットは老齢年金ではなく生活保護やんけという話であります。
なんかこう、言い方は悪いですが「制度は堅牢だけど先に老人が破綻する」仕組みなのが公的年金だとも言えます。
むしろ、社会全体の問題で言えば、年金よりも「政府の社会保障費の支出増大」のほうがヤバイことになっている、というのが実態じゃないかと思うんですよね…。全体で見れば、ますます大変なことになってしまったのが我が国の社会保障関連支出です。
まず、増大が見込まれていた政府の2020年度予算の概算要求(歳出)は総額105兆円規模になりました。国の支出全体がこのぐらいですよ、という話です。
で、来年度2020年度の社会保障関連支出は、5,300億円増。大変な金額でありますよ。
社会保障費の伸びを抑制するのは諦めた?
政府は6,000億円の自然増はやむなしとの考えだが…
2019年度までは、社会保障費の国庫負担の伸びを5,000億円まで抑制する考えだったわけですが、今回は圧縮の数値目標を設定しませんでした。高齢化による増加分をこれ以上やりくりできないという問題から、政府としては6,000億円ぐらいまでの増額はやむなしという判断のようです。大丈夫なのでしょうか。
一方、予算全体の増額をどうにか見送りたい財務省としては、社会保障の改革案のようなものを昨年提示していて、これについては今年度予算への対応の下敷きとなる内容になっています。
財務省のパッケージでは、概ね医療費の自己負担の引き上げが盛り込まれておりまして、今後超増大が見込まれる団塊の世代の後期高齢者入りを見越して、後期高齢者も窓口での自己負担を2割にするという案が入っています。ま、いずれ自己負担率はどの年代でも3割以上になることでしょうが。
また、勤労世帯について地味に問題になっていることとして、財政難になっている健康保険組合の解散が相次いでいることや、若い世代を中心に、企業に所属しないフリーランスのような自由な働き方をしている人たちが、収入不足から国民健康保険の保険料を払えず無保険状態となるケースが急増しているということがあります。
我が国の保険制度は、どうしても「国民全員がどこかに勤めているはずなので、その会社単位で給付や加入をカバーする」という企業中心・企業の事務管理依存の体制になりがちだったので、働き方の多様化によって損得が出てしまうってことですね。
それもあって、社会保障の提供体制の整備として地域の病床再編、医療・介護連携の推進などに645億円、解散しかねない健保組合への新たな財政支援策としての29億円なども盛り込まれています。
給付水準を下げるか自己負担率を上げるか。
既に社会保障改革の議論は手詰まり感が…
良いか悪いかは別として、政府は未来投資会議と経済財政諮問会議で、これらの社会保障政策における「給付と負担」見直しの本格的な議論を、参院選後に始めると言っていました。まあ、議論すること自体はいいことです。ところが、皮肉なことに、社会保障の費用削減プランについては、結局のところ財務省案とどっこいどっこいのものしか検討の俎上に載ってきません。
単純に、ない金をどっかから生み出すということは不可能なので、給付の水準を下げたり、診療報酬や介護の自己負担率を引き上げて健全化を図る以外になかなか方法がないよなあという、手詰まり感だけ認識するわけですよ。
で、こちらも昨年の議論ではありますが、2018年5月の経済財政諮問会議で出てきた資料がこちらでした。
一見総花的な内容に見えますが(まあ実際、総花的ではあるんですが)、それなりに踏み込んで「これはどうにかしないといけない」という危機感は感じられる資料になっていて、好感が持てます。資料の作成者はよく頑張った。感動した。
この中で、2040年の給付の見通しとして、計画ベースで188兆円という途方もない数字が出てきています。や、国家の一般会計(税収や発行国際の合計)が100兆円超えました、景気いいですねと言ってる横で、2040年の国庫の歳出負担がこの数字だと165兆円ぐらいになる計算なんですけど、大丈夫なんですかね。税収だけだと2019年は65兆円ぐらいです。全然足りねえ。
もちろん、この数字をよく検証してみると「何も抑制をかけず、いまのペースで高齢者が平均余命を見事に皆さん生き抜いたケース」です。ほっとくと、こうなりますよ!という話なわけですね。
そして、1年後の2019年5月31日、同じ経済財政諮問会議において、「有識者議員提出資料」ってのが出ているわけなんですが、1年前の議論をベースにして、今度は地域医療の効率化と全国平準化に力点が置かれております。
都道府県ベースで見える化に取り組めという話になっていて、まあ確かに見える化して問題の所在をわかりやすくするのは大事なことだけど、それを国の会議で偉い人集めて喋って納得されたところで解決するのか?という疑問を持つ部分もなきにしも非ずです。
一連の議論を逆算して言うならば、もうすでに手詰まりの状況で、消費税が無事に上がって歳入が増えて社会保障費の拡充する財源の手当てができたら、なんか新しい改革案を実施に移そうかっていう雰囲気の内容です。
社会保障改革は待ったなしなんだけど、そこにぶら下がっている高齢者のことを考えるとバッサリ切るのも気が引けるし、何といっても選挙もあったし、ということで、今年行われる消費税増税に向けてやることリストだけきちんと整備しておこうかっていうノリになっております。まあ、これはしょうがないんですかね。
たった2%の消費増税でも景気を冷やす可能性が…
中国経済の大減速という大きなリスクにも要注意
しかしながら、株式市場など相場を日々やっている人はご存知かもしれませんが、消費税増税で2%上がるよというのは、その実際の財布の痛み方はともかくとして、心理的に物凄く抵抗感のある代物です。ちょっと前まで、給料から天引きされる社会保険料が着々と増えていたことを考えれば、消費税の2%ぐらい実際には大した負担でもないとも言えるんですが、いざ税金が上がるよとなると、重苦しい雰囲気が経済を冷やすことは充分に考えられます。
そうなると、国内景気がゴボッと腰折れしてしまい、最近やけに好調だった法人税や所得税の伸びに支えられた国家歳入の増大が、今の基調のままいけるのか良くわからんぞ、ということになります。
政府の有識者の人たちは、以外と楽観的に「消費税が1%上がると国庫への歳入が2兆円増えるので~」って楽しそうに喋るんですけど、その収入を当て込んで増税した結果、景気が冷えたら歳入が減って元も子もないんじゃないかと思ったりもします。
また、日本国内の景気だけではなく、アメリカと中国の貿易摩擦から、具体的な米中対立の時代に入り、中国経済の大減速が起きる気配が濃厚になって、中国との貿易で潤ってきた我が国の経済にもマイナスの影響を及ぼしそうであることが確定的になってきました。
これは別に現政権が悪いとか、厚生労働省や財務省が怠慢だというような話でもないのですが、とにかく歳入が消費税増税でドーンと増えて、そのお金で我慢してきた社会保障費の拡充がどうにか賄えるぜやったね!という風にはならないのではないかと危惧するところはあります。
「地域」で医療や介護を、と言われても、
受け皿をどう用意すれば良いのかが不明確
具体的な施策にある地域医療構想においても、結局のところは既に増えた患者をどう効率的に診療するか、また、予防を徹底して少しでも長く健康寿命を延ばして元気に街中をうろうろしてもらうかという施策なんですが、この「地域」って表現が曲者なんですよね。
結局、医療者なんですか、町内会なんですか、マンション管理組合なんですか。高齢者が元気に暮らせる受け皿を地域で、と言われても、あまり外出しなくなった高齢者のご自宅に「町内会ですよ」とか「民生委員ですよ」といってご訪問する程度のこと。最終的に何か異変があったとなれば、普通に地域の病院に連れて行って診療手続きして終わりです。
どっちにしても、独居老人が具合悪くなったり、最近あそこのご夫妻をスーパーで見かけないとなっても、自治体や町内会が様子を見に行って終わりとなりかねない。
また、都市部では目下、猛烈な勢いで独居老人が増えていることはこの連載でも度々触れています。もちろん、お子さんが独立されたり、伴侶に死別されて仕方なく独り身で暮らしている高齢者の方もおりますが、昨今問題になっているのは、結婚できず、貧しいままの個人が増えているという実態です。
地域の付き合いも繋がりもなく、完全に孤立してしまっている高齢者は少なくない。また、日本語が喋れない高齢外国人がいたりすると、これはもう困っていると言われても、どう受け皿を用意したらいいのかわからなくなるわけです。
こういうのが全部ひっくるめて地方自治・自治体の仕事の一部となり、またそれを支える地域住民の活動で吸収できるのかというとまったくそういうことはなく、それは政府の仕事だ、いや高齢者を最終的に面倒を見るのは家族だ、いやいや政府でも自治体でも家族でもない、もう「地域」でやるんだ、とぶん投げ合っているような雰囲気なるんですよね。で、その「地域」って具体的に誰のことなんだよ、と言われても誰にも答えがないという。
進まない急性期病床の削減…
むしろ、これからも増え続ける?
地域医療構想についてもっと言うと、経済財政諮問会議の議事録冒頭で、サントリーの偉い人である新浪剛士さんが改革の進捗の悪さにブチ切れているわけなんですよ。
その主要な取り組みの一つとして地域医療構想がある。2025年における病床機能ごとの病床数の見込みは、必要量と比べて大きな開きがある。資料1-2、2ページ目の図表、特に、図表1中、急性期病床について必要量53.2 万床に対して72万床が見込まれるなど、急性期病床から回復期病床への転換がほとんど進んでおらず、さらに高度急性期病床に至っては、全体で増加するということが見込まれている。なぜこのようになってしまったのか、直ちに原因を究明して、適切な基準を新たに設定したうえで、今年度中に見直しを求めるべき。
[中略]
既に10の道府県で県内保険料統一を目指していると聞いている。ただ、これがまったく全国的な動きとはなっておらず、しっかりと取り組んでいただく必要がある。
まあ怒る気持ちはわかるんですよね。上手くいってませんから。でもねえ、実際偉い人に「やれ」って言われて「はい、そうですか」と口では答えても、できないものはなかなかできない。
病院の経営において、急性期病床を減らせと言われても、特に都内では救急の対応でたらい回しになる問題を解決するため、ERに患者が押し込まれることが常態化しています。しかもこれは高齢者だけの問題ではありません。これからも救急車が呼ばれる限り、救急医療の現場を疲弊させながら、急性期病床はほんのり増えざるを得ないんじゃないかと思うんですよ。
社会保障改革は福祉の水準を下げるか大増税かの二択
死に様をどう尊重するのかという哲学的な議論が必要
そして、医療全体で見たときに「医療費を削減しなければならないから、カネのかかる急性期対応を見送ろう」とはならないわけです。あるとしたら、もう後期高齢者になって自宅で倒れてご本人もご家族も救急車は呼んでみたけれど、もうこれは天寿を全うしたということで良いんじゃないかという事例に対応することのほうが大事だったりします。
つまりは、高齢者という統計上の数字で判断されるものではなく、一人ひとりが人生を長年かけて生き抜いていた結果が高齢者であるわけで、その高齢者の死に様をどう尊重し、政策に反映させていくのかという哲学的な内容になるんですよね。
社会保障改革は必要だ、なぜならば高齢者は増えるけど財源がないからだ、というところまでは、誰もが賛成するんです。そして、カネがないなら福祉の水準を大きく切り下げるか、カネが入るように一般人も含めて大増税して福祉を充実させるのかの二択しかないってのは、当連載でも繰り返し申し上げているところです。
ただ、税金は安いほうがいい、でも福祉は今までどおり充実させて欲しい、という議論がいまだにまかり通るのは何なのかなあと。